公園

橋本

第1話 プロローグ

気がつけば俺は、壁のその一点を見つめていた。目の前の白い壁には、消しゴムほどの黒い模様が二つ、くっきりと着いていた。丸く、同心円上に黒い環ができ、その周りにひび割れが走っている。それが、いわゆる弾痕だということはすぐに知れた。俺は立ったまま、しばらく正面にある二つの模様を見つめた。見つめたというより、見つめざるを得なかった。身体はピクリとも動かなかった。脳も同じように固まっていた。ただ、瞳孔だけはしっかり息をしていた。


たった一瞬の出来事なのに、こめかみから汗が流れ落ち、床に垂れた。右手の人差し指には、生々しい感触が残っている。俺はチラリと右手を見たが、ゴボウのような、筋張った俺の右手がそこにあった。というよりも、俺の視線の先には右手しかなく、右手の先の中途をいくら見ても、銃弾を発射されるどのような装置もなければ、床に薬莢や何かが転がっているわけでもなかった。


ふと俺は、指の匂いを嗅いだ。火薬臭さもなく、仄かに石鹸の香りがした。弾丸が弾き出されたなどとは、夢にも思えない。しかし、俺の人差し指の動きと連動して、壁には、さっきまではなかった二つの穴が開いたし、乾いた音が二つ、確かに鳴った。そして俺の手首から先には、蹴りあげられたような感触がはっきりと残っている。偶然とは言い難かった。そもそも、白を基調としたこの落ち着いた雰囲気の室内の一角に、無造作に穿たれた二つの点は、不自然というより他に表しようがなく、それだけで、日常からは大きく解離していた。


俺はもう一度目を閉じ、さっきよりも深く意識を右手に集中させた。すぐに瞼の裏側に、先程と同じように黒くて重量感のある塊が現れた。塊は、これも先程と同様の球状だったが、今度はさっきより格段に早くハンドガンの形になった。グリップと銃身はスラリとしているが、ずっしりと重たい。その重みが、俺の手には最早しっくりと馴染んでいた。


目視で確認すると、右手には何もない。ただ、手に馴染む質量のみが存在した。しかし、再び目を閉じると、骨太だが肉付きの少ないスマートな、銃の形をはっきりと見ることができた。メタリック調で光沢のあるブラックで、決して他の黒とは混じろうとしない気高さがあった。


「反動を意識し過ぎよ。力は押さえつけるだけじゃなく少し上方に流すの。」


女が口を出してきた。俺はもう一度、壁際に縦格子のように連なっている白い柱の一本に狙いを定めた。


「力を入れすぎだわ。」


後ろから、女が俺の両肩に手を置いた。そこで、俺は自分が緊張していることに気づいた。大きく息を吐き出しながら、目を閉じ、下を向いた。女の吐息、俺の心音以外の、どんな音も消えていた。


何度も映画で見て知った。見間違えるはずがなかった。デザートイーグル、その直線的だが滑らかなフォルムは俺の両手の中に収まり、ひっそりと息を殺していた。俺はゆっくりとスライドを引いた。今度は一回で引き切った。トリガーには、よく触ると溝が刻まれていた。俺はその溝をなぞりながら数回呼吸をした。徐々に肩の力が抜けてきた。


次の瞬間俺は、目を開けると同時に、顔を上げてトリガーを弾いた。爆発的な閃光と重く乾いた強烈な音が響いた。今度は目を見開き、はっきりと視界で柱を捉えた。弾道は、空気抵抗や重力を無視して一直線に柱を貫いた。銃弾が当たった瞬間に、白色の柱の中央部は粉々に砕け散った。表面のクロスは跡形もなく飛び散り、木材の破片が額と腕に当たり、思わず顔をしかめた。手応えを感じた分、言い様のない興奮が襲いかかってきた。柱は幅が十五センチメートルほどの木でできた集成材だったが、ちょうどその幅を全て吹き飛ばすくらいの威力が出た。先程の、壁に向かって撃った二発とは明らかに異なる力が働いていた。


「今のは?」


俺は女に問うたが、返事はなかった。振り返ると、女がいたその空間には、そこに人がいた痕跡も温もりもなかった。再び柱を見ると、間違いなく木っ端微塵に砕かれていた。


すぐに耳の奥に、突き刺さるような空気の張り詰めた甲高い音が聞こえ、それとともに、全ての音が戻った。日常の生活音は、驚くほど大きなボリュームに感じたものの、すぐに慣れた。俺は右手をスプリングコートのポケットに入れ、建物の外に出た。入ってきたときと同じ陽光が、建物の内部に俺の影を写したが、俺の影の隣には、髪の長い女の影がはっきりと見えた。俺はその影たちを横目で見やりながら、公園通りに出た。

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