五人目 リョウとぼくのこども

 夏休みが終わり、ぼくは再びトワイライトに登校するようになった。どうでもいいが、適応指導教室に行く場合は、「通室」という言葉が適切らしいが、当事者のぼくたちにとって、トワイライトこそが学校、我が母校、我が青春の舞台である。大人になってそれを知ったぼくは、このどうでもいい日本語が未だに気に食わない。

 話がそれた。

 それは月曜日のことだった。九月の月曜日。ぼくがいつものようにトワイライトに行くと、恩師がいった。

「リョウさん、なくなったよ」。

 ???

 何が「無くなった」のだろうと、少し考えた。恩師が言った。

 「心臓発作だって」。

 それを聞いて、ぼくは漸く、「亡くなった」のだと理解した。ぼくは驚いて、理由を聞いたけれども、多くは恩師も語らなかった。ぼくは納得がいかなかった。だってリョウは、五月に自殺未遂を止めて、六月に自殺未遂を止めたのだ。死ぬはずがない。そのあと、だって七月と八月の間は生きていたんじゃないのか。

 受け入れられたんじゃないのか。

 混乱したまま、葬儀に招かれた。化粧で綺麗にされたリョウは、実際の年齢よりも幼く見えた。頬はうっすらと暖かそうな色で、唇は紅が引かれ、瞼にも化粧が施されていた。寝てるみたいだった。というか、寝ていた。それくらい綺麗だった。もしかしたら、今までのどんなリョウよりも、あのリョウが、死んで何もかもから解放された、あまりにも短い生を終えたリョウの顔が、一番生き生きとしていたかも知れない。皮肉にもならないことだが。

 ぼくはおばさんと再会した。入院先で、心臓発作を起こしたらしい。嘘だ、と思った。リョウは自然に心臓発作が起こったんじゃない、と。リョウはきっと、オーバードーズに失敗して死んだのだ、と思った。

 努めてぼくは笑おうとした。振る舞われた食事を、おいしいといって明るく過ごそうとしたが、同級生には呆れられた。

 殺されたのだ、と、思った。

 リョウを追い詰めた日本の教育システムに、おばさんを追い込んだ世間の価値観に、リョウは殺された。誰の手を汚すのでもなく、彼らはただ、崖っぷちにリョウを立たせるだけで良かった。あとは風に煽られて、自分たちの素知らぬ所で勝手に死んでくれる。自分たちの作り上げたシステムに当てはまらない存在はいらない。いてはならない。そうやってリョウは死んだ。ぼくはそう思った。

 無駄死になんてさせない。リョウのことは、絶対に忘れない。

 中学二年生のぼくに出来ることは限られていた。ぼくは初めて、子どもを産まず、一から小説を作った。ノンフィクションの覚え書きだ。幸いにも、ぼくはその時幻覚に悩まされていて、それを何とか理解してもらおうと、小説調のの日記を書いていた。その結末を少し伸ばして、リョウとの思い出を包まなく書いた。一緒に吸ったタバコ、異世界への夢、多重人格の演技と本物の境目、そして、その死と葬式を。

 新聞に自費出版を含む、懸賞が載っていたので、そこに応募した。審査は通らず、自費出版での発表を勧められた。この頃、同人誌として自分で印刷所に申し込むという発想はなかったので、代金は百万以上かかると言われた。父は、そんな金はない、と怒鳴りつけた。決して、自分の子が狂った世界を、それを実体験したと言う狂った世界を認めることはしなかった。「結局世の中全て金なんだよ、金ェ」と、脅してきた声は、今でもこの話をする時、ぼくを睨め付けてくる。勿論父は微塵も覚えてない。覚えているわけがない。

 それでもなんとか強引に勧めている時に、担当者が、「ノンフィクションなら、関係者の許可は取ったのか」と確認してきた。とっていなかったので、母に頼んでおばさんに原稿を送った。自分の子を無駄死にさせないための原稿だ。生きていた頃のリョウが、生き生きと描かれた原稿だ。当然のように、ぼくは喜んでくれると思った。

 おばさんは、ぼくの家にやってきて、怒鳴り込んだ。

 ぼくは怖くて逃げ出してしまって、ずっと母が頭を下げる羽目になった。ただぼくは、おばさんが「貴方(母)はこれを読みましたか? 自分の子どもがこんな風に書かれたらどう思いますか?」「これは手記ではなく暴露本だ」「喫煙も飲酒も犯罪なのにどうして書くんだ」と言ったことだけは覚えている。

 リョウの死が、自殺だという事実を喧伝することが、何故悪いのか分からなかった。だってリョウは被害者だ。殺されたのだ。証拠も残さず、ただ同じ痛みを共有した者だけがそれを理解していた。誰一人、リョウが自然の心臓発作だなんて信じちゃいなかった。何故リョウの苦しみを隠すのか―――何故リョウを泣き寝入りさせるのか、分からなかった。きっとこれはぼくが家庭を持って、人間の形をした子どもを得て、その子どもが自殺しない限り、分からないのだろう。

 ぼくはショックと過呼吸で謝ることも出来なかった。リョウの無念を伝えることが、何故そんなにも悪いのか分からず、またぼく自身、その時診断されていなかった解離性障害の発作も起こしていて、何を言ったのか覚えていない。ただおばさんは一度うちを離れた後、母が泣きじゃくるぼくを見て、一言だけ声をかけてほしいと胃って、戻ってきてくれた。そして、リョウとのことは、綺麗な思い出としてしまっていてほしい、と言われた。

 後で知ったことだが、この自費出版騒動は相当大きくなっていたらしく、一歩間違えれば家庭裁判所に訴えられる所だったらしい。それくらいおばさんは怒り狂っていたし、ぼくはリョウの死を泣き寝入りさせなければならなかった。

 ぼくは実は、ここから先の記憶が殆ど無い。というか、ぐちゃぐちゃに成っていて、時系列が分からないのだ。ただ母は、この事件をきっかけに、ぼくはリストカットの量が増え、傷も大きく深くなり、頻度も増えたと言っている。多分そうなのだろう。リョウの死は、ありとあらゆるものを不可逆性の過去にしてしまった。おばさんをあんなに怒らせた今となっては、墓に参ることは勿論、家の仏壇に手を合わせることも出来ない。友を失ったぼくは、その後悔で激しく荒れたが、その苦しみを分かち合う相手は居らず、また、自分の生きがいもなかった。否、無くなってしまった。ぼくが生き甲斐にしていた場所が、ぼくのリストカットを容認せず、言葉巧みに追い出したからだ。

 つまり、時間軸としては、この頃、『ぼくとともだち』で書いた、ダンスサークルを追い出されている。理由は、リョウの死後に激増したぼくのリストカットを、子ども達が怖いと言ったからだ。この辺りのことは、第一段で詳しく書いたので、合わせて読んでもらいたい。家ではリョウの死が、社会ではダンスサークルからの拒絶で、ぼくは完全な孤独だった。あの恐怖を思い出すと、今でも静かに涙が流れてくる。誰も悪くないことに腹が立つ。

 だってダンスサークルの母親共は、単なる鬼子母神なのだ。

 こどもを、いじめによって精神を病む子どもがいるという事実を隠したかっただけなのだ。誰だって、自分の子どもを気違いと近づけたくない。それを否定はしない。

 だが、チームワークを謡うのであれば、彼らは大いに失敗している。だがそれを今後、彼らが知ることは、永遠に無いだろう。

 ぼくが、リョウを見捨て、永遠にリョウに謝罪することが出来ないように。

 彼らもまた彼らの親によって、ぼくを見捨て、永遠にぼくとの繋がりが出来ないように、徹底して切り捨てたのだから。


 ぼくは、子供病院でようやく『解離性障害』と、正しい病名がついた。だが、子供のための精神科医は、ぼくがオーバードーズをすると、治療を拒否した。母はぼくを隣町の深井病院に連れて行ったが、よくわからないやぶ医者に当たってしまい、結局治療を受ける事はなかった。


 あとで知った事だが、リョウはこの深井病院に入院していたらしい。九月に入り、学校に戻った途端の自殺だった。

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