Dance in Apnea - 8

「またよろしく頼むな、エコノミー症候群には気を付けて」

 海外公演も無事終わり、ゲスト参加してくれた俺の兄、ドラゴンを空港で見送る。

 オンシーズンの空港は兄弟特有の気恥ずかしさを紛らわせるほど煩雑としていた。


 兄と別れた我がバレエ団『ワイバーン』一行は拠点へと帰還した。

 今回の海外公演の出来栄えは団員達の喧騒が物語っているようだ。

 本拠地へと戻った俺は、凱旋の感慨を覚えながら真島さんの所へと赴いた。

「ただいま真島さん。貴方との賭けは今回も俺の勝ち。ってことで飯下さい」

「……お帰り」


「顔色が優れませんね」

「ちょっとな」

 彼の様子が妙だった原因は、この後に知ることになる。

 真島さんは俺達を指導してくれた元トップダンサーだ。

 惜しくも怪我で引退した後は次の世代に想いを託し、ここで飲食店を営んでいる。


 俺達が普段使ってるレッスンフロアは真島さんの所有物で。

 俺達は彼に多大なる恩義があった。

「そう言えばツカサさんは?」

「……死んだよ」

「え? あ……は?」


 真島さんの従妹であるツカサさんは、我がバレエ団には欠かせないバレエピアニストだった。真島さんの口から告げられた彼女の訃報を俺は信じないし、信じられないし――信じたくない。


「何呆けてるんだよ、ツカサは死んだって言ってんだろうが!!」

「どうして?」

 俺は呆然とした。

 その態度が真島さんには飄々としている風に映ったらしく。

 彼は激昂の余り俺に手を出した。


「帰れ」


 どうやら今の彼の心情だと、何を言っても駄目なようだ。

 けど、俺は立ち止まっていられない。

 俺達バレエダンサーは……じゃなくとも、日々の努力を積み上げることの大切さは理解行くだろう。


 だから俺は翌日も早朝から稽古場へと赴き、掃除をする手筈だったんだけど。

「……今日もよろしく頼みます」

 俺は一介のバレエダンサーとして、数々の奇跡を目の当たりにして来た。


 時には自分も誉れある奇跡の称賛を頂いた。

 バレエの世界しか知らない俺は、数えきれない奇跡の中で生きている。

 それぐらいの世界観がないとバレエダンサーとしては死活問題だ。


 今日だって、俺は奇跡の中で舞っていた。

 死んだはずのツカサさんが普段通りピアノ席で曲を弾いていたんだ。

 これは何て曲目なのだろう、今まで踊った例のない曲だ。

 バレエのレッスン曲としては頂けないけど、実に幸せだ。


 踊ってる途中、眦に見知らぬ女性が映り込んだ。

 彼女は腕に猫を抱えて、俺のダンスを見守っている。


 ツカサさんの演奏が終わると、その女性は拙く拍手する。

「ありがとう、貴方がツカサさんをここへ連れ出してくれたのか?」

「そうだよ、彼女のお兄さんに無理言ってね」

「そうなのか」

 一曲踊り終え、身体から蒸気を放っていると、彼女が何か言いたそうにしている。

「何かな? 何か言いたそうだけど」

 俺が素知らぬ顔で尋ねると、彼女は了解するよう頷き。


「団長さんは――奇跡を追い求める余り、身近にある大切なものを見失っていなかったかな」


 名も知らない彼女にそう問われ、俺は深く考え込んでしまう。

 考えようとも、俺にはバレエしか心に浮かばなかった。

「ツカサさん、もう一曲お願い出来ますか」

 と言えば、ツカサさんは穏やかな表情のまま頷く。


 俺の五感は彼女を見た瞬間からその事実を推し量っていたんだ。

 ツカサさんはもう死に、彼女は故人になって尚そこに座っていることに。

 けど、どういう訳か彼女の演奏が聴こえて来るんだ。


 侘しいカントリーソングのような旋律で。

 失恋した悲しみのようなメッセージが籠っていて。

 今でも、自信に満ちたツカサさんの伴奏が、聴こえて来るんだ。


「おい鳥頭、何を踊り狂ってんだよ」

「真島さんの耳には聴こえないんですか、だったら賭けはまた俺の勝ちですね」

「あのなぁ……ダンス馬鹿もいい加減にしてくれないか」

 稽古場に入って来た真島さんは嘆息を吐くよう俺に対する愚痴をこぼした。


「今、ピアノに向かってるツカサは」

「言われなくても、わかってますよ」

「……だったら、ツカサを孤独のまま死なせた懺悔でもしろよ」


 稽古場の床上をバレエシューズで調べるようステップを踏むと、摩擦音が鳴る。

 俺はツカサさんの演奏に同調するような美しいパを求め、探していた。

「正味な話、いつまでも踊ってないで、ツカサに最期何か言ってやってくれよ」


「――死ぬ楽しみができた」

「バッカ、野郎が……ダンス馬鹿はこれだから嫌なんだよ」

 真島さんの揶揄もそっちの気にして、俺はただ踊り暮れた。

 今は亡きツカサさんの御霊を手向けるように、祈りを捧げるように。

 するとさっきの彼女が視界に入り、猫を揺らして俺と共に踊らせている。


 ――奇跡を追い求める余り、身近にある大切なものを見失っていなかったかな


「……――」

 名も知らぬ彼女が教えてくれた言葉に感銘を覚えた俺は、汗に混じって頬に雫を垂らしていた。きっとそれは深い悲しみと、ツカサさんへの想いと、一縷の奇跡から流した涙だったのだろう。

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