第12話 暗中飛躍

和馬は自転車を押しながら、メルと並んで茅原駅南口の商店街を歩いていた。

今日の仕事は普段の『閉門作業』とは違う。

時間には余裕があるので、急ぐ必要はなかった。


「あ、ピロ見っけー!」


メルが指差した方に目を向けると、代理人の大崎が雑居ビルの入り口に立っていた。

ちょうど電話中だったらしい大崎が、こちらに軽く手を振る。

今日は黒いスーツ姿なので、仕事なのだろう。

いつもはボサボサな髪も櫛で梳かし、無精髭も綺麗に剃られている。

こうして見ると、際立った美貌の青年だ。

記念式典を控え、警察も代理人も多忙なのは間違いない。

電話を切った大崎の表情が、一瞬だけ曇ったことに和馬は気づいた。


「やあやあ、お二人さん。元気?」


すぐに普段通りの弛緩した顔に戻った大崎に、メルがクッキーを差し出す。


「ありがと~。んーと、今日は確か……」


「はい、『正門』の立ち合いです」


「あ、そっか。頑張ってね~」


頑張るといっても、特に和馬が何かをするわけではない。

ただ、万が一のことが起きた際の備えのような役割だ。

日頃の仕事に比べれば、危険はほとんど無いといってもいい。


「ピロは何してんの? まーたパチンコ?」


「違うよぉ、今日はね、ちゃんと仕事だから」


いかんも心外だといった様子で、大げさに肩をすくめる。軽薄そうに見えてしまうが、それが一種のポーズだということを和馬は知っていた。


「……実は、はく……っと、そこのお姉さん、ちょっと待って!」


会話の途中だったが、いきなり大崎の表情が急変した。

いつになく真剣な面持ちだ。

和馬が咄嗟に身を固くして振り返ると、二十代前半と思しき女性がキョトンとした顔で立っていた。

見たところ、ただ通りを普通に歩いていた、というところだろう。やや派手な印象の化粧に、身体のラインがはっきり出るような装いに身を固めている。


「えっと……何ですか?」


怪訝そうにではなく、口元に微笑を浮かべて大崎に尋ねる。

お互い顔見知りではないようだ。

和馬が見る限りでは、この女性が魔界の関係者とは到底思えなかった。

だが、大崎の真剣な表情から察するに、何か彼の仕事に関わる人物なのだろう。


「見たことないんだけどさ、君、どこのお店?」


「え」「はぁ!?」


あまりに予想外の言葉に、和馬とメルが、同時に驚きの声をあげてしまった。

もちろんその女性も一瞬目をみはったが、


「はい、蓬莱通りの『シャロン』に先週から入った天音です~。よろしくお願いします~」


瞬時に営業スマイルに変わり、セカンドバッグから取り出した名刺を大崎に差し出す。和馬が呆気にとられてしまうほどの対応の迅速さだ。

大崎はニンマリ笑って名刺を受け取ると、


「お、そうなの~。よーし、じゃあさっそく指名しちゃおっかな~」


「あは、お待ちしてます~」


呆然とする和馬たちをよそに、和やかなやり取りをして彼女は去っていった。


「……ホント、どうしようもないね、エロピロ! 何なの今のは!?」


「え、何が? よくあることでしょ? 彼女はここの近所のキャバクラに最近入った子で、僕はそのお店の常連客。はは、まぁこの茅原市で女の子のいるお店は全て網羅しているけどね」


「なに偉そうにドヤってるのよ! だいたい今、初対面だったでしょ? いきなり『どこのお店』とか、セクハラ通り越して犯罪だっちゅーの、マジであり得ないから!」


「いやいや、この通りから一本入ったらそういうお店ばっかりだからね。彼女の見た目と時間帯から、出勤前のキャバ嬢ってのは明白だったわけ。で、女の子の顔は絶対に忘れない僕が知らないってことは、新人さん確定ってこと。だからああいう訊き方をしたんだよ」


立て板に水といった見事な口調で自分の名推理――といって良いものかどうか和馬には判断しかねたが――を披露する大崎だったが、


「あ、それで……そう、『白志正道社』って団体のことを調べているところさ」


唐突に声を潜めて、先刻の話の続きを始めた。

その真剣な目から、難しい案件であることは容易に察しできた。


「藤堂蔵馬という男がいるんだけどね、そいつがつい最近作ったばかりの秘密結社だよ」


「ふーん、秘密なのにもうバレバレなんだ」


「ま、超優秀代理人の僕の調査能力にかかればね~。なんて、実際のところ、こいつはこの手の結社だの政治団体だのを作っては潰しを繰り返している男なんだよ。だからまあ、名前を代えて活動しているだけって感じなんだけどね」


「どんな人ですか?」


大崎がマークするということは、脛に傷を持つ者だということ、魔界絡みの件だということは間違いないだろう。和馬も無関係とは言っていられない立場だ。


「魔術師だよ」


静かな口調に、かえって大崎が強い敵意を抑制していることが読み取れた。

思わず息を呑んだ和馬に、大崎が憂いを帯びた目で続ける。


「魔族排撃を唱える、冷酷残忍な男。そう、人間側のテロリストさ」


先日幹部を捕らえた『テンペスト』は魔族側のテロリスト集団だが、人間側にも休戦協定と条約に異を唱え、過激な行動を繰り返す者たちは存在する。

二つの世界の平和を望む和馬にとっては、そのどちらもが敵であった。


「魔族排撃、ですか……」


忌々しい言葉だった。

口にするだけで、我知らず拳を強く握り締めたくなってしまう。

明るかったメルの顔が途端に曇り出したことに、和馬は胸を痛めた。

大崎は深く溜め息をつくと、


「まだ居所は掴めていないけど、茅原市内に潜伏しているのは確実なようだよ。メルちゃんも気を付けてね。魔族に関しては、問答無用で無差別に襲ってくる奴だから。どうしようもないクズだけど魔術師としては非常に優秀で、付き従うクズも多い。厄介な敵さ」


身を守るための術はメルも備えているが、相手が魔術師、それも多くの仲間を擁しているとなれば、油断はできない。


「うぇえ、どーしてそういう奴に人が集まるかなあ?」


「色々と理由はあるけれど、奴の場合は『魔薬』の影響もあるかな」


魔薬とは、魔族の血液や体液を基に調合された薬のことだ。

一般に知られる非合法ドラッグと同様、単に快楽を貪るためのものもあるが、常人ではあり得ないほどの怪力を手に入れることができる薬や、魔族と同等の能力を得ることができる薬もあると、理子から聞いたことがあった。

もちろん、製造も販売も服用も、重大な条例違反として取り締まられる行為だ。

しかし、犯罪組織が手っ取り早く構成員を増やすためには有効な手段であろう。


「でもさあ、なんでそんな悪い奴がまだ捕まってないの? 情報だってダダ漏れなのに」


「……それはね。聞くと、とってもガッカリする話だよ」


メルの問いに、大崎は珍しく顔をしかめた。

飄々とした物腰と、ヘラヘラした笑顔でたいていの物事は解決してしまう彼らしくない態度だった。


「父親がね、現与党の大物政治家なんだ。官僚・自衛隊・警察上層部にも存分に顔が利くって奴さ。財界にもマスコミにも太いパイプがある。多少の揉み消しなんて朝飯前さ」


テロリストといっても、何しろ魔界・魔族の存在自体が公にはされていない。

魔族排撃を掲げる集団の活動も、彼らを取り締まる大崎や理子たちの任務も、一般の人の目に晒されることは決してないのだ。

権力の側にいる人間がその気になれば、揉み消し工作も容易であろう。

そして藤堂蔵馬は、父の権力と財力を背景に、好き放題の悪事を働いているというわけだ。


「うっわあ、めっちゃ嫌な気分になった! 最低!」


「でしょ? 僕らが頑張って逮捕しても、翌日にはすぐ釈放さ。前科も付きゃしない」


そんなことが許されていいのか――和馬の正義感が怒りの叫びを上げていた。

だが、父と母の言葉を思い出して自重する。

めったなことでは、自分は怒ってはいけないのだ、と。

怒りで我を忘れて、大切なことを見失ってしまっては元も子もなくなる。


「もちろん、だからって追いかけないわけにはいかないさ。今、奴が何を企んでいるかは分からないけれど……何とか今、部下を総動員して行方を捜しているところだよ」


大崎の目が、鋭い光を帯びている。

魔族の中でも上位に属し、古代からこの日本と密接に関わってきた『烏天狗』――彼の本来の姿が一瞬垣間見えたように和馬は感じた。だが、すぐに大崎は笑顔に戻ると、


「でね、この僕もさ、もうのんびりパチンコも打っていられないってわけ」


「ふーん、でも、キャバクラのお姉さんには声かけるんだ~」


「それはそれ、これはこれだよ。だってキャバクラは僕の楽園だからねえ~!」


「やっぱりどうしょうもないドスケベだっ! 山に帰れ、エロ天狗!」


ぎゃいぎゃいとふざけ合う二人をよそに、和馬は深い思案に暮れていた。

周囲の、大切な人たちを守るにはどうすればいいのか――。

この平和を守りつつ、さらに多くの人が幸せな世界にするために、一体自分には何ができるのだろうか――と。


大崎と別れ、立会いのために市内の施設を訪れた二人は、思わぬ人物に出くわした。


「あっれ~、ハズハズじゃん。どったの?」


「なっ……お前たちこそ、どうしてここに……」


「僕は『正門』の立ち合いです。メルちゃんは付き添いで」


「昼休みのミーティングで言ったじゃん。ハズハズ、聞いてなかったの?」


「ああっ……そ、そうか……私は、その……用などない」


しどろもどろの口調で答える葉月の様子は明らかにおかしかったが、和馬はそれ以上追及することはしなかった。

メルは興味津々といった様子で矢継ぎ早に質問するが、葉月はもう答えようともしない。

市の北部にあるこの施設の周囲にはまばらな田畑と大小の工場が立ち並んでいるだけで、道を歩く人影も車も少なかった。

施設は名目上、市の研究施設ということになっている。

だだっ広い敷地に、白一色の何の変哲もない三階建ての施設が一棟。

一体何の研究をしているのかは、一般市民には決して伝えられることはないし、市議会でも絶対に議題に挙げられることは無かった。


だが、注意深く観察すれば、施設周辺が厳重に警戒されていることに気付くだろう。監視カメラの数も、配された警備員の人数も、茅原市の規模を考えたら尋常なものではない。

ここは世界でも数少ない、人間界と魔界を結ぶ正規の『門』であった。

施設内の『門』は基本的には常に開放されている。

ただし、そこを通って二つの世界を行き来できるのは、厳しい審査と試験を通過した者のみであった。

いわばこの施設は入国管理局、のようなものなのだ。


今日は月に一度の、魔界側からの訪問者を迎える日だった。

記念式典とは別なので、要人が訪れるわけではない。

和馬の役目は、文字通りその場に立ち会う、ということだけだ。

門を封じるわけではないから力を使うこともないし、入国者が全員門を無事に通過した時点でお役御免となる。


腕時計を見た。

彼らの入国は十八時ジャスト――三十分後だ。

葉月がこんな辺鄙な場所に、一体何の用があるのかは気になったが、追及するだけ無駄だろう。入口からそそくさと外に去っていく彼女を見送ると、和馬は受付に向かった。


(続く)

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