2章メイドは唐突に⑧

 一方アメリアには何が起こっているのかわからなかった。


 あれほど貴族様の宴の最中での振る舞い次第では御家を潰しかねないと注意したというのに。


まだ若さゆえに頼りなげのない主は大貴族であるかつての主に対して無作法に手袋を投げつけ怒声をあげているのだ。 


 それは王都に生まれ、使用人の一族として教育されてきた彼女にとっては信じられない光景であり、愚かな行為でもあった。


 しかし同時にこの若き主は仕えて間もない。


ましてやあれこれうるさく注意する自分のことで本気で怒っていることがわかり、どうしていいのかわからなくもなっていた。


 ただ今までに感じたことが無いほどにどうしてだか胸が熱くなっていることだけは理解していた。


「満座の聴衆の中でのその言葉、覚悟は出来ておるであろうな」


「問いかけなど無用のことです」


 冷静な口調には戻っていたが、やはり先程の言葉は撤回する気はないようだ。


「い、いけません…ムラン様、こ、このような振る舞いをしては」


 状況に惚けていたことに気づき、あわててムランをアメリアが制止しようとする。


だが主人はメイドと向き合ったときにだけいつもの優しい表情になり、またダランに視線を直すと厳しい目つきになる。


 い、いけない……このままでは。


 自分では止められないと判断したアメリアが辺りを見渡し、彼らと同年代の師招待客達に囲まれたイヨンとスアピを見つけ駆け寄る。


「お願いです!ムラン様を止めてください、このままではあの方は…」

 

 懇願するアメリアに言われてもイヨンは顔を斜めに傾けてキョトンとしている。


 スアピにいたっては楽しそうにニヤニヤとしていて、それがアメリアの焦りを増大させてしまう。


「な、何をしているんですか!早く止めないと……むぐぅ!」


 尚も大声を上げようとするアメリアの口をスアピがその武骨な手で止める。


「落ち着けよ、ムランがあんなおっさんに負けるわけねえだろ」


「そ、そういうことを言ってるのではないのです!あ、あなた方は……き、貴族様を勘違いなさっておられる、単純な腕っ節だけがあのお方の恐ろしさではないのです」

 

 アメリアは完全に狼狽していた。 


 幼少の頃からの厳しい教育により同年代よりも落ち着いた女性ではある。


今は主の危機と従者達の場違いな言動によって年齢相応の女子のように冷静さを失っている。


「別に勘違いなんかしてねえよ、ようするにあのおっさんがムランをキレさせたってことだろ?」


 まったくわかってないじゃない!  


 少女は同じ主に仕えている少年を怒鳴りつけそうになったが心中で叫ぶことで抑えた。


 数々の大貴族に仕えてきたサヌーラ家の末席としての矜持が張り裂けそうな不安と心配で泣きだしそうな心をかろうじて耐えさせている。


 しかしそれも限界だった。 


「お、お願いでございます…どうかお歴々の方々でダラン様にどうかお執り成しを…どうか…どうかお願いでございます」


 もはや恥も外聞も無く、彼女はスアピ達を取り囲む若き貴族達の膝に取り付いて激しく哀訴する。

 

「いや、しかし…それは…」


 若き貴族達は困ったように顔を見合わせる。

 

 彼らとてうら若き女性の哀願を叶えてやりたいのだが相手はかつては都でも上位に入る貴族である。


 また彼らはもちろんこの地方の支配者の一族ではあるが、同時に経済基盤も弱い弱小勢力でもある。


 都から追われたとはいえ、ダランの経済力に中央貴族へのコネやパイプは自家の権力安定化には欠かせないものだ。


 そして彼らは彼ら自身の親や周囲からダランとの交友関係を築くようにきつく厳命されている。


 故にうかつに今日初めてあったメイドの願いをかなえてダランへの不興を買いたくないという現実的な理由があった。


「おいおい雁首そろえて女一人の願いすら聞こうとするやつもいないのかよ」


 静まり返った集団の中でスアピがあきれたように彼らを批判する。


「な、ならば…あなたが止めればよろしいじゃないですか、第一にそちらの問題なのですから」

 

 スアピの言い方にカチンと来た一人が言う。

 

 それを起点にして、周囲の若者達が同意し始める。


「確かにそうだな、いまは違うとはいえかつての主が今の主に対して従者の扱いを教えてあげようとしたのだからな」


「ま、まあ…少々、ご無体な振る舞いとはいえ都の貴族様だからな、われわれ田舎者とはやり方が多少違うのだろう」


「……お前ら、本気で言っているのか」


 低い声は先ほどまで陽気に話していた少年から発せられていた。


 それに圧倒された若者達は黙り込んでしまう。 


唯一、赤い髪の少女だけはじっと少年の顔を見据えている。


「ふん、やっぱりお前らは戦場に出たところで役にはたたねえだろうさ、仕方がねえ…俺が行ってやるよ」


 そのまま振り返りもせずに輪を離れる。 


 アメリアも慌てて後を追い、その後ろをとてとてと少女もついていく。


 後に残された者達は置いてけぼりを食らってしまったかのような態度で彼を見送った。  


「よお、ムランどうしたんだ?」


 緊迫した雰囲気とは反比例するようにスアピが主の肩に手を回して声を掛ける。


「なんだ貴様は!」


 ダランの周囲に居た男達が彼に近づこうとするが、それを誰かが止める。 


 ムランだ。 


 まだ少年特有のあどけなさが抜けない顔をしながらも意思の強そうな表情で男達を制止する。


 本来なら彼の命令など無視をしても問題は無い。 


 なぜなら彼らの主を罵倒しているのだから、そのまま切りかかってしまったところで主に罰せられるはずがないのだ。 

  

 むしろ褒められる状況だったかもしれない。


 だが男達は止まった。 止まってしまった。 


それは従者の少年がかもし出す雰囲気に警戒心がわいたこともある。 

  

 だが彼らの視線はその少年ではなく、彼が気安く肩を抱く若き領主代理に向けられていた。


 先ほどまで舐めきっていた若者に無意識に従ってしまったことに戸惑どいと畏怖を覚えている。


「ええい! 何をしているのだ! この無礼者たちを…いや、待て…気が変わったぞ」


 怒って紅潮した顔を戻し、ダランがニヤつく。 


 その嫌味な笑いに対して若者は表情を変えずに睨み、従者の少年は険悪な態度をますます強め、そして後ろに居たメイドはもはや不安で涙ぐんでさえいる。


 少女は無表情で彼らを見上げているだけだった。  

 

「それでは私のメイドに謝罪をなさってくれるんですね」


 無礼な領主代理の言葉に周りの人間達がざわざわ騒ぎ出す。 


 これはいくらなんでも常識が無さ過ぎる言葉だ。


 仮にダランが冷静になってその場を取り繕うとしたとしてもこの要請に応じるはずが無い。


 貴族がメイドになど謝るはずが無い。 そんなことをする貴族など存在しない。


 そしてそんなことを言う人間など居るはず無い…はずだ。


「ほ、ほう…言うではないか」


 赤みが薄れていたダランの顔面にまたカッと血が上る。


 それを見た彼の執事やメイド達者は巻き込まれないように自然と離れていく。


 すぐ横に立っていた衛視達も恐怖を覚え後ずさってしまう。


 変わらないのはそれと対面しているムランとスアピ、イヨンだけだった。


 静寂が場を支配している。


 息苦しいまでに空気が凍りついていて、参加者達は気まずそうに壁に寄っている。


「それではどのように気が変わったのですか?」


 いまだ変わらない態度にさすがのダランも面食らったようだったが、すぐに顔色を戻す。 


 滾った血をその酷薄な瞳に全て込めて……。


 そして獣のような笑みを浮かべて彼は言った。


「決闘の申し入れは慎んで受けるのが貴族の責務であるからな」

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