もう一度会えるなら

 母に顔色が悪いと心配されながらも、休まずにドラッグストアに向かった。

 目にクマがついてるわよ、とパートのおばちゃんに肩をたたかれた。

 今日はもう上がれ。そんなんじゃ客も信用しないから、といくつものミスにうんざりさせられた店長には、早退を言い渡された。

 駅員に飛び込みを疑われて介抱されながらも、大丈夫ですから、と嘘を言って家とは全く反対方向にある駅で降りた。改装したらしく、おしゃれなカフェが併設されている。

 あの日の記憶を頼りに、不思議な庭の入り口を目指した。

 スマートフォンに変えてから便利になった。地図アプリで近くまでは特定できたのだから。

 当時は誰も住んでいなかった家だが、どうやら新しい家主が現れたらしい。家の外装が明るくなっている。芝生の庭は駐車場になり、ブランコができ、小さい自転車が2台停めてあった。

 不法侵入ですが許してください、と庭に向かって頭を下げる。相変わらずぐるりと敷地を取り囲む生垣は目隠しにもなってくれたようだ。当時の記憶を頼りに、生垣に頭を突っ込んで入っていく。随分長い道のりだった。

 タカユキの死因は、まだ治療法が確立されていない難病だった。同級生たちの間でも一時期話題になっていたらしい。

 絶滅種ですらこの庭にはあったのだから、まだ発見されていない種の植物もあったんじゃないだろうか。未知の種なら、難病ですら治す効果を持っているかもしれない。

 もっと勉強しておけばよかった。もっと本を読んでいればよかった。もっと早く気付いていれば。あるいは連絡でも取ればよかったのに。あるいはもっと必死で探せばよかったか?

 もっと必死になって就活をして製薬会社に入ったり大学に残って薬の研究をしたりすれば、タカユキを救う薬を届けることができたかもしれない。

 絶滅した種でも、ここにあると知られていれば、こぞって誰かが取りに来る。私とタカユキしか知らなかったから、きっと生えていたのだろう。取りに来ることができなくても、植物のことを覚えていればいい。見つけた例の花は、かつての大病から多くの人を救った薬の原料になった。そのため乱獲が続いて見られなくなってしまったのだ。せめてその間違いだけでも犯さなければいい。

 すごいよ、とあの日言ってくれた私の小さな得意分野を何とか生かせそうな進路。薬剤師を目指したきっかけまで忘れてなければいいのだ。

 せっかくあったチャンスを、私は無駄にした。

 もしもあの庭でもう一度会えるなら。

 小道を抜けて噴水のある庭までめいっぱい駆け抜けた。噴水の前につくと、私はあの日と同じように岩にもたれかかった。あどけない笑顔の幼い男の子が、日本にはいそうもないようなチョウを追いかけていた。その子は私に気付くとこちらをじっと見ていた。

「タカユキ君」

 彼の名を呼んでみた。

「タカユキ君、だよね」

 私は彼の前に来てしゃがみこむ。目の前でコクっと頷くのが見て取れた。

「タカユキ君、十年先の、庭で待ってる」

 小さな手が、むっくり伸びてきて、私の額をそっと撫でた。

 頬に、スーッと涙が伝っていく。

「タカユキ君、十年後、同じ高校にいるトモミって子に、この庭のこと教えてあげて。そして、あなたが未来に罹ってしまう病気を絶対に治すから。お願い、それまで、生きて」

 抱きしめようとしたその時、タカユキはもういなかった。

 同じ過ちはしまい、と拳を握り締める。

 噴水が空高く上がり、虹をつくっていた。

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十年先の庭で待ってる 平野真咲 @HiranoShinnsaku

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