第7話 見納め

見納め



「キヲツケェ、正面に対し礼!」


朝一番、静岡拘置所の入退所をする為の事務室に担当の声が響き渡った。


僕たち五名はその声に合わせ、直立不動の姿勢をとり、腰から60度折り曲げ、正面と呼ばれる入り口から一番奥にあるカウンターの向こう側に対し礼をした。


僕たちの礼に合わせるように、その正面に立っていた見るからに偉そうな刑務官が、僕たち五名に敬礼を返した。


「ナオレェ!」


先程の職員の号令に合わせ、僕たちは再び直立不動の「キヲツケ」の姿勢に戻った。


「はい、では楽にして下さい」


と、正面で礼を受けた偉そうな刑務官が、貫禄を見せつける様に穏やかに言った。


僕たちが「ヤスメ」の姿勢になるのを見届けたあと、手に持っていた古めかしい黒いファイルを開き


「これから君たちを府中刑務所に移送する」


と宣言した。


僕たち五名の中の誰が「ふぅ〜」と声に出した。


「声を出すな!」と号令をかけた刑務官が、すかさず怒鳴り声を上げた。


偉そうな方の刑務官が満足そうに頷き


「バスの移動中も、君たちは受刑中である事を忘れず、職員の指示に従い規律違反を犯す事は絶対にないように。また、バスの中では一切口を開く事の無いように、雑談等で注意を受ければ、行った先で調査と言う事にもなるので、心して置くように。以上、分かったか!」


と言った。


「はいっ!」


僕たち五名は腹の底から声を出して返事を返した。


『やはり府中刑務所か…』


これからの2年間、日本屈指と言われる厳しさの府中刑務所で暮らすことを考え、一気にテンションが下がって行く。


僕の隣に並んでいた男が「イヤイヤ、参ったな…」と言う顔で僕の顔を覗き込んだ。


それに合わせ僕はニヤ付きながら頷いて見せた。


その刹那。


「こら、キサマ達、なに合図を送りあってるんだ。今言われた事を聞いてなかったのか」


と号令をかけた刑務官が、顔を真っ赤にして怒声を上げて居る。


「声なんか出して無いじゃないですか」


僕の隣の男が言った。


「なにを、声を出すのも目で合図するのも同じだ!」


と号令を掛けた刑務官が僕の隣の男に詰め寄った。


まったくとんだトバッチリだ…これは長くなるぞ…と思った時


「もういい、早くバスに乗せて連れて行け」


と偉そうな刑務官が言った。


「ハイッ」と号令係の若い刑務官は声を裏返し、僕らに向ける目とはまるで違う、つぶらな瞳で偉そうな刑務官に最敬礼を返した。


どんな社会でもそうだろうが、刑務官や警察官の上下関係は、きっと僕たちが想像する以上に厳しいのかも知れない。


だとしても、この手の若手刑務官の変わり身の早さには、仮面ライダーの様な変身機能付きなのではないか…と思える時さえあるから笑ってしまう。


偉そうな刑務官に助け舟を出された僕たちは、2人組、3人組に分けられ、其々両手錠を掛けられ一本のロープで繋がれていく。


手錠に結ばれたロープはウエストの位置で10センチほどの結びしろを持たせて固定され、この後府中刑務所に到着するまでの4〜5時間、何があっても外される事はない。


僕は3人組の最後列で数珠繋ぎにされた。


ズボンのベルトの穴には縄を巻かれ、これでもかとしっかり縛り付けた後、縄の余った端っこを同行の若い担当が握りしめて居ると言う念の入れ様だ。


ここまで来て逃げ出す奴も居るまいに…と思うのだが、受刑者の自尊心を奪う事も刑務官の重要な仕事のひとつなのか、敢えて人間らしく扱って貰えないと感じる事も少なくは無い。


まるで五匹の猿回しの猿の様だ。


「各自、自分の荷物は自分で持つ様に」


刑務官の指示に従い、出入口近くに用意してあった自分の荷物を、各自が手に持った。


可動域20センチほどの手首を動かし、僕はボストンバッグ2個と大きな紙袋を1つを持ち上げた。


手荷物の中身はほとんどが本だ。


読書好きな僕は、受刑生活を読書の場と考える様にしている。


刑務所の中でも月に3冊から5冊は本を買う事はできるが、一度読んでしまえば二度読む事は滅多にない本を、毎月定価で買って居たのでは、とても金が続くものではない。


その為、拘置所滞在中に友人知人に中古の本の差し入れをお願いし、本を溜め込んで置くのだ。


ただ、本は重い。


50冊もまとまると、一度に持つのは容易ではない。


この日、僕の一番大きなボストンバッグには、本だけでいっぱいになる程、大量の本が入っていた。


両手錠をはめられ、更にその手はお腹の前…。


自分の荷物は自分で持てと言われても、その荷物を持ってスタスタと歩ける訳もない。


僅か10メートルほどの移動距離を、僕はガニ股になりながら歩いた。


「お前、もっとちゃんと歩けないのか」


僕の腰に巻かれたロープの端っこを掴んでいる刑務官が言った。


「済みません、荷物が重いもんで」


媚びへつらう様に、僕は親子ほど年の違う若い担当に頭を下げた。


そこで「ああそうか」とならないのが、また刑務官と言うものだ。


「そんな物はな、移監までに整理しとくんだよ」


『分かってるよ』と腹の中では思いながらも、僕の手には捨て切れなかった荷物が、ドッシリと重くぶら下がっている。


僕の頭の中にある基準は、何時だって翠との思い出だ。


翠と一緒に買いに行った洋服、翠が差し入れしてくれた下着、翠が…翠が…何か少しでも翠に関わりがあるものは、例え不要な物であっても、捨てるなんて事が出来ない。


翠が突然別れを切り出したりしなければ、この大量にある荷物も翠の家に送り返し、本当に必要な物だけを持ってバスに乗り込むことも出来たはずだ。


こんなにも未練を引きずりながら、僕は翠を責め続けていた。


しかし…この時、僕はまだ翠の本心ってやつを図りかねていたのも、また事実だった。


翠は一度交わした約束を反故にする女では無い。


例え後からどんな問題が持ち上がろうと「一度約束した事だから」とその約束だけは守り通す。


僕は、そんな翠の性格を10年間も間近で見てきただけに、今回の様に「やっぱりあの約束は無しだから」なんて事を、言って来る事自体がどうもしっくりと来ないのだ。


更に言えば、例え入籍はしていないにしても10年も一緒に居た訳で、翔太のことも含めれば「もう二人だけの問題ではない」とまで言い放った翠が、一度許した浮気の事で、ある日、突然別れを言ってくるだろうか…。


確かに逆の立場に立てば、浮気相手とのメールの内容を覗き見てしまえば、穏やかで居られるわけがないだろう。


僕だって「ふざけるな」とケツを捲って帰ってくるに違いない。


「お互いの携帯の中は覗き見ない」と言う取り決めも翠が言い出した事で、10年間一度だってその約束を破った事もないし、もし見たとしても先ず初めに約束違反ありきの事なのだから、その事で文句を言うのもいけないと言ったのも翠だったのだ。


「一時的な感情なのでは無いだろうか…」


今は東京と静岡と言う距離もある事で、あれ以来面会に来ることも無かったが、同じ東京都の府中刑務所に移り住めば、今までの様に面会に来てくれるのでは無いだろうか。


そう思うと、憂鬱な今朝の気分も少しは紛れる様な気になってきた。


急き立てられるようにマイクロバスに乗り込み、五名の「更生の見込みが無い」と判断された懲役太郎たちは、一路、府中刑務所へと走り出した。


マイクロバスの車内は仰々しく厚いカーテンが引かれて居た。


府中刑務所までの道のりを、ドライブ気分で娑婆を見ながら走れると思って居ただけに、酷くいガッカリした気分になった。


薄暗い車内で、5名の受刑者が両サイドの窓側に分かれて座り、その横に5名の刑務官が付き添う様に座って居る。


カーテンの隙間から、見納めの娑婆の様子を盗み見るなんて事もしづらい雰囲気だ。


声を出すなと厳しく言われている車内で、誰からともなく溜め息が零れていた。


バスは何度かの右折と左折を繰り返し、やがて直緯線に入りスピードを上げた。


おもむろに5名の刑務官が席を立ち、車内のカーテンを開けて回った。


マイクロバスの車内が一気に明るく成った。


バスは東名高速道路の上を走っていた。


なぜこんなまだるっこしい事をするのかは良くい分からないが、楽しみにしていた娑婆の見納めも、どうやら僕たち受刑者には許されない事らしい。


まあ、高速道路からの景色を見られるだけでも儲け物なのかも知れないが、僕たちの心情としては、街の様子や、行き交う人の往来や、もっと言えば若いお姉ちゃんの短いスカートなんかを目に焼き付けておきたいのだ。


重要な事件の犯人が車内に乗って居るなら、マスコミの目を避ける為にカーテンを厚く引く事はあるかも知れないけれど、こんな事も受刑者に対する圧力の一環だとでも考えているのか、全く刑務官と言うのはパフォーマンスの好きな人種だ。


おそらく静岡インターから東名高速道路に乗ったのだろう。


これが東京から静岡に向かって走っているなら、時々車窓から富士山なんかが見えて景色も良いのだろうが、上りの東名高速道路は山道を走っているようで何の楽しみも無い。


それでも、面会の帰り、翠もこの道を走って帰ったのかと思うと、時間はあっという間に過ぎて行った。


神奈川県に入るとさすがに翠との思い出が有る地名が出て来る。


「この道を翠と一緒に走ったのはどれくらい前だっただろう」


海老名ジャンクションから圏央道にはいると、尚の事景色は閑散としてくると言うのに、反対に翠との思い出は増えて来るばかりだ。


僕は思わず目を閉じ思い出の中に落ち込みそうになる。


そんな思いを必死に堪え、僕は流れる景色と横を走る車を見続けていた。


翠と同じ白いセダンが横を走っていると、もしかして翠が運転して居るのではないかと目を離すことが出来ない。


マイクロバスは中央道に乗り換え東京都に入った。


東京都下とは言え、翠が住む同じ東京をバスは走って居る。


翠は来る…きっと会いに来てくれる…。


八王子から東京の中心に向かって走ってると、僕の独りよがりの願望は確信となってイメージすることが出来るように成って居た。


「国立府中」の出口が近づいて来た。


5名の刑務官が再び立ち上がり、マイクロバスのカーテンを閉めて回った。


マイクロバスの中は出発の時と同じように薄暗くなったが、僕の心の中は明るく晴れ渡って居た。


直ぐに翠に会える…。


なんの根拠も無いが、僕はそう信じられるだけの翠との絆を感じ取っていた。



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