軌跡

「よし、こんな所だろう」

 地面に突き立てた十字の木から離れ、ハヤトは頷く。

 木の表面にはクラウスとマイサ二人の名が記されている。

「ここなら景色もいいし、きっと静かに過ごせるわね」

 アイカが潮風に靡く髪を抑えながら言う。

 クアッドビーチから少し外れた場所に、クラウスの墓は作られた。

 海岸線を一望できる見晴らしの良い場所だが、墓自体はハヤト達が作った簡易的なものだ。

「軍属なら英霊碑に名を連ねる事が出来るが、傭兵はそうじゃない。命を懸ける仕事だが、結局は日雇いの駒使いの様な扱いだ」

 ハヤト達が自発的に埋葬しただけで、実際の所殉職した傭兵はそのまま放置されるか、一纏めに燃葬される。

 軍属やギルドに所属しない傭兵とは良くも悪くも自由。金でしか繋がらない兵なのだ。

「関係ないわ。傭兵だろうと、駒使いだろうと、私の恩人である事に変わりない」

「そうだな」

 アイカはクラウスの墓に街で買った花束を捧げる。

 そのまま両手を胸の前で握り、アイカは目を閉じる。そんなアイカを見守るハヤトの隣に、レインがやって来る。

「そろそろ出航の時間だ」

「……わかったわ」

 アイカは立ち上がり、暫くクラウスの墓を見下ろした後、ゆっくりと踵を返す。

「先に乗船の手続きを済ませておくわ」

「あぁ、頼んだ。俺も直ぐに行く」

 それじゃ、とアイカは港へ向かって歩き出した。

 足取りは決して軽やかではないが、毅然とした態度で歩くアイカを、レインはどこか不思議そうに眺めている。

「なんか、意外だなアイカちゃん。てっきり塞ぎ込むんじゃないかと思ったが……」

「アイカは王族だからな。俺達よりずっと幼い頃から色んな人の葬儀に赴いてる。きっと、俺達よりも死について向き合ってるんじゃないか」

 ハヤトは幼い頃、アイカが真っ黒の服を着て出かけていった事を思い出す。

 その日から暫く、アイカはハヤトの傍から片時も離れようとしなかった。ずっと手を繋いだり、抱き着いて離れなかったりしたのを覚えている。

「『自分の命を救ってくれた恩人に情けない姿は見せない』って言ってた」

「……強いんだな、アイカちゃんは」

「俺達が弱いんだ」

 ザァ……ザァ……。

 遠くから聞こえる波音と、草木の揺れる音を聞きながら、二人は黙って墓を眺める。

 静かに墓を見守るハヤトとは違い、レインは両の拳を固く握り締め、何かに耐える様に体を強張らせている。

 やがて、耐えきれないといった風にレインが口を開く。

「ハヤト……俺、実は……」

「もっと強くなる」

 被せる様に、ハヤトが言う。まるで遮る様なタイミングでそう言ったハヤトはクラウスの墓に持っていた小手弓を掛ける。

「強くなるぞ、俺は。クラウスさんに負けないくらい。レイン、お前はどうする」

「……おれ、は…………」

「付いて来いよ、ちゃんと。……じゃないと、置いていっちまうぞ」

 何も言えずに佇むレインを置いて、ハヤトはクラウスの墓を後にする。

 ザァ……ザァ……。

 残されたレインの耳に、再び静かな波音が響く。

 一定の間隔で鳴るその音が、レインには酷く空虚に思えてならなかった。


          §       §       §


「やっときた」

 出航前の見送りなどで騒がしい船着き場とは反対側の甲板で目的の人物を発見したハヤトは開口一番、そんな言葉で迎えられた。

 日光浴を楽しむ為の長椅子の上で膝を抱えて蹲るアイカの顔色は優れない。

「おかしいな。待ち合わせの記憶はなかったはずだが」

「護衛は主の傍を離れちゃダメなのよ」

「確かに、その通りだ」

 ハヤトはアイカの隣の椅子に腰かける。しかし、アイカが無言で自身の隣をバシバシと叩き始めたので、仕方なく下ろした腰を持ち上げてアイカの隣に座り直す。

「またクラウスさんのお墓参りに行こうな」

「えぇ、もちろんよ」

 遠くの方から出航を告げる掛け声が聞こえてくる。大きな汽笛が鳴り、僅かに船が動き出したのを体で感じる。

「後悔してるか、戦場に来た事」

 膝を抱えたまま、アイカは考える。

「そうね……クラウスさんがいなかったら、今頃こうしてハヤトと話せなかったと思うとすごく……凄く、怖い」

 それはハヤトも同じだった。アイカが毒で倒れた時の事は今思い出しても吐き気を催す程に恐ろしい感覚だった。手足の先から痺れるほどの恐怖と破裂しそうな心臓の鼓動はこの先忘れる事は決してないだろう。

「でも、それだけじゃなかった。人が殺し合う場所なんてあってはならないって事は変わらない。でも、そんな場所にいるのだって、やっぱり人なのよ」

 この数日で、様々な人と触れ合い、感じた。

 人の恐ろしさに怯え、他人を玩具の様に扱うことが出来る人間に困惑した。

 だが同時に文句を言いながらも一緒に任務をこなし、共に戦った仲間がいた。

「失くしたくないと思った。こんな悲しい場所でも、皆必死に生きてたんだもの。確かに普段の任務態度や娯楽には幾つか物申したい部分はあったけど、でもね。人を守る為に戦える人達……守りたいと思うに決まってるじゃない、そんなの」

 悲しい記憶の中に微かに残る、消え入りそうな小さな思い出。

 黒く淀んだ視界に漂うその小さな光を慈しむ様な、そんな儚い笑みを浮かべていうアイカに、ハヤトは同じ様に微笑む。

「それが分かっているのなら、アイカはまだやらなきゃいけない事があるぞ」

「え? きゃあ!」

「いくぞ!」

 アイカの手を取り、ハヤトは駆け出す。

 前のめりになりながらもアイカが連れて来られたのは、船着き場側の甲板。

 見送りの人に手を振る乗客達の末端に並び、ハヤトは指差す。

「ほら、あそこ」

 ハヤトの指差す先は、船着き場から少し外れた灯台へ続く長い通路。

「あ、出てきたぞ!」

「ようやくお出ましか、焦らしやがって!」

「おーい!」

 そこにはトバックを始め、大勢の仲間がいた。

「元気でなお姫さん! ありがとよ!」「色々とからかって悪かったな! 楽しかったぞ!」「いつでも戻ってこいよ、待ってるぜ!」「次来た時はボーカー教えてやるからな!」

 口々に大声で言葉を投げ掛けるトバック達に、アイカは呆然とする。

「みんな……」

「『真の絶望とは、悲しみに囚われて周囲の光を大切に出来ない事だ』」

「え?」

「ベルニカが言ってた言葉だよ。俺達は大切な仲間を失った。でも、それだけじゃなかったはずだ。この数日で手に入れた絆はクラウスさんだけじゃない」

「……」

「前を向いていこう。もう二度と失わない様に、今ある絆を大事に握り締めて」

「……そうね」

 アイカの頬に、一筋の涙が伝う。

 海に反射した光に照らされたそれはとても綺麗に煌き、温かな光となっていた。

 アイカは目元をぐしぐしと力強く拭い、大きく身を乗り出して手を振る。

「ありがとーーーーーーーー‼ 皆も元気でねーーーーーーーーーー‼」

 全身で手を振るアイカに応える様に、トバック達も手を振り返す。

「あんまり賭け事ばかりしてちゃダメよーーーーー‼ さよーならーーーーー‼」

 トバック達の姿が小さくなるまで、アイカは手を振り続けた。

 その瞳に、もう涙は浮かんでいなかった。

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流星の霊獣士 黒永 夕 @kuronagayuu

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