一人目 ぼくとぼくのなかまたち

 エッセイと言うのは実に便利だ。文字を通して、作者の体型を想像する事はそうそうない。ぼくは文章の印象から景色を思い浮かべるし、作者の人格や容姿を思い描きもするが、後々知った所によると、ぼくのような読み方をする人間はそうそういないらしい。

 で、だ。好きに想像して貰って構わないが、ぼくはダンスが好きだった。

 でも年齢的にも幼く、世間も狭いぼくは、「ダンス=アイドル」だった。ぼくは、歌は歌いたくない。余計な笑顔もいらない。余計なバラエティもいらない。ただダンスだけがしたい。そうずっと思っていた。そこへ、ぼくの小学校の先輩が、所属するダンスサークルを紹介してくれた。小学生の間は、そこはぼくを歓迎してくれた。そう、小学生の間は。

 少々時間は前後してしまうが、ぼくは中学校に行っていなかった。そして、ある理由から凶暴にもなっていた。それについて詳細はあとで述べるとして、ここでもぼくは、彼等を擁護しなくてはならない。

 ダンスサークルは義務教育期間中の子供と、大学生のボランティア、そして子供心には分からなかったが、どうやら有名らしい引退ダンサー、そして保護者会で成り立っていた。保護者会があるのは当たり前だ。子供は、下は小学一年生、上は中学三年生、とても数人のボランティアと老人だけでは、舞台のことは出来ない。そんな幅広い年齢層をカバーするのには、統率力がある大人が、何人も必要だった。これも仕方ないことだ。

 そして、子供達は学校が終わった後、サークルに来ていた。いいかい? 「学校が終わった後」来ていたんだ。じゃあ、中学校に行っていなかったぼくは? 当然家から通った。

 さて、ここで面白い話をしようと思う。何、ちょっとしたロジックだ。


 A=B、B=C、然るに、A=C。


 つまり、Aという人物がBという扱いを受け、Bという扱いを受けるCという人物がいるならば、AとCは同じ人物でなければならない。この場合、同じ「因子」と言った方がいいだろう。うん、Factorだ。そうすれば彼等が、実に慈愛に満ち溢れた存在であった事が分かるだろう。彼等は実に親として良い判断をした。では答え合わせ。

 A、つまりぼくは、不登校だった。だから、サークルを追い出された。不登校だったCは、サークルを追い出されなかった。然るに、ぼくとCは同じ不登校児でありながら、別の因子だった。簡単なロジックエラーだ。では何が違ったのだろう? それでは当時の彼等の言い分を、ここに並べよう。


「ここは学校に来ない子が来ていい場所じゃない」。

「中学校に行けるようになったら戻って来ていい」。

「悲劇の主人公きどって、和を乱す」。

「合宿はしないで、早朝の稽古に間に合うように車で山奥の合宿所に来てほしい」。

「このサークルは「チームワーク」を大事にする。チームワークを大事に出来ない人は要らない」。


 さて、察知のいい人なら分かるんじゃないかな。その通り、Cは健康的で理想的で文化的で自然な不登校児だったのだ。Cは悲劇の主人公にありがちなことも起こらなかったし、合宿に行けなくなるような事情も病気もなかった。ぼくはだって、その当時はあまりにもぼくへの風当たりが強いので、ぼくしか不登校児がいないと思っていたくらいだ。

 学校に居場所がないぼくは、一族から憐みと憎悪を一身に受けていた。それに加えて、学校側の対応も火に油を注いだ。これについては後で詳述するが、とにかく、ぼくの心の支えは、このダンスサークルだった。それを奪われた時のぼくの暴れ方たるや、きっと誰の想像よりも悲惨だ。だってぼくはこの騒動によって実母に殺されかかったし、実母も首をつって失敗したりしたのだ。無論、ダンスサークルの関係者は、身にかかりそうだった火の粉が藁の山に吹き飛び、家畜小屋を焼き尽くしたことなど知らないし、彼等に責任はない。彼等は自分の子供を守っただけなのだ。


 そうそう、彼等は「中学校に行けるようになったら戻って来ていい」と言ったけど、それが中学三年生の夏だったことを明記しておかなければ。


 さてここで、ぼくは、彼等はきっと無自覚だったとしか思えないのだ。でなければ余程根の腐った鬼だ。否、子供を守るために夜叉になる事が悪いとは言わないが、少なくともそんな鬼に育てられた子供が、多様化する社会に出て行って、社会的弱者を思いやり、バリアフリーな社会の構成員になれるかと言えば、甚だ疑問である。


 夏休みが終わり、学校に行けば血を流して帰ってきて、家では大量の薬を飲んで自分の体を痛めつける事で、社会構成員を保護するような子供を、9月から2月までの三か月間、何を基準にして「戻った」と言えばいいのかも分からない状態で、彼等は「学校に行けるようになったら戻って来ていい」と言った。

 ぼくはその時初めて、にこにこ笑いながら人を蹴落とす教育者を見た。ボランティアの学生は教職課程だったのだ。無論彼等はダンサーだったのだが。母はその時、頭がおかしくなっていて緊急入院し、そこから退院したばかりだった。呆然として何も言えない母を詰(なじ)っても詰っても、母はぼんやりとして答えなかった。吁、なんと皮肉なことだろう! ぼくは誰も傷つけるべきでないと分かっていた。

 ぼくを虐げるありとあらゆる万象、ぼくの尊厳を踏みにじる現象、嗚呼今からでも遅くないから、だから答えてくれ。ぼくは一体何のために、何のために、何のために誰も刺さず、自分の中に潜む変態を殺そうと腕を斬り、夢を見ないで眠れるように風邪薬から漢方まで片っ端から大量に薬を飲み、挙げ句の果てに小児精神科医に捨てられ、唯一の居場所からも差別され追い出され、それでも尚、何故ぼくは彼らに反撃してはならなかったのだ? 

 誰も理解してくれない。誰も同情してくれない。誰も哀れんでくれない。誰も答えてくれない。誰も聞いてくれない。

 そんな中でぼくが漸く、漸く見つけた「攻撃」すら封じて、一体全体これはどういうわけだ? ぼくはあの時、行き付けの小児科に風邪薬をもらいに行く交通手段すらなかったというのに! 一体誰が、何様のつもりで! 自分の子供を贔屓にするのは当たり前だ。だが貴様は、あの女は、あの男は、母として父としてではなく、保護者会の会長として、全ての子供を平等に見て、全ての子供に平等に接しなければならなかったのだ。病気のある子供は外へはじき出し、元気な子供だけでダンスをしようなどと、教えてはならなかったのだ。

 嗚呼そうとも、ぼくは今でも、奴らが名前を変え、代表を変え、趣向を変えず活動し、ずうずうしくも金を取っていることが許せない。出来の良さは関係ない。だが奴らは、一人を閉め出し、排除することを「チームワーク」と言い、彼らの保護者もそのように行った。そして今でも「チームワーク」を掲げ続ける彼らが許せない。何故か?


 それは勿論、新しい代表のあいつらこそが、ぼくを追放し、チームワークという大義名分でぼくをはじき出し、つるし上げたからだ!


 そしてあいつらは、ぼくの童貞を何度も奪い、性と命を踏みにじり、現実を浸食し、優越感を満たしたいが為に手を差し伸べ、ぼくの背負う苦しみから目を背け、ぼくを愚弄し、ぼくを否定した。

 最後に、そいつらの一人が、二通連続でご丁寧にぼくに送りつけたメールをここに置いて、ぼくがどうして、童貞を何度も喪失することになったのか、話をしよう。


「死にたきゃ勝手に死ねば! もう止めないから!!」

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