第8話 油断大敵

「くっ!」


一瞬顔をしかめた葉月の足元――。

そこから、アスファルトの地面を喰い破るように触手が生えていた。

飛び退ろうとした彼女の両足首を、触手が捕捉する。


「二階堂さん!」「ハズハズ!」「あらぁ」「おっ、太ももおおおおおお!」


触手は葉月の足を絡め捕ると、そのまま細い身体を逆さに吊り上げた。

茶髪の男が、高笑いしつつ地面から這い出してくる。

その隣に並ぶ黒髪の男の両腕も、元の通りに戻っていた。


「ほらあ、言ったじゃないですかあ。怠慢忘身、手を抜いてはいけませんよお」


「余計なお世話だ。美帆、手を出すなよ」


「まあ、頑固ですねえ、相変わらず」


盟友の危機にもまるで動じぬどころか、呑気に忠告する美帆に対し、葉月はやはり顔色一つ変えずに答えを返した。

和馬にはとてもそうは思えなかったが、彼女たちにとってはこれも大した危地ではないらしい。


「舐めるな!」


拘束した状態のまま、別の触手が葉月の身体に襲いかかる。

狙いは、彼女の手にした剣だ。

宙に吊るされたまま、それらを振り払おうとした葉月であったが、


「甘いわっ!」


黒髪の男が跳躍すると――。


「ああっ!」「ハズハズ!?」「パンツ見えたあああああっ!」


槍が、葉月の右腕を貫通していた。

血飛沫が夜空を舞い、飛び散った肉片が地面に落ちる。

だが一瞬早く、彼女の剣は足首の触手を断裂していた。

解放された葉月は、ちぎれかけた右腕から左手で剣をもぎ取った。

そのまま、落下直前で受身をとり、アスファルトの上を転がってすぐに立ち上がる。


(……助けないと!)


門を封じることは和馬の任務だ。

しかし、今はそれどころではない。

魔族と戦うことは彼の専門外だが、身を守る方法は心得ていた。

その中には、傷を治療するための術も含まれている。

だが、駆け寄ろうとしたところに、美帆の背中が立ちはだかった。


「いけませんよお、和馬さん。手を出すな、と言っていたではありませんかあ。彼女なら大丈夫です。特等席で拝見させていただくとしましょう」


そんな悠長な、と言いかけた和馬は葉月の姿を見て絶句した。

彼女の薬指の指輪が光を放ち、先程とは別の灰色の影が浮かび上がった。

幽鬼のように痩せたひょろ長い影が、彼女の負傷した右腕に絡みついている。


「お嬢様、あまりご無理をなさらずに。私めの仕事を増やさないでくださいませ」


「うるさいぞ『医師』。お前はただ黙って治せばよいのだ」


完全に貫かれ、血肉のみならず骨まで失った彼女の右腕は――灰色の影によって瞬く間に復活を遂げていた。腕ばかりでなく、制服の袖まで元通りだった。


「やっぱり、ハズハズって……」


メルが気づいた葉月の秘密を、もう和馬も理解していた。


「どうした、もう終わりなのか?」


葉月が剣を手に、二人組に向かってゆっくりと歩を進める。

表情は氷のように冷たく、口調も足取りも静かだが、全身からは強い闘気が溢れ出ていた。

二人組は思わずたじろいだが、


「うう~ん、ダメですってばあ。貴方たちの逃げ道はありませんよお。まさに四面楚歌ですねえ。おとなしく、投降するのがよろしいかと思いますが?」


いつの間にか背後に回った無情な美帆の一言で、ついに覚悟を決めたようだった。

雄叫びをあげて、左右から葉月に攻撃を仕掛ける。

葉月が一瞬足を止め、一言呟く。

同時に例の指輪から『鍛冶屋』が現れると、


「ふははっ! 随分とお優しい武器を使われますなあ、主殿!」


「ふっ、私の役目は殺すことではないからな」


彼女の左手に、意思を持った生き物のように蠢く無数の細く白い糸が浮かび上がった。

二人組が間合いに入った瞬間――彼女はふっと体を沈めると、


「終わりだ」


目にも止まらぬ速度で両腕を振るった。

男たちの短い悲鳴――決着は一瞬だった。

槍と触手が再び鮮やかに断ち切られ、同時に白い糸が二人組の身体をがんじがらめに拘束している。

男たちは意識を失ったようで、声もあげられない有様だった。


「凄い……」


思わず拍手しそうになったが、彼女の性格を思い出して自重した。


「ほへー、凄いね。『縛糸』だったっけえ。あれで獲物を捕まえる魔族がいるんだよね。蜘蛛系の連中とか」


「そうですねえ。ふふ、葉月さんたら、最初から使えば良かったのに~」


二人組を繭のようにして捕えた葉月が、悠揚とした足取りで戻ってきた。

和馬の目を、じっと見つめてくる。


「あ、あの、二階堂さん……」


「私の出自に気づいたようだな。そう、私の母は人間、父は――魔族だ」


彼女の告白に、予想はしていたものの――和馬は言葉を失った。

先程は一瞥もくれなかったメルを一瞬だけ見やると、葉月は淡々とした口調で続ける。


「呪われた血統――これが私の背負った宿命だ。忌まわしい出自だが、闇夜を駆け、魔族どもを狩るには必要な能力を与えてくれた。だから私は運命に従い、狩人として生きている。何をしている、結城? 貴様も、己がなすべきことをしろ」


「あっ……はい……えー、ということなので、アグさん。戻ってくださいね」


迫力に気圧され、ポカンと口を開けたアグに向き直る。

彼女の語る言葉と、冷たい表情が和馬の心に重くのしかかっていた。


(ハーフ、だったのか……)


人間と魔族の間に生まれたハーフ。

恐らくは、生まれた頃から特別な力を宿していたのだろう。

だが、その特殊能力は人間社会で堂々と公開される類のものではない。

むしろ、一般的には恐れを抱かれる力だ。

彼女の口ぶりからすると、身体に流れる魔族の血ゆえに、偏見や迫害を受けてきたのかもしれない。

そんな彼女が魔族を嫌うのは無理もないことだろう。

昼間の大崎の言葉を思い出し、和馬はやりきれない気持ちになった。

だが、


「ええっ!? も、もう少しだけ待ってよ! せっかく巨乳ちゃんの女子高生も来たんだし! 可愛い女子高生二人の姿を目に焼きつけさせてよ! ね? ね?」


アグのこの期に及んで情けなさすぎる懇願と、


「もお、一体何なのよ、このエロ魔族は! だいたいねえ、二人じゃなくて三人でしょうが! あたしだって女子高生だよ!」


メルのこの際どうでもいいツッコミが、葉月のシリアスな告白も、和馬の抱いた陰鬱な気分も一瞬で消し飛ばしてしまった。


「ええ!? いやいや、その貧相な身体は中学生でしょ。平らな胸族とか興味ないから。それにねえ、女子高生でも魔族とか眼中にないので」


「きーっ! 最悪! 和馬、どいて! こいつブッ殺すから!」


和馬は大きく溜め息をつくと、昨夜と同じようにアグの頭を鷲掴みにした。

強硬手段は取りたくないが、どうしても言うことを聞いてくれないのなら仕方がない。

それに、あまり放っておくと本当にアグは条例違反になってしまう。


「……まだ居たのか。残り二十秒だな」


「あらあら、葉月さんたらさすが、ちゃんと計っているんですね~。本当に真面目で感心します。私なんていつも、だいたい五分かな~って感じで捕まえちゃってますよお~」


「それはお前がいい加減すぎるのだ」


「いえいえ、そこは洒洒落落と言ってくださいよ~。あっ……よいしょ、よいしょ……はむっ」


美帆がニッコリ笑って足元にいた魑魅を捕まえると、例によって『浄化』してしまった。

和馬たちには見慣れた光景だが、初見の者にはショッキングだったようで、


「ふわっ!? ちょ、和馬君? あのおっとり系の巨乳ちゃん、魑魅を食べちゃったよ!?」


アグが情けない悲鳴をあげた。

今さらだが、万魔堂の旋角鬼とやらも形無しである。

いやあれは浄化ですから、などと説明するのも面倒なので和馬は無言でアグの頭をぐいぐいと門の中へ押し込んでいった。

そこに美帆が追い打ちをかける。


「あの大きな頭も……細かく切り刻んだら、食べ……あっ、浄化できるかしら~」


「ギャー! コワイ、もう帰る、帰りますぅ!」


ようやく閉門作業を終えた和馬は、スマホを取り出して理子に連絡を入れた。


「あー、はいはい、和馬君お疲れ様~。うん、うん、へえ……あらぁ、不法侵入者ねぇ。二人も? そりゃ大変だぁ。 うん、葉月が片付けたんだ。ふ~ん、で、どうだったの? ああっ、葉月がいるから言いにくいか! あはは、まぁまぁ、その件は後でゆっくり話を聴くね。うん、そろそろそっちに迎えが着くと思うから、それまでちゃんと確保しといてって美帆に伝えてね。よろしく~」


昨日と違って色々と大変だったのだが、報告を受けても理子の調子は相変わらずだった。

連絡を終え電源を切って一息ついたところで――和馬は一同のただならぬ空気を察し身を固くした。


(続く)

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