第3話 夢想、迷走②

「お、おはよ」

 昼間の光もだいぶ落ち着いた頃。千住せんじゅが廃寺にやってくると、待ってましたとばかりに廉次れんじが笑顔で出迎えた。千住はあからさまに表情を曇らせたが、廉次の後に続いて小さな引き戸をくぐる。

 いつもの脇間に落ち着くと、廉次が数枚の資料を手渡した。

「いっつも思うけどさ……って、ここ禁煙」

 隣に腰を下ろして早速愛用の煙草入れを取り出そうとした同僚を冷めた目で見咎め、千住は資料に目を落とした。

「はいはい。で、いっつも何を思ってるって?」

 千住はそれに応えることなく、一段と表情を険しくしながら本堂の内部を見渡した。夕刻、各々に与えられた任務や依頼などを掲示板で確認したり、情報交換や他愛もない世間話をしたりして多くの隊員たちが集っている。外見は荒れ放題の寺だが、内部は鬼導部隊の拠点の一つとして十分に機能していた。


 鬼導部隊東部派遣隊。名称が長いので、最近では東鬼とうきと略されることもある。

 鬼導部隊の始まりは、〈匣舟〉で働いていた一部の役人たちが、考えに同調する職員や民間人などを集めて組織した自警団のようなものだった。

 城や白樹はくじゅのおかげで平和が築かれ、次第に薄れていく危機管理能力。もちろん約束された平和などなく、鬼による被害は数多く報告された。匣舟という組織も巨大化していたので、そうした、鬼にちまちまと対抗する自警団の存在は、鬱陶しいというよりはむしろ好都合だった。

 やがて鬼に対する知識や手段を持つようになった自警団は、匣舟から独立した自衛部隊を名乗る。〈鬼導きどう部隊〉と名を改め、その活動の範囲を広げていった彼らだったが、影響力が大きくなればなるほど、匣舟はいい顔をしなかった。自分たちの権力を脅かす存在であってはならない、というわけか。

 とはいえ、専門的な知識もそれなりの経験もある鬼導部隊の存在も、おざなりにはできない。二つの組織は、実に微妙な天秤の上に成り立っている。

 匣舟が全権を握る今のご時世、正式な官庁ではないため、まだまだ発言力の弱い鬼導部隊はただでさえ肩身の狭い思いをしていた。東地区は特にそれが顕著で、とにかく仕事の種類と量と気苦労がハンパではない。

 都の外に広がる東部地方は土地も豊かで白樹も育ちやすい土地柄、多くの地方都市がある。都はそれらの都市とも積極的な交流を行っていた。

 市街地など人が住める環境にはもちろん白樹があるが、そこへ続く道は安全ではない。東部派遣隊には、交易ルート上の鬼討伐や商人たちの護衛、はたまた農産物などの運搬から農家の手伝いまで、実に様々な仕事依頼が舞い込んでくるのだった。

 それらの依頼を隊員の力量や性格、専門に合わせて振り分けているのが、この男。千住の同僚であり同期でもある、事務官の龍神たつかみ廉次。手間も時間もかかるが、やることが多い分できるだけ隊員にストレスを掛けないように、それぞれに合った仕事を割り振っている。

 東地区は貴族の巣窟なので、たまに来る貴族からのイラッとする依頼は育ちのよさそうな隊員に、多少問題を起こしても大丈夫そうな依頼は新人隊員に、遠方への出張依頼は帰る場所がない隊員に……といった具合に振り分けていく。その振り分けをいちいち伝達する手間を省くために設置されたのが、「掲示板」と「伝言板」だった。この、古めかしく思えて意外と便利なシステムを取り入れたのは、もちろん廉次。

「お前さ、どんだけ仕事してんの」

 そう言ったのは、資料と本堂を交互に眺める千住──ではなく、そんな千住をじっと観察していた廉次だった。

「……んなこと思ってないし自分で言わないでくれる恥ずかしくないの」

「はいはい」

 千住の反応を見て、廉次は満足そうに頭を掻いた。

 冗談交じりのやり取りをしていた二人だったが、資料を読み終えたらしい千住が真面目なトーンになる。

「ずいぶんと羽振りがよかったんだな、こいつ」

 こいつ、とは例の公園で死んでいた大谷おおや典雄のりおのこと。資料によると、ごく最近まで歓楽街で遊び歩いていたようだった。それなりに値段の張る座敷の利用記録もある。

 匣舟が以前渡してきた資料は、完全とは言えなかった。まだ調べがついていないのか、調べはついていてもその情報を鬼導部隊に渡したくないのか。ずっと前からそういうものだったので、廉次は匣舟の資料の穴を埋めるべく、独自に調査をしていたのだ。

 肝心の死体は匣舟の元にあるので、調査は自ずと被害者の周辺に及ぶ。

「ああ。大谷おおやはひと月もの間遊んで暮らせるだけの資金を持っていた。しかも、かなりの額」

「その資金を、どこかでどうにかして手に入れていた、と」

 十中八九そういう資金はまっとうな方法で得られてはいない。このひと月もの間、大谷は任務をサボっており、それまでの記録を見ても高額な貯金ができるほどの任務はこなしていなかった。

「ヤバい臭いがする、って言ったろ。どうにかして大金を得られる環境がどこかにあるなら」

 廉次はここで言葉を切り、千住に顔を寄せて小声になる。

「この事件、繰り返すぞ」

 その言葉に一瞬はっとした表情になる千住だったが、すぐに顔をしかめて言った。

「……ヤバい臭いはお前だ」

「ん?」

 意表をつかれたようにぽかんとする廉次。

「タバコくせぇ離れろ」

「……」

 そのままシリアスモードに突入しそうな雰囲気だったのだが。千住の指摘を受けて廉次は大人しく身を引く。

 千住は資料で顔の周りをわざとらしく扇ぎ、そのまま乱暴に廉次に渡した。

「見覚えある座敷の名前があったな」

 該当する箇所を指さし、本人はいたってシリアスモードで千住が早口で言う。

「この事件繰り返すか繰り返さないか、急に羽振りのよくなった摩訶不思議成金野郎のあしあとを調べるんだろ? そこに事件の手がかりがあったとして、まだ起きてもいない事件をハコさんは調べねえだろうし」

「お、めずらしくやる気になったか?」

「バカ言え」

 険しい表情をしたまま、千住は立ち上がる。

「俺は忙しいんだ。そういうめんどくせぇ調べ物はお前と隊長に任せる。じゃあな」

 そう言うと、千住は廉次に背を向けてだるそうに歩き出す。

「はいはい」

 職務放棄にも聞こえるセリフだったが、廉次はさほど気にしていないようだ。



 廉次は千住の姿が見えなくなると、これ幸いと煙草入れを取り出した。一本取り出し、慣れた手つきで口元へ運んでいく。

 しかし、愛する煙草に命の炎を灯してやることは叶わなかった。

「廉次さん。ここ禁煙です」

 夕方だというのに朝一番の爽やかさを感じさせる笑顔で後ろからやってきたのは、かおるだった。

「あー……はいはい」

 寝不足と過労が祟って不機嫌丸出しの千住の相手をした後だったので、その笑顔は一層眩しく見えた。廉次は物寂しげに煙草をしまいながら、爽やか青年に、ここへ来た理由を尋ねる。

「何かな?」

「隊長がお呼びですよ」

 寂しそうに浮かんだ唇の歪みを無理やり引き締めて、薫に「わかった」と返事をした。しかしすぐに、去ろうとした薫を呼び止める。

「その前に」

 ジェスチャーで伝える。

「一本吸ってきていいかな?」

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