第10話 写真

 朝、HRが始まるまでの間暇を持て余し、両耳にイヤホンを嵌めてぼんやり窓の外を眺めていると、教室内の雰囲気が普段よりも騒がしい事に気が付いた。それぞれが携帯を片手に、液晶画面に映る何かを見ている。恐らく写真か何かだろう。生徒の大半がそれを見ては芸能人のスキャンダルを目撃したようなリアクションをしていた。

 また何か下らない事で騒いでいるのだろう。そう思って視線を窓の外に戻そうとすると、やけに不機嫌そうな顔をする岡本が目に入った。そして、そんな彼女の前で平謝りをしている男がいた。

 名前は小宮こみや。つい最近、岡本の彼氏になったばかりのクラスメイトだ。この男はクラス内だとカースト上位の方で、怒るとすぐに手を出してしまう頭の悪い人間だ。そして顔の良い女にめっぽう弱い。岡本は、逢来程じゃないにしろ顔の整っている方だった。

 カースト上位の二人が付き合いだしたのは、十分な見栄を張れるからだろう。本当にお互いが好意を持って付き合っているかどうかは疑わしい所である。


 逢来が虐められるようになったきっかけは、岡本が当時思いを寄せていた男の好意が、逢来にしか向いてくれなかった事への八つ当たりだった筈だ。

 確か、その男子は別のクラスだった。それが今ではこの有様なのだから、虐められる方も溜まったものじゃない。


 きっかけは何だっていい。


 ふと、その言葉を思い出した。使う対象が違うと、意味合いはこんなにも変わってしまうんだな。

 そんな時、教室の後ろから逢来が登校してきた。携帯を片手に盛り上がっていたクラスの連中だが、彼女の姿を眼にした瞬間、注目は彼女の方へと向けられた。本人も困惑している様子で首を傾げている。


「逢来、ちょっと」


 まず声を掛けたのは岡本だった。


「この写真、相手は誰? 男の方は角度的に顔が見えないし、上着で隠れて制服も分からないけど、あんたの顔だけはしっかり映ってるんだよね」


 携帯の画面を見せ付ける岡本。逢来の顔は相変わらず困惑したものだった。

 やはり写真か、どんなものなのだろう。

 誰か知らない者の話ならさして興味も持たないが、そこに逢来が絡んでいるからか気になってしまう。モヤモヤした気持ちで様子を伺っていると、佐武がこちらに気がついて近寄ってくる。


「鞍嶋君、たぶんこの写真の事だと思うよ。昨日の夜、クラスの全員に宛ててメールで一斉送信されたんだ」


 佐武から受け取った携帯を見てみると、そこには並ぶ男女の姿があった。片方は逢来、もう片方は……僕だ。写された場所は、すっかり馴染んだあのビルの入り口に当たる所だ。彼女の顔はしっかりと写されていたが、僕の方は偶然にも隠れていたから誰かまでは分からないだろう。分かるとすれば、僕自身と、この写真を撮った人間だけだ。

 嫌な汗が背中をダラダラと伝う。

 一体何の目的があってこんな写真を……。

 幸いな事に、今問い詰められているのは彼女だけ。良かった、僕は免れてよかった。そう思ってしまうと同時に、激しい嫌悪感が自分自身へと圧し掛かって眩暈がした。


「何とか言えよ逢来!」岡本が声を荒げた。

「知って、あなたは何がしたいの? そもそも、関係のないあなたがどうしてそんなに怒っているのかが不思議で堪らないわ」


 流石の逢来も、若干の困惑を残していたがあくまで冷静に言い返す。それは岡本に対して更に油を注ぐ行いであったが、話の矛先を変えるには抜群なものだった。


「……小宮君が! あんたのこの写真見て『やっぱり可愛い顔してるな』って言ったの! あんた、裏で男作って遊んでるくせにまた私から奪うつもりなんだ! 許せない!」


 後ろで小宮は、如何にも面倒そうな表情で腕を組み傍観していた。

 岡本の下らない理由を聞いて、クラスの大半の人間はこう思った事だろう。「下らない」と。それは逢来も同じで、呆れた顔をしている。

 しかし、岡本の取り巻きである女子数名だけは違った。


「そうだぞ逢来! まりちゃんの立場になって考えてみなよ!」

「可哀相だと思わないの? ホントに信じられない!」


 段々と芝居がかってきたその空間。岡本は「つっきー、はるちゃん、ありがとう」等と、どの面が言えた事か分からないが、取り巻き二人に涙ぐみながら礼を述べていた。


「知らないよ。あなたの被害妄想に私を巻き込まないで」


 しかし、逢来相手にそんな芝居は通用しない。ばっさりと切り捨てて自分の席へと向かい始めていた。

 終わったか? と思うが、そう簡単に事は済まない。

 歩き進む逢来の前に、小宮が立ち塞がった。


「なに? 邪魔だよ」

「あー、ごめんね逢来ちゃん。俺にも彼氏っていう立場があるから見逃せないんだよね」


 傍に駆け寄った岡本は、小宮の右袖を指先で摘んだ。


「まりぃ、あれは本心じゃないんだから、いい加減に機嫌直してくれよ」


 鼻をぐずらせながら岡本は小さくねだった。


「……こいつの事、一回殴って。本心じゃないなら出来るでしょう?」


 甘えた声で言う割には、随分と常軌を逸した内容。

 筋肉質な小宮は野球部に所属しており、体格の差は明白だった。そんな男が女を殴ればどうなるかなんて、誰だって想像がつく。

 動揺が広がるクラスの空気。逢来もその言葉を聞いた瞬間に肩をびくりと震わせた。

 小宮も躊躇っている様子だったが、岡本に根負けしたのか深い溜息を吐いた。


「……はぁー。しょうがねぇ、俺の責任もあるのかぁ」


 振りかぶられた小宮の右手は、それを防ぐ為に出された逢来の腕を挟んで左側頭部に落とされた。

 傍観していた女子達の微かな悲鳴と、男子達の驚いた声。殴られた逢来は、後ろの机と一緒になって床へと倒れた。

 痛みに悶える逢来は殴られた箇所を必死に手で押さえている。声も出せないまま、その場で蹲ってしまった。


「ちょっと! ちゃんと顔を殴りなさいよ!」

「いや、流石に女の子の顔は真っ直ぐに殴れないって」


 それでもまだ納得していない岡本は怒りを露わにしている。むしろ、本人が望んだものよりも不十分な結末になった為に余計腹を立てているようにも見えた。

 痴話喧嘩のようなものがそれから数分続き、その間ずっと僕達はその様子を黙ってみている事しかできなかった。その内逢来も立ち上がって、多少のふらつきを残しながらも声を振り絞る。


「……あなた達、流石に自分勝手が過ぎるでしょう……」


 それでもまだ折れずに強くあろうとする逢来の姿からは、どこか危ういものを感じる。

 今度は自らで殴るつもりだったのか、岡本が二人の距離を近づける。と、丁度良く教室の扉が開かれ教師が中に入ってきた。


「HRはじめるぞー……って、何だ。どうしたお前ら」


 何も知らない教師は、剣呑としたこの雰囲気を感じ取って眉をひそめた。


「いや、なんでもないっす。皆、早く席に着こう」


 その場を濁したのは小宮だった。

 生徒らはそれに黙って従い、各々の席へと座る。誰一人として、今起こった出来事を話そうとする者はいなかった。

 担任教師も、何かあった事は間違いないというのに見てみぬ振りをした。

 何事も無かったかのように始まったHRは、そのまま授業の時間へと流れていく。

 傍観していただけの僕もそれに流されるが、罪悪感だけはそのまま胸の内に残っていた。

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