第5話 入浴

「うーん、いい湯だな」


 ぼくたち男3人は入浴を楽しんでいる。


「広いねぇ」ハカセさんがタオルを頭に、

 ふうーっと一息吐いた。

 確かに広い。

 リビングと同じくらあるかもしれない。

 カラフルな小石のタイルで敷き詰められており、

 およそ半分くらいは浴槽よくそうを占めている。


 お湯は透明で温泉って感じはしなかった。

 まるで旅館の浴場みたいだった。


「これで外の景色が展望できたら最高だよね」


「そうですよね。

 でもぼくたち遊びに来たわけじゃないですから」


「おらぁ、先にあがるだ」


 ぱしっと肩にタオルを叩いて、

 剛毛ごうもうの熊さんが立ち上がり出て行った。

 意外にもぽっこりとお腹が出ている。

 あの身体だったら、

 野生のヒグマに遭遇しても同類と間違われるだろう。


「さてと、随分リラックスできたので僕も上がろうかな、

 太朗くんは?」


「はい上がります。

 熊さんを待たせては悪いので」


 脱衣所で体を拭きバスローブ姿に。

 入浴前に放り込んでいた3人分の下着は、

 既に洗濯終了のボタンが光っていた。

 次は乾燥機を覗く。


「あれ、ないよ」


 緊急事態発令だ。

 女性陣たちの服が消えた。

 またしても1つの謎が浮かび上がる。


「ハカセさん、事件ですよ」


 ふと後ろを振り返ると、

 ハカセさんは等身大とうしんだいの鏡の前で、

 ボディービルダーのようにムキムキとポーズを決めていた。

 しかも全裸で。


「今忙しいから後にしてくれ」


「は、はぁ」


 どこが忙しいんだ? 

 こっちの方が大変なのに。

 もしかしてこの人の記憶喪失の原因は、

 頭を打った拍子で成り立ったのかもしれない。

 だめだ、当てにならない。


 もしかしたら熊さんが。

 脱衣所にはいない。

 足がもつれながら飛び出す。


「熊さーん!」


 ぼくの声は長い廊下に乱反射する。

 返事がこない、どうしよう? 

 女性陣の下着がなくなったら間違いなく殺される。

 どうせ死ぬなら、

 自分がどういう人物か知ってから身を納めたい。


「そっだに大きな声出して何事だぁ」


 帰って来たよ返事が。

 くるりと反転すると熊さんは、

 大きなかごを両手いっぱいに抱えていた。

 もちろん中身は、

 見覚えがある女性たちの服。


「それを探していたんですよ。

 どこ、ふらついていたんですか?」


「ちょっとば、小便してただ」


 熊さんの後ろには、

 曲がり角が生えていた。

 確認はしてなかったが、浴

 場の近くにトイレがあるらしい。


「返してください。

 それ、ぼくが担当なんです」


「太朗さんだ荷が重すぎる。

 ここは力持ちのおらぁに任せるだ」


 バスローブ越しに厚い胸板をドスンと叩く。

 かごのてっぺんには、

 黒のブラジャーとパンツが君臨くんりんしていた。

 大きさを考えてあねごさんのものだと判明。

 このスケベおやじが! 

 これが目的なのバレバレなんだよ。


「わかりました、お願いします。

 じゃあ戻りましょう」


「君は僕を差し置いて戻る気なのかね」


 突然、脱衣所の扉が開いて、

 ハカセさんがぼくの目と鼻の先まで詰め寄った。


「そもそも僕たちは記憶がないうえに、

 この屋敷でひとり死人が出てるんだよ。

 団体行動を慎むわけじゃないのかね。

 各個人の力は微弱だ。

 だが、ひとりひとりの力をたばねることで、

 無限の可能性と明るい未来が見えてくるんだよ。

 それなのに君は独りよがりの行動を取って」


「わかりました、すみません。

 だからバスローブ羽織ってください」


 言ってることはまともだ。

 だが、全裸で説教を並べても、

 説得力など皆無かいむそのものだった。


「そこで待機してるように」


 くるっと振り向いてハカセさんは脱衣所へ戻っていく。

 これでやっと肩の荷が下りる。

 でもなにか忘れているような?


「太朗くん、僕たちの服乾燥機に入れておくよ」


 ドア越しにハカセさんの声が。


「いけね、お願いします」

 深々と一礼をした。

 もちろん声しか届ないはずだ。

 ただ単に頭を下げておこうってことだけで。


 そしてリビングへ。



「どう? いい湯加減だったでしょ?」


 ドアを開けたと同時にヒメが寄ってきた。


「うん、悪くないよ」


「ところで頼んでた下着と服って、

 な、なんで熊さんが持っているのよ!」


 頬を真っ赤にして熊さんから服をカゴごと奪った。


「太朗さんに頼まれただ」


「うっそだぁー。

 自分で持っていくって張り切ってじゃないですか。

 いい大人なんですから、

 自分の言動に責任を持ってくださいよ」


「うおおおおお、急に頭が! 

 おらは、おらは一体誰なんだ?」


 自分自身の頭を両手で包むように掴んで、

 ブルブルと左右に振った。

 もちろん演技なんで相手にする気にもなれない。

 ヒメもこの行動に口をぽかーんと開けて固まってしまった。


「おーい、早く来いよ。

 メシ全部食べちゃうかんな」


 中央のテーブルでは食パンをかぶりつくあねごさんと、

 魚の缶詰らしきものを、

 フォークで突っついている白ちゃんの姿が。


「さて僕たちもいただこうではないか、明日のために」


 ぼくの肩を後ろから軽く叩いたのはハカセさんだった。

 そしてぼくたちは食卓を囲むことに。


 熊さんとあねごさんは、

 食欲が旺盛おうせいで2人で半分以上平らげてしまい、

 キッチンから追加することに。

 できれば、明日の朝食のことを気にしてほしかった。


「食事も済んだことだし、

 ここで僕から提案があるんだが」


 ハカセさんがすらっと立ち上がり、

 みんなの注目を独り占めした。


「全員でまとまって取るべきだと思うんだが、

 どうでしょうか?」


「全員って、みんな同じ部屋に固まって寝るってこと?」


 ヒメの声は反発するように尖っていた。


「まあ不満があるのは仕方がない。

 それぞれが別の部屋で睡眠を摂って、

 朝になってたら死んでいたってことになったら、

 原因を追及しなくてはいけないんだ」


「意味がさっぱりわからないんだけど」

 あねごさんが口をゆがめていた。


「つまり僕たちは、

 記憶喪失の薬を打たれたってことになる。

 みんな腕を見てごらん」


 真相を確かめるべく、

 左腕を見ると赤い斑点はんてんが複数こびりついていた。


「ちょっと太朗の多くない? 

 あたしのは1カ所だよ」


 ヒメが覗き込んでビックリする。


「あたいも同じ1カ所。

 憎しみがこもってるね。

 こりゃ相当投与されたんじゃない」


 あねごさんは半分ニヤけていた。

 人ごとだからって、もう。


「太朗くんは今のところ正常だから問題ないだろう。

 もしかしたら時間が経つにつれて、

 副作用が出る可能性もあり得る」


 ハカセさんが深く息を吐いた。

 ぼくは反論に出る。


「副作用って、有益ゆうえき代償だいしょうみたいなものですよね。

 ぼくたち何1つメリットなんて得てないですよ。

 ここにいる全員がぴんぴんしてるし」


 ハカセさんはすんなりと同意しながら、


「きみの言うことも、もっともだ。

 けど既に副作用が出ている人がいるのに気づかないのかい?」


 既にってみんな至って普通じゃないか。

 目も見えるし、耳も聞こえる。

 話すことだって……。


 まさか! 考えること数秒。

 単純だった答えにビクンと肩が跳ねた。


「白ちゃんのことですか?」


「正解。彼女こそが、

 副作用になる最初の被害者に当たるってことだ」


 ヒメがテーブルにバンっと突いて立ち上がる。


「あたしたちだって、

 記憶喪失なんだから被害者なのよ! 

 白ちゃんが1番なのっておかしいじゃない」


「理解してくれたまえ。

 記憶喪失のことを抜きにして話しているんだ。

 彼女は自分のことを思い出せない挙げ句声が出ない。

 我々より1つ分ハンデを負っているんだよ」


 納得したのかわからないが、

 ヒメは黙って椅子に座り込んでしまった。


「すまない、大声を出して。

 とにかく僕たちに投与された薬が、

 人体実験だが定かではない。

 遠回りしてしまったが、

 このリビングで一夜を明かそうと思うどうかね?」


 ハカセさんが鋭利えいりな目でぼくたちを見渡した。


「反対なさそうだね。

 では決定と言うことで」


「あのさ」

 ヒメがかしこまってゆっくり手を挙げる。

「一応敷居はしてくれるよね?」


「もちろんさ。

 男女の境界線は引かせてもらうよ」


「そーじゃなくて、

 あたしと太朗は一緒で、その……」


「はあ?」


 こんな時にふざけているのか。

 喉の奥から甲高い声が漏れてしまった。


「お熱いね。見せつけちゃって。

 ラブラブモード全開ってやつか。

 あたいたちと別部屋にしたほうがいいんじゃね」


 茶化してきたのはあねごさん。


「やだなぁ。当然のこと言っただけなのに。

 からかわないでくださいって」


 頬を紅潮させて首をブルブルとヒメは否定する。


「仕方ないなぁ、君たちは」


 すっかり老けてしまったハカセさんに、ぼくは弁解に入る。


「男女の境界線だけ引いてもらって構いません」


 ちょっと怒り口調なってしまったらしく、

 みんなしーんと黙ってしまった。


「見栄張っちゃって、太朗のテレ屋さん。

 あたしも太朗の意見でいいよ。

 お手数かかけてごめんなさい」


「は、ははは……」


 なんだったんだ、今の時間は。

 笑ってこの場を流すしかなかった。


「でもさ、フローリングで雑魚寝ってのもなんだかねー」


 眉を真ん中に寄せながら、

 あねごさんは気むずかしい顔をしている。


「確かに首が疲れてしまう。

 布団でも調達してくるしかなさそうですね。

 もしくは布団部屋を探しに行くか」


 釣られてハカセさんも同調してしまった。


「誰かに布団持ってきて、もらったほうがよくねぇ?」


「ここはやっぱり、

 力持ちの熊さんに行ってもらうしかなさそうだね」


「おらが? 

 勘弁してくれだ。

 人を見かけで、こき使うのやめてけろ」


 激しく首を振って否定する熊さんにハカセさんは、


「もう1人付けますよ。

 そうだね……あねごさん行ってくれますか?」


「はあ? なんであたいなんだよ。

 てめえが行けよ。

 さっきジャンケンで負けただろ。

 なんでもかんでも指図すれば、

 こっちが喜んでしっぽ振るなんて思ってんじゃねーよ、このメガネ」


「その呼び方止めてください。

 仕方ありませんね。

 太朗くんとふたりで探してきましょう」


「なんでぼくが」


 ハカセさんの思考回路しこうかいろのネジが狂い始めたように思えた。

 ぼくはジャンケンで勝ったはずだ。

 なのに……。


「イヤなんですか? 

 今の状況で単独行動はいかがなものか、

 話し合いをしましたよね。

 忘れてしまったのですか? 

 わかりました。

 太朗くんは全裸で寝てもらいましょう」


「全裸って関係あるんですか? 

 イヤに決まってますよ!」


「じゃあ代わりに、

 ヒメさんに付き添ってもらいます」


「あたし? あたしが太朗と全裸で寝るってこと?」


「違いますよ」


 勘違いヒメにハカセさんがダメ出しをする。

 ぼくとヒメが全裸って。

 どういう関係なんだこれ?


「太朗くんが嫌がるので、

 僕とヒメさんが布団を探しに行くってことです」


「あたし、箸より重いもの持ったことないもん」


 ニッコリと笑って見せるその表情はハカセさんではなく、

 ぼくに向けられていた。

 要するにおまえが行けよ、

 とオブラートに包んでいるんだろう。


「あのー、ハカセさんと行ってきます」


 もちろんイヤだけど、床面で寝るのもイヤだった。


「ありがとう、心強いよ。

 じゃあ行こう」


「もう出発するんですか?」


「君は男のクセに行動力が欠けるね。

 善は急げってこと知らないの?」


「は、はあ……」


 ハイテンションになっているハカセさんに、

 首を振っても無理なようだ。


「ほら、立って、立って」


 ハカセさんはドアの前でぼくを手招きしている。

 しぶしぶ腰を上げて向かう。

 すると、


「君も来てくれるのかい?」


 後方に気配を感じ首だけ振り向くと、

 白ちゃんがぼくを盾にするようにくっついていた。

 コクリと頷く。


「ありがとう。これで運ぶ回数が1回で済むよ」


 おい、布団だぞ。

 掛け布団と敷き布団を混ぜて6人分で12枚。

 3人じゃ無理だろうが。

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