レベッカ・ウィリアムズの平静

【デボラが接近している。ただちに機体を操作し、訓練から作戦行動へ移れ】

 機内に響いた『機長』からの放送に耳を疑った。

 感情がすっかり消えてしまったレベッカですらそうなのだから、『四型』機内に居る他の人員が大きく動揺するのは、当事者ながら客観的に物事を見ているレベッカにはなんとも予想通りの展開だった。

 デボラが近付いているから、訓練から作戦行動へ移れ。

 この言葉から連想されるものはシンプルだ。つまり、デボラと戦えという事である。機長からの命令ではあるが、実際には更にその上……研究主任か、軍司令部からの命令だろう。レベッカ達は中国人民解放軍と無関係な組織の人員だが、中国人民解放軍が開発した『四型』に搭乗している今は彼等の指揮に従わねばならない。

 確かにレベッカ達は今、『四型』の人員としての訓練を受けている最中だ。シミュレーターによる事前学習は済ませたし、マニュアルだって丸暗記済み。他のメンバーも程度の差はあれ似たようなものだろう。そして機体を実際に動かしたのだから、後は実戦あるのみと言えなくもない。

 乗る機体である『四型』も、型番こそ試作機ではあるが、ほぼ完成形だと聞いている。次世代機こそが正式版となるらしいが、現時点でもそれなり以上の戦闘力は備わっているようなので、理論上は『建造目的』を果たせる筈だ。

 デボラ打倒という目的を。

 ……とはいえこれらは全てカタログスペックの話である。

 訓練はしたが、ハッキリ言ってぐでぐでだった。揺れる機内じゃボタンやレバーを正確に操作出来ないし、マニュアルに書かれていた内容と実際の機能が異なっている箇所も幾つかあった。指揮系統も纏まりきれておらず、似たような名前の部署を聞き間違えるというミスも多発しているらしい。歩くという動作をするだけでひーひー言ってるのが現状で、巨大生物に豪腕を叩き付けるなど夢のまた夢である。

 『四型』そのものだって欠陥がある。デボラに手痛い一撃を食らわせるための巨大なハサミ二つのうち、右側の動作不良が確認された。プログラムと機体構造の不一致によるバグらしい。動かせない事はないが、思ったような動作とならない。訓練で動かすだけなら兎も角、戦闘では使い物にならないだろう。

 こうした問題を解決し、完璧な ― そしてそうしたつもりであっても実戦になって初めて出てくる問題というのもあるもので ― 状態でデボラに挑む。そういう計画だったのに。

【デボラは現在、この研究施設を目指すように直進している。『四型』の退避が必要だ。進行ルートは制定されている。そのルートに従い、『四型』を移動させろ】

 されど機内の動揺は、二度目の放送で幾らか収まった。上層部も現状を正しく理解しており、戦闘ではなく逃走を選択したのだ。

 動かすだけでひーひー言っているが、逆にいえばひーひー言うぐらい頑張れば動かす事に支障はない。レベッカ、そして他の隊員達は士気を取り戻し、各々の持ち場へと移る。

 レベッカの持ち場は、操縦席だ。常に冷静沈着、動揺というものを知らない彼女のメンタリズムは、『肉弾戦』の中で大きなアドバンテージになると判断されたからである。

 操縦席は他に五つあり、それぞれ動かすものが異なる。レベッカの担当は『右ハサミ』……バグにより上手く動かせない場所だ。そもそも歩行機能とはあまり関係ない部分。

 レバーを握りつつも特段操作する事はなく、レベッカはただ座るだけ。脚部担当のメンバーの操作を待つ。操縦席正面の壁には大型のモニターが設置されており、機体正面の映像、側面映像二つの計三箇所が映し出されていた。外では研究員らしき人々が慌ただしく『四型』から離れ、自らの安全を確保している姿が見えた。

 そしてモニターから外したレベッカの視線は、ふと一人の人物の姿を捉える。

 山下蓮司だ。彼は、『四型』に積まれた火砲の制御を担当している。強張った表情で彼は大型モニターを見ていた。勿論そこには遠く離れたデボラの姿などなく、『四型』が格納されている研究所のコンクリート壁が見えるだけなのに。

 蓮司だけではない。他のメンバーも表情が硬い。デボラと戦う訳ではないのに、誰もが緊張している。

 レベッカだけが、平然としていた。

 やがて他のメンバーの操作により、停止していた『四型』は立ち上がり、その足を前に進め始めた。最初はとてもゆっくりな動き。けれども脚部にエネルギーが蓄積するほど、足の動きは速くなり、機体を力強く加速していく。

 前へ前へと進んでいくと、壁が迫ってきた。このままでは激突する。

【壁があるが気にするな。両方の前方腕部を前に出し、直進しろ】

 再び放送される機長の言葉。指示された通りレベッカは端末とレバーを操作し、バグを考慮した動きで前方腕部――――ハサミを前へと突き出させた。もう片方のハサミも前に出た事を、モニターに表示された機体前方の映像から確認する。

 直進した『四型』は、ついにハサミの先端が壁に激突。厚さ数十センチにもなるコンクリート壁は、されど三百五十万トンの重量を支える特殊合金を歪める事すら叶わない。

 ついにコンクリートの壁は突き破られ、『四型』が研究所の外へと歩み出た。

 研究所が置かれていたのは、中国国内のとある山奥。秘密裏に進められていた計画故、機密性の高い場所が選ばれたのだが……今や隠している余裕などない。

 大型モニターの右下部分に新たな映像が表示され、『四型』が進むべきルートが示される。南西方向……現在の『四型』から見て、正面右方向だ。大型モニターの映像にはでこぼことした自然の隆起が見え、研究所の平らな床とは明らかに難度が高い道となっている。

 しかし諦めるという選択肢はない。示されたルートに従い、『四型』は進んでいく。『四型』からすればちょっとした段差も、人間から見れば自分の背丈よりも何倍も大きな崖だ。機体は激しく上下し、中の人間も揺さぶる。一応は揺れの緩和を行う機構が付いているものの、平坦な研究所内を歩くだけでも不十分な代物だった。自然の地形では殆ど役に立たない。

 されど人間というのは存外逞しい。

「進路維持! 直進につき加速します!」

 脚部を動かしているメンバーが、大きな声を張り上げる。

【推進機関問題なし!】

 通信機より告げられる機関部の言葉は力強く、訓練時に感じられた慌ただしさはない。

【異常なし!】

【異常なーし!】

【異常なしッ!】

【第六歩行脚部機関に異常確認!】

【第八整備班が向かう!】

 機体各部の整備士より上がる報告もハッキリしていて聞き取りやすく、そして迷いがない。

 研究所内の時よりも機体の揺れは激しくなっていたが、乗員達の動きは訓練時と比べ衰えていない。いや、むしろ良くなっている。

 デボラが迫っているという状況認識が、彼等の潜在能力を引き上げていたのだ。こうなると、むしろ淡々としているレベッカの方が成績に劣る。頑張ろう、なんとかしようという気概がないのだから。

「……良いな」

 ぽつりと、気持ちが声に出る。けれどもその口を閉ざし、レベッカは首を左右に振り――――前を見る。

 レベッカは息を飲んだ。

 何故なら山下蓮司が、自分の方を見ていたのだから。蓮司はレベッカと目が合うとニッと笑みを浮かべ、何事もなかったかのように前へと向き直す。

 偶然だろうか。

 きっと偶然だろう。レベッカはそう思った。思ったのに、胸がざわざわする。

 この感覚は、一体?

【緊急連絡】

 考え込みそうになった思考を、機長の声が引き留めた。レベッカはごくりと息を飲み、通信機の言葉に耳を傾ける。

【現在、当機の歩行速度は時速百五十キロに達している】

 機長の言葉に、レベッカの居る操作室内がざわめいた。広い屋外とはいえ、今まで出せなかった速さに達したのだ。レベッカ以外は嬉しくもなる。

 加えて、これまで観測されたデボラの速さは時速百キロ前後が最大だ。その速度を大きく超えるスピードを出せた、つまり『四型』の基本性能が、少なくともデボラに劣るものではないという証。

 『四型』ならデボラを倒せるかも知れない。そんな思いが脳裏を過ぎる事だろう。

【だが、デボラは現在時速六百七十キロ・・・・・・で移動中だ。振りきれる速さではない】

 その想いは、あまりにも呆気なくへし折られる。

 時速六百七十キロ。

 最早新幹線やリニアすらも凌駕する超スピード。それらだって空気抵抗を減らすべく様々な技術を用いているのに、デボラはイセエビ染みた格好でそれを為し得た。つまり、馬鹿力で無理矢理加速したという事。

 時速百二十キロという値の意味が逆転する。

 ――――このマシンでは、まだ、デボラに勝てない。

【また、デボラは方向を微調整し、真っ直ぐ当機を目指している。仮に速度を上回っていても、永遠に逃げ続けねばならなくなる……よって作戦を変更。総員持ち場を維持。中国人民解放軍の協力の下、ここでデボラを迎え撃つ】

 なのに下された決断は、またしても乗組員の期待を裏切った。

「おいおい、冗談じゃねぇぞ畜生っ!」

「負けて死ねって事かよ……クソがっ」

 メンバー達が口々に悪態を吐く。

 されど機長の判断は妥当だ。デボラがこの『四型』に向かい、逃げられない現状、いずれは追い付かれる。ならば有利な場所に陣取り、準備を整える方がまだ勝機があるといえよう。加えて、やられるにしても研究所の近くであれば多くのデータが得られる。

 そのデータを下に『四型』を改良すれば……次こそは、チャンスがある。

「了解」

 合理性がある指示。否定する理由はないと判断し、レベッカは機長に応答する。

「了解っ!」

 次いで、蓮司がレベッカと同じ答えを返した。

 あまりにも迷いのない言葉。二人の返事は、機内のメンバーの耳にも届く。

 心を動かした、という訳ではないだろう。

 されど搭乗しているメンバー……太平洋防衛連合軍の人員は、デボラ打倒を夢見る者達。勝ち目のない戦いに出向くのは何時もの事である。

 若い二人が覚悟を決めたのに、年上が逃げ出すというのはどうなのか。

「……了解! やってやる!」

「了解」

「りょ、了解っ!」

 合理的でない・・・・・・判断により、メンバーから次々と勇ましい声が上がった。

 通信機からも続々と返事が聞こえてくる。勇ましき戦士達は誰もが逃げず、勝ち目のない……けれども何時もよりは幾分マシな戦場に居座る事を決めた。

【良し。東南東へ方向転換。此処でデボラを迎え撃つ】

 機長の指示を受け、足を止めた『四型』は反転。東南東に頭の先を向ける。

 多少移動したとはいえ、未だ『四型』がいるのは山奥に位置する辺境。日本海から遠く離れた内陸だ。

 されどデボラは時速六百七十キロという猛スピードを出している。そして内陸とはいえこの山奥は、日本海からほんの三百キロほどしか離れていない。

 一時間も待つ必要はない。

 轟音が、モニターより聞こえてくる。大地を粉砕し、木々を踏み潰す音が『四型』の外で鳴り始めた。

 音は段々と大きくなり、やがて地響きも起こる。三百五十万トンもある『四型』がガタガタと震え始め、モニターの画面も揺れている。

 巨大な力が迫っている。

 そしてそのような力の持ち主は、今、この地球には一体しかいない。

【ギギギギギイイイイイイイイッ!】

 不気味な叫びと共に山を砕いて現れた、甲殻大怪獣デボラのみだ――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る