霧島セロンの想定

「……ふむ。まぁ、こんなものかな」

 目の前に置かれた小さなモニターを眺めながら、にこやかな笑みを浮かべて独りごちた。

 セロンが居る部屋には、他にも多数の科学者……白人や黒人などが入り乱れるかなり多国籍な面子だが、大多数は中国人だ……が居た。彼等は忙しなくパソコンを操作し、或いは慌ただしく書類を運び、時折英語で激しく議論を交わしている。

 そしてセロン含め彼等が注目しているのは、各々のモニターに表示されているとあるマシン。

 メカデボラこと『多脚式大型陸上戦闘兵器試作四型』である。

 『四型』は今、セロン達が属する研究所の一室に置かれていた。一辺二キロもの広々としたホールであるが、全長四百メートルを有する『四型』からしたら、ちょっと狭いかも知れない。

 そんなホールの中を『四型』はのそのそと歩いていた。極めてゆっくりとした、時速三十キロ程度の速さだが、確かに動いていた。大地に突き立てられている足がしっかりと自重を支え、着実に自らの巨躯を前へと運ぶ。やがて壁が迫ればしっかりと足を止め、機体を斜めに傾けながら方向転換してみせた。蹴躓いて転倒する素振りもなく、淡々と歩くのみ。

 これは一見して非常に地味な動きであったが、科学的には偉大な動きだった。

 何しろ、これほど巨大な陸上マシンを動かすなど『世界初』であり……そして物理学の常識が塗り替えられた瞬間なのだから。

「ミスター・霧島。起動実験は上手くいったようだな」

 『四型』の歩行をモニター越しに眺めていたセロンに、背後から声を掛けてくる者が居た。

 振り返ったセロンの目に入るのは、三十代ぐらいの黒人男性。白衣を纏う姿から彼もまた研究者の一人だと分かるが、その身体はかなりガッチリしており、彼が室内ではなくフィールドワークを主体にするタイプだと分かる。顔立ちは野性味溢れる凜々しいもので、一言でいうなら『女性受け』しそうな人物だ。

 ワルド・オスマン。イギリス人科学者であり、生物形態学の権威。そして現在は中華人民共和国にスカウトされ、『四型』開発に携わるメンバーの一人となっている。

 立場上研究主任・・・・であるセロンの方がワルドよりも地位が上だが、彼は何時もセロンに対してため口だ。しかしそれは年下のセロンを見下している訳ではなく、一人の科学者として敬意を払っている証。彼は興味のない人物にこそ敬語を用いる、割かし慇懃無礼な性格の持ち主だ。

 それを知ってるセロンは彼のため口に悪い気などせず、上機嫌に答えた。

「ああ、君が提供してくれた歩行データのお陰だ。アレがなければ、五年は計画が遅れただろうね」

「光栄だね。とはいえまだまだぎこちなさはある。やはりアイツの研究は奥が深い。研究すればするほど新しい発見があり、我々が如何に生物に対し無知だったかを教えてくれる。実に新鮮な毎日だよ。私としては、将来的に倒してしまうのが惜しいぐらいだ」

「……確かに、その通りだ。アイツは謎の宝庫だね。調べれば調べるほど疑問が出てくるほどに」

 ワルドの言葉に同意しつつ、セロンは顔を彼から背ける。

 背けた顔は、悔しそうに唇を曲げていた。

 『四型』は本来、現代の人類科学では歩行すら為し得なかった存在である。何しろ総重量は凡そ三百五十万トン……デボラより二倍以上重い。素材が頑強な合金製故に、有機体であるデボラより重たくならざるを得なかったからだ。そして機体強度そのものは合金により確保されたが、動かすための馬力が足りない。例え二千五百万キロワット級『核融合炉』エンジン……中国政府が大量の資本と科学者を投入し、ついに実用化させたものだ。尤も核融合炉としては少々貧弱な代物だが……を搭載していても、だ。物理学上、三百五十万トンの物体を秒速一メートルという人の徒歩程度の速さで動かすためには、三千四百万キロワット以上のエネルギーが必要である。『四型』の総出力は全盛期の日本の消費電力の二割を占めるが、全く足りていない。

 本来ならばこんな程度のパワーではどう足掻いても動かせない。しかしこれ以上巨大な核融合炉を搭載するには機体を大型化させるしかなく、されど大型化させると機体への荷重も増大し、装甲強度が『戦闘』に耐えられないものとなってしまう。

 この物理学的壁を突き破ったものこそ、『四型』で打倒しようとしていたデボラであった。

 デボラの体節構造は、エネルギーを蓄積する仕組みが組み込まれていたのだ。これにより、運動に使われたエネルギーの一部が『循環』する。その循環したエネルギーと元々あったエネルギーを合わせれば身体は加速し、更にそのエネルギーを循環させ……と繰り返す事で、巨体を高速で動かせるのである。

 この極めて画期的な機能により、『四型』は機体重量を増やさずに、実用的な速さで動かせるようになった。

 つまり、デボラが・・・・いなければ・・・・・『四型』は完成出来なかったといえよう。

「(忌々しい……!)」

 それが、セロンの気持ちを逆撫でする。

 たかがデカいエビ風情が、自分ですら及ばなかった理論を宿している事に苛立つ。天才と称され、自らも自認する彼にとって、自分以上の『知性』にはプライドが酷く刺激されるのだ。

 だからこそ、デボラを倒したい。

 謎を解き明かし、あまつさえ利用し、相手を完膚なきまでに打ち砕く――――天才としてのプライドが高いセロンにとって、それこそが自尊心を満たせる方法なのだから。及川蘭子を超える手段として、彼女でも倒し方が分からないデボラの駆除を考えた時のように。

 とはいえ彼はやはり天才であり、一時の感情で判断を誤る事もしない。完成した『四型』の性能は素晴らしいものだし、デボラ解析で得られた新技術も素晴らしいものだが……まだまだ試作段階だ。現時点で課題は幾つか挙がっているし、この起動訓練により新たな問題点も確認されるだろう。

 技術的問題だけではない。訓練をしている乗組員達からも課題が出てくる筈だ。インターフェースや乗り心地など、可能な限り配慮した作りにはしたつもりだが、実際に動かしてみなければ分からない事は多い。例えば制止時は便利なボタン配列も、移動などで揺れると押し間違いが頻発する……なんて事もあり得る。それにセロンと他人の感性は異なる訳だから、どれだけセロンが気を遣っても相手が喜ぶかは分からない。こればかりはどんなに天才的頭脳でも ― 或いは凡人とは違うからこそ ― 終わるまでは知り得ない事だ。

 『四型』はまだ試作段階。デボラとぶつけるのは、この『四型』の次世代機となるだろう。

 気持ちを切り替えたセロンはほくそ笑む。未来予想は得意だ。次世代機の設計図を頭の中で描きながら、試験の様子を眺めた

「た、た、大変です!」

 最中に、誰かが大きな声を上げた。

 若い研究員だった。新人であり、主に雑務を担当している。セロン的には無能寄りの『凡夫』であり、顔も名前も覚えていない人物だ。相手をするのも面倒臭い。声だけでこれを判断したセロンは、声の方に振り返りもしなかった。

「どうしましたか、宝研究員」

 無視するセロンに代わり、ワルドが『敬語』で尋ねる。宝と呼ばれた新人研究員は息を切らしながらも、なんとか報告しようと声を絞り出す。

「で、で、でぼ、デボラが、日本に上陸! デボラは直進して日本海へと入り、我が国を目指して進んでいるとの報告が入りました!」

 そして叫ぶように告げた言葉に、セロンは目を見開きながら振り返った。

 彼が言う我が国とは何処か?

 悩むまでもない。此処、中国だ。日本を横断し、日本海へと入り、そのまま真っ直ぐ進めば、確かに中国へと辿り着くだろう。

 だが、どうして?

 今までデボラは中国に見向きもしていない。当然だ。もしもデボラが中国の開発した生物兵器なら中国を襲う筈がないし、逆にデボラが野生動物なら日本という『堤防』を越えてやってくる事は早々あり得ない。故にこの十年間、中国はデボラの被害を免れていた。

 なのに今日、デボラは中国へと向かっている。

 それだってふらふらとやってきたなら納得も出来よう。何時もの気紛れ、大した意味などないと……だが真っ直ぐに向かっているとなれば話は別だ。デボラに『それなり』の知性があるのは、デボラ研究に関与した者達には周知の事実。直線的な行動にはなんらかの意図がある筈。

「(なんだ? 何故デボラはこの国に向かっている? 今日、この国で何かしているのか? なんだって今日、よりにもよってこの大事な実験の最中に――――)」

 セロンは目まぐるしく思考を巡らせる。常人よりも遙かに頭の回転が早いセロンは、その『結論』に至るまでさしたる時間を必要としなかった。

 ただし結論を受け入れるのには、それなりに掛かったが。

 今、この国では『特別』な事が行われている。この十年間で、この国どころか世界でも初めての、そして盛大なる行い。

 乗組員の訓練及び『四型・・初起動試験・・・・・

 デボラが直進してくる理由が他にあるとは、セロンには到底思えなかった。

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