貧乏くじ男、東奔西走

有澤いつき

12月31日の攻防

「あ、ありがとうございまぁーす……」


 ひきつりそうになる頬の筋肉を懸命に引っ張りあげる。口角をあげろ、口角を。歯を見せてもいいからニコリと笑え。目が死んでるとか言わせるな。ロングマスカラをバシバシに決めたお陰で笑ってない目元はどうとでも誤魔化せる。だから笑え、とにかく笑え。


 やたら早口でまくし立てたふとましい女に、手渡しで一冊の本を渡す。いわゆる「薄い本」というやつだ。オフセットマット加工箔押しも入れてみたなどと製作者にはよくわからない呪文を唱えられたが、俺はただ、金と引き換えにこの本を客に渡すだけでいい。それが何よりも苦行というほかないのだが。


「えっ、あの、もしかして男性の方ですか?」


 本を渡したときの声の低さで察したのだろう。本を渡した女が驚いたように問いかける。早く次の客に回したい。隠してもいいことないし、むしろこの雇い主はそれを売りにしている部分があったので、俺はさっさと肯定した。笑顔で。


「はい、そうです」

「嘘、まじで!? あのキャラのコスプレですよね、えっと」


 彼女が口にしたキャラクターは俺のコスプレに相違ない。スカート裾のフリルがふくらはぎを撫でた。気色悪さに息を呑むが気取られないよう口角を一層あげる。


「はい、そうです」

「完成度高い……超可愛いです! よければあとで写真……」

「はーいすみませーん、スペースでの撮影はお断りしてますのでー、お次のお客様お願いしまーす」


 俺の雇い主が遮るように大きな声で忠告する。女は名残惜しそうにこちらを見ていたが、俺に一切の未練はないので安心して立ち去ってほしい。

 安堵するのも束の間、次の客が俺の前にやってくる。同じように笑顔を張り付け、俺はサークル主渾身の一冊を手渡ししていた。


 なぜ、こんなことになったのか。


 ***


「ねえ霧生きりゅうくん。年末のイベントにコスプレイヤーとして出てほしいんだけど」

「断る」


 大学のキャンパスで当たり前のように交わされる会話は、正直他人に聞かれないかとヒヤヒヤものだ。大学二年の秋に誘われたのは恒例行事。どうせ断らないだろうと確信した、強気な誘い方に恨みさえ覚える。

 はじまりは、そう、こんな会話よりも前のことで。こいつとの――同人作家・粟島あわしまるいとの付き合いは高校時代まで遡る。


 俺、霧生誠人まことには誰にも言いたくない秘密がある。趣味でもなんでもない、俺は女装をという事実だ。

 本当はこの辺りの説明も省いてしまいたい。呪わしき黒歴史だからだ。だがしかし、何故俺が冬のコミケにコスプレ売り子として参加しているか、それにはそこから話さねばなるまい。


 彼女、粟島るいとは高校からの付き合いだ。当初は縁もない、ただのクラスメイトだった。だが、俺が文化祭の出し物で罰ゲーム感覚でさせられた女装がすべての運命を変えた。

 目を付けられたのだ。この悪魔に。


「私、本のモデルを探していたの。霧生くんの女装姿は理想だったわ。私を手伝うと思って、バイトしてくれない?」


 彼女との「契約」はこうして始まった。だから俺に女装の趣味はない。彼女にせがまれてやむなくやっているだけなのだ。男が好きなわけでも、女装した自分に陶酔しているわけでもない。

 じゃあなんで女装してるかって? ……察してほしい。


「ええ!?」

「ええ!? じゃない。なんで毎回俺が受けると思ってるんだ」

「だって霧生くん、私のお願い断ったことないじゃない」

「たまたまだ」


 高校時代に色々と叩き込まれたせいで、イベントの周期や準備くらいは予測がたてられる。あとはその期間、予定を開けておけばいいだけだ。駆け引き、それだけ。


「大晦日の予定は?」

「……家族水入らずで紅白でも」

「それまでには家に帰すからさ」

「子供をあやすみたいに言うな」


 撤収時間は夕方くらいになるだろうことは、俺にも予測がついていた。けれど積極的には引き受けられない。女装、というものにはある程度の覚悟と動機が必要なのだ。


「うーん……」


 粟島るいは何か考え込むような素振りを見せていたが、探るように上目遣いで見つめてくる。その目つきはやめてほしい、心臓に悪い。


「どうしてもダメ?」

「俺が女装嫌いなのはわかってるだろ」

「でも毎回協力してくれるじゃない」

「……うるさい」


 ばかね、と呆れたように呟く粟島るいを見て、俺はまた「負けた」と思った。明言のされていない関係。「胸キュンの男女を描かせたら神」と言わしめる描き手である彼女にはきっと、すべてわかっているのだろう。ただ、踏み出す一歩が踏み切れない。

 だから俺は女装をするのだ。


「ッあ!?」


 情けない声が出た。わかってる、わかってるんだ畜生。

 羞恥で熱くなる頬を自覚しながら、面白そうに耳元を撫でる粟島るいを睨み付ける。その間もぶるぶると身体が震えてしまう辺り、俺は本当に学習しないと思う。それでも彼女が俺を必要として、明確な意図をもって触れて、それが俺たちを繋ぎ止めるのならば、俺はこの「弱み」を弱みのままにしておこう。


「霧生くん、本当に耳弱いよね。昼間そんな顔して歩いてたら、二次元なら喰われちゃってるよ?」


 そこがたまらないんだけど、と微笑む粟島るいの犬歯は獣のように尖っていた。


 ***


「あー……つっかれた……」


 コミケ会場の男子トイレは混沌としている。俺のような女装人間は(クオリティは別にして)昨今少なくないからだ。男子トイレに列をなす魔法少女風のコスプレをした野郎とか、俺のようにメイド服を着てる男とか、カオスここに極まっている。ここが現代日本だと言うのか。

 個人的に、クラシカルなメイド服であることが不幸中の幸いだった。秋葉原のメイド喫茶のような「萌え」を追求したものではない。今回のキャラクターがメイド服の長いスカートのなかから重火器をぶっぱなす女中だったため、スカート丈は十分にある。内側にもあるフリルがふくらはぎを撫でる感覚は、やはり慣れないものだが。この冬のクソ寒い時期に半裸の男キャラのコスプレをするよりかは、慈悲があると言えなくもない。


「あ、すみません、お兄さん? お姉さんじゃないよね、お兄さん?」


 用を足してトイレ列から脱出してすぐだったろうか。チャラい感じの、会場には不似合いな装いの男に声をかけられた。冬なのに肌は小麦色、白っぽい金髪は脱色がうまくいかなかったのか不自然なマーブル模様を描いている。

 見慣れない。もっと言うといい予感がしない。俺は無視してその場を立ち去ることにした。さっさと売り子に戻った方が変な手出しもされないというものだ。


「ちょっと、俺が声かけてるんだからさ、無視しなくてもいいんじゃねーの」


 逃げられなかった。進路を塞ぐように前に現れた男は、やはり、この場には異質な雰囲気をまとっていた。パリピだったり一般人らしく人生をエンジョイしているようなお祭り男。そんな見た目の男に(見た目で判断するなとは言うが)絡まれるのは、想定する限り最悪の事態だ。男の手にはスマートフォン。これも良くない気がする。


「……悪いけど急いでるので」

「まーまーそう言わずに」


 そう言われて俺は、気づけば壁際に追い詰められていた。こんな壁ドンあってたまるか。反吐がでる。

 男は下卑た笑みを浮かべて言う。


「お兄さんだよね。うわ、噂通りめっちゃ美人。本当についてんの?」


 ケタケタと笑いながら笑えない下ネタをぶちこむのはやめろ。俺がガンを飛ばしてるのに気づいたのかは知らないが、チャラい男はスマートフォンをいじりだす。


「実は俺さ、お兄さんのコスプレ写真頼まれちゃって。いい感じに撮られてくれない?」

「そういうのはお断りしてますし、会場での写真撮影は禁止です」

「いいじゃん、減るもんじゃなし」


 そういって男はぐっと顔を寄せてきた。あ、やめろ、脅しのつもりなんだろうがそれは――


「それとも……」

「ッ、ふざけんな、この!」


 ぞわぞわと悪寒で粟立つ肌を抱き締めたいのを堪えて、俺はスカートに隠された脚で男の股ぐらを思いっきり蹴りあげた。残酷にして最善の護身術、男に生まれてくれてありがとう。できれば俺は食らわずに生きていきたい。


「~~~~ッ!! の、クソがっ!」


 逃げるのは必死だった。男の急所を直撃されたチャラい男はその場に蹲る。俺はその隙間をかいくぐり、脱兎のごとく駆け出した。ロングスカートは脚にまとわりついて普段よりも動きを制約される。ミニスカートの方がいっそ脚はとられなかったかもしれない。何かを代償に支払う気がするが。

 男の罵声に周囲がどよめく。人でごった返す会場内では身動きが取れないのも事実だ。しかも俺はメイド服のコスプレイヤー、皮肉なほど目立ってしまう。人混みを無理矢理かきわけてどこへ向かう? チャラ男が追っているか、後ろを振り返る余裕はない。何かをされたわけではないから運営に突き出すこともできない。かといってこのままサークルスペースに戻って粟島に迷惑をかけない保証ができるだろうか。


 結果として、俺は長時間のトイレのため離席する羽目になった。男を撒くべく、念のために粟島がいるサークルまで遠回りして、時には寄り道さえして見せた。これで上手くいったかはわからないが、広い会場でもう二度と出会わないことを願う。


「遅かったわね」


 粟島るいは特段怒った様子もなく迎えてくれた。午前中のピークを捌ききった後にトイレに立ったとはいえ、そこそこの時間を一人で回させたのだ。売り子として来たのに情けない。

 彼女に事情を伝えるべきか逡巡したが、何も伝えずにトラブルが再発するのはよくないと思い、正直に伝えることにした。


「悪い。厄介なカメ子に捕まってな」

「撮ったの?」

「撒いてきた」


 犯罪者みたいね、と粟島は愉快そうに笑った。


「すっかり人気レイヤーじゃない」

「嬉しくない」

「なんで? 撮影とか合わせとか、引く手数多なんでしょ?」


 わかってるくせにそんなことを言わせるのか。粟島るいは賢い。賢くて、小賢しいくらいだ。

 粟島るいによってイベントのたびに女装コスプレイヤーとして売り子をした結果、俺はそこそこ話題になるレイヤーになっていた。イベントで写真撮影を強請られるのは今に始まったことではない。だが、俺は撮影を許可していないし、撮影可能スペースに出没することもない。


 何故か。ひとつはもちろん、これは俺の黒歴史であるから。後世に残したくなどない。もうひとつは……


「俺はお前専属の売り子だからな」

「私がご主人様ってこと?」


 メイドのコスプレにかこつけて、彼女がそんな問いを投げる。粟島るいはコスプレをしていない。大学にいるよりはちょっと気合の入った、よそ行きの可愛い系の私服に身を包んでいる。上目遣いに、何かを確かめるようにそんな風に聞かれたら、やっぱり、もうわかってるんじゃないか。

 耳が苦手なのは、粟島るいにしか見せない。


「少なくとも今日は言うことを聞くさ、ご主人様」


 撤収したら打ち上げだ。紅白なんてどうでもいい。荷物を送って化粧を落としたら、どこかのファミレスでも入って美味いものを食べよう。

 いつかその夜を、越える日は来るのだろうか。





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貧乏くじ男、東奔西走 有澤いつき @kz_ordeal

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