第24話 不老不死の果て

 ほの明るい地下室のなかで、老人は愉悦に満たされていた。

 ぐるりとむき出しの石壁に囲まれた、彼だけの手術室。

 精霊の威光も、王の権威も及ばない。

 そこでは彼こそが真理――。


 手術台に乗せさられた裸の老婆に布を掛け、胸元にだけザックリとした穴を開けた。

 垂れ下がった乳房のしたには、皮膚と密着した肋骨のカタチがよく見える。


 マスクで覆った表情は分かりにくいものの、手にしたメスを打ち鳴らしてはしゃいでいるところを見ると、よほど興奮しているらしい。


「不老不死の魔女メイルゥ。このわしが知らぬものかよ。ふぇっふぇっふぇ。楽しみじゃ」


 せむしの男は迷うことなく、メイルゥの胸元をメスで一気に開口した。

 胸骨の一番うえから腹部のなかほどまで一直線に割かれると、メイルゥの身体は一瞬ピクンと振動した。


 せむしの男が彼女を覆っている布の、顔の部分だけをめくる。

 すると薄目を開けたメイルゥが、もうろうとした意識をもたげて覚醒しようとしていた。


「ふぇっふぇっ。おはよう閣下。お目覚めのとこ悪いが、もう少し寝ててもらうよ」


「こ、これぇはぁ……」


「部分麻酔というヤツじゃな。自らの腹が割かれているときの魔女の反応が見たくての」


 するとせむしの男は、真っ赤な血のしたたる小腸を持ち上げて「ふぇっふぇ」と笑う。

 あらぬ方向を睨んでいる斜視の隻眼は、狂気すらもなお小馬鹿しているようだ。


「わしの研究は永遠の命じゃ。その場しのぎの人工心肺なんぞ、足掛かりにすぎん」


 さらにメイルゥの体内からは、胃、肝臓、すい臓、と取り除かれ、ついに肋骨の一部を切断されて片肺まで取られた。

 うろんな瞳でその光景を眺めるメイルゥの口からは、小さなうめき声が聞こえるばかり。

 やがてせむしの男の両手には、ドクドクと鼓動するりんご大の肉の塊が現れた。


「これが魔女の心臓……なんと美しい……」


 ほの明るい照明を跳ね返し、桜色に輝くメイルゥの心臓。

 ゆっくりと、だが力強く鼓動を続ける、小さな物体にせむしの男は魅せられていた。


「ど、どれ。ちょっとだけ切ってみようかな? あ、でも、ほかの臓器の下処理を……」


 新しいおもちゃを与えられたときの子供のように。

 せむしの男は、手術台のまえで小躍りしている。

 だがどんなときも、絶頂を迎えたあとには、ゆるやかな悟りの時間というのがあるもので。


「ぼちぼち気がすんだかい?」


「ふぇ?」


 空耳かと思い、せむしの男はあたりを見回した。

 左右、天井、床。

 そして最後にゆっくり後ろを振り向くと、そこには拳銃を構えたひとりの老女が立っていた。


「ぎゃああああああああっ!」


「ぎゃあじゃないよ、まったく」


 メイルゥが指先をパチンと鳴らすと、手術台に乗っていた彼女の身体は、開いた状態の旅行鞄と杖に変わった。

 そして、せむしの男が手にしていた魔女の心臓は、いまでは精霊石の塊になっている。

 メイルゥがもしものときのために普段から持ち歩いている、りんご大のものだ。


「こ、これはっ? 一体、なにがっ?」


「それはこっちのセリフだよ。コーヒーに変な薬まで混ぜやがって。寝ちまうまえに魔法が使えて良かったよ、ほんとに」


 それはせむしの男の出した深煎りコーヒーのことだ。

 あまりのマズさに眉間にシワを寄せたメイルゥだったが、気づいたのはそればかりではない。

 きちんと不純物の味を感じ取って、念のため彼の心を乗っ取った。

 合図は杖の音。


 まだ身体にしびれを感じ、本調子ではない。

 メイルゥはブラックから渡された拳銃をせむしの男に向け、強烈な威圧感を放っている。


「さあ。話してもらうよ。おまえ、最初からあたしがここに来るのを知っていたね」


 せむしの男は震える手を頭のうえに挙げると、床に膝をついた。

 手放した精霊石の塊がコロコロと転がり、メイルゥの足元へやってくる。

 彼女はそれを拾い上げると懐へと忍ばせ、ただ冷徹に銃口をせむしの男へと向け続けた。


「お、教えてもらったんだ……今夜、おまえのところに本物の魔女が行くぞと……。不老不死の秘密を知りたくないかと……」


「誰に」


「わ、わしのパトロンのひとりじゃ。つい最近、知り合ったばかりじゃが、多額の研究資金を提供してくれての……あ、あやつも本物の魔法使いの解明には興味があると……」


 メイルゥは胸の奥にざらつくものを感じた。

 不審、疑惑、怒り。

 あらゆるネガティブな感情が、ある一点に集約される。

 だがそんな気持ちは、胸の奥だけのものにした。

 時間がない――。


「で、竜の心臓とやらを見せてもらおうか」


「ふぇ?」


「例の流行り病で……命を落とし掛けてるひとがいる。助かるものなら助けたい」


「あんたそれで、わしのところに……ふぇ……ふぇっふぇっふぇ」


「出来るのか、出来ないのか。力を貸すのか、貸さないのか。どっちなんだい!」


「出来るか、出来ないかじゃとぉ……」


 せむしの男は銃を突きつけられていることも忘れて、ゆらりと立ち上がる。

 覚束ない足取りで、壁際まで行くと、なにやらボタンを押した。


「わしに不可能はないっ!」


 豪語した直後である。

 微震と共に石壁が左右に割れて、手術室の隣にもうひとつの部屋が現れた。

 そして部屋の中央には、巨大な水槽が置かれている。


 せむしに男はランタンを手に持つと、巨大な水槽へと近づいた。

 ランタンの光に照らされて浮かび上がったのは、見知らぬ男の生首だった――。


「なんだい……これは……」


 亀の甲羅にも似た鉄の塊からいくつものパイプが出ており、そのうえに見知らぬ男の生首が直に生えている。身体はない。毛髪もない。

 ただ恍惚とした表情を浮かべた白面の男が、静かに、水のなかで微笑んでいる。


「これが竜の心臓じゃ。蒸気機関に頼らず、ルツそのものをエネルギーとして血液や酸素を循環させておる。ほれ、水のなかでも呼吸をしておるじゃろう?」


「水のなかでも……呼吸を?」


「純水じゃ。純水はルツを透過しにくい。運用時に作業員が被曝するリスクを軽減できる。まさに究極の延命装置……いや、ついに人類は不老不死を手に入れたのじゃ!」


 メイルゥはもう一度だけ、見知らぬ男の顔を見た。

 なにも見ず、なにも聞こえず。

 ただ闇雲に生き延びさせられている命。


「これは生きていると言えるのか……」


「ふぇっふぇっふぇ。誰しもがそう言う。救った命に対して『これは生きているのか』と。肉体をなくし、思考のなくし、性別をなくし、心をなくし。だが魂だけはこの世につなぎ留めた」


「魂……」


「そうじゃ! 肉体はやがて滅ぶとも! 魂だけは永遠不滅! わしはこれからもひとの魂を救い続けるのであああああるっ!」


 せむしの男は歓喜に打ち震えている。

 あまりの興奮状態に、さっきから鼻血が吹き出していた。


「じいさん……すまないね……」


 言うやいなや、メイルゥは手にした拳銃で突如、水槽を撃ちはじめる。

 一発、二発、三発。

 そのうちの一発が見知らぬ男の眉間を捉え、次第にあふれ出ていく純水を鮮血で染めていく。

 なにも思わず、なにも感じず。

 男はそのまま眠るように息を引き取った。


「な、なにをするっ! なにをおおおおおっ!」


 慌ててなにかの装置を動かそうとしたせむしの男だったが、水槽からあふれ出た純水に足を取られて転んでしまう。

 転んだ拍子に運悪く、竜の心臓を構成していたであろう装置に頭をぶつけた。

 あっけなく事切れたせむしの男に対して、メイルゥはもう一度「すまない」と言う。


「魂は永遠なんかじゃないんだ……」


 メイルゥは旅行鞄と杖を取り戻すと、急いで屋敷の外へと出た。

 まだ月は中天にある。


「くそっ、無駄な時間を! サラ! 飛ぶよ!」


 刹那。

 メイルゥの姿は掻き消えて、その場には黒猫が現れる。


「ここ……どこさ……」


 月影に響く野犬の遠吠えが、サラの小さな胸に困惑と諦観を与えた――。


 同時刻、病院へと現れたメイルゥは急いでフレッドの待つ集中治療室へと向かった。

 老体に鞭打って、ローブのすそが乱れるのも気にせずに。


 だが――。

 運命だけは誰も変えることは出来なかった。


「フレッド……」


 静かにベッドに横たわるフレッド・ミナス。

 その隣に立ったカイゼル髭の医師は、メイルゥに対し一言も発せずに首を横に振った。


「フレッド……フレッドや……」


 涙も枯れた老骨の身体を労ることもなく。

 メイルゥは、ただ力なくフレッドの躯を抱き上げた。

 遺言もなく、看取ってやることも出来なかった。

 200年。

 彼女の人生はこの繰り返しである。


 メイルゥは冷たくなったフレッドの手を取って優しく微笑む。


「フレッドや……母御前ははごぜにはしっかりと伝えようね。おまいさんの生き様をさ」


 あの日、センチという単位を教え、魔女にものさしをくれた青年車掌はあの世へ逝った。

 大好きだった汽車に再び乗ることもなく、誰かに看取ってもらうこともなく。

 それがこの時代の真の姿であるというのなら、メイルゥはその全てをぶち壊してやりたい衝動に駆られた。


 人に買われ、命を落とした少年。

 その少年への純愛を貫きながら汚い大人たちに純潔を奪われた少女。

 日々の権力闘争に嫌気がさし、ひとを捨てた紳士。

 銃に呪われ、やっと見つけた生きる道をおのれの手で閉ざしてしまった男。


 魔法の支配を越えて、ひとはまだ時代に翻弄され続けねばならないのか。

 そんなことを思いながら、メイルゥは病院をあとにする。

 遅くても明後日には、フレッドの家族も来るだろう。

 諸々をカイゼル髭の医師に頼むと、彼女には向かわねばならないところがあった。


 宵闇に、無理やり叩き起こした馬車を走らせ、かの山へ。

 思えば旅のはじまりも、この登山からだった。

 さえざえとした夜の空気に、獣たちの気配がする。

 しかしメイルゥの放つ「気」に怯え、いっかな近づいてきさえしない。


 彼女がたどり着いたのは、森を切り開いて作った丸太小屋だ。

 エントツからは暖炉の煙を吐き出し、窓には赤々とした明かりが見える。


「やあ、メイルゥ。どうしたんだい。こんな時間に」


 夜明け前、エドガーはパイプを片手にメイルゥを出迎えた。

 小屋に入るなり、彼女は、懐から取り出したブラックの銃を構える。

 銃口は、盟友エドガー・ナッシュの鼻先を捉えていた。

 

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