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それから数日後、母は命を落とした。父の顔に深い傷があることで色々と察したが。彼女の最期は身投げだった。近頃は家の中に軟禁されていたが、いつの間にか外へ飛び出していて、崖の上から飛び込むのを見た人間がいたらしい。今頃は海の底に沈んで、その一部になっているのだろうか。きっと母はこの家から離れたかったのだろう。棺に入れられる時には、見世物のように体を見られ、生前のことをあれこれと語られる。母について、良い事を語る人間はいないだろう。そんな人達とやがて一緒になる墓の中は地獄だ。

これは一つの自由の形。この選択をした母は正しかったと思う。自分も死ぬときは美しくありたい。命が消え去る瞬間はロマンチックに、ああ生きてて良かったと叫んで終わりたい。と思う一方で、体は以前に増して無気力になるばかりだった。目標も希望もなく淡々と日々をこなしていく。小さな事件は起こるけど、数時間で元に戻る。

数年が経ち、私達が最初に入った学校には沢山の子供がいた。同世代の人間と接するのはこれが初めてに近い。そして私達は優遇されていた。年齢が違くても同じクラスに入れられ、基本的には何をしても私達を叱る教師などいなかった。周りの学生達も遠目からこちらを覗くだけで、輪に入ることはできない。それぞれが一人の時に話しかけられることはあったみたいだけど、弱みのない私達には無駄なことだった。特に私には欲しいものがない。プレゼントを貰っても、代わりに何かをすると言われても、気持ちが冷めていくだけだ。優秀な生徒もいたようだけど、結局新たに加わる仲間はいなかった。

この時の私達のことを、紅玉の父が自分達によく似ていると言ったのを聞いたことがある。彼の周りを見ていたら容易に想像できた。私達は彼らの人生をなぞっているだけなのかもしれない。更に自分の全てが意味の無いことのように思えたけど、だからといって簡単に死ぬこともできない。とりあえず月長や皆が生きている間は、一緒にいることにしよう。

真面目に通学していなかった私でも、ちゃんと卒業を認められた。しかしまだ学生は終わらない。今度はどこの、どんな檻に閉じ込められるのだろう。さすがは紅玉の父だ。自ら校舎を作ってしまおうとは。私もこれには賛成だった。屋敷には連日新たな顔が訪れていて、それは鬱陶しかったけど。

やがて完成したのは、地図に乗らない場所にある私達だけの楽園。嘘のような学校だった。資金の問題で、彼らの知り合いの子供達もいたけど。恨まれているのに、それを利用できるから誰も彼に勝てないのだろう。彼らの子供がもし私達に勝ったとしても、当人はそれで満足なのだろうか。だいたい何を以って勝ちとするのか分からない。

最初に話しかけたのは背中が小さい子だった。白のクラスは格式が高い。そんなものに縛られた、まだ格式の意味も分かってないような子だった。君が消えたら彼らは幸せになるかと聞いたら、きっとそうだと笑った。

――僕は皆が嫌いな色が好き。このまま一生白い色だけを見ているのも、僕はワガママだからできない。これ以上皆にダメなんだって思われたくない。僕のダメなところをもう一日も一秒も、皆に見せたくないんだ。

私は彼を守りたくなった。だけどこんなにも想っている仲間から離して保護しても、喜びはしないだろう。じゃあ素敵な最期をあげよう。ドラマチックに、皆が貴方を抱き、泣いて悲しむ。ああこの子は愛されていたのだと、その光景を見た者は思うだろう。可愛い彼に似合う光景だ。そうして彼は棺の中へ、天使のような顔で眠っていた。皆が悲しみ、彼を貶すような発言をする者などいない。それは美しく、理想とする世界だった。私は満足に悲しみ、彼に祈りを捧げた。

とはいえ私が彼に話しかけた理由は、もっと人間らしさを見せてほしいからだった。落ちぶれて、一人で過ごしている人間には、さぞかし抱えているものがあるだろうと思ったから。そして丁度良いのを見つけた。典型的な人に押し付け型で、自分は待っているだけで何もかも舞い込んでくると思っていた少年だ。死なせてくれと狂い始めたら面白いのに。そんなことを期待して彼の話を聞いた。彼の話は本当につまらなかったけど、薬を渡してからの葛藤は面白かった。嫌だと泣き叫ぶくせに、彼が理想とするのは全て死が叶えてくれることだった。ガタガタと震え、必死に笑顔を作って飲み干した後の顔は穏やかで、彼は救われたのだと感じた。そしてこれが正しいのだろうと。

問題児はこちらのクラスにもいる。彼は人一倍怖がりだから、上手くいかないかもしれないけど。案の定黒曜の名前を出しただけで、不機嫌になった。

「君のことを好きな人なんて、いると思う?」

「……お兄ちゃんが、いるもん」

「でも灰蓮は家族だよね。彼だって、いや灰蓮が一番面倒なんじゃないかな。嫌いでも君の事を切り離せないんだから」

玻璃は静かにこちらを睨んでくる。こうして見ると、瑠璃とはあまり似ていない。

「黒曜にまだ謝ってないんでしょ。あんな事までしておいて……黒曜はこう言ってたんだよ。玻璃が自分の顔を見たくないだろうから、離れるって。自分のことばかりの君とは違って、黒曜は優しい子だね。私達の中で一番過ごした時間は短いのに、言葉も分からなかった程なのに、皆のことを考えている。黒曜は君と違って輪に入れない訳じゃない。君みたいのが入れないのが可哀想だから、自分も身を引いているんだよ。君の、せいだ」

「……っそんなの知らない」

「知らないだろうね。だって君は自分のことしか大事じゃないんだもん。そういうのが全部筒抜けている。瑠璃のことはよく知ってるの? 一番一緒にいたはずでしょ。彼は求めていた? 必要以上に皆の愛を貰おうとしていたことはあったかな。灰蓮が瑠璃の方が大事だって、そうはっきり言ったのを君は聞いたの?」

うるさいと耳を塞いで、しゃがみこんでしまった。私はわざと足音を鳴らして近づく。こつりこつりと鳴る毎に、体がビクついている。

「分からないかなぁ。君が瑠璃の方が良いんでしょなんて言ったら、誰が傷つくのかを。君は自分が一番可哀想なんだろうけど、まず初めに落ち込むのは灰蓮だよ。皆を愛していたはずなのに、知らない間に玻璃を傷つけてしまっていたんだ、そう思って今までの自分を反省する。君は何かある毎に、灰蓮に自分を律してほしい訳? それから瑠璃も良い気分にはならないよね。灰蓮と過ごした時間は君と同じくらいだったのかもしれない。その時間の全てが夢のように楽しかったなんてことあるかな。君は灰蓮と瑠璃がどんな気持ちで今まで過ごしてきたのか、想像したことはある? その上で彼らを羨ましがってるの」

「もう……っもう黙って……お願い、許して……っ」

「別に、私はどうでもいいんだよ君なんて。興味があるのは、君が自分自身にどんな判決を下すかだけ。ねぇ、君に相応しい罪の名はなんだろう」

しばらく頭を抱え込んでいた玻璃が顔を上げた。目は少し腫れている。

「僕は……誰でもいいから、僕を愛してくれる人が欲しかった」

「君にとって都合のいい人間が欲しかった。何をしても笑って頭を撫でて、暖かい腕で抱いてくれる。どれだけワガママを言っても聞いてくれて、嫌わないでいてくれる。そんな人でしょ?」

「……っ僕だって分かってた。僕が瑠璃でも、そうじゃなくたって……僕のままだって。皆が嫌いな僕のままだ」

「玻璃はこれから先、生きている意味はあると思う? 例えば勇気を出して好きになってみようと自分から歩み寄ってみたのに、相手は迷惑そうな顔でこちらを見ている。何もしていないのに嫌われて無視されて、そんなことになったらどうして人を好かなきゃいけないのかなんて、分からなくなるよね。嫌われたくなんてないのに、上手くやろうとしたのに……。ねぇ玻璃。私は世の中がね、とても汚いものだと思ってる。もう少ししたら、その汚れた世界に飛び込んでいかなきゃいけない。今はまだマシなんだよ。君が最低だと思ってる今も、まだまだだ。成長したら勝手にご飯は出てきてくれないし、働かないと死んでしまう。でも労働は辛くて、体も頭もボロボロになって……それでも死ぬことは許されない。自殺がこの世で一番の罪だという人もいる」

わざと、柔らかく頭を撫でた。彼が理想とするような、暖かい感触を押し付ける。

「私はこんな世界に生まれてきてしまった全ての人間が可哀想だと思ってる。だって苦しいでしょ。楽しいこともあるって、一体何が楽しいの? 小さい頃に植えつけられているんだよ。誕生日のケーキ、クリスマスプレゼント。優しい両親、そんなものが絵本の中にあったでしょ。あれが幸せだと、皆にそう教えてる。教えた通り、皆それが好きになった。それって本当に幸せなのかな? 玻璃は幸せに見える? 結局私達は嘘で出来た世界で、誰かに刷り込まれた幸せを幸せだと演じて生きていく。それが一生続く。歳を取ったって悩むだけで、生きることの意味について語れる人なんていない。もし玻璃が理想とする、君を愛してくれる人がいるなら、それは機械ぐらいだろうね。自分でこう動いてほしい、この言葉を言ってほしいと作ったらそれは可能になるけど、生身の人間じゃ無理だよ。どれだけ信じていようと不安になる。君がそう灰蓮に感じてるじゃないか。……どう、まだ生きたい?」

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