緋蜜庵

 6月10日水曜日。


「いらっしゃいま――――うげっ?!」

 着物姿の給仕さんが、唐突にそんな声を漏らしました。

 ここは木造三階建ての旅館を居抜きして作られた、大正の香り漂う甘味処、緋蜜庵ひみつあん

 今し方引き戸をくぐった私達は玄関先で五人一塊になって、顔を見合わせます。


「ウチら、なにか不味かったかにゃ?」と田付。

「……営業中の札は出てましたけど」


 みんな制服ですが、これは問題ないはず。

 下校中に買い食いしてはならない、という校則はなく、更に言えば、これは歴とした部活動なのですから。

 給仕さんは「こほん」と咳払いして、何事もなかったかのように仕切り直しました。



 個室の座敷。

 私達の通された場所は、そう形容するしかありません。

 廊下側の襖を閉めてしまえば、他のお客さんからは見えなくなるでしょう。


 雪見窓の向こう側には、よく手入れされた和風庭園が広がっていて、芍薬しゃくやくが大輪を咲かせていました。その奥の紫陽花あじさいはまだつぼみ。静かに出番を待っています。

 梅雨入り前の貴重な晴れ間。葉の緑も気持ちよさそう。


 ややあって先程の給仕さんがお絞りを持ってやってきました。

 銀色の髪を結い、着物の袖を捲ってシャキシャキと働く姿は、凜々しい女性のようにも、溌剌とした中学生のようにも見えます。

 帯揚げには二つのバッジ。

 一つは研修中と添えられた名札で、もう一つはデフォルメされた土佐犬。「猛犬注意」なんて看板を握っています。――――猛犬、なのでしょうか?

 それとは縁遠く見える所作でお品書きを配って、一礼します。


「お決まりの頃、また伺います」

「なぁなぁ、まりあちゃん?」

 立ち去ろうとした彼女に田付が声を掛けました「――――って読むのん? その名札」

「はい、そうですよ。他にご用はございますか?」


 抱えたお盆で名札を隠すようにして、給仕さんはぎこちなく微笑みます。

 田付に目配せされ、話を引き継ぎました。


「実は私達、蓬ヶ丘高校の新聞部で、来週の新聞に、ここの記事を載せたいと思っているんです。お邪魔はしませんので、撮影許可を頂ければ嬉しいのですが」

「……なんだ、そんなことか」

「え?」

「ああ、いや。他のお客、様のご迷惑にならない範囲なら大丈夫、ですよ」


 辿々しい丁寧語。

 不慣れな様子で私達しかいない座敷に視線を泳がせました。

 マニュアル外の応対は苦手なのでしょうか。


「私、苺クリームあんみつ!」「ほうじ茶あんみつにする!」

 お品書きを眺めていた沖島と小夜が揃って声を上げました。

 慌てて伝票に書き留める彼女。

「ウチは季節のフルーツあんみ……あ、やっぱり紫芋のあじさいあんみつ!」

「白玉ぜんざい。つぶあんで」

 田付と水鏡君が続きます。

「あんみつ以外奢らないぞ?」

「えぇ、ケチ……。じゃあ、そっちはやめて、苺クリーム……」

「ダメだよ水鏡君、私と被ってるから」

 沖島が牽制します。

 そうです。被ってはいけません。五種五品を味わう必要がありますから。

「むむむ。じゃあ季節の」

「季節のフルーツあんみつ! 私が!」

「大人げないぞ先パイ!」

「早いもの勝ちです!」

「ま、待て待て待て。なんだ、なにがどうなった。そういっぺんに言うんじゃない」


 伝票を書いたり消したりしていた給仕さんが素の声を発しました。

 全員の視線を一身に受けて仄かに頬を染める彼女。

 ん、と咳払いして。


「もう一度順に聞かせろ……いや、えっと、お伺い、します?」



 暫くして私達の卓に注文の品が運ばれてきました。

「なんで俺だけ普通のあんみつなんだ」

 水鏡君がボヤきます。

 杏あんみつも抹茶あんみつも、今日は売り切れてしまったそうで。残念。


「スタンダードあっての派生です。記事を書く上では欠かせない、むしろ一番重要な役どころと言えるでしょう」

「じゃあ先パイ、それと換えてくださいよ」

「え。絶対ヤダ」

 フルーツあんみつを彼から遠ざけます。そんな物欲しそうな目で見てもダメです。これは私の。

「当店特製の緋蜜です。黒蜜の代わりにお使いください」

 給仕さんはそういって、ガラスのポットを置きました。


 立ち去ろうとする彼女を田付がまあまあ、と引き留めます。

 各々、小さな宝石箱のようなあんみつを写真に納め、いよいよ実食。

 美しく澄み切った緋色の液体を注ぎます。一見紅茶のようにも見えますが、とろみは黒蜜のそれと同じ。味は――――。

「あ、おいひぃ……」

 五人が五人、同じ感想であったことは表情を見れば分かりました。

 涼やかな寒天に絡んだ蜜の甘みが、口の中でふわっと広がって幸せ。

 つるつるでぷるぷるな食感が楽しくもあり、幾らでもいけてしまいます。

 肉厚なパインやキウイからは新鮮な果汁がじゅわっ、と。

 この仄かな酸味が、甘さ一辺倒になりかけた舌を引き締めます。

 そしてあんこのどっしりとした存在感。確かな甘み。

 しかしそれが及ばない部分を、蜜がしっかりとフォローしているのです。

 匙を入れる場所によって味の変わる芸術品。

 つまり、最高です。

 私達はしばらくの間、「美味しい」以外の語彙力を失いました。


「噂通り、すっごく美味しいですね! 特にこの蜜。紅茶色も綺麗ですし」

「ふふふ。そうだろう」

 この給仕さんは気を抜くとタメ口になるタイプのようです。

「一体どうやって作っているんですか?」

「それはひみ……トップシークレットだ」

「今ダジャレ……」

「言ってない」

「秘密って」

「言ってない」


 そっぽを向く給仕さん。

 そこへフラッシュが焚かれました。

 彼女はきょとん、と、カメラを構えた田付へ向きます。


「えへへ。店員さん、制服も可愛いから載せようと思って――――ありゃ?」

 デジカメを確認した田付が首を傾げます。

「なんか上手く撮れてないや。もうワンチャンス。目線プリーズミー」

「い、いや、私は……っ」

 給仕さんは手で顔を隠してしまいます。

「にひひっ。シャイな看板娘なんて、男子受けがよろしいですな」

「ちょっとタヌ! 失礼ですよ!」

 構わずシャッターを切る田付を止めました。「ごめんなさい、いま消させますから」

「なんでさ。写真は撮って良いって……ぇひゃあっ?!」

 今の今まで正座していた田付の足を突いてやりました。

「ほら、消しなさい」つんつん。

 ビクンッ、と背筋を正したかと思うと、痺れた足を放り出して畳に転がる田付。

 私に足を掴まれ、悶えながらデジカメを操作して。


「あっ、あれ!? ないっ、ないっ?! なんかミスってた! 撮れてないのっ!」

「嘘おっしゃい」

「それダメっ、それダメっ! ジンジンするかりゃあっ! ホントなんだってばぁっ!」


 デジカメの背面をこちらに向けられます。

 確かに給仕さんの写真はありません。

 代わりに襖の写真が何枚も。

 ――――彼女が居るべき場所に、彼女の姿がないのです。

 カメラに映らない。月光を編んだかのような銀髪。聞き覚えのある声色。


吸血きゅうけ――――もがぐっ?!」


 その正体に思い当たった途端、口を塞がれました。



 お手洗いの場所を案内してもらう。

 そのような口実で奥座敷に連れ込まれ、後ろ手で襖を閉められました。

 二人きりなのは好都合。田付達を巻き込みたくはありませんから。


「アナさん、ですよね? ……なぜ、こんなところに?」

「それはこちらのセリフだ」

「私達はただ、取材に来ただけです。ホントに偶然。……あなたが居るなんて、思いもしませんでした」

「そうか。……だが、気づかれてしまった以上、ただで帰すわけにはいかない」


 ジリ、と臨戦態勢。

 薬指に填めた指輪に触れ、勇気を貰います。

 アナさんは懐から長方形の護符を抜き放ちました。

 「サービス券デザート全品150円引き」などという魔法の文言が書かれています。

 それが50枚ほどの束で。

 差し出され、戸惑っている内に無理やり握らされてしまいました。


「……えっと?」

「私が生きて、ここで働いてることは、どうか内密に。――――誰にも言わないでくれ」

「えぇ……? ……それは、別に。構いませんけど。……悪いことしてないなら」

「そうか。なら良かった」

「あの、戦ったりとか、しないんですか? 私のこと、始末したり」

「何故だ?」

「何故って、その、だって……。……アナさんは、恨んでないんですか? 私達のこと……」

「よしてくれ。……こう見えても結構な婆さんなのさ、私は。そんな暑苦しい感情、とうの昔に懲り果てたよ」

「でも……!」

「そりゃ、思うところはあるさ。色々と。……けど今は、感謝の方が大きい」

「感謝……?」

「健斗のこと、止めてくれたんだろう? 本当なら私がすべきことだった。もっと早くに。それを棚上げしてお前達を恨むなんて、そんな恥ずかしい真似は出来ない。……それより、あの夜の後、大丈夫だったか? うちのバカが随分無茶をしたようだから」

「ええ、それは。メイさんが治してくれました。『現湊修復イデア・リパッチ』の魔法で」

「そうか」

「けど、不思議なんです。メイさんが言うには、本来の蘇生できる範囲を超えて、過去の行方不明者まで生き返ってたらしくて。魔法の効きがいつもと違う、と」

「……そうか」

 アナさんは遠い目をして、嬉しそうに微笑みました。

「……アナさんは、どうしてここに?」

「うむ。人並みの体というのは不便だな。……20時間も寝てられないし、三食食べないと腹が減る」

「そりゃそうですよ」

「生きてるだけでも銭がいる。という訳でバイトを」

「吸血鬼のあなたが、あんみつ屋を?」

「他にも色々やったぞ。ファミレス、コンビニ、日焼けサロン、バーガーショップ、本屋……」

「……この2週間ちょっとで?」

「う、うーん。みな雇ってはくれるのだが、すぐクビにされるのだ。渡された手本通りにしてるはずなのに。……しかしここは長いぞ! もう4日目だ!」

「……ちなみにその、猛犬注意というバッチは?」

「これか? まあ、なんだ。不埒な輩がいたのでな。一発ボコにしたら、店主がくれた。『そういうキャラで売っていこう』とかなんとか。あいつの考えてることはよく分からん」

「……ボコッちゃったんですか」

「カッとなることはある」

「暑苦しい感情、持ってるじゃないですか」

「安く見られるのは我慢ならんのだ。こればかりは抑えられん」

「……それはそれで良いですけど、接客業には向いてないですよ」


 私が言うと、アナさんは口籠もって頬を掻きました。


「けど私は、なんというかな……。さっきのあんみつ、美味かったろ?」

「え? はい、とても」

「幸せそうな顔を見て、私も満たされた。……ここに身を置く理由は、とどのつまり、それなのだ。……世の中を少しずつ幸せにできるなら、力を失った私にも、まだやれることはある。それを肌で感じられる場所に立っていたい、と。……許されるなら、今度はそうやって埋め合わせていきたい、なんて思ってしまう。――――ふふふ、笑えるよな。さんざん引きこもった末の結論が、これでは」


 自嘲気味に目を伏せたアナさんの手を、思わず取ってしまいました。

 もう夏だというのに、氷のように冷やっこい彼女の手。ぎゅっと握って。


「そんなことないです。とっても素敵ですよ、それ」

「……そう言ってくれるか」

「私、応援したいです。これからもちょくちょく来て良いですか?」

「ん。どんどん来い。その券、今月までだから」

「――――、使い切れないじゃないですか!」

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