ブラックと少年
民のすべては等しく王の子らである、を国是とするサムザ公国にあってさえ、法の目が行き届かない暗部というものはいくつか存在する。
つい先だって救国の魔法使いメイルゥに壊滅させられたハンソン一家がそれであり、また魔導王朝の崩落により鬼子となった旧貴族たちの成れの果てがそれである。
また隣国との和平条約により、なし崩し的に流入した異国民たちが、慣れないサムザの流儀に反してトラブルを起こしているのもまた事実である。
そんななか警察機構の治安維持能力の低さに目をつけたヤクザものたちが、こぞって旧王朝支配下の国々で勢力を広げつつあるのは致し方ないことであった。
俗に言う黒社会――裏組織の連中は、日の下では善人を演じて地下で暗躍する。
したがってそれで飯を食うものたちもまた、普通では目につかないところへと自然に集まってしまうものだ。
密売人しかり、人買いしかり。
そして――。
「時間通りのお越しですね。ブラックさま」
メイルゥ商会のある風俗街などまだ健全に思えるほどのディープな街。
行き交うのは皆、すねに傷を持つものばかりだ。
非合法の賭博場に、麻薬の受け渡し場所。それから大量の飲み屋で埋め尽くされた、薄汚れた路地の一画にその店はあった。
一見すると玉突きの出来るバーだ。
しかし、さらにその奥のほうへと続く個室に、黒いコートを着た褐色の大男の姿があった。
賞金稼ぎにして最強のガンスリンガー。
ダンテ・ザ・ブラックナイトそのひとである。
カウンターを挟んで相対するのは、とても人当たりの良さそうな紳士であった。
ロマンスグレーにベスト姿でキメた彼は、ブラックの来店を認めるや否や、背後にある鍵付きのキャビネットから、二丁の拳銃を取り出した。
それはブラックの愛銃であるトップブレイク式のリボルバーである。
青みがかった深い鉄色をしたボディが鈍く輝き、おのれの主が手に取るのをカウンターのうえで待っていた。
ブラックはそのうちの一丁を手にすると、おもむろに銃を回し始めた。
上下に振りながらの縦回転。床と水平にして横回転。
背面からうえに投げ、肩上に通してノールックで正面キャッチ。
曲芸師も裸足で逃げるほどのガンプレイに、しばし紳士も見惚れた。
「……すこし重くなったな」
あらためて愛銃を握り直したブラックは、手早く各動作を確認した。
すると紳士は、自慢のカイゼル髭を指で整えながら「さようで」と答える。カウンターにはいつの間にか、一枚の仕様書が置かれていた。
「ご注文の通りライフリングを切り直し、口径を広げました。サイズは軍用としても主流になりつつある9ミリ弾です」
「……シリンダーは新品か」
銃を中折れさせて回転弾倉を露出させると、ブラックは目を光らせて言った。
紳士は言わずもがなといった表情で言葉を継ぐ。
「はい。以前とは薬莢の形状そのものが異なりますので、新調させていただきました。炸薬の量も増え威力も増しましたので、ロック機構の強度もあげてあります」
パチン、と硬い音をさせてブラックは丁寧に愛銃をもとの状態に戻した。
満足気に二丁をホルスターに納めると、「いくらだ」と告げる。
「前金でいただいた額で十分ですよ。それに――久しぶりにいい仕事をさせてもらいました。このところはオートマチックのオーバーホールばかりでしてね」
「ガンスミスとしちゃそのほうが実入りがいいんじゃないのか……」
「ははは。仰る通りなんですがね。銃の良し悪しなど分からないヤクザものばかりですよ」
「……違いない。では弾も2ケースもらっておこうか」
ブラックはコートの懐から札束を取り出すと、無造作にカウンターに置いた。
明らかに2ケース、百発分の弾丸を買うには多すぎる額だが、釣りを要求するような雰囲気でもない。
紳士は笑みをたたえ「仕方がないな」といった風で、ブラックの気持ちを受け取った。
「それにしても」
紳士はカウンターのしたからケース入りの弾丸を二箱取り出すと、素朴な疑問をブラックへとぶつける。それは奇しくもかつてメイルゥに問われたものと同じだった。
「グリップに火トカゲのメダリオンとは珍しい。普通は精霊との関わりを避けるものだ」
するとブラックはあのときを思い出したかのように、同じ答えを口にする。
「だから銃は呪われた」
「ほう。その心は?」
「……あれはまだ俺が駆け出しの頃だった。殺しにいったはずの魔法使いに説教されたのさ。奇妙な仮面をかぶった食えない男だった」
「説教――ですか」
「火を使うにサラマンダーの加護なく、鉄を用いるにグノームの加護なく、弾を飛ばすにシルフの加護なく、血を流すにウンディーネの加護なし……ゆえに銃を扱うものは呪われり……」
「ただ命を奪うだけの道具に救いはない、ですか。まさしく道士の説教だ」
紳士は後ろを振り返り、キャビネットのうえに掲げられたレリーフ板を見つめた。
そこには職人の守護精霊である大地のグノームの姿がある。
槌を担いだ老人の意匠だ。
「……俺は掃除屋だ。ノームには用はないし血を流すことに罪悪感もない。自分の腕だけが頼りだから風も信用しちゃいないが――」
一度ホルスターに納めた愛銃を取り出すと、ブラックはメダリオンを見つめた。
鈍色の光を放つ一匹の火トカゲに目を細める。
「火だけは俺の力じゃどうにもならん……まじないさ、子供だましのな」
「私も仕事のまえにはこうしてノームに祈りを捧げます。お陰で事故なく終えられました」
紳士は胸のまえで手を組むと、戯れに天を仰ぐ。
それを見たブラックは片眉をあげて「……ついでに俺の分も頼むよ」と軽口を告げてそのまま店をあとにした。
暗い店内を出ると外はまだ昼前だった。
ここ数ヶ月はハンター業とも距離を取り、比較的健全な暮らしぶりであったことで忘れていたが、本来なら自分もまた大手を振って日の下を歩けるような人種ではなかったことを思い出す。
この暗黒街も、かつてハンソン一家の構成員だったチンピラヤクザである自称・暴れナイフのジョニーからの紹介だった。
流れ者のブラックには馴染みのないサムザでの犯罪コミュニティのつてを頼りに、腕利きのガンスミスを探してもらったのである。
ブラックは、すこしまえにメイルゥに銃を貸した。
悪い予感が当たったらしく、どこぞで発砲してきたらしい。
銃には、撃った弾丸の直進性を高めるために、砲身内に施された螺旋状の溝がある。それをライフリングと呼び、撃ち出された弾丸は、その溝にそって錐揉み状の回転が与えられるため真っ直ぐ飛ぶ。
ゆえに撃ち出された弾丸は溝によって表面が傷つき、線状痕と呼ばれる傷跡が刻まれる。これは人間でいえば指紋のようなもので、銃一丁ごとに微妙に異なるため、発砲後の弾丸を調査すれば使用した銃器を特定できる。
そのため犯罪捜査に利用されるわけだが、当局がよほど無能でない限りブラックのもとへ捜査の手が及ぶのも時間の問題かに思われた。
そこで一計を案じたブラックは、腕のいいガンスミスにライフリングの切り直しを依頼したのである。加工が不自然に見えないよう、技術の高さは必須だった。
普段は何の取り柄もないジョニーであったが、職人を見る目はあったらしいと、ブラックは妙なところで感心してしまった。
都心から離れた暗黒街を抜けて路面列車を乗り継ぐこと小一時間。
ブラックにもようやく見慣れた風景が近づいてきた。
駅前。
蒸気機関が隆盛の時代にあって、いまなお愛されている馬車が呑気に行き交っている。
すこし歩こうかと思ったブラックは、適当な「島」で列車を降りた。
雑踏のなかに溶け込んでいる自分を感じると、どこか不思議な気分がする。
あのお人好しの魔女と出会ってから毎日が発見の連続だ。
いかにこれまで自分が人並みの生活をしてこなかったのかが分かる。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、噴水広場を通り掛かったところで何やら子供が騒いでいる声がした。
このところ子供の相手ばかりしているので、自然と目がそちらへと向く。
まさかここまで子煩悩になるとは我ながら夢にも思わなかったが、銃から離れれば自分もまたただの人間であるということに気付かされた。
しかし子供たちの様子は、そんな微笑ましいものではなかった。
年頃の同じような少年が三人いる。
だが明らかに体格のいいふたりが、小柄なひとりを突き飛ばしているように見えた。
遠間からなので詳しい内容は聞こえないが、その後も小柄なひとりを執拗に罵倒し続けていたのである。
ブラックには小柄な少年の顔に見覚えがあった。
誰あろう、メイルゥ商会で世話をしている娼婦の子供たちのひとりだ。しかしいわゆる年長組で、周りの幼児たちとは別行動していることも多く、それほど面識はなかった。
だからといってそれが黙って見ている理由にはならない。
ブラックは噴水広場へとつま先を向けた。
鬼の形相――無論、ブラックにはそんな気はないが――をしている大男が近づいてくるのに気づいて、いじめっ子ふたりは慌ててその場を去っていく。
残された小柄な少年は、うつろな目をして口元の血を拭った。
ブラックはあえて少年がひとりで立ち上がるのを待つと、後ろにあるベンチを顎で指して座るようにと促した。そして噴水の水でハンカチを湿らせてくると、それを少年に渡す。
「……ありがとう」
普段からメイルゥに「何かをしてもらったら礼を言え」と躾けられているだけあって、託児所の子らはみんな基本的には素直である。
それでも少年の胸中はいまだ、激しい渦の只中にあることが表情から伺える。
するとブラックは顔色を変えず、今度はホルスターから愛銃を一丁取り出して銃身を手に持ち替えた。火トカゲのメダリオンが輝く木製グリップを少年の鼻先に向けて、一言。
「殺るか……」
しばらくキョトンとしていた少年だったが、その意味が分かると途端に震えだした。
持っていたハンカチを地面へと落とし、ガタガタと首を横に振る。
「だ、だだだだ、だ、だ、ダメだよっ。な、何考えてんのさっ」
「……放っといたらつけあがる。始末しておいたほうがいい」
「た、たかだかいじめだよっ。そんなことで、ひ、人殺しなんかしちゃダメだっ!」
少年が必死にそう答えると、ブラックは満足そうにして愛銃をホルスターに納めた。そして大きな手のひらを少年の頭に乗せる。
「おまえは強いな……」
「え?」
怪訝そうな少年の目を見つめ、ブラックは「ああ」と。
「いまおまえは二人分の命を救った。俺には出来ん。弱いからな」
「ブラックさんが……弱い?」
「……俺の母親も娼婦だった。軍人相手に身体を売っていた。父親も分からん。それをよく近所のガキどもにからかわれたもんさ」
「ブラックさんも――」
「ああ。だが俺は我慢が出来なかった。売られた喧嘩は片っ端から買った。そのうち俺をからかうヤツは誰もいなくなったが……友人も出来なかった」
ブラックはもう一度ホルスターから銃を抜くと、火トカゲのメダリオンを見つめた。
鈍色に輝くレリーフは、南天の太陽でギラついている。
「やられたらやり返す。やったらやり返される。その繰り返しだ……。いつの間にか俺は暴力の快楽に呑まれていた。心の弱さが俺からひとを遠ざけた……分かるか?」
少年は真剣な眼差しでブラックを見つめていたが、その意味が分からず首を横に振った。
それを見てブラックはまた満足そうに頬をほころばせる。
「坊主……ちょっとついて来い」
「どこ行くの?」
「……こいつを撃ちに行く。慣らし撃ちだ。おっと。もちろんいじめっ子どもじゃねえぜ」
愛銃を順手に握り直したブラックは、少年にウィンクをした。
すると彼は目を輝かせた。さっきまでの暗い顔がまるで嘘のようだ。
「行くか?」
「うん! ほんとは鉄砲、撃ってみたかったんだっ!」
ブラックは少年の手をつなぎ、歩き出した。
かつての自分がそこにいる。
あの日、殺しにいったはずの魔法使いに諭されるまで、自分が呪われていることすら知らずにいた。憎しみは憎しみしか生まない。そんな思いを子供たちにはさせたくなかった。
「……ありがとうな、坊主」
「え?」
「何でもない……」
何かをしてもらったら礼を言え。
ブラックは少年の強い心に、あの日の自分を救ってもらったような気がした――。
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