第三談 ぼくのゆめのくに

序 めんせきじこう

 さて、ここで漸くぼくの外的世界の話が終わった。バッドエンドだが、全て終わった―――の、ではない。これからする話こそが、このエッセイが「SEXPOSURE」たる所以なのだ。敢て分かりやすく言うなら、「性の暴露」であろうか。

 この話は、またまた話を遡る事、中学一年生のころ。先ほど述べた、性への関心が開花した、正にその時期であることは確実なのだが、具体的にそれがいつだったかと言われると少々困ってしまう。それくらいに激しく、ぼくの記憶は滲んでいるのだ。

 嗚呼辛い。辛いというのは、体験を思い出すからではなく、あの出来事を粋な言葉で綴るだけの語彙力がないことだ。どうやっても自嘲のような笑みが含まれてしまう。このエッセイに、この部分は重要不可欠なのだ。何故ならこの、ぼくの生物学の知識と生理学の知識と心理学の知識と医学の知識に偏りすぎて、羞恥心の基準を失った貞操観念は、全てここに起因する。

 多くの人々が目をそらすことが「上品」だというこの風潮を、憎み蔑み唾棄し踏みつけるこの姿勢が、出来た理由を書かずとして、この先のぼくの殺された娘達の話をして通じるとはとても思えない。

 だってそうだろう、ぼくの娘は、孕まずに産まれた。子宮を介さずに産まれた娘には、人権が無いからだ! 人権のないものを、人は人とは呼ばない。だから、人権のないものを殺しても罪にはならない。

 そう、だから、リョウを死なせても、だれも責められる事は無い。良心のある者だけが、永遠に罪の意識に苛まれる。怠惰な過去に断罪される。

 彼らは命を一つ、潰したかも知れない。だが彼らは、その命に人権を見いださなかった。自分たちの暮らしが快適になるために利用する養分としての価値を見いだした。だから彼らは悪くない。

 話は、実はダンスサークルを追い出される前から始まっている。あの十二歳だったぼくは、性暴力に見舞われた。

 何本ものちんこに囲まれて、内臓をかき回されたぼくの悲鳴は、誰にも届くことは無く、どころか、ぼくが悲鳴を上げる事を世間は拒絶した。

 ちんこはちんこでしかなく、ちんこに人権はない。その故に、ぼくを犯した犯人は存在しないし、処罰のしようが無い。現にこうしてぼくという被害者がいるにも関わらず、だ!

 おっと、これは何も警察の怠惰であるとか法体系の不備であるとか、そう言った正義感による行動ではどうしようもないことなのだ。だからそのツイートをしようとする手を止めてくれたまえ。


 ああでも―――。


 もし、ぼくを犯していたちんこの話を信じてくれるのなら。

 もし、ぼくの骨を砕いていた金槌の話を信じてくれるのなら。

 もし、そういう世界で生きなければならなかったぼくを憐れんでくれるのなら。


 ぼくは諸氏の良心に訴えたい。

 即ち、「虐待を見過ごすな」と。


 さて、その話に進む前に、どうしてもちんこが連発される文章は読みたくないという生まれも育ちも綺麗さっぱりとした紳士淑女の皆様に、この先の案内と、免責について触れなければならない。

 ぼくがこれから話すことは、全て事実だ。だから、ちんこという単語を見たくない、子供が性暴力の被害に遭っているシーンなど見たくもない、という心優しい平和主義の諸氏は、これだけ分かっていれば良い。「でも紫苑は童貞処女」。これだけでよかろう。そもそもSEX(性)とEXPOSURE(暴露)の合成語から、嫌な予感がした潔癖淑女紳士の皆様は、ここにはいなかろうが、ぼくの的確な語彙力によって不愉快な気持ちを抑えられないと言っている正直者を、いちいち責めようとは思わない。

 そして、まさかとは思うが、この暴露を、未成年が読んでいて、しかも聡明な君はある程度のことを世の中の通りとして読み進めてしまった場合のことだ。まだあどけない青春が始まる前の君、ここから先の事を、ぼくは君に完全にゆだねなければならない。

 だから、不愉快になったり、怖くなったり、剰え身体に異常を感じたなら、すぐにこのエッセイを閉じるのだ。そして、十八を越え、世間一般で誰に咎められること無く、堂々とエロ本所縁の知識について語り合う友が出来たなら、その時このエッセイについて覚えていたのなら、もう一度紐解くがいい。その時が満ちるまで待つことは、卑怯なことでも知識欲が乏しいことでも無い。

 何故なら、十八歳を越えていないと、今の日本の高潔なる教育者は、性についての話題をされると酷く不愉快に思うのだ。その不愉快は、君を孤立させ、本当に―――本当に、君が警察で被害届を出さなくてはならない時に、君を絶望と被害のスパイラルに陥れてしまう。もしそうなった時、ぼくは君を助けてあげられない。

 だって―――ぼくは、憧れたのだもの。

 警察に「犯人がいる」「自分を辱めた奴がいる」「奴が憎い、奴を処罰してくれ」と訴えることが出来る、被害者というものに憧れて、嫉妬したのだもの!

 そう、究極のところ、この話は、「被害者でない者が被害者を羨む話」なのだ。

 この話も、二つ三つの事象が同時に起きていた。だからわかりやすくするために、ぼくはちんこと金槌の話で、別々に整理して語ることにする。まずはちんこおばけの話からするとしよう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る