第23話 性的倒錯

 今から15年くらい前に、図書館やインターネットで、俺は、俺の嗜好について調べた。

 その結果から、俺は、広義においては、常識的な性道徳や社会通念から逸脱した性的嗜好をもつParaphilia(パラフィリア)であり、狭義においては、思春期以前の少年への性的嗜好をもつPederasty(ペデラスティ)であることを自覚した。簡単に言えば、「性的異常」もしくは「変態」なんだろうが、今の時代では人権面の配慮から「性嗜好障害」という医学的な言葉遣いをするらしい。

 しかし、どんなにソフィスティケートした医学用語を用いようとも、逸脱していない「正常」な状態から乖離している苦しみや後ろめたさからは逃れられないものだ。

 

 そんな「異常」の最初の自覚は、かの、中学生時代にヨシヒトを教室で殴打した時だったことを俺は調べた時に知ることになる。ヨシヒトの白くてきれいな顔が俺の殴打によって鼻血で真っ赤に染まっている間、なんと俺は勃起していたのだ。だから、最終目標が性交ではない、何らかの嗜好や倒錯した行為が認められる症状「性目標倒錯」をも併せ持つ障害と言えるんだろう。ヨシヒトを殴打した時は、精神的な混乱もあって、なぜ性器が硬くなったのか理解できなかったのだが、調べたことによって合点がついた。

 

 このような性的倒錯に陥った原因は、調べたところでしょうがないことだが、脳内のセロトニンの異常、という説があり、児童期の虐待が原因、という説があり、自身が児童であった時のイメージをそのまま対象の児童に投影してしまうため、という説があり、成人との性的接触に挫折した代償、という説があり、親の性交を見る等の幼児期にふさわしくない性的刺激を体験したから、と唱える者もあり、一部脳の欠損や遺伝的なものを含む機能障害が認められる、という説もあるが、調べようがない脳の欠損や分泌物以外、俺にはどの説も心当りがない。

 強いて言えば、中学時代にいじめられたことや、タカマリを先頭にした女子たちからの拒絶が俺の性的倒錯に少なからず影響があったのかもしれないが、素人の俺にはそこに原因を求めるのは乱暴なものであると思っているし、また、原因がわかったところで、「正常」に戻るイメージを俺は持つことができなかった。


 進学した農業高校には男子生徒と同じくらいの数の女子生徒は居たし、そこでは、中学校の時に味わったようないじめも阻害もなかった。しかし、女性に対して好意を持ったことはついぞなく、もちろん、男女交際とも無縁だった。

 その代わりに、テレビに映っている可愛い男児を見掛けると、俺は性器を硬くし、自室でそれをイメージして自慰に耽ることを覚えた。周りの同級生らとは、ゲームや漫画の話はしたが、好きな女の子の話はしなかったし、女の子に果敢にアタックするような輩とは元々つるまなかった。その一方で、男児をおかずに自慰をするような友達が存在したのかどうかも不明だった。ただ、俺自身が他の男子とは違う嗜好をしているんだろう、ということは薄々わかってはいた。


 今でこそ、LGBTと、それこそソフィスティケートされた用語で呼ばれている人たちだって、その生育の中で、大なり小なりいろいろと苦しんだはずだ。「他人とは違う」ことを疑問に思い、原因を探り、それでも自分の嗜好を秘かに楽しむしかなく、だけども、同時に「他人と違うこと」に苦しみ、周りが騒ぎ出し、もしくは、周りが心配することで苦しみ、晴れてカミングアウトして身の回りの者の理解を得たとしても、なおも、世の中では生き辛かったりしているはずだ。

 それでも、そんな人たちでも顔や実名をメディアに晒してその苦しみを語ることで、一般人でもその心情を共感させることができるだけ、俺は羨ましかった。


 俺の性的倒錯は、そうはいかない。

 誰からも共感されることはなく、非難される以外はない、のである。

 Pederastyだって、LGBTと同じく、古代ギリシア時代からあった性的嗜好であり、男性同士の結束と青少年の教育という目的と、青少年を嗜好する男性同性愛の目的や意味を持っていたそうで、一人前の男性・共同体の成員としての男性に育成するのが目的と性的嗜好としての少年愛と直行関係にあったと言われているそうだ。

 それ以後の、古代ローマ時代、中世カトリック時代、ルネッサンス時代と図書館の資料を読んでいっても難しい用語と、当時は公然と許されていたかのような美辞麗句に彩られた解説がたくさんされている。

 そして、我が国日本だって、古代・中世においてから近世に至るまで、俺だって知っている著名な貴族・武家・大名による少年愛の記述がたくさんあった。


 しかし、国内外でどんなにその歴史が深かろうと、著名な者たちが少年を寵愛しようと、共通してある重大な欠損事項は「成熟する前の少年への蹂躙」、そして、人権の侵害である。

 だから、同じように「他人とは違う」苦しみを味わっていても、手の中に、もしくは、性器に射精するという行為が同じだとしても、同じ性的倒錯であるLGBTの人たちとPederastyの俺とは同類ではない。



「性的異常者」「変態」

 そんな簡単な言葉で表現してはいけないのかもしれないが、時々メディアで報道されるそんな類の事件に対する一般人の感覚は、そのままズバリだ。「一生、刑務所から出てくるな」「性器を切り落としてしまえ」「娑婆に出てくるならGPSチップを埋め込め」等、まさしく、洗練されていない表現を使って拒否し、犯人に対して罵りの言葉を投げて排除する。それが一般感覚というやつだ。

 俺だって、桃子に対してそんな興味の目を向ける奴が居たらただじゃおかない。


 アメリカでは、実際に子供への性犯罪を犯したかどうかを問わず、その性的嗜好を持っているだけで「絶対的な悪」として見られ、極めて強い嫌悪感を向けられているそうだ。いわゆる、「脳内だけでも悪」なのであり、それが一般感覚というものだということを俺も理解している。

 が、しかし、そんな俺も、哀しいかな、事件を起こしていないだけの脳内性的異常者であり、絶対的な「悪」なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る