短編小説【偽善者の三つの願い】

ボルさん

プロローグ(含計3話作)…偽善者だからこそ

人の為に善と書いて偽善。


人の為とは何か、そもそも自分のためなのではなかろうか、そして善とは何か、どの視点や尺度で善が善となるのであろうか?


女子高に通い始めた頃からだったか、私は自分をこじらせ始めた。


「私が偽善者だっていうの?」


人は誰しも自分の都合でしか善が行えないはずなのに『偽善者』といわれるのは心外だ。


困ったことに「この偽善者が!」と叫ぶのはもう一人の自分なのであって、偽善といわれるのは心外というよりこの場合心内なのかもしれない。


偽善だとわかっていながら席を譲ると、私はどれだけ自分の行動が『わざとらしかった』かが気になって仕方がない。わざとらしい人や仕草が嫌いだから、自分がそうなってしまうことが怖いのだ。実際、いかにも人の為という雰囲気を醸し出し、また、ブリっ子しているかのごとくわざとらしい私の行為に私自身があきれることがある。


誰も私のことなんてたいして見ていないし、気にしてなんかいないのに……。


偽善者とは自意識過剰の人のことをいうのかもしれない。


周りの目を意識し、内心、良く思われたいという承認欲求や、感謝してもらいたいという見返りを求める浅ましい人間、そうはなりたくないと思っているのに私はそんな人間なのだと思う。


面倒くさい私は自己憐憫が得意だ。自分にとって嫌な出来事が起きた後は頭の中でもう一人の自分と反省会が始まる。自分で自分をさんざん批判したうえで、違う状況やあるべき理想を妄想しては逃げ道を作り、あるいは自分を悲劇のヒロインにすることで言い訳や自己肯定できるストーリーに作り変える。これは儀式的であり、自慰行為にも似ている。


偽善者だからこそ、自己愛が強く、自分が一番可愛いのに自分に厳しい。そして誰よりも自分が傷つくのを恐れる。


自意識過剰だからこそ、わざとらしさが嫌いで、被害者意識を持つ認められたいだけの醜い偽善者になる。


なんて生きづらい世の中なんだろう。


生きづらい世の中にしてしまっている自分を自分で持て余している。


どのみちこれからも偽善に悩むのなら、他の人よりもっと偽善者になってやろう。どうせなら自意識をさらに過剰にして偽善を極めたいと思って生きることにしようではないか……。


そんな、どうでもいいことを家への帰り道で考えていたら、いや、考えていたから私はあれを見つけたのであろう。


つづく。

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