第13話 心象狼狽

(異常なし、か……)


最後の一人者が門を通り終えたのを確認し、和馬は肩の力を抜いた。

今回の入国者は十名。

事前に渡された資料によれば、全員、すでに家族が人間界に来ているということだった。仕事、あるいは観光が目的だ。

魔族にとって、人間界は見るもの全てが新鮮に映るものだという。

もっともそれは、立場が逆でも同じであろうが。


「和馬もいつか、魔界に招待したいなあ~」


「ああ、そうだね……」


メルの話を聞く限りでは、魔界もなかなか面白そうな場所だった。免疫のない者では瘴気にあたってすぐに倒れてしまうというが、


(僕の場合は……)


和馬や美帆であれば、長期間の滞在も可能だ。お互いをより深く理解し合い、平和を維持するためにもいつかは訪れたいと和馬は真剣に考えていた。

 

門に異常がないことを確認すると、和馬たちはロビーに向かった。

もう役目は全て終わったので、一休みしたら帰宅するつもりだ。


「あ、出迎えの人たちだね」


自動販売機で買ったコーヒーを手にソファに腰かけると、辺りには出迎えの魔族たちの姿が散見された。いずれも、傍目には人間そのものにしか見えない。

それは、入国者たちも同様だ。

メルと同じく、魔族と見破られないように入念な擬装を施した上で、人間界まで来ている。すでに手続きを終え、家族と再会を喜び合っている者もいた。


(いいなあ……)


微笑ましい光景に、和馬は目を細めた。人間、魔族という種族の違いこそあれど、家族・友人を想う気持ちには何ら違いはない。


(アグさんも、ちゃんと手続きをしてこっちの世界に来てくれればいいのに……あ、でも、家族がいないと難しいんだっけ)


家族がいる場合、あるいは留学試験に通るか、仕事で派遣されない限りは入国の許可を得られないのが普通だ。

彼の場合は、やはり留学試験をパスするしかないだろう。


(でも、目的が目的だからなあ……)


女子高生の生足目当てでは、許可を得ることは不可能だ。

さすがに本当の目的は伏せるだろうが、それでも試験の厳しさは変わらない。

メルの場合は、父親が穏健派でも有力者だということで、試験もパスされたというが。


「ねえ和馬、あのおばあちゃん、どうしたんだろ?」


見れば、小柄な老婆が一人、所在なげにキョロキョロとロビーを見渡していた。

先程、門を通過したばかりの入国者の一人だった。

背丈はメルとほとんど変わらない。温厚そうな顔立ちの、上品な印象の女性だ。


「どうされました?」


近づいて声をかけた。困っている人は自分から進んで助ける、それも子どもの頃から父に何度も言い聞かされたことだ。

今の和馬は、それをいちいち考えるまでもなく実行できるようになっている。


「ええ……孫が、出迎えにくることになっているのですが……」


老婆は心配そうな表情で答えた。


「お孫さんがお一人で、ですか?」


「ええ、時間に遅れるような子ではないのですけれど……もしかしたら、あの子に何かあったのかしら、心配だわ……」


「受付に行ってみましょう。何か、連絡が来ているかもしれませんよ」


老婆の手を取り、受付まで連れていく。プライバシーに関わることなので、老婆と受付とのやり取りが耳に入らないよう距離をとった。


「ありがとうございます。どうやら、少しあの子が遅れてしまったようで……裏口にお迎えの車が来てくださっているようです」


「そうですか、それは良かったです」


老婆の安堵した表情に、和馬も笑みで応えた。丁重に何度も礼を言う彼女が、係員に付き添われて去っていく姿を見送った二人は、そのまま出入り口へと向かった。


仕事も終わり、老婆の一件も落着したので、後は帰宅するだけだ。


明日は土曜日だが、特に予定もない。学校の宿題を済ませたら、どこかへ出かけようか、あるいは家でのんびり過ごそうかとメルと相談していたが、


「ありゃ、あれってハズハズじゃない?」


「あっ……本当だ」


振り返ると、ロビーをうろうろする二階堂葉月の姿が見えた。

すでに入国者たちの大半は、家族や知人と共に施設を後にしている。

表情こそ窺えないが、葉月の焦った様子は遠目にも明らかだった。


「ハズハズ~」


メルが手を振ると、葉月は一瞬逃げ出すようなそぶりを見せたが――やがて、強張った表情で和馬たちの方へと早足で歩いてきた。

日頃のクールな雰囲気ではない。

和馬の腕にしがみついていたメルが、思わず身体を寄せてしまうほど鬼気迫る顔だった。


「ここで……その……お、お年寄りを見かけなかったか!?」


「え? ああ、それなら……」


和馬が事情を説明すると、葉月の顔色が変わった。完全に青ざめてしまっている。

一体あの老婆とどういう関係なのかと訝しく思ったが――。


(あ、そうか! もしかしたら二階堂さんの……)


「ハズハズのおばあちゃんだったんだっ!」


出迎えに来た孫とは、おそらく彼女のことだったのだろう。

用などない、というのはやはり取り繕うための嘘だったというわけだ。

葉月が血相を変えて受付に詰め寄る。

あまりの勢いに、受付の女性二人はおろおろと戸惑うばかりだ。


「私は遅れる、到着までこのロビーで待つように連絡したはずだ!」


「で、でも……こちらには、何も……」


「そんな筈はない! 確かに電話で……」


和馬とメルは顔を見合わせた。

葉月と受付の間に何らかの行き違いがあったとすれば、老婆が別れ際に言っていた『裏口の出迎え』とは一体――。


(まさか!)


恐ろしい結論に、和馬は息を呑んだ。

メルと目が合うと、彼女もすぐに気づいたのか大きく何度も頷いた。

メルがいきなり受付カウンターを軽やかに飛び越え、驚く受付嬢の額に自分の額を合わせて目を閉じる。

数秒後、メルは目をパッと見開くと――。


「やっぱり! この人、さっきまで魔術で……ずっと幻影を見せられていたんだよ!」


「何だと!?」


驚愕して立ち尽くす葉月に対し、和馬の行動は素早かった。

すぐにもう一人の受付嬢に、緊急事態であることを告げる。彼女がテーブルのボタンを押すと、警報がけたたましく鳴らされた。

その頃にはもう、和馬は生活安全課の蘆名理子に電話を入れていた。

要件だけを手短に伝える。彼女からは、ひとまずそこに待機するよう指示された。


(幻影……まさか!)


先程の大崎の話が思い起こされる。

秘密結社を率いる冷酷残忍な魔術師、藤堂蔵馬――。

この施設の職員は皆、それなりに訓練を受けた者たちばかりだが、それも卓越した能力を持つ魔術師にかかれば、罠にかけるのも容易いことだろう。

テロリストと魔術師が背後にいると考えると、ここでむやみに動くのは危険だ。

あるいは、葉月の存在も想定した上で彼女の祖母を誘拐した可能性もある。


だが――。


「あっ、二階堂さん!?」「ハズハズ!」


和馬が引き止めるよりも早く、葉月が裏口へ向かって駆け出していた。

一瞬迷ったが、メルに続いて和馬も後を追った。理子からの指示に背くことになってしまうが、平静さを失った今の葉月を放ってはおけなかった。

照明の薄暗い通路を抜け、突き当たりの扉を開ける。

警備員がすぐに止めに入るが、葉月は彼らを振り払うと、そのまま夜の帳が降り始めたばかりの敷地内を駆け抜けていった。

和馬も致し方なく後に続いたが――。


「ああっ……」


通用門まで差し掛かったところで葉月が足を止め、絶望に打ちひしがれた声を漏らした。

敷地内を見回したが、すでに人影は無い。


(手遅れだったか……そんな……)


和馬は猛烈に後悔した。あの時、老婆が施設を出るまでしっかりと見届けていれば、こんなことにはならなかったかもしれない――。


「あたしが探してみるよ! そんなに遠くには行ってないかも!」


メルがそう言うと、瞬時に漆黒の翼が生えた。

夢魔の能力を全開放し、葉月の祖母を連れ去った者たちを見つけ出そうというのだ。


「駄目だよ、メルちゃん! 理子さんは……」


「大丈夫だよ、和馬。ちゃーんと、見つからないようにするから」


和馬が止めるのも聞かず、メルの身体がふわりと空中に浮き上がった。

美しい金髪を風に靡かせ、漆黒の翼を夜空にはためかせる姿は、まさに伝説の夢魔そのものだった。

思わず一瞬見とれてしまうと、その身体が黒い濃霧に包まれていった。

この霧をまとうことで、己の姿を隠すつもりらしい。

それで一般人の目を欺くことは可能だろうが、果たして魔術師に通用するだろうか、と和馬は懸念した。


「でも、メルちゃん……」


この事件の犯人がもし藤堂蔵馬の一派であったとすれば、メルの身も当然危うい。魔族排撃を提唱する者たちにとって、留学中の魔族などは格好の標的だろう。

だが、和馬の言葉も最後まで聞かず、メルは夜の空へと飛び立ってしまった。


(続く)

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