第2話

 二人の乗った車は一度も引き返すことなく、野外パーティーの開かれている谷のキャンプ場へ近づいた。途中大きな鹿が目の前を横切り、慌てて車を止めたぐらいで、これといって時間を無駄にするような事はなかった。


 キャンプ場の看板を池田が発見すると、柳は場所を間違えていないかとしつこく疑い、遠くから聞こえてくるスピーカーの音に気づくと、他のパーティーに来たのではないかと言い出す。


「ほら池田君、あの音が聞こえるでしょ? あの音は桂君の音じゃありませんよ、ぼくは桂君の回す音を何度も何度も聴いてきたからわかりますが、こんな浮〈うわ〉ついた上〈うわ〉ねたのぐちぐち流れるような音は、絶対に選んだりしません。桂君は表裏一体陽気で、誰とでも打ち解ける人ですが、本人の意識できない領域では、まるで正反対の性格が表れるんですよ。あの人の音楽には誰でも親しめるような人懐っこさが微塵もなく、頑固一徹の音職人の山々にあっても、ただ一人桁外れて険阻〈けんそ〉で歪〈いびつ〉な頂を敷いて、容易に人を受け入れたりしないんです。池田君わかりますか? いやわからないでしょうね、ほとんどの人には桂君の音楽が理解できないと思いますよ、普通の人にはただ狂っているだけにしか聞こえないんですよ。でも狂ったように思われる、いや実際そうとう狂っているんですが、狂乱した一つ一つの音の粒に、常人には汲み取れない薄情な情報が詰め込まれ、壮大な音の建造物を構築しているんですよ。とにかく魅力がある、桂君の作る音、回す音は、旨味が染みてげっぷがとまらない。あの軽薄な性格からは考えられません、ほら、聴こえるでしょ? こんな音は桂君が許しません、このパーティーは桂君のパーティーではありません」


 柳の話を聞き流し(アアウルサイ、最近ノパーティーニ来ナイ引キ篭リガ、桂君ノ選曲ヲ語レルワケナイジャンカ、気ガ散ッテ運転ニ集中デキナイカラ、静カニシテ欲シイヨ)、池田は細く急斜な山道を降りていく。柳はさらに桂の音楽を細かく説明して、場所の違う事を納得させようとする。


 雑草点在する駐車場に着いて車を停めると、斜〈はす〉向かいの黒い軽ワゴンから、二人の知人である菅田と柴田が降りてきた。菅田は頭蓋骨が巨大で、柴田は肩甲骨が狭い。車を降りた池田に気づくと、二人はキャンプ用品を持って近づいた。


「池ちゃん、おひさ!」クーラーボックスを肩から提〈さ〉げて、菅田は池田に握手する。


「ひさしぶり菅、おお柴ちゃんもひさしぶり、二人とも今着いたところ?」柴田と握手を交わして、池田は二人を交互に見る(今来タミタイダナ)。


「ああ、ほんの三分前に着いたところだ、なあ池ちゃん、助手席に座っている人初めて見るけど、あれ誰だ?」菅田は助手席に固まっている柳をちらりと見て(気味ノ悪イヤツダナ、ナンダアノ海草ミテエナ髪ノ毛)、池田に体を寄せて話す。


「あれ、柳君だよ」柴田がおっとりした調子で声を出す。


「えっ? まじっ? あれ柳かよ?」眼を開いて柳を見つめ、菅田は心底驚いた反応をする(マジカヨ、スゲエ格好ダゼ)。


「そう、柳と一緒に来たんだよ、すごいでしょ、おれも柳と会ったの五年振りだよ」すっきりしない疲れた笑いを池田は浮かべる(ホント、コイツト一緒ニ来ル役目ナンテ、引キ受ケナキャ良カッタヨ、デモ、ココマデ来タラ、アトノ面倒ハシナクテイイヨナ)。


「柳君ひさしぶり、僕のこと覚えてる?」柴田が助手席に近づきドアを開ける(ウワァ、柳君、仙人ミタイダ)。


「ああ、ああ、柴田君ですよね、ああ覚えてますよ、たしか、五年前の冬に、菅田君の家で飲んだ以来ですね、たしかに覚えてますよ、あの時の赤ワインは悪い酔いをしましたね、吐いても吐いても酔いが醒めないんですから、ほんと困りました。ぼくはあれから、安い赤ワインは避けるようにしましたよ、こんばんは、ほんとお久し振りですね、元気していましたか? ぼくは元気なんですけど、どうも元気がないように思われることが多いんですよ、いえ、そんなに人と会っているわけじゃないんですが、今日もひさしぶりに池田君に会ったら、ひどく心配されましてね、何がそんなに心配なのかぼくにはわからないんですが、どうも、ぼくの普段の生活を知らないせいか、色々と想像をめぐらすみたいなんですよ、まあ知らないから仕方ないですが、ぼく自身は毎日何かしらの自分と付き合って生活していますから、何も心配するところはないんですよ、わかります? ぼくはぼく自身についてほとんどわかりますが、ひさしぶりに会う人からすれば、ぼくの生活の一端も知る事はないんですよね、まあ、あたりまえといえば当り前ですが、あまり人と会わないでいると、そんな当り前がひどく奇妙な、いえいえ、新鮮に思えるんですよ、ああ、柴田君ほんとひさしぶりです」


 腕を巻きつけこまねいたまま、柳はちらちら柴田の顔に目を当てる。


「よくわからないけど、柳君元気そうだね」柳の言葉はどこも引っかからずに抜け、柴田は顔つきを変えずに返事する(ソウイエバ、マエニ会ッタ時モ、今ミタイナ話シ方ダッタッケ)。


「よくわからないけど元気そう? ええぇ? よくわからないけど元気そうに見えるんですかぁ? 変ですね、わからないのに元気そうに見えるなんて、ああ変な意味にとらないでください、なんか、やけに不思議な応答だと、いえいえ、不思議じゃないですね、全然不思議じゃないですね、柴田君にとったらぼくなんて、まったくわけのわからない人間でしかないですからねぇ、はい、わかります、よぉくわかりますよぉ。でも元気に見えるって言うのが、なんとなく可笑〈おか〉しいじゃないですか、わからないのに元気そう、わからないのに元気そう、わかっていないんですよ! ああすいません、つい声が大きくなってしまって、いえ、柴田君がどうのこうの言いたいわけじゃなくてですね、ただぼくは、元気そうに見えるなら、それは、わからないなんてことはなくて、やはり元気に見える理由がどこかしらに……」


「おい柳! すげえひさしぶりじゃねえか、おめえ何やってたんだよ、誰からもなんの沙汰も聞かねえから、とっくに過去の人になっていたぜ? 死んだならなんらかの噂が流れるけどよ、まじで何も聞こえてこねえから、ほんと忘れていたぜ」菅田が運転席のドアを開けて乗り込むと、分厚い手の平に活を入れて柳の肩を数度叩く(ハハハ! オモシレエ!)。


「痛いです痛いです、そんなに強く叩かないでください、菅田君、そんなに叩かないでください、ほんと痛いです、ぼくは君のような肉体労働型の体じゃなくて、思考活動を主とする体なんですから、そんなアナログな刺激に対しての抵抗力は少ないんですよ。菅田君、ぼくは君に、元気そうだなんて言いませんよ、絶対に元気そうだなんて言いませんから、でも悪い意味じゃないですよ、わかりますかぁ? 君みたいに、カロリーのほとんどを体の動きに燃焼している人は、元気以外の状態に居ることができないんですよ、そうです、別にけなしているわけじゃないですよ、ただ、知的活動にエネルギーを回されることがありませんから、動いてる時点で、君のような人は元気だと証明されているんです、わかります? 痛い痛い! だから叩かないでください!」


「おめえは相変わらず、ぐちぐちとわけのわからない話をするな、見た目はまるっきり変わったけどよ、その頭脳派ぶった中身は変わってねえな、それどころか酷〈ひど〉くなったんじゃねえの? おい、馬鹿、こんな所で喋るのもだりいから、向こう行こうぜ、ほら、行くぞ!」菅田は力を込めて肩を叩く(ナンダヨ、元気ソウジャネエカ)。


「あああ! 菅田君、今馬鹿って言いましたね! ぼくに向かって“馬鹿”って言いましたね? なんですか、ひさしぶりに会ったばかりの人に向かって、“馬鹿”って言う理由がどこにあります? でも勘違いしないでくださいよ、ぼくは君の言葉に対して憤〈いきどお〉りを感じていますが、でぶがデブッと言われて怒るような、真実をうがたれて怒るのと一緒にしないでくださいよ。ぼくの場合は、ぼくという人間を知ることなく、安易な見解で馬鹿とみなされたことに、非常なる屈辱を、いえいえ、許されざる侮辱を受けたことに対しての、人としてあたりまえの尊厳を無視された事に対しての……」


「うるせんだよ馬鹿! 早く出ろよ!」身を引いて話す柳に上半身を近づけ、腕を伸ばして車の外に落〈おと〉そうとする。


「落ちる落ちる! 菅田君やめてください! ああ柴田君、すいません」落ちそうになるカイワレ大根のごとき柳の体を、口元のみ緩めた柴田が支える(柳君変ワッテナイナ)。


 荷物を背負った四人は駐車場から離れると、湿った土の上を音のする方へと歩いて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る