十八 西郷の決起

 明治7年。江藤新平と共に郷党鎮静のため帰郷した初代秋田県令島義勇に対し、佐賀の新県令岩村高俊は大久保利通のプロバカートル(敵対者を挑発する秘密工作員)として島を侮辱挑発。憂国党のリーダーに担がれた島を無理やり動かざるを得ない状況に追い込んで政府は佐賀の反乱軍を殲滅する。

 島義勇は佐賀七賢人の一人にして北海道開拓の父と呼ばれ、開拓使判官としてほとんど無人の原野であった札幌を本府と定めて「五州第一(世界一)の都」にすると宣言。京都や故郷の佐賀を参考に格子状の道路を持った街並みを建設。その後秋田県令として八郎潟の干拓にも着手した人物だった。

 ちなみに島の後任の開拓使判官は岩村高俊の兄・岩村通俊だった。北海道庁設置の必要性を政府に訴え初代北海道庁長官となり、島の札幌条坊都市建設を引き継ぎ、遊郭を設置して歓楽地を造らせススキノと命名したのも通俊だったという。またその後佐賀県令となり、弟の高俊を後任の佐賀県令に推薦したのも彼だった。

 閑話休題。佐賀の乱を平定した大久保は明治8年、大阪会議で板垣退助と木戸孝允を参議に復帰させて西郷や各地の不平士族と板垣を離間させ、明治9年には前原一誠を翻弄、熊本、秋月、萩の反乱を鎮圧する。近代日本屈指の謀略家としての才を発揮し新体制発足後の混乱・内乱を次から次へと片付けていた大久保利通だが、彼にはその不平士族排除の最後に故郷鹿児島の不平士族を叩き潰して尚且つ西郷を生きたまま取り戻すという最難関の目標が立ちはだかっていた。


 大久保は維新前から長州藩と特殊な同盟関係にあったという西本願寺の僧侶12名を評論新聞記者田中直哉に組織させ、布教活動の名目で民心攪乱と情報収集のスパイ活動を行わせた他、鹿児島県出身の士族からなる工作員を少警部中原尚雄他多数送り込み、更には鹿児島に置いていた兵器弾薬製造所を大阪に移転するため、県庁を介さず直接三菱の汽船を派遣して倉庫内の兵器弾薬を運び出させた。

 政府の動きに対して西郷門下の鹿児島私学校党は中原らの工作員が西郷暗殺を企てているとして県当局に工作員グループの取り締まりを要求。県令の大山綱良は西郷に好感を持っており、これを引き受けた。

 1月29日、私学校党の一部が政府の弾薬搬出を妨害し弾薬を強奪する事件を起こす。31日には1200名もの私学校党員が海軍の兵器庫を襲い、兵器弾薬大規模掠奪事件に発展。同日、県当局も中原たちによる「国権を犯さんとするの姦謀」が発覚したとして政府の工作員グループを検挙。翌2月1日に西郷は辺見十郎太、渋谷精一、成尾哲之丞から兵器庫襲撃事件と刺客事件について報告される。


 自分たちの思惑を外れたこれら一連の事件に対して西郷も大久保も呻き声が出そうなほど嘆いた。西郷の上げた声は私学校党が政府の武器弾薬を強奪したことに対してであり、大久保のそれは対私学校党の目的で送り込んだ政府の工作員が西郷暗殺の刺客となっていたことに対してであった。大久保と西郷は錦の御旗を掲げて戊辰戦争を主導した経験を共有している。どちらも大義名分の重要性をよく理解していた。

 大久保は鹿児島へ大量の工作員を送り込み、あからさまに兵器弾薬製造所の移転を強行して見せるなどの挑発を繰り返したことで弾薬強奪事件を誘発し、私学校党を“テロリズムによって国権や法を犯す公共の敵”へと仕立て上げて大義名分を得たはずだった。ところが刺客事件の発生が西郷に“暗殺というテロ行為によって国権を犯そうと目論んだ工作員を政府が送り込んだことに対して、政府を「尋問」するために私学校党の兵たちを率いて上京する”という決断をさせてしまう。

 西郷からこれを伝えられた県令の大山は「衆兵を率いて上京するのはいささか問題がないか」と尋ねたが、西郷の返答は「自分は陸軍大将である。兵を率いるのは、陛下が大将に特にお許し下さった権限で、不安は無用である」とのことだった。

 このような場合にでもその権限が許されるものなのかはさておき、西郷が事ここに至ってもなお陸軍大将の要職から解かれていないのは事実であった。大久保は未だに西郷の奪還を諦めきれておらず、政府内には西郷が受け取る分の給金が転用もされずに積まれていたという。


 工作員が西郷暗殺を目論んでいたというのは大久保の意志でも現場工作員たちの独断専行でもなく、大久保の下で警察やスパイたちを指揮する川路利良の方針が強く働いたものらしい。川路は西郷が鹿児島を発った2月15日、大久保宛てに「島津、西郷へ勅使を立つるは御無用なり、必ずや議論にわたり、機会を失するのみならず、政府にとり大いなる災いあらん」という手紙を送っている。

 そして2月20日、ついに樺山資紀が率いる政府陸軍が熊本県川俣で私学校党を夜襲。西南戦争が勃発したのであった。

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