Dance in Apnea - 5

 翌日、僕は重い腰を上げてツカサさんが待つダンスフロアへと向かった。

 もちろん愛猫も一緒に連れてね。

 ダンスフロアの扉を開けると、バラード調の旋律が室内を反響している。


 部屋の片隅にひっそりと置かれたグランドピアノの鍵盤に触れる彼女は美しかったなあ。彼女が奏でる音色は天使を誘い、招かれた天使は祝福を与え、彼女は光と一体になっている。

 そんな詩を思い浮かべるほどだった。


 あの後直ぐに彼女は死んでしまったけど、僕は目前に拡がっていく名状しがたい光景についはっとして、息を呑んで、胸は多幸感で一杯になってさ……ある人はその光景を奇跡だと謳っていたよ。


「草摩さん、また何も言わず入って来たでしょ」

 痛いところを指摘された僕は静かに会釈した。

 天寿を迎えようとしている彼女の表情に活力はない。

 僕の夫と同じだった。


「昨日は訊けなかったけど、草摩さんは結婚してるの?」

 再び痛い指摘を受けてしまった。

 僕は結婚してるし、夫はつい先日亡くなった。

 僕は心に薄らとした後ろめたさを覚えながらも、口を割る。

 物臭だからね、隠しごとを抱える憂慮を想像しただけで吐き気がするんだ。


「良ければ訊かせてくれない?」

 何を?

「草摩さんと旦那さんの馴れ初めとか。貴方の人間性でどうやって結婚できたの?」

 この世で一番浸透している伝統的な結婚の仕方がある。

 そう言えばわかるかな?


「お見合い? でも草摩さんって見るからに孤高としてるし、プライドに触らなかったの?」

 プライドは僕みたいな物臭な人間が持つべき代物じゃないと思うんだ。

 実際僕に確固たるプライドはない。


「その点は私たちとは違うね……マジにいの店に行こうか?」

 彼女の思わせぶりなセリフを拝聴してから、僕達は昨日の喫茶店へと向かった。

 ダンスフロアから歩いて五分の距離にあるあの喫茶店は、物臭な僕の理想だ。

 なんだかんだで昨日はご馳走になったし、またご馳走してくれないかな。


 ここは街の郊外だから、車の排気ガスの臭いがしなくていい。

 少し緑の青臭さがするけど、それ以外は特段気にならない。


「草摩さんは、いかにも自然好きそうだよね」

 自然? 好きだけどあえて言う程じゃないよ。

「そうかな? 草摩さんって朴訥だし、亡くなった猫を今でも大事にしてるし」

 彼女は喫茶店に着くまでの五分間、僕の人柄の推測を絶やさなかった。


 よくいるよね、何事も当てたがる人って。

 貴方はきっとこうだから、貴方は絶対これ、貴方は――っていう具合に。

 彼女は推理が好きなのかな。

「ねぇ、今まで仕事して来た人の中に変死体とかなかった?」


 あるよ。と僕は彼女に嘯いた。

 彼女は僕の嘘にまんまと騙されて、食い気味に「どれくらい惨かった?」と訊いて来る。

 前言すれば、僕はホラーやスプラッター系の話しは苦手なんだ。


 まさか亡くなった人が化けて出て来るとは思ってない。

 けど、亡くなったご遺体を前にするとさ、時には目を逸らしたくなる。

 辛いとか、悲しいとか、憐れむ心は僕には理解出来ない。


 それでも亡骸を見ると心臓が張り詰める。

 猫であれ、人間であれとね。

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