及川蘭子の考察

 日米共同デボラ攻撃作戦。

 それは米軍と自衛隊が総力を結集して行われる、日米同盟締結以来最大の軍事作戦だ。陸海空の全戦力を一切の出し惜しみなく振るう、文字通りの総力戦を想定している。

 作戦地点はデボラが次に出現した日米どちらかの土地。デボラには米軍がセンサーを打ち込んでおり、その反応は現在も健在。リアルタイムでその居場所を示している。デボラ上陸が予想された土地では一日以内の避難が行われ、無人化した前提・・の地域で徹底的に攻撃。これまでとは次元の違う火力により、デボラを一気に屠る。

 デボラの甲殻は強固だが、しかし人類側の兵器が全く通じていない訳ではない。少なくとも米軍の攻撃は通用し、故にデボラの『反撃』を受けた。なら、火力を維持するだけの戦力さえあればデボラを倒せる。

 実にシンプルで、強引で、だからこそ確実な作戦だ。

「……で? 何故私にそれを教えるのです?」

 そして作戦を教えられた蘭子は、率直に抱いた疑問をぶつけた。

 蘭子は今、国が用意した研究施設……その中の実験室に居る。実験室といっても滅菌などが必要ない、来客の応対も可能な部屋だ。とはいえこの部屋に来る来客は、正規の職員か、政府関係者ぐらいなものである。何しろ此処こそが日本のデボラ研究の最前線なのだから。

 流れに身を任せたら、蘭子はデボラ研究の主任に据えられてしまった。三十前の若造に主任とかなんでそんな過大評価してるの? と思わなくもなかったが、潤沢な予算があるので黙って受け入れている。実態は小チームのリーダーぐらいの地位なので、割と妥当な位置付けだったのもさして反発しない理由の一つだ。

 そんな蘭子の前に居るのは、強面の中年男性……自衛隊の幹部だった。階級とか聞かされても蘭子にはよく分からなかったが、見た目の年齢と付けた勲章の数から、かなり偉い人物なのは間違いない。

 偉い人物こと小沢おざわはじめは、蘭子の目を見たままこくりと頷いた。蘭子は彼が座っている安っぽいテーブル席の対面に着き、正面から向き合う。やがて始は、ゆったりとした口調で語り始めた。

「自衛隊でもデボラの解析は行いました。米軍も同じで、本作戦は実戦データを元に計画されています」

「そりゃまぁ、そうでしょうね」

 現代の軍隊というのは、かなり電子化が進んでいると聞く。照準も電子機器で補助する事で、高速で走る目標にほぼ百パーセントの命中率で榴弾をお見舞いする……なんて事も可能らしい。そうした電子技術を用いれば、デボラの詳細な甲殻強度や、効果的な攻撃も分かりそうなものである。

 恐らくこの作戦は、それなりに勝機があるものなのだろう。

 なのに、どうしてこの男は――――怯えたような顔をしている?

「データがあるのなら、何が問題なのですか?」

「……どうにも、嫌な予感がするのです」

「嫌な予感?」

「はい。我々はデボラに二度の攻撃を行い、それにより多くのデータを得られました。また及川さんがデボラ出現から一月と経っていないこの短い間に発見した、多くの生態的知見も活用しています」

「そんな大した発見はしていないのですが」

 始の感謝に、蘭子は苦笑いを返す。謙遜ではない。正式な報告として挙げた知見など、デボラの甲殻が重金属を多分に含んだ有機合金とでも呼ぶべきタンパク質を主体にしている事と、その甲殻の強度が戦車砲にも耐えられるほどである事ぐらいだ。役立たずとは言わないが、大発見と呼ぶにはあまりに基礎的過ぎる。

 せめてデボラの遺伝子解析が完了していれば、胸も張れただろうが……

「全てのデータが、我々人類の勝利を証明しています。私も一自衛官として、自衛隊の導き出した結果を信じています。ですが……」

「不安を拭えない?」

「……奴は何か、奥の手を残してる気がします。勿論、そんな事を言い出せばきりがないのですが」

 始の意見に「そうですね」と蘭子は同意する。

 『悪魔の証明』というやつだ。存在する事は何かしらの証拠を出せば証明可能だが、存在しない事を証明するには可能性を全て潰さねばならない。白いカラスがいない事を ― 実際には存在するが ― 証明するには、世界中のカラスを捕まえて調べなければならないのだから。相手に『隠し球』があるなんて疑いは、それこそ相手の事を全て知り尽くさねば断言など出来まい。

 だから始の不安を、色んな意味で仕方ないものだと切り捨てても良いのかも知れない。

 知れないが……同時に蘭子はこうも思う。

 年輩者の勘というのは存外馬鹿に出来ないものである、と。

「……実は、最近になって確認出来た性質があるのです。まだ情報の精査中で、政府や自衛隊に報告出来る内容ではなかったのですが」

「? なんでしょうか?」

「その前に一つ確認します。デボラの甲殻が有す、熱耐性がどの程度かはご存知ですか?」

「……安定的な耐性は、千五百度までと聞いています。それを超えると強度が落ち、二千度を超えると変性するとも」

 始は少しキョトンとした様子で答える。彼の回答は正しい。その結果を導き出したのは蘭子自身なのだ。そしてその情報こそが、日米共同作戦の要である事も理解している。

 だからこそ、今、此処で伝える必要がある。例えそれが、今はまだ確定的でない結果であっても。

「実は甲殻の熱耐性で、一つおかしな点がありまして」

「……おかしな点?」

「一週間ほど千五百度の熱に晒していたら、変性してしまったのです。本来安定的に耐える温度帯にも拘わらず」

「……それが、何かおかしいのですか? 安定的とはいえ、限界点の温度です。人間だって、気温四十度の中には一日ぐらいいられますが、何日もいるのは難しいでしょう? むしろ断続的な熱攻撃に弱いという証拠ではないですか」

「有機物の変性とは、人間が暑さでダウンするのとは訳が違います。例えるならこれは、生卵を常温で放置したらゆで卵になっていた、ぐらいの異常現象ですよ」

 変性とはつまり、タンパク質の構造が変化するという事。いくら長時間熱を加えたからといって、安定的な温度でこんな事が起きる筈がない。

 そもそも千五百度とは、確かに高めではあるがマグマとして存在しうる温度だ。核の近くでは五千度を超えるという説もある。千五百度という耐性は高いようで、蘭子には何か、中途半端な気がするのだ。

 勿論マグマに長時間耐える必要があるのは、デボラが地殻に生息する野生動物だった場合の話である。デボラが生物兵器なら、マグマに常時浸るものではないので、数日程度の耐久を有していれば十分と言えよう。しかしあれだけ巨大な……製造コストが高そうな代物が、ほんの千数百度でダウンするという弱点があって良いものだろうか?

 蘭子の違和感は、始も感じるところなのだろう。彼のキョトンとした顔は、今や真剣なものと変わっていた。

「……政府への報告は?」

「今週中にやろうと思っていました。正直何を意味するのか私自身分かりませんし、証明したというには調査が足りない。なので追試験を行っていたのですが、どうやらその時間はなさそうですね」

「かも知れません。仮に今報告したところで、先程の私のように作戦成功を裏付ける理論程度にしか思わない可能性もあります。及川さんと同じく疑問を抱いても、今すぐ計画を変更するのは難しい」

「戦車や戦闘機にしても、動かすだけで時間もお金も掛かるでしょうからねぇ」

 願わくば、デボラが自分達の『想像』を超えていない事を祈るぐらいか。

 とはいえ蘭子は、日米共同作戦が失敗しても構わないと考えていた。勿論失敗しないに越した事はない。それにアメリカでの惨事を見るに、失敗となれば大きな被害が出るだろう。しかし同時に、膨大な実戦データも得られる筈だ。そこから失敗の原因を探れば、新しい作戦も立てられる筈である。

 失われた人命は戻らない、付けられた心の傷も簡単には癒えない。しかし人類の発展はそうした犠牲の積み重ねであり、一足飛びに進化するものではない。むしろ性急な行いは、「焦るとろくな事にならない」という分かりきった教訓にしか生まないものである。

 一歩一歩着実に進む。人類はそれしか出来ないのだ。

 ……なんて事は、人生の先輩であろう始にはわざわざ説くまでもあるまい。

 しかし何故だろう。

 始の顔に、焦りのようなものが見える気がするのは。

「……どうかしましたか?」

「え? なんの事でしょうか?」

 何気なく尋ねてみたが、始はキョトンとした様子だった。誤魔化したのかも知れないし、本当に心当たりがないのかも知れない。蘭子には判別付かなかった。

 なら、気にしても仕方ないだろう。

「いえ、すみません。なんでもないです。それより、今話した内容は、出来るだけ優先的に研究していこうと思います。何か、作戦に関わる重大な事が分かるかも知れませんから」

「お願いします。我々も、可能な限り対応出来るよう尽力します……今日は突然の訪問にも拘わらず、ご対応いただきありがとうございました」

 始は礼を伝えながら立ち上がる。要件は済んだのだろう。蘭子としても引き留める理由はない。社会人マナーとして部屋の外へとつながるドアの前まで見送るが、それだけだ。

「では、これにて失礼します」

「ええ。また何時かお会いしましょう」

 社交辞令の言葉を交わし、研究室から出る始を蘭子は見送った。

 扉は閉まり、同時に蘭子は振っていた手を止める。

 始との話は悪いものではなかった。むしろ蘭子としても、それなりに益のあるものになっている。

 やはりあの性質……長時間の熱耐性の低さには、何かがある。始の勘がその感覚を後押ししてくれた。自分としても何かがあると考えていたが、始のお陰で自信が持てた。今ならこの性質の解明が必要だと、政府に堂々と言える。

 いや、そもそも自分は端から好き勝手に研究するのがモットーなのだ。これからデボラを退治するというのなら、今更国が求める研究などする必要はない。勿論それらの研究も楽しかったが、もっと楽しそうな研究テーマがあるならそっちをやる。

「さぁて、実戦より先に見付けないとねぇ……腕が鳴るわ」

 ワクワクを胸に秘め、蘭子は踵を返す。目指すは装置が置かれた実験室。

 使命も責任もない、純粋な好奇心のみで、蘭子はデボラの秘密を暴こうとするのだった。

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