四月。この時期の学校には、桜が咲いているのが一般的だろう。

 しかし、秋功学園しゅうこうがくえんの校舎に桜は咲かない。

 校舎へと続く緩やかな上り坂。生徒達にとっての通学路にも桜の木の姿はない。

 そのかわり、坂の始まりから終わり、校内に至るまで数えきれないほどのモミジが植えられている。また、学園の中庭には樹齢百年以上のモミジの大木がある。その木の下で愛の告白をして結ばれた二人は、一生幸せになるという言い伝えまである。この他にもいくつか伝承があり、生徒たちの間では『秋功学園の七不思議』と言われているらしい。


 まだ芽吹き始めたばかりのモミジ並木の坂道を上りながら、僕は独り言をつぶやく。

「どこまで自分の一族が大好きなんだ、この学校の創設者は」

 校門が見えてきたところで一旦立ち止まり、校章バッジを学生服の襟元に付ける。校章のモチーフは、もちろん紅葉だ。鮮やかな紅色の校章が日の光に当たってキラリと光っている。

「おはようございます」

「はい。おはようございます」

「おはようございます。校章は……あるな」

 校門の両脇に立っている教師二人に頭を下げてあいさつする。

 それから、失礼しますと言って先に進む。

「君、校章はどうした?」

 後ろを振り返ると、後ろを歩いていた男子生徒が注意を受けていた。どうやら校章バッジを付け忘れていたらしい。教師が毎朝校門に立っているのはあいさつが目的ではなく、生徒が校則違反をしていないかチェックするためだ。 入学式を終えたばかりでまだ一週間と経っていない。新入生なら校章をつける義務があることを知らなくても仕方ない。この時期の恒例行事だ。そのうち付け忘れることもなくなるはずだ。

 前に向き直って歩を進めようとしたが、すぐに足を止める。先ほどまで誰もいなかったところにスーツ姿の男が立っていたのだ。いつもは教師二人だけなのに今日は三人目がいたのか。

「お、おはようございます」

 驚きながらも僕はあいさつをする。名前も知らない、顔も見覚えがないけれど。

 相手は何も言わない。ただ黙って驚きの表情を見せていた。

「失礼します」

 男の脇をすり抜けて小走りで正面玄関へ入った。下駄箱から上履きを取り出していると、正門から教師の怒声が聞こえてきた。

「その格好はなんだ!」

 なんだなんだ、どうしたどうした、と玄関にいた生徒達が思わず正門に目を向ける。視線の先には、背の高い女の子が不機嫌そうな顔で立っている。しかしその姿は、この規律厳しい秋功学園には似つかわしくない格好をしていた。

 いや、確かにそれは制服と言えば制服だが……。

「学校指定の制服はどうした!」

 そう、彼女が着用しているのは紺色のジャケットにチェック柄のスカート、いわゆるブレザーである。

 本来なら秋功学園の女子生徒は、黒のセーラー服に真紅のスカーフを巻く。

 男子生徒は詰襟タイプの真っ黒の学生服、いわゆる学ランを着る。

 それが百年以上続いている秋功学園の伝統的な制服だ。

「それからその髪も校則違反だ!」

 教師たちが大きな声で説教するからここまで内容が聞こえてくる。

 しかし、ここからではハッキリと判別できないものもある。

 女子生徒は、先ほどから何も言わずに黙ったままのようだ。


「彼女は【不良】……かな?」


 目を細めて校門の前にいる女子生徒を見ていたら、ふと名前の分からない男のことを思い出した。辺りを見回したけれど、どこにも姿は見えなかった。

 その謎の男を見たのは、この時が初めてだった。

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