第9話 一意専心

「あらら……どうやら、延長戦のようですねえ~」


間延びした口調ながら、美帆の表情は先程までとはうって変わって険しいものになっていた。

彼女をして、ここまで緊張させるほどの相手が近づいているのだ。

軽トラックが広場入り口に停まる。

左右のドアから二人、荷台から一人降りた。

荷台の男は和馬よりも一回りも二回りも大きい。まさに巨人だ。


和馬は大きく深呼吸した。メルが隣に寄り添う。

美帆と葉月が前に出た。

美帆が菖蒲柄の竹刀袋から刀を抜く。

神刀『鬼遣(おにやらい)』――美帆によれば、太古から伝わる対魔族用の武器だという。

葉月も例の『鍛冶屋』と『長老』を召喚し、戦いに備えていた。


「ほう。迎えに来たのだが、どうやら思わぬ邪魔が入ったようだな」


巨人の野太い声には、どこか状況を楽しむような響きがあった。

肌寒い夜だというのに上半身は赤いTシャツ一枚で、下は薄茶色のニッカボッカに安全靴という装いだ。坊主頭に、大樹の根のような太い首、肩から腰に掛けても鋼のような肉体なのが遠目にも分かる。


「ふむ、A級魔族の大戦鬼じゃな。不法侵入で半年前より指名手配中の『テンペスト』幹部じゃ。幹部でも一二を争う武闘派、最も気性の荒い部類とされておる」


葉月は『長老』の話に静かに頷くと、『鍛冶屋』に命じて剣を用意させた。

先程よりも、ずっと刀身が太く、幅も分厚い大剣だった。

それを彼女は軽々と片手で構えている。

魔界の武器は『血の契約』により己の肉体の一部として扱うことができる――和馬が研修で教わった知識の一つだ。


「あらあら、遅刻はいけませんねえ~」


(え、美帆さんがそれを言うんですか?)


つい今さっき自分が遅れたことについては、完全に棚に上げているようだ。

もっとも、そんなことにツッコミを入れている場合ではない。

 

二人の男の容姿は、やはり大鬼と同様、知らない人間から見ればどこかの現場の作業員にしか見えなかった。

だが、放つオーラは人間のそれとは全く違っている。


「む、翼手じゃな。B級じゃが、飛翔能力と俊敏さだけならばAクラスじゃ。我が主よ……」


今度は『長老』の忠告を最後まで聞かず、左手に新たな武器を準備する。

白銀色の銃身が月夜に妖しい光を放った。一見すると普通のハンドガンだが、これももちろん対魔族用の兵器だろう。

A級・B級とは、まだ人間界と魔界が争いを続けていた時代に付けられた一種の格付けのいようなものだ。

差別的な表現であるという理由で、今は公式には使われていない。

ただ、テロリストや密入国者に対する『危険度』という意味合いではごく普通に使用されていた。


「狩人二人に……ふん、封門師と裏切り者か。おとなしく同胞を引き渡すなら、見逃してやってもいいぞ。お前らはまだ若い。命は惜しかろう?」


「戯けたことを。獲物が狩人を相手に交渉とは片腹痛い」


「うふふ、一晩で五人確保とは、一獲千金のチャンスですねえ~」


葉月と美帆の口調からは、恐怖も気負いも感じられなかった。

このような修羅場を、もう何度となく踏んできたことが容易に窺い知れる。


二人の男の背から、漆黒の翼が生えた。

大鬼のこめかみから、鋭い二本の角が飛び出す。

アグも鬼の血族だが、醸し出す迫力は段違いだ。

もっとも、魔族の基準からすればこの大鬼の方が普通なのだろう。


(アグさんみたいな人ばかりだったら……あ、でも、それもちょっと問題かな)


女子高生に執着心を燃やす魔族ばかりというのも、色々な意味で危険だ。


二人の男が同時に夜空へ飛び立った。

大鬼が態勢を低くする。美帆と葉月が左右に飛び、得物を構えた。

メルはすでに、結界の詠唱を始めている。和馬はぐっと拳を握り締めた。


「死ねっ!」


大鬼の咆哮を合図に、魔族が一斉に攻撃を開始した。

翼手二人が左右から、高速で美帆たちに襲いかかる。

それに呼応し、大鬼が真正面から突っ込んできた。

美帆が、日頃のぼんやりとした物腰とは別人のような速さで反応する。

葉月が先刻以上の俊敏さで翼手の攻撃を回避し、同時に剣で薙ぎ払ったが、素早い翼手たちの身体を捉えることはできなかった。


「おおおおおおっ!」


大鬼の狙いは和馬だった。

アスファルトの地面を割りながら、猛然と迫ってくる。

あえて戦闘専門の狩人ではなく、封門師の和馬に向かうことで戦力を分断しようという狙いか――。

しかしそのタックルも、和馬の数メートル手前で止まった。

白い霧が漂い、不可視の壁となって大鬼の猛威を食い止める――メルの結界だ。


「ふんっ!」


大鬼が丸太のような腕を振りかぶり、結界に向けて全力で拳を放った。

金属製の分厚い扉が激しく軋むような音が、和馬の耳を打つ。

大鬼は術ではなく、力づくで結界を打ち破るつもりだ。

A級、しかも尋常ならざる膂力を持ち合わせた大戦鬼となればこのような芸当も可能ということだろう。


「うそ……やばい、和馬!」


メルの悲鳴に、和馬はすかさず彼女を庇うように前に出た。

母から教わった、一族に伝わる特殊な呼吸法を続けながら意識を集中させる。

全身に力がみなぎってきた。


怖くない、大丈夫だ――何度も、自分に言い聞かせる。


春先から、和馬は毎日のトレーニングを己に課してきた。

封門師として働き始め、精神力だけではなく肉体の強化も必要だと痛感したためだ。持久力をつけるためのランニングと、山中のウォーキング。それに加え、腕立て伏せやダンベルを使ったトレーニングなどだ。

その成果か、去年よりも一回り身体が大きくなっている。

類まれな膂力と耐久力を、代々受け継がれた呼吸法によって強化した。

絶対に負けないと、己を信じて大戦鬼の前に立ちはだかる。


数発の銃声が夜の広場に轟いた。

葉月が、縦横無尽に飛び回る翼手たちに向けて発砲している。

銃といっても、魔界の『鍛冶屋』が生み出した逸品だ。

詳細を和馬は知らないが、おそらくその弾丸は葉月自身の精神力に依存するものだろう。

彼女の精神力が尽きぬ限り、弾切れを起こすことはないはずだ。


「はっ!」


美帆の神刀『鬼遣』が閃き、大戦鬼の巌のごとき胴を薙ぎ払おうとする。

だが、すんでのところで翼手によって阻止された。

今回の三人は、先程の魔族たちよりもさらに連携がとれているようだ。


「むうんっ!」


「和馬、逃げて!」


大戦鬼の何度目かの殴打で、ガラスが割れるような音が鳴り響いた。

メルの結界が破壊されたのだ。

だが、和馬は逃げることなくむしろ前に出た。

大戦鬼まで、距離はおよそ三メートル。


平和主義者の和馬であるが、大切な人を守るためには戦うことも必要だということは誰よりも理解している。

それは暴力ではなく、武力だと認識していた。


「ぬ? 来るか、小僧めが!」


和馬が前傾姿勢で、不敵な笑みを浮かべた大戦鬼に突き進む。

大戦鬼が繰り出した岩のような拳を――和馬は両手でがっちりと受け止めた。

強い圧力が、背筋を突き抜ける。衝撃で全身が震えた。

だが、奥歯をぎりりと噛み締めて耐える。

ぐいぐいと押し込まれ、踏みしめたスニーカーの靴底があっという間に擦り減っていくが、体勢は崩さなかった。


「ほほう……俺の一撃を正面から受け止めるとはな。面白い。力ばかりでなく、度胸もあるようだな。だが……」


大戦鬼が目を剥き、左腕を大きく振りかぶった。

逃げられる距離ではない。

和馬は身体中に力を込めて、来るべき脅威に備えた。

常人ならばあえなく砕け散るであろう打撃も、呼吸法によって耐久力を限界まで高めた今の状態であれば、ある程度までは耐えられるはずだ。

しかし、それも呼吸を維持できれば、の話であるし、深刻なダメージを受けることには違いない。

それでも、


(ここは耐えなきゃダメだ、メルちゃんを守らないと……)


その一心で恐怖を克服した。


「これで終わりだっ! ……なにっ!?」


必殺の一撃を叩きつけようとしたところで――その左腕が止まった。

和馬の背後にいたメルの腕から放たれた鎖の束が、その豪腕に絡みついている。


「夢魔が……小癪な真似を! ぬうう……」


「へへーん! そのアホみたいなパワー、吸い取らせてもらうよん♪」


鎖が赤黒い光を放ち、ビクビクと蠢いた。

捕らえた相手の精気を吸収するのは、夢魔の得意技の一つだ。

和馬にかけられていた圧力が弱まる。


「美帆さんっ!」


和馬が叫ぶより一瞬早く、美帆が踏み込んでいた。

しかし、神刀『鬼遣』が一閃する刹那、大鬼が咆哮すると、


「おおおおおおおおおおっ!」


その巨体が白金の眩い光を放ち――和馬たちは後方に吹き飛ばされた。

地面に背中から落ちた和馬は、すぐに起き上がって状況を確認する。

美帆もメルも無事なことに安堵したが、


(あれは……)


大鬼の身体に起きた異様な変化に、思わず目を剥いた。

体躯が今までよりもさらに巨大化している。

全身にくまなく、太い血管が浮き上がって脈動するさまが和馬を恐怖させた。

双眼が不気味な光を帯びている。

激しく肩を上下させ、濃い紫色の瘴気を口から吐き出している。


「許さぬ、人間ども、裏切り者、ども、が……がはっ!」


「ちょ、ちょっと!? やばいって! そんなことしたら、あんた……」


メルの当惑しきった声音に、大鬼が死を決していることを悟った。

命を削るほどの危険な術を行使し、それでも和馬たちを打倒しようというのだ。


「……待ってください! どうして、貴方たちはそこまで……」

 

呼吸を整えつつ、和馬は問いかけた。

態勢を立て直すために時間を稼ぎたい、という狙いもあるが、それ以上に彼の執念がどうにも理解できなかったからだ。

同時に、彼を死なせることなくこの場を収めたいという想いもあった。


「……ふん、どうして、だと? 何を今さら……俺はお前ら人間が憎い。魔界を裏切った者どももな……ただ、それだけだ!」


大鬼の苦しげな呼吸に、和馬は胸が痛んだ。

激しい戦いの最中であっても、自分を憎み殺そうとする相手に対しても、同情せずにはいられない――和馬は、そういう人間だった。


「僕には憎む理由が分かりません。もちろん、これまで人間界と魔界がずっと戦ってきた歴史は知っています。でも今は……協定が結ばれて……もう、戦争は終わったじゃないですか!」


「表向きはな。だが、穏健派の者どもが勝手に決めただけのことだ! 俺たちはお前らを許さん! お前らが同胞にしたことを、俺たちは決して忘れぬ! 滅べ、人間ども!」


かっと口を開くと、中にはバチバチと弾けるような音を鳴らす青黒い『気』が宿っていた。

和馬の直感が、かつてない危機を告げる。

防御をしなければ――意識を集中させ、両手を揃えて前に突き出した。

メルが隣に並び、早口で詠唱を始める。

だが、二人がかりでもあの凄まじい『気』を受け止められるか――。

緊張で汗が頬を伝い落ちた。


(だけど……やるしかないっ!)


湧き上がる恐怖をねじ伏せ、和馬は覚悟を決めた。


(続く)

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