第9話 もう一つの花

 それから十四年の歳月が流れた。

 左門は流浪の末に信濃の寺の寺侍になっていた。

 ある日のこと、住職から一双の屏風のことで相談をうけた。

 屏風は信濃松代藩松平忠昌の家中の者から預かった洛中洛外図で忠昌の正室花姫が父浅野幸長から贈られたものだという。

「浅野幸長様と申せば確か三年前の冬の陣の前に亡くなられた」

「そうなのだ、亡くなる半年前に手配して出来上がったのは戦の後になったらしく、ご実家でも扱いに困られて姫様の元に御遺品として送ったらしいのだが」

「はあ」と左門は頷く。

 豊臣秀吉の正室の甥になる浅野幸長は福島正則、加藤清正らと共に秀吉子飼いの武将であった。石田三成と対立し、三成憎しで関ヶ原では東軍についたが、家康と秀頼の対談の際には秀頼の護衛につくほど豊臣への思いは深く、冬の陣直前の死は徳川方による毒殺ではないかと噂をされた。

「それでなにが問題なのでしょう」

 左門は好奇心がわいた。

「わしにはわからぬ。なにせ愚僧はこの信濃から出たことがない」

「はあ」

「わしのところに来た御家中の侍もなにが悪いかよくわからぬという。ただ奥方付きの老女がいわく付きの品ゆえしかるべきところに下されたいと申されたそうな。だが奥方様のお父上様のお形見となれば我が寺のような小さい寺で預かるのも荷が重い。知恵を貸してもらえぬか」

 そう話すと住職は奥から屏風を運んできた。広げるのに手を貸そうと立ち上がった左門は絵を見てあっと声をあげるとそのままへなへなと屏風の前に座りこんだ。

 久しぶりに見る又兵衛の絵だった。

 長顎豊頬の特徴は見まごうはずもない。

 まさしく又兵衛の描いた洛中洛外図だった。

 京の賑わいが湧き上がってくる。鴨川が流れ、大仏殿、清水、祇園に五条大橋、四条河原の見世物小屋に六条柳町の遊里、三条通り、二条城があり、御所が、西本願寺がある。そこここに人があふれている。祇園祭り、花見に浮かれる、争う、働く、休む、誘う、待つ、笑う、泣く、愚痴る、はしゃぐ、耐える、踊る。

 引き込まれる、引き込まれて懐かしい京の町を左門は西に東にめぐった。

 清水や大仏殿に参詣し、五条寺町通りで扇屋を冷やかし、伏見街道沿いの飯屋で昼飯を食べ、下立売り通りに並ぶ呉服屋は縁がないから横目でやり過ごす。

 祇園祭りや派手な風流踊りに感心し、通りを駆け抜ける馬にはねられそうになる。

 又兵衛が誘う、河原に見世物を見に行こうと。

 その前に六条柳町へ行かないか、評判の北の白梅を拝みに。

 茶店で一服すれば通りを商人が、歩き巫女が、親子連れが通る。

 辻占、床屋、川の漁師、僧侶も公家も侍も芸人もいる。生き生きとした彼らのそれぞれの声が絡み合い、ざわめきとなって左門を包んだ。

「見事であろう、又兵衛なりの浮世の百鬼夜行」 

 左門は振り返った。

 住職ではなく、かたりが座っていた。

「手のこんだ芝居を。見せたかったのか、俺にこれを」

「花見は一人ではつまらぬ」と金色の目で見上げて妖猫は言った。

 左門は笑った。笑いながらも目頭が熱くなる。滲む涙を拭いながら左門は再び屏風を眺めた。

 四条河原も大きく描かれている。人形浄瑠璃、能舞台、遊女歌舞伎。

 五条にもかぶきの茶屋遊びがかかっている。おかかは美女で若衆は男だ。そこにお国はいない。いないがかぶき小屋が三つも描かれている。

 四条と西本願寺、信雄の供で行ったであろう屋敷や寺の風景や人々の様子が余すことなく細々と描かれている。

 聖でもあり、邪でもあり、ある時は滑稽で尊厳で哀れで。そんな情景が醸し出す熱気はそのままあの北野の舞台を思い出させた。

 又兵衛はお国の花を目に焼き付けてこうして見事に描いてみせた。

「おや、お西さんがあってお東さんがない」と、かたりがつぶやく。

 左門は微笑んだ。

 そう、家康がわざわざ建立に力をかした東本願寺がない。二条城はあるがすでに取り壊したと聞く豊国廟も桜に彩られてある。これは非常に豊臣色の強い作品だった。

 豊臣の豊かだが退廃的な快楽を漂わせるこの屏風は確かに豊臣に縁の深かった結城秀康の息子の妻とはいえ、徳川の子息の奥方様が開いて置いておくには差し障りがあるのかもしれぬ。

 だがそれでも惚れ惚れとするこの魅力に誰もが破棄を躊躇い、屏風の落ち着き先を探してやりたいと切に思うのだろう。

 足音がして本物の住職が松平家の家臣と共に現れた。二人は開かれた屏風とその前にいる左門に驚いた。

「これ左門。どうしてこのような勝手を」と、大切な屏風を勝手に持ち出されて厳しい顔の家臣を前にうろたえる住職に左門は提案した。

「この屏風、宗彭殿に相談されたらいかがでしょう」

「宗彭殿」

「沢庵和尚と申し上げたら一度はその名前を聞いておられましょう。浅野幸長様がかつて森忠政様らと共に春屋宗園様のために建立された三玄院で修行された方で今は大徳寺の住持をされていると聞いております。奥方様の父君様と大層ご縁のある方なれば相談されてもお咎めをうけることはありますまいと存じますが」

 左門と同年輩の家臣はじっと左門を見ている。間にたった住職がおろおろしていると家臣は意外なことを言った。「つかぬことを聞くがおぬしは昔、大村梅庵殿に仕えておらなんだか」

 左門は頷きながら怪訝そうに家臣の男を見た。

「おう、やはりそうであったか。わしだ、大御所様のご命令で貴重な書物を受け取りにまいった稲田蔵六じゃ、覚えておらぬか」

 左門は遠い記憶を辿る。そういえば由己の蔵書を引き渡す時に徳川にそんな名前の若侍がいたような気がする。

 稲田蔵六は松平忠直に嫁した家康の孫娘勝姫付きになり越前松平に移り、それから新たに忠直の弟の忠昌付けとなっていた。

 屏風は宗彭の元に送られた。

 稲田はそれから度々左門を訪ねてきた。まだ弱冠二十の藩主が治める山に囲まれたこの地で二十数年前の京を知る者は少なく、また忠昌が武を好んだために新しく召しかかえた者は武芸者が多い。そのせいか稲田は京の話や書物の話、趣味の連歌の話が出来る左門が気に入ったようだった。

 左門もそれまで人と京の話をすることを避けていたが、やはり馴染みの地名や店の名が出ると懐かしい。また稲田が京にいたのが由己の亡くなる前後だったせいで話もその頃が中心だったこと、真面目な性格で五条河原などには足を運ばなかったとみえ、そちらの話題がほとんどなかったことで左門も話がしやすかった。

 忠昌の家中は下妻三万石から信濃松代十二万以上に加増されたばかりでまだ新たな家臣を抱える余裕があった。左門は稲田の尽力もあって奉公が決まった。 

 程なく忠昌は越前高田二十五万石へ移封となる。

 海と山に恵まれた北国のこの地で左門は四十を前にして妻を娶った。

 相手は七つ下の美人ではないが、和歌が好きでよく笑う明るい娘だった。ただ実家が旧家でなかなかうるさいと評判で、娘が婚期を逃したのも釣り合いがどうの、格式がどうのと親がこだわり過ぎたのが原因らしい。

 稲田は新参者の左門が苦労しないかと心配してくれたが、素性はわからないながらも婿殿は太閤の学者に学んだらしいこと、自分達のせいでいきおくれた娘が慕ったためにあまりうるさいことを言わなかった。

 やがて男の子を授かった。

 左門は本当の家族を得て彼らを心底いとおしんだ。すっかり付き合いが悪くなったと稲田にからかわれながら仕事を終えるとまっすぐ帰る。妻の料理を食べ、幼い子供の相手をしながら左門は幸せをかみしめた。

 その頃、一度だけお国の噂を聞く。

 左門は稲田と趣味の連歌の会の後、飲みに行かないかと誘われた。

 その日は妻が具合のよくない祖母の見舞いに子供を連れて実家に帰っていたこともあり、左門は久しぶりに誘いにのった。酒席は左門と稲田と野田という同僚で、三人はたら鍋をつつきながら酒を酌み交わした。

 外は時折ちらほらと雪の舞う寒い晩で、歌会のこと、仕事のこと、城下の噂話などが出た後で野田が不意に言った。

「二人は出雲のお国なる芸人を見たことがあるか」

 左門は素知らぬ顔で首を振る。

「それは残念。わしは見たぞ。秀康様のお供で大御所様の将軍拝命のお祝いに京にのぼった折に見た」

 二人より五つ上の野田は父は元武田の家臣で浪人中にその優れた柔術の腕を秀康に認められて家臣となった。ただ息子の彼はあまり武芸が得意でなく、代わりに文学を好んだ。

「ほう」

「秀康様が伏見の屋敷に呼ばれてな。踊りの後、大層ご機嫌であらせられ、あれの水晶の首飾りを召されて赤い珊瑚の首飾りと替えられてお国に渡し、並みいる家臣と客人にお国を示してこう言われた。この女子は女でありながら天下一といわれる。ひるがえって我が身を見れば男でありながら天下一にはなり得ぬのは誠に残念無念であると」

「ほう」と左門は素直に感心し、隣の稲田は渋い顔をした。

 秀康は家康の次男でありながら幼い頃に家康に嫌われ、羽柴、のちの豊臣に養子に出された。その後豊臣に跡継ぎが生まれると今度は結城家に養子に出された。彼は徳川のために尽くしたが家康は秀康に松平の姓と越前五十万石という破格の所領は与えながらも徳川の跡目、天下の将軍職は三男秀忠に譲った。一度家を出された身ではあるから仕方がないとはいえ、やはり鬱屈した思いが秀康にはあったのだろう。その思いは跡を継いだ忠直、つまり左門達の主君忠昌の兄に引き継がれ、参勤交代を渋る、秀忠の娘勝姫との不和などの昨今世間を騒がしているのもとになっている。もっとも元々家康の家臣だった稲田にはそんな秀康の思いには共感出来ない。野田は野田で父のことで秀康に強い思いいれがあるから自然言葉に力が入る。

「まことに秀康様のご器量を思えばそのお嘆きはもっともであると、一同涙したものよ」

 稲田の顔が強張る。あわてて左門は話を戻す。

「それでお国の踊りはどうだった」

「よかった、わしは芸事はよく分からぬがあの女の一挙一足には見とれてしまった。ちょうど北野天満宮で名古屋山三郎役の男と風流踊りをやり、連日客が押し寄せていた頃でな。男の方はあまりよくなかったが、お国の踊りは確かによかった」

「やはり天下一か」と左門の頬が思わずゆるむ。長い月日が左門を素直に喜ばさせた。

「うむ、見事であった。見事であったがお国という芸人、屋敷から帰った明くる日に姿を消したという話じゃ」

 消えた?

 左門は平静を装いながらたずねた。

「それはまたどうして」

「さあ、詳しいことはわからぬ。ただ急に座の若い娘に国の名と座長を譲っていなくなったと聞いた。やはり女子に天下一の看板は重すぎたのだろう」

 左門はそれを聞きながら酒を飲み干した。

 その脳裏にあの頃のお国の様子が浮かぶ。

 舞台で踊っている時は頬も赤く、目も輝いていたが、舞台を下りれば顔色も悪く、痩せて疲れ切っていた。

 看板どうこうより、あのまま踊り続けることは無理だった。誰かがお国を支えなければならなかった。

 だがあの日舞台を見つめる又兵衛の目は女を愛おしむ目ではなかった。あの後、絵を描きだした又兵衛がお国を支えたとは思えないし、お国もそんなことは望まないだろう。

 お国はただひたすら山三のために身を削り、踊るしかない。連日の舞台に、評判を聞いた貴人達からの度々の呼び出しで休む間もなく体はぼろぼろで、それでも頑張っていたお国の気持ちはたぶん秀康の言葉で切れた。

 天下一と言われたことで、自分も山三の弔いももう十分だと。

 しかしお国は自分には普通の女房は無理だと承知していたし、再び筆をとったであろう又兵衛に面倒をかけたくなかったのだろう。

 消えるしかなかった。

 又兵衛は絵をお国は踊りを捨てられない。

 それぞれが花を咲かせる木だとお国は言った。今思えばあれは二人が一緒になることなどあり得ないということではなかったか。なのに自分は逃げた。

 支えてやらなければいけなかったのに、ぼろぼろになるお国を捨てて逃げた。

 湧き上がる激しい後悔の念を誤魔化すために左門は手酌で酒を何度もあおった。

 あの朝、血染めの帷子の前のお国の儚げな美しい横顔が浮かび、心の奥底に閉じ込めていた思いがじわじわとあふれ出す。

 ならばお国はどこにいる、どうしていると案じても、二十年近く昔のことである。もう死んでいるかもしれない。

 そう思ったとたん、左門の頭の中は真っ白になった。

 死、踊れないお国。

 夏の眩い日差しにも似た白さの中を赤い凌霄花が一つ、落ちていく。

「どうした、左門」とさすがに様子がおかしいと心配して聞く稲田の声に左門は我にかえった。

「顔色がひどく悪い」

「寒気がする、風邪かもしれぬ」と左門は答えた。

「おいおい、今から風邪か。寒さはこれからではないか」と言いながら野田は酒を勧めた。

「いや、体調が悪い時に飲みすぎるとあとが辛い、もうやめておけ」と稲田は気遣ってくれた。

 左門はその言葉に甘えて席を抜けた。

 店を出て暗い夜空からはらりはらりと落ちてくる雪を見上げ歩きだした。

「降る雪の空にこころのあこがれて消えてかえらぬ人ぞ恋しや」

 昔聞いた浄瑠璃姫の一節が浮かんだ。

 今更涙など出ない。

 あの時、自分は追いつめられていた。あのまま二人を見ていることは出来なかったと、何度も言い訳をしながら吸い込まれそうな闇を左門は長い間見つめていた。結局自分は山三もお国も見捨てたという事実の前に今更ながらぼう然と立ちつくすしかない。

 冷たい夜気の中、左門は肩を落としてとぼとぼと歩き出した。

 それからさらに五年が過ぎた。

 乱行が過ぎ、ついに改易になった兄忠直に代わって忠昌は越後北之庄に国替えとなった。左門達も含めた家臣団三百騎に幕府が忠直の家臣団より選んだ百五騎を加えて家臣団は膨れ上がり、忠昌は堂々たる越後五十万石の当主となった。

 ちょうどその頃、六歳になった一人息子は賢い子で妻の実家の尽力もあって若殿のお相手役に推挙された。

「しがない御書物方の小役人ではなく先々、もっと大きな役職を」と鼻息の荒い実家は煙たくもあったが子供の将来を思えばそれもよし、何より実家が何を言おうと家では左門を立ててくれる妻の明るい笑顔が左門を和ませてくれた。妻はことあるごとに「御父上様は大層な物知りでいらっしゃるのよ」と息子に言い、幼い頃から古今東西のいろんな話を父の膝の上で聞いた息子もまだまだ父を無邪気に尊敬の眼差しで見てくれる。冬の寒い日、囲炉裏を囲んで繕いものをする妻と少し大きくなった息子に昔、由己がしてくれたように書物を読み聞かせる。そんな満ち足りた日々を左門は慈しんだ。お国の話を聞いてからことさらに家族を大事にした。

 北之庄、忠昌が国入り後は福居と改めたこの地は南北朝時代には朝倉氏が治めた。海山豊かなこの地へ戦乱の京から逃れた多くの文化人が集まり、北の京と呼ばれた。また中世から物流を担ってきた三国湊を持つために豪商も多く、自然と堺同様に豊かな文化を育む地となる。

 連歌も盛んで稲田と入っていた連歌の会も地元の町人達の連歌の会と交流したがなかなかの巧者も多い。

 その知り合いが左門に秋葉神社の馬鹿囃子の話をしてくれた。

 結城秀康がわざわざ防災の神として遠州から分霊勧請したこの神社の春の例祭ではひょっとこやおたふく、大べし見などの面をかぶった演者がおどけた仕草で太鼓を叩く「馬鹿ばやし」が演じられ、これが面白いから是非ご覧あれと勧められた。

 京を離れてから近隣のこういった芸能にも足を運ぶことがなかった左門だが、妻に話したところ是非みたいと言ったために、家族で見物に出かけることになった。

 うらうらと暖かい日差しの中、先を行く妻と子供を後ろから眺めながら、左門は神社への道をのんびりと歩いた。 

 ふと目をやると近くの土塀の上に大きな三毛猫が居眠っている。

 左門は何気なく通り過ぎたが足を止めて振り返った。

「父上」と先にいる息子が左門を呼ぶ。

「父上、早く」

 左門はその声にせかされて、というより猫が目をさますのを恐れて足早に息子の後を追う。

 もし金色の目をしていたらあれはかたりだ。いや目を見ずともわかる。会いたくなかった。

 お国の花も又兵衛の花も確かに見事であったが、かたりは左門の生活にいつも大きな変化をもたらした。今の左門にそんな変化はいらない、今の生活を大切にしたかった。

 左門は妻子と共に境内に入った。

 人混みでごった返した中、三人はぐれないように進むと鉦や笛の音が聞こえてきた。

「えらい人だこと」と呆れながらも、祭りで気分が高揚しているのか楽しげな妻に

「こう混んでいては馬鹿ばやしも遠くから拝むしかないな」と左門も笑顔で答える。だが心は猫を見てから不安で六歳の息子の手をしっかりと握った。

 わあっと歓声が上がった。

 数間先の高い舞台に現れたひょっとこがおどけた仕草で太鼓を叩く。 左門は人混みの中で背伸びをしている息子を抱え上げて肩車をした。

「ほら、どうだ」

「あら、よかったわね」と妻は笑いながらも

「大丈夫ですか、六歳だとさすがに重いでしょう」と左門を気遣う。

「大丈夫だよ」と言いながら舞台へ目を向けた左門は人混みの先に見覚えのある背中を見つけて息をのんだ。

 背の高い、少し猫背気味の痩せた男が最前列で夢中になって見ている。

 又兵衛だ。

髪に白いものが混じり、老けてはいるが又兵衛に違いなかった。

 やはり、と左門は思った。

 かたりは自分を又兵衛に会わせたいのだ。だが今更会って何になる。

 花は見た。あの屏風以上の作品をあれから又兵衛は描いているかもしれないが今更興味はない。

 足元でみゃあっと声がして左門はぎょっとした。

「あら、驚いた」と妻も言い、下を向いて猫を探す。

「こんな人混みの中でどうして猫が」

「踏まれてまた鳴くさ、帰ろう」と左門は忌々しそうに言うとそそくさと向きを変え、妻をうながした。

「ここまで来たのに」と残念そうな二人に

「帰りにくずまんじゅうを買うから」と左門が言う。

「本当ですか」と母子が嬉しそうに問い返すのに苦笑いで頷きながら、左門は考えていた。

 松平家の奥絵師は狩野派の絵師だと聞いていた。だとすれば、又兵衛はどこかの豪商にでも招かれてこの地にいるのだろうか。

「左門は又兵衛が嫌い」とかつてかたりは言った。

 嫌いなのではない、長く共に過ごした由己、お国、山三と共に又兵衛はかけがえのない家族のようなものだった。だが今の自分には本当の家族がいる。

「やはり嫌いなのさ」とかたりは言うだろう。

 違う、だが会えばきっとお国はどうしたと言いたくなる、五条の尼になると言っていたお国が姿を消したのはなぜだと自分のことを棚に上げて責めるだろう。

「父上、降りたい」と恥ずかしそうな息子の声で左門は我にかえった。

 左門は息子を下ろす。 

「どうかなさいましたか」と妻が左門の険しい表情に戸惑い、たずねた。

「いや、何でもない」と答えながらも左門は不安を隠しきれなかった。

 後日、連歌の町人仲間やもともと忠直に仕えていた者から又兵衛の話を聞くことが出来た。 

 又兵衛は本願寺系の興宗寺の僧に誘われて家族と共に七年前に北之庄にやってきたという。

 忠直や近隣の豪商の求めに応じて絵を描き、なかなか評判もよく、最初は寺に居候をしていたのだが今では寺の近くに居を構えて工房も主宰している。また忠昌も兄同様に絵を求めてくれるらしい。

「私も見たことがありますがなにかこう人を引きつける絵でございますよ。花鳥風月より今どきの遊女なんか描かせたら絶品で」と、ある町人は言い、またかつて忠直に仕えていた者は

「あれが描いた山中常磐物語の絵巻を見たが常磐殺しも仇討ちも実に荒々しく、血なまぐさい絵でな。それをあれだけ気の合わぬ殿と奥方の双方共が気に入ったのが不思議で。それだけ人を引きつける魔力のようなものが又兵衛の絵にはあるのだろう」と話した。

 血なまぐさく、荒々しいと聞いて左門は又兵衛の処刑場の絵を思い出した。母常磐が野盗に殺され、義経が仇討ちをする話だと聞けばますます合致するものがある。

 太平になりつつある世の少し前のあの血なまぐさい荒々しい時代を思いおこさせる何かが忠直を捉えたのか。

 先代忠直は正室勝姫を嫌った。いや嫌ったというより勝姫の背後の徳川に勝姫の父秀忠に反発した。背景には前述した通り忠直の父結城秀康がある。そんな忠直の屈折した思いを気位の高い勝姫はわかろうとしなかったし、勝姫についてきた者達も本家意識を捨てきれなかった。かくして夫婦中はこじれにこじれ、子を三人なしたものの、最後は忠直が勝姫付きの侍女二人を斬り殺し、勝姫がそれを江戸に訴えて忠直改易のきっかけとなる。

 そんな互いに鬱屈した思いを抱く夫婦が双方共に又兵衛の絵を好み、また弟の忠昌までも気に入っているというのも奇妙な話であった。だが、と左門は信濃の屏風を思い浮かべながら思った。

 あの躍動感は人を夢中にさせる。たぶん血にまみれた物語絵巻の登場人物達も遊女も艶めかしく図太い生命を感じさせるものなのだろう。

 都人には又兵衛の絵の魅力はわからぬと宗達は言った。その代わり、滅亡した朝倉や柴田、無念の思いを抱き続けた秀康の治めたこの地で又兵衛は認められた。

 よかったではないかと思いながらも左門はやはり又兵衛に会いに行かなかった。

 その年の冬、妻が亡くなった。

 はやり病による突然の死去に左門は茫然とした。

 暗く冷たい雪国の冬が主婦のいなくなった屋敷にいっそう影を落とした。明るい妻の声のしない屋敷にいると、左門は妻の死が又兵衛に会いに行かなかった報いのように思え、自分があの妖猫と関わりがなかったら妻は死ななかったのではないかという考えにとらわれた。

 由己の死、山三の死、妻の死。

 見えない力が自分から家族を奪いさろうとしている。そんな考えにとらわれて暗くふさぎ込んでいると、心配した妻の実家が男やもめでは大変だろうから孫を引き取りたいとなにかにつけて言ってくる。

 左門は残された息子との生活を守ることにとりあえず必死になった。

 半年が過ぎ、ようやく雪が溶け、暗い冬が終わり、いっせいに花咲く季節がきた。

 去年の今頃は三人で馬鹿ばやしを見に出かけたのだと思うと、左門はまた辛くなったが幼い息子が明るく振る舞っているのを見るとこれではいけないと気持ちを奮い立たせる。

 母を亡くして辛いだろうに、父を気遣い、勉学に励み、なにかと聞きにくる息子が愛おしい。

「花見に行かぬか」と稲田が何度も誘ってくれた。

「屋敷の中ばかりにいては体に悪い。亡くなった奥方も花の好きな人だった。花見は供養にもなるだろう」 

 左門は苦笑した。花見が供養になるとはあまり聞かぬが確かに妻は花が好きだった。

 満開の桜を手折って仏前に備えてやれば喜ぶかもしれない。

 迷いながらも左門は息子と共に友の言葉に甘えた。

 久しぶりの外出に息子も嬉しそうだった。

「わしと野田の女房が花見の馳走をこしらえた。旨いぞ」と、稲田が笑う。

 どこの桜も散りかけていて木によってはすでに葉桜に近い。咲き誇っているのは時期のずれる八重桜くらいでこちらも盛りを過ぎつつあるのか、時折はらはらと桃色の花片を散らしている。

 だがそれはそれで風流だった。

「おおい、こっちだ」と野田がそんな八重桜の下で左門達を手招く。

 歩き出した左門は手前の八重桜の下で酒宴を開いている町人達の背後に置かれた小形の屏風に惹かれて目を向けた。

 賑やかな花見の様子を金砂金箔で飾りたてたそれは飲んで踊る人々の様子が生き生きと描かれている。現実の町人達の賑やかさもさることながら、そこからも人々のざわめきが聞こえてくるような錯覚を覚ひた。

 あれはもしや又兵衛の、と左門が見ていると、屏風の前にこちらに背を向けて座っていた細身の年輩の女がすっと立ち上がると、謡いながらゆっくりと扇を返して舞いはじめた。

「九重に咲けども花の八重桜

 幾代の春を重ぬらん」

「ほう、西行桜か、さすがに北の京といわれる地だ。風流なことだ」と稲田が言い、左門も頷く。

 白髪だが伸びた背筋とやや腰を落とした姿勢の美しさ、扇つかいの優美さに左門と稲田はしばし見とれた。

「見渡せば都は春の錦たり

 千本の花盛り 雲路の雪に残るらん」

 一陣の風が吹く、花が舞う。

 女がゆっくりと振り返る。

 左門は息をのんだ。

 女の手から扇が落ちた。

「無理をなされたのではないか、四条殿」と近くにいた町人が扇を拾うと女に差しだし、気遣う。

 女は艶然と微笑みながら言った。

「花も又兵衛殿の屏風もあまりに見事でつい舞いたくなりましたが少しお酒が過ぎたようです」

 女は顔を上げて左門に軽く会釈した。

 町人達が振り返る。

 稲田が左門に聞いた。

「知り合いか」

 左門は黙っていた。足元に柔らかい物が体を擦りつけてきた。見下ろすとかたりが金色の目で見上げている。

「お知り合いですか」と女も聞かれている。

「前に猫を」と女は答えた。

「猫を拾っていただいたのですよ」と言うと女は「三毛、おいで」とかたりに呼びかけた。

 かたりは女を見、左門を見るとゆっくりと女の方へ歩いていく。

「あれは四条殿と呼ばれる舞の師匠だ」と左門達のもとに来た野田が言った。

「なるほどあれが噂の」と頷く稲田に野田が話す。

「俺の知り合いも通っている。あのとおりの年寄りでおまけに病がちときては、とれる弟子の数も限られているのだが立ち姿や仕舞いが綺麗で教わりたいという者が多い」 

 野田は老女がお国だとは気がついていない様子で冗談交じりに左門の肩を叩いた。

「猫も何かの縁だ、おぬしも習ってみたらどうだ」

 左門は黙っていた。

 お国、お国、胸の中で何度も呼びかけながらも声にならない。

 まさか生きていようとは思わなかった。年をとり、やつれているが、踊る姿の美しさと大きな瞳は変わらない。

 やはりお前は踊り続けていたのかと左門の目は潤んだ。

 風が吹き、また花びらが舞った。

 町人達の宴のざわめきがそのまま金屏風のそれと重なる。

 かたりの奴はまだ自分と花見がしたいらしい。

 ふと「まだか」と言った由己の末期の問いがわかった気がした。

 あの一言には咲き誇る山吹のような豊臣への愛着と散るであろうことへの無念さ、そしてそれがわかっていても見ずにはいられない切なさがこめられていたのだと。

 左門は八重桜を見上げた。

 俺もそうではないのか、俺はお国や又兵衛に胸躍らせ、二人の花を見たいという思いを心の底でずっと持ち続けていたのではないか。

 だから山三がお国を女房にすると聞いて反発もし、お国が男をたらし込んでまでかける舞台の手伝いをし、飲んだくれた又兵衛を立ち直らせたのではないか。

 あの妖猫が自分を二人の元に連れていくのではない、俺の心底の思いが自らを二人の元に導くのだ。かたりは俺が二人を避け、時として憎みながらそれでもどうしようもなく二人の花に惹かれていることを知っているから共に花を愛で喜び、味わおうと現れる。

 かたりは由己を物語の種まく定めだと言った。だとしたら俺は、俺はあの二人がどんな花を咲かせたか見届けて語るのが定めではないのか。だが見届けるというのは犠牲を払うことでもあった。

 左門の頬を一筋の涙がつたった。

「父上」と息子が不安そうに左門を見上げた。左門はその小さな肩に手を置き、いとおしむように何度もなでた。

 それから一ヶ月もたたないうちに左門は隠居した。まもなく息子を亡き妻の実家に預けて姿を消した。同じ頃に姿を消した舞の師匠といるのを見たという者もいたが真相はわからぬままだった。

 左門が再び福居に姿を現したのは十年がたった初冬の頃、彼は又兵衛の屋敷の前に立っていた。

 通りから少し奥まったところにある門の前で入ろうか、どうしようか迷っていると通りの方から若い男と老人の話し声が近づいてくる。

「では断ってしまってもよいのですね」

「ああ、有り難いお話ではあるが江戸は遠すぎる」

「よかった、将軍家の大きな仕事とはいえ、お年を考えると不安で、私も母上も案じておりました」

「わしとても、もう還暦だ、この年では」

 背の高い老人と若い男は道を折れ、門前の左門に目をとめ、話がとぎれた。

 左門は老人を、何度も声をかけようとして出来なかった又兵衛を見つめた。

「…左門か」

 先に声をかけたのは又兵衛だった。

「よう、又兵衛」

「左門、左門」と、それは嬉しそうに又兵衛は左門に駆けよってきた。

 そんな又兵衛の様子に若い男は困惑した顔をし、左門でさえも驚いた。

「どうしていたのだ、一体どこでどうして」

 左門は苦笑した。

「お互いいい年だ、どうしていたもなにもないだろう。仕官して隠居して普通に暮らしていたさ」

「そうか、仕官していたのか。由己様についていろいろ学んでいたお前だものな。そうではないかと思ってはいたが」 

 又兵衛はそう言いながら左門の腕をぐいっと掴み、目を潤ませた。

 左門はその力と眼差しに由己が亡くなった時のことを思い出した。

「父上」と若い男がためらいがちに声をかけた。

 又兵衛は振り返ると若い男に左門を紹介した。

「源兵衛、これはわしが若い頃に大層世話になった杉森左門じゃ。左門、これは息子だ」

 源兵衛と呼ばれた男は微笑むとお辞儀をした。

「はじめまして岩佐源兵衛勝重と申します」

 又兵衛同様に背は高いが細面の又兵衛と違い、丸顔なのは母に似たのか。育ちの良さそうな穏やかな目をしている。一瞬長く会っていない息子を思い出し、左門は胸が痛んだ。

「こんなところではなんだからとにかく中へ」と左門の手をとり、門をくぐる又兵衛に左門は言った。

「お前の絵の評判を聞いてきた。見せてくれるか」

 又兵衛は少し照れたような笑みを浮かべて左門を見た。

「見てくれ、俺はずっとお前やお国や山三に俺の絵を見て欲しかった」

 又兵衛は左門をいそいそと屋敷に招き入れ、工房に案内した。

 広い工房で多くの弟子達が下絵、彩色等で働いている。ひときわ目立ったのは絵巻の最後の直しだろうか、広げられた長い画面に細密に描かれた絢爛豪華な屋敷の様子に手を加えている。その見事さに左門は感心した。

「あれは浄瑠璃のはじめ、姫の屋敷だ」と又兵衛が説明する。

「ああ、浄瑠璃姫」

 浄瑠璃姫と聞けば思い出がある。又兵衛も同じらしく笑いながら

「もっと見るか」と聞いてくれたが

「いや、仕事の邪魔になるだろう」と左門は遠慮しながらふとその先に目をやり、立ち止まる。

 描きかけの絵が無造作に広げてられていた。

 笹の葉を肩に巫女姿の女が走っている。

「あれはをぐりの」

「ああ」と又兵衛が頷く。

 その横顔を見ながら左門は懐の扇子にそっと手を触れて言った。

「外に出ないか、又兵衛。話がある」

 又兵衛は怪訝そうに左門を見たが、頷くと言った。

「わしもある」

 二人が工房を出たところで小柄な年輩の女性が待っていた。

「お久しぶりでございます。左門様」

 そう挨拶をしながらどこかよそよそしい感じの園に又兵衛は

「園、ちっと出てくる、飯はいらぬよ」と言った。

「あら、奥に茶菓子の用意もしておりますのに」

「いらぬ、いらぬ」と又兵衛は手を振ると左門をうながす。

 左門は少し気まずい思いで園に頭を軽く下げで又兵衛を追った。

 屋敷を出ながら又兵衛がぽつりとこぼす。

「気はつく女なのだがいささかうるさい」

「女房とはそういうものだ。いなくなって己のわがままが身にしみるのよ、大切にしろ」

 又兵衛は以外そうに左門を見た。

「そうなのか、俺は自由になるのかと」

 左門は苦笑いをした。

「相変わらずの御曹司だな。世話をしてもらって当たり前だと思っているのだろう」

 又兵衛は肩をすくめる。

「お前こそ相変わらず手厳しい」

 二人は思わず笑った。

 歩きながら二人は様々なことを語った。

 又兵衛は自分は京から逃げたのだとぽつりと言った。

「逃げた?」

「内膳さんが労咳で」

 狩野派の多くが豊臣の衰退や滅亡と共に江戸へ行ったのに対し、秀吉によく用いられていた内膳や狩野山楽は厳しい立場の中で京に留まり画業を続けた。

 特に内膳は大坂の冬の役頃から体を壊し、華やかな屏風絵や障壁画から離れ、豊臣滅亡後は水墨画しか手掛けなかった。それは病のせいでもあり、豊臣に愛された彼の意地でもある。

 一方、又兵衛は左門の見た洛中洛外図のような大きな仕事もたまに舞い込み、一応小さな工房めいたものも持つようにはなったが宗達の予見通り、絵に好き嫌いが分かれ、ほそぼそと食べていくのが精一杯だった。

 そんなある日のこと、内膳を見舞った又兵衛は北之庄からきた心願という僧を紹介された。

「心願殿は松平忠直様のお心をお慰め出来る絵師を探しておられて、又さんの絵を見て強く惹かれるものがあったそうですよ」

 又兵衛は心願を見た。才槌頭のニコニコとした愛嬌のある僧だった。

「しかしすでに御家中には奥絵師として狩野派のどなたかが入っていらっしゃるのではないですか」と又兵衛が問いかけると、心願は頭をかいて頷いた。

「そうなんです。だがわしはただ綺麗な障壁画や襖絵ではなく、あの方の荒ぶる心に寄り添ってくれる絵師を探しております」

 又兵衛は軽く失望した。

 お抱えの絵師ではなく、一介の町絵師として北の田舎へ落ちていくのかと。

「私はいい話だと」と勧めてくれる内膳の青い顔を恨めしげに見て又兵衛は返事を渋った。

 そんな又兵衛の様子に心願はあきらめ顔になったが、内膳が珍しくこだわり、又兵衛の工房に心願を連れていき、又兵衛の作品を見せたいと言いだした。自分も一緒に行くから是非と言う内膳に押し切られる形で、又兵衛は渋々二人を工房に案内した。

「今思えば内膳さんも宗達さん同様に都での俺の先が見えていたのさ。だが俺はあきらめきれなかった、あまりにも華やかなあの人達をずっと見てきたから、自分もという欲が捨てきれなかった」

 工房で又兵衛の絵を見た心願は北之庄に来て欲しいと改めて思ったのか、又兵衛に言った。

「やはり北之庄に来てくれまいか、又兵衛殿。気がのらないならせめてこの中のどれかを持ち帰り、殿に見せたいのだが」

 そう言いながら奥にあった屏風に目をやると近づき、開いた。

 それは豊国祭礼の様子を描いた屏風だった。

「豊国祭礼屏風?」

「お前がいなくなった翌年に行われた豊国祭礼の様子を描いたものだ。同じ題材で豊臣に頼まれて描いた内膳さんの屏風は豊臣神社に奉納されている。あれは内膳さんのいろんな思いが詰まったもので俺も手伝ったが本当に素晴らしいものだった。もともと景色が主だった洛中洛外図に風俗の色をつけたのはあの人だ。狩野永徳のそれを見たことがあるが人物は目鼻が釘かきなんだ。それは風景に重きをおきたいのだろうが、内膳さんのは違う。俺はそれをもっと大胆に熱気を醸し出すように描いた。俺にそうさせるほど内膳さんの絵は素晴らしかった。だから心願さんが屏風を開いたのは偶然だが俺は実はずっと内膳さんにあれを見せたかった。ただあの時は」と又兵衛は少し言葉をとぎらせた。

「俺は、俺はここまで描ける、描けるのに都落ちしなきゃいけないのかと言いたかった。あの人ならわかってくれる、わかるはずだ」 

 左門は黙っていた。

 あの内膳のことだから素直に喜んだかもしれないが、一方ですでに屏風絵を手がけるだけの体力のなかったであろう彼に向けての挑発のようなそれは酷くはないか。

「内膳さんは屏風絵を見て、それから俺の顔を見て何も言わずに帰った。その晩、亡くなったと知らせがきた。もうまっすぐに線も引けないと筆を置いていたのに、突然紙を広げて筆をとり、何かを描こう、描こうとして、震える手でままならず、ついにそのままこときれたと。葬儀で前日に俺の屏風を見たことを心願さんから聞いた山楽殿は涙ながらに俺をなじった」

 狩野山楽は内膳同様、もともと武家の出である。内膳と違い、少し年がいってから狩野に弟子入りしたのだが、内膳と親しく、内膳のまっすぐで義理堅い性格を愛した。東に去った狩野派が多い中で内膳と山楽が豊臣に殉じるように京に留まったのも彼らの中の侍の血とは無縁ではなく、そういった意味でも山楽と内膳は本当に近しい間柄であった。

 その山楽からしたら死期の迫った病人にこれ見よがしに作品を見せた、それも世話になった恩人にそんなことをする又兵衛が許せなかったのだろう。

 やはり葬儀に来ていた宗達がその場で又兵衛を庇い、

「筆を握って死ぬことがそないにおかしなことやろうか。あんたもわしも筆を握って死ねたら本望やないのんか」と山楽に言ってくれたが、又兵衛はその場を逃げるように去ると、国に帰る心願にすがるようにして福居に来た。

「俺は恩知らずだ、内膳さんにも宗達さんにも、それから」

 又兵衛は自嘲すると、しばらく黙りこんだ。

 二人は小さな雑木林の脇の小径を歩いていた。細い木に朱色に色づいた烏瓜の実が、ぶらさがっている。

 又兵衛は手を伸ばすとそれをもぎ取る。

「いい色だ」

 夕暮れ間近の日射しに透かした赤みの濃い朱色は左門に凌霄花を連想させた。

 又兵衛もそうなのか、懐かしそうにしばらく烏瓜を見つめていたが、思いつめたように一言、「すまなかった、左門」と言った。

 左門は黙って、又兵衛の手の中の烏瓜を見ていた。沈黙に耐えきれず、又兵衛がつっかえ、つっかえ弁明した。

「わしはつかまえておかなければならなかった。つかまえて、山三さんもお前もいなかったら、俺がお国を、守ってやらなきゃならなかった」 

 左門は黙ったまま、懐から扇子を出すと又兵衛の手の烏瓜に添えた。

 又兵衛は烏瓜を落とし、まじまじと扇子を見つめて、震える手で広げた。

 少女のお国が薄を肩にかけ踊る。

「お国はお前と自分は花を咲かせる木だと言った。それぞれの花を咲かせるのが定めだから寄り添うことはないと」

 又兵衛は膝を落とした。

「会ったのか」

「ああ」と左門は震える又兵衛の肩を見ながら言った。

「十年ほど前になるが、四条殿という舞の女師匠の噂を聞いたことはないか」

 又兵衛は扇を見つめながらいぶかしげに答える。

「ああ、美しい舞を舞うが弟子はあまりとらぬと」と言いながら又兵衛ははっと顔を上げた。

「いたのか、そうか、近くにいたのか」

 又兵衛は嬉しそうに左門を見上げ、立ち上がると左門の腕を掴んだ。

 左門は沈痛な表情で言った。

「いや、もういない」

「いない」

 又兵衛が左門を凝視した。

「病が重くなって出雲に帰りたいというので送る途中に」と左門は言葉を切った。

 又兵衛は再び扇子に目を落とし、しばらく黙りこんでいたが、ぼそりと聞いた。

「じゃあ」

 左門は唇を噛み、少し間をおいて話す。

「この扇子が一度は踊りをやめたお国を踊りに引き戻したそうだ。だから礼を言って欲しいと。それがお国の最後の願いだ」

 弱ったお国をおぶって出雲に向かう途中に小さな神社の前を通った。

 旅回りの芸人の一座が境内で丁度、稽古をしていて、それを見たお国は左門に言った。

「ねえ、面白そうだよ。見ていこうよ」

 左門は少し離れた青紅葉の木の下に薄い敷物を敷いてやり、お国を下ろす。

 芸人達は派手な衣装で歌舞伎踊りの稽古に余念がないが、お世辞にもうまいとは言えぬ出来でうたもいまいちなら踊りもいまいちだった。

「うたひていざやかぶかん

 夢の夢の夢の 

 昨日は今日のいにしえ、今日は明日の昔」

 夢の夢の夢の、とお国は小声でなぞると左門を見上げ、笑った。

「ねえ、左門。由己様は偉いお人だったけど一つだけ間違っていたよ」 

 左門は首を傾げた。

「間違った」

「お茶さ」

 左門は思わず苦笑した。

「ああ、なるほど。あれはお国に向いていなかった」

 お国は微笑みながら首を振る。

「そうじゃなくて、お茶をきっかけにあたしの踊りを誰かに庇護してもらえたらって気を回されたこと」

 左門は不可解そうにお国を見た。

「庇護がなくても踊りは残る、こんな風に」

 左門は芸人達を見た。

「でもこれは」

「同じだよ」とお国は言った。

「残るのさ、残ってこの中からまた新しい芽が出て花が咲く。踊りだって絵だって守ってもらわなきゃいけないものじゃない」

「そうかな、でも守られて残る美しさもあるのじゃないか」

 しかしお国はゆっくりと首を振った。

 そこへ一座の少年が一人、走って寄ってくると二人の前で踊りはじめた。

 お国は目を細めて嬉しそうに時折頷きながら見つめ、一通り終わると銭を出して少年に握らせた。

「上手だね,、精進おし」

 少年は少し得意げな笑みを浮かべると一座の元に走って戻っていく。

 お国は少し疲れた様子で左門にもたれた。

「あたしも又さんもそこがわかっていなかった。誰か偉い人に認めて欲しいって思いこんで遠回りをしちまった」

 そう言ってお国は古びた扇子を開き、くすりと笑うとつぶやいた。

「この子があたしにそれを教えてくれた。だからあたしは踊りに戻れた」

 又兵衛はうなだれたまま、話を聞いていたが、やがてくっと嗚咽をもらす。

 辛くなった左門は言い訳をした。

「すまない、又兵衛。俺こそ本当にすまない。会わせようと何度も思ったのだ。だがお国が病んだ姿をお前に見せたくないと言い張った。だから」

 嗚咽はやがてしゃくり上げた激しいものになった。左門は立ちつくすしかなかった。

 お国が又兵衛に会いたがらなかったのは事実である。だが左門がお国を又兵衛に合わせなかったのも事実だった。

 お国は口ではそうは言っても心の中では会いたいのではないかと迷った左門は一度は又兵衛の屋敷の近くまでいった。しかし屋敷の門前で、出仕する息子の源兵衛の世話を焼く園を見てなんとも言えぬ思いで足が止まった。

 幸せな家族を持つ又兵衛を妬んだのではない。園と亡き妻が重なったのだ。

 お国と又兵衛が会えばたぶん園は苦しむだろう。園も左門も支える側である。お国と又兵衛の間で自分が味わった苦い思いを園に味あわせることになるかもしれない、忘れ形見の息子を捨てお国の元へ行った亡き妻への負い目もあり、結局左門は足を踏み出せなかった。

 それでもやはり又兵衛とお国は会わせるべきではなかったか、お国は本当は又兵衛に会いかったのではないかという思いはずっと左門の心の底で苦い澱として残っていた。

 辺りがすっかり暗くなるまで泣きはらし、放心状態の又兵衛を抱えるようにして左門は近くの小さい呑み屋に入った。

 又兵衛を奥の席に座らせて酒を注文すると;又兵衛がボソボソと何かをつぶやいた。

「えっ」と左門が問い返すと

「わしは江戸に行く」と今度は又兵衛ははっきりと言い、左門の顔を泣きはらした目で見つめた。

「江戸」と困惑する左門に

「お国が咲かせた大輪に見合う花をわしはまだ咲かせておらぬ」と又兵衛は言い、目の前に運ばれてきた酒を手酌で杯にそそぐとぐいっとあおり、左門に杯を突きつけた。

「見届けてくれ、見事咲かせられるか」 

 左門は呆然と杯を眺め、やがて笑みが浮かんだ。

「花も老木の姿なりけり、さ」

 そうして酒を酌み交わす二人の間には少女のお国が踊っている扇子が置かれていた。

 程なく岩佐又兵衛は齢六十の還暦にして、妻子を置いて江戸に出た。

 そして十三年、江戸で絵を描き続け慶長3年の六月、七十三年の人生を閉じた。

 その作品の強烈な個性は弟子たちへの影響のみならず、町絵師達にも広く広がり、あくの強い又兵衛風の人物絵が巷を席巻し、世間に浮世絵又兵衛、浮世絵の祖の名を残した。

「お前はよくやったよ」と左門は死にゆく又兵衛に語りかけた。

「お国が踊りでやったことをお前は絵でやってみせた。お前達はお国の言った通り、それぞれの見事な花を咲かせたのよ」

 蒼白な顔で目を閉じていた又兵衛の頬に微かな笑みが浮かんだように見え、安堵したかのように長い息を一つついた。

 わっとすがる弟子たちを後にして左門は部屋を出て、そのまま庭に出た。

 初夏の眩しい日射しに満ちた庭の片隅に庭木にづるをからませて育った凌霄花が朱色の花を二つ、咲かせていた。

 三年前にさる大名屋敷で分けてもらった苗木を又兵衛はことのほか大事にして、自ら朝晩水をやり世話をしていた。

 左門は朱色の花を見上げた。

 青空を背景にした朱色が目にしみた。

 左門はさらに十年生きた。

 又兵衛の死後、福居に戻った彼を以外にも三十近くになった息子夫婦が迎えいれてくれた。息子は祖父母の願う大身にはならなかった。侍医の娘と駆け落ち同然の結婚をし、出世から外れ、忠昌の第三子吉品に三百石で仕える息子は書物好きの穏やかな侍になっていた。父は太閤の学者に仕えていたという亡き母の言葉をいまだに覚えており、好き勝手をした自分を迎えてくれた息子の元で左門は穏やかな余生を送った。

 ひまを見ては誰に見せるでもなくそれまでのことをつらつら綴る。やがてそれもしなくなり、孫達を膝にのせては古今東西の珍しい話や又兵衛達の話をするのが日課となった。

 ふらりとかたりが来た。

 聞けば西本願寺で書院の天井に絵を描いてもらってきたという。

「鼠除けにするそうだ」

 左門はくすりと笑った。

 由己のところでかたりが鼠をとったところを見たことはない。

「役に立つのか」と聞くと、かたりは首を少し傾け

「わからぬ、わからぬが巻物の上にわしを描くという手法が面白い」と言った。

 書物好きの大村由己や太田又助のところに長くいたかたりらしい。

「一度見に行け」とかたりは言う。

 左門は首をふった。

「もう動けぬわい、それに見たいものは見た。そうだ、書物といえば、こんなものが流行っているらしいのだが」

 左門は懐から太閤記と書かれた本をかたりの前に出した。

「小瀬甫庵という作者なんだが、信長記も出しているとか」

 かたりはふっと笑う。

「ああ、わしを十両で売り飛ばした男だ」  

 左門はあっけにとられた。

「十両、ああ」と笑い出す。

「そうか、太田様の弟子か。道理で中身が荒唐無稽ではあるが所々に妙に読んだことがある筋があると」

「又助の弟子ではない」

「ないと」

「あれは弟子にしてくれと頼んだが又助にどうして信長の話が書きたいと聞かれ、題材として面白いからと答えて断られた」

「やれやれ」と左門は首を振った。

「太田様らしい」

「言ったろう、由己も又助も物語の種をまくと」

 左門は太閤記を眺めた。

「そうか」

 ならば自分はお国と又兵衛の物語の種をまいただろうか、いや、そばで見ただけだ。それでもと、左門は思った。

 かつて由己は言った。自分も太田又助も天下人のそばにいられた、そんな僥倖は滅多にないと。ならば自分も二人の大輪の花を間近で見ることが出来た、それで十分ではないか。

 かたりは金色の目で左門を見上げると膝の上に乗った。

「おい、こんな爺のところに花はないぞ」と左門はかたりに話しかけた。

 かたりはあくびをしながら言った。

「何も大輪の花ばかりが花ではないさ、名もない花も風情があってよい。それにわしはおぬしの話が好きでな」

 左門は歯のない口で笑うと、かつて由己がしたようにそっとかたりをなぜだ。

 庭にはこぼれんばかりの山吹が咲いていた。

            完













 

 

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かたり またべえのものがたり 山戸海 @piiman5656

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