第05話 ベム

 俺の名前は、清水明夫しみずあきおという。

 命名の由来は知らないが、音も漢字も昔ながらのありきたりな名前だ。

 親父は俺のことを「明夫」と呼び捨てし、お袋は「明夫」「明ちゃん」「明」「兄ちゃん」と、そのときの感情の起伏によって呼び方を変えていた。

 しかし、友達からは、姓名に“くん”を付けて呼ばれるのは稀で、ほとんどの友達は俺のことを昔から「ベム」と呼んでいた。

 「ベム」とは、子どもの頃にやっていたアニメの「妖怪人間ベム」の「ベム」である。

 誰が言い出したのかはもう覚えていないけれど、おそらく、小学校低学年の頃に男友達の誰かが言い出して以来、ベムといえば“清水明夫”であることがあっという間に周知された。

 

 現在と違って、なんて言葉は教科書にも載っていなかったし、子どもの言動なんて差別の塊そのものだった。

 特に、生徒同士で呼び合うあだ名なんてひどいものだった。

 太っているある男は、男女両方から「タブー」と呼ばれていた。

 顔の作りが子どもらしくないある男は「とっつぁ」と呼ばれていた。遠足なんかでバスに乗っていると、すれ違うホンダのカブやヤマハのメイトなんかのバイクに乗っている中高年の男を指差しては、「とっつぁバイク!とっつぁバイク!お~い!とっつぁ!とっつぁバイク乗れや~!」と笑いながら冷やかしていたし、先生も含めてみんなで大笑いしていた。

 他にも、癖毛の髪の毛で、いつもトップが逆立っていた男は、「トサカ」。

 顎が尖っていて受け口の男は、そのまま「アゴ」。

 二重の大きな目の女は、「デメ」、など、特徴的と言ってしまえばそうなのだろうけど、相手がコンプレックスを感じていようがいまいがお構いなしにそのものズバリがあだ名として付けられ、あっという間に広まり、男女関係なく気軽に呼び合う、そんな時代だった。


 俺のあだ名の「ベム」は、俺の顔をはじめとする皮膚の色からそう呼ばれるようになった。俺の親父もお袋も妹も、特に色黒というわけではないが、なぜか俺だけが灰色と茶色が混ざったような色をしていて、真剣な顔になると特に顔色が悪そうに見えることから、いとも簡単に名付けられ、男女関係なく俺のことを「ベム」と呼ぶようになった。

 特に、心臓が悪いわけでも、肝臓が悪いわけでもなく、友達よりも陽に当たっている時間が長いわけでもないのに俺の皮膚は季節問わずくすんだ茶色だった。



「おい!ベム!ちょっと来いや!」

 

 俺を廊下に呼んだのは、中学の同級生で野球部のヨシヒトという男だった。


「おめえ、なんで、練習来てねえんだよ」


「いや、俺、風邪ひいてっから」


「嘘言えや!おめえ、昨日だって自転車乗って街ん中を走ってた、って誰か言ってたんぞ!」


「いや、それは、お袋に買い物を頼まれて仕方なく…」


「おい、おい!なんで、自転車に乗って買い物に行ける奴が練習に出れねえんだよ!」


 ヨシヒトはそう言いながら俺とは違う真っ白な両手で俺の肩を突き飛ばした。


「ベム!今日は、絶対、練習出て来いよな!わかったか?」


「う…うん」


 ヨシヒトは俺を突き飛ばした白い両手をズボンのポケットに突っ込みながら、始終を見守っていた野球部の他の仲間の群れの中に戻っていった。

 その仲間たちも、俺を哀れんだような、馬鹿にしたような薄笑いを浮かべながらヨシヒトを迎えて教室に入っていった。



 野球部所属、といっても、俺はライトの補欠の3番目で、練習試合ですら1回も出たことなく、ベンチ横に並んで応援するか、良くて、バットボーイの係だった。しかし、練習メニューはレギュラーと同じ、いや、守備練習ではもっぱらランナーを務めるからレギュラー以上の疲労度があったと思う。ノックを行う顧問のバットスイングに合わせて、ひたすら塁間を全力で走る。自分が打ったわけでもなんでもないのに、ただ、ひたすら次のベースに向かって全速力で走るのである。


 その当時、全国各地の街がどうだったかわからないけれど、俺が生まれ育った街は、男子は野球をやっていないと“男じゃない”という雰囲気があった。男の誰しもが小学校中学年までにグローブとバットを買ってもらい、学校から帰るや否や、玄関にランドセルを投げ捨ててグローブとバットを持って飛び出し、約束しているわけでもないのにみんなが集まる工場の空き地へ自転車を走らせる。

 せっかくグローブやバットを買ってもらっても、野球が自分に合わないと思ったり、いくら練習しても下手くそで、友達から心無い罵声を浴びせられたりするのが嫌になった男たちは、自然に工場の空き地には行かなくなる。そういう男たちは少数ながら存在して、彼らは放課後の時間を使う野球以外の第二の人生を探すことになる。しかし、それは、同時に“野球ができない男”として友達から烙印を押され、学校にいる時間でも半ば見下される対象となる。


 俺は、そんな奴らの仲間にはなりたくなかったし、野球も好きだったから、毎日、お袋の怒鳴り声をケツに聞かせながら自転車を工場の空き地に走らせた。

 空き地には、続々と同学年の男たちが集まってきて、集まり次第、キャッチボールを始めたり、誰かがノッカーとなって守備練習を始めたりする。どこのポジションに誰が付くかは、“力関係”という暗黙の了解で決まっていて、俺は、身を引くようにライトのポジションに黙ってついていたし、それを引き止めてボールがよく来るポジションに誘う友達も皆無だった。


 守備練習に飽きると、「そろそろ試合しよーれー!」と誰かが言い出し、みんなが集まってチーム分けが行われる。

 チーム分けの方法は2種類ある。ひとつは、同じ力具合の者がペアになってグーパーじゃんけんをして2チームに分ける方法。しかし、この方法はほとんど使われなかった。もうひとつのよく採用された方法がという方法だった。

 は、その場にいる暗黙の了解の中での力関係の最高位にいる二人の男が、自分のチームに欲しい男を代わる代わる名指ししてチームを作っていく方法だった。最初の方に指名される男は、当然のことながら、野球が上手い奴であり、俺なんかの指名はその場に集まったメンバーの最後の方で、「う~ん、あと、誰にしよっかな~。う~ん…じゃ、俺、ベムでいいわ」なんて言われながら指名される。


 強肩で、グラブさばきが上手く、打てば長打で、真夏でも白い肌で、髪の毛がさらさらで、目がぱっちり二重の男、ヨシヒトは、最高位にずっと君臨し続けた男だった。



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