三人目 ぼくとリョウとユウキ

 ところで、この話は平成中期なので、インターネットを通して、「やおい」というものが俄かに注目され始めた時期だった。だから偏見も多かったし、現在ほど所謂「住み分け」も出来ていなかった。だからこそ、これは「腐った趣味」をもった人間には誰にも起こる事ではなく、ぼく達三人が特殊だったのだろうと言う事を、予め言っておかなければならない。

 リョウは、ぼくが腐るきっかけになった一つ上の先輩だった。ぼくは学校で性知識も、性的興味も得られなかったけれども、リョウによってそれらを補っていた。ちなみに、リョウからは煙草も教わったのだが、ぼくには合わなかった。

 ユウキは、ぼくが小学校の時に知り合った友達だ。ユウキもまた、学校でいじめられていたので、ユウキをぼくが連れて来たのだ。


 ぼくがリョウと初めて会ったのは、中学校二年生の時だ。母が毎日パソコンに向かっているぼくを外に出そうと、教育機関を探して来たのだ。と言っても、この頃ぼくは、母に連れられて、なんたら士だのなんとか相談員だのに、全く同じことを何回も話して、全く同じことをどこでも返されてきていたので、正直半信半疑だった。

 その施設は、役所にあった。まるで町のゴミや不良を隠すかのように、一般人には入れないルートを通って、施設に入る。施設と言ってもそれは公民館の一室よりも狭かった。ぼくの家のリビングと同じくらいの場所に、成長期の不登校の子供が五人以上。中学生の勉強道具は勿論、漫画、遊び道具、そんなこんながごちゃごちゃと部屋の中に聳え立ち、一体誰が使うんだか分からない、なんたらキットだとか、そんなもので溢れていた。


 人生が行き詰った、と、一丁前に言う子供たちを、ブラインド越しの太陽だけが照らしてくれる。私だけは今も昔もこれからも、ずっと照らすのだと言っているようだった。だが当時の切迫した子供達はそんな自然の恩寵など考えもせず、またそこに行くには、お偉いさんの机と、使われなくなったコピー機を通らなければならなかった。

 ここを、便宜上、トワイライトと呼ぶことにしよう。


 トワイライトの子供達は、実にドラマティックな子達ばかりだった。彼等がいれば、どんな作家でも筆を執って、そのセンセーショナルな十年ちょいの人生をダイナミックに描くだろう。物語はやたら壮大すぎても、単調過ぎてもいけない。だがこの部屋に来れば、六人分の凝縮された生命の叫びが木霊する。学校、トワイライト、家庭、友人、思春期の悩み、恋、裏切り、友情、病…。およそ純文学を書くのに必要となるデータや世界観は、一人分でも多すぎるくらいだった。なにせ、そこにいるぼくらは何も乗り越えちゃいないのだ。リアルタイムで苦しみ、憎み、悲しみ、恨み、そして喜んでいる。継続する未来は、人の想像力を書きたて、それだけ多くの可能性を持つ。子供の世界と言うのはその意味で、無限の可能性を秘めた芸術なのだ。

 しかしそのような芸術的価値を見いだせなければ、唯の異物、剰余変数に過ぎない。そしてそこに、芸術家はいなかった。

 ぼくらは身体にも心にも、自傷他害の分からない傷を持ち、その存在を見て見ぬふりをしながらも、支え合っていたのだろうか。ぼくはもう分からない。あの頃と今では、お偉いさんも先生たちも、思想さえ何もかもが変わってしまったのだ。


 役所に飾られた七夕の祈りの中には、トワイライトの子供達も短冊に願いを書く事が許された。その中の或る生徒の願いが、ぼくはいまでも忘れることが出来ない。


 「みんなが、わたしのことを認めてくれますように。」


 トワイライトにいる子どもたちの哲学や世界観は独特で、そしてそれらを受諾出来るほど、世間は自分自身に対して誠実ではなかった。冒頭にぼくが言ったように、探られたくない腹は、例えそれが癌であったとしても、絶対に検査をしようとしない。そこを指摘することは、「世間知らず」「生意気」「偉そう」と断じられる。それは別に否定しない。自分の苦労を全く知らない人間に、分かり切ったことを言われることほど胸糞悪い事はないだろう。

 だが、その理由だけで、発言の自由を奪う事を正当化することを、ぼくは許さない。

 話を戻そう。

 リョウとは色々な思い出がある。勿論ユウキもだ。ぼく達三人はいつも一緒に、役所のパソコンをいじくったり、隣の図書館の文学作品で「やおい」を作ったり。お向かいのコンビニで、498円のお昼ご飯を買うのは、ちょっとした遠足だったし、冒険だった。自転車はぼくらにとって立派な単車だった。夕暮れを過ぎても家に帰×ないぼく達を照らすものは、月すらなかった。月は毎晩出ている筈なのに、ぼく達を照らすのは、団欒の笑い声を照らす玄関の照明だった。街灯は無かったのかって? はっはっは、平成中期のあの中途半端な田舎に、そんな税金のかかるものがあるはずないじゃないか。

 ぼくらは、浅いが故に喧しい川の前で、煙草をふかし、妄想を語り合った。

 リョウは色んな世界に行くらしい。霊界、魔界、そんなものではなく、きらきらと全てが輝くクリスタル界という所にも行っていた。そこは水晶が鏡合わせになり、水晶の中を、反射する光と共に移動する。その世界への入り口は鏡にあり、姿見なんかをじっと見ていると、その世界に行けるのだという。

近年ではそう言った物思いを、「厨二病」だとか「イキリオタク」だとか言う。だがぼくらにとって、それは嘘でもハッタリでもどうでもいいことなのだ。電車もなく、夜通し雨風を凌げる娯楽施設もなく、家に帰れば「学校に帰れ」と言われ、家の中は春の嵐よりも激しく荒れる。ぼくらの魂が解放されるのは、相手の出任せや嘘に合わせた自由な発想だったのだ。

 ただ、リョウに関しては、もしかしたら出任せでも嘘でもなかったのかもしれない。何故ならぼくは、その後本当に、「クリスタル界」に相当する世界に行ったのだ。

 ああ、別に麻薬や覚せい剤を手にしたわけではないから、その受話器は置いてくれたまえ。それから脱法ハーブでもない。第一あの時代、脱法ハーブなんて洒落たものは無かったのだ。

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