2章メイドは唐突に⑤
「おっ!やっと来たのかよ、遅えぞ」
すでに市場の食堂で何杯もの器を重ねながらスアピは食事をしていた。
それと向き合うようにイヨンがムグムグと食事をかみ締めながら手を挙げる。
「こんなところにいたのか?本当にここが好きなんだなスアピは」
どうやら常連だったらしく、店主も慣れた手つきでムラン達の椅子を用意してくれた。
それに腰を降ろそうとする…が、隣にいるアメリアの冷たい視線を感じて教えられたように貴族らしい座り方で席に着く。
アメリアは用意された椅子には座らず、ムランの後ろに控える。
ムスっとした顔で……。
雰囲気を察したスアピが気まずそうにムランに耳打ちをする。
「おい、機嫌が更に悪くなってるぞ、お前が上手く納得させてくれると思ってたんだぞ」
「い、いや~、途中までは機嫌直してくれたんだけどな~。何故か急にまたあんな風に……」
「何か仰いましたか?」
絶対零度の物言いに二人が慌てて居住まいを正す。
もちろん背筋をピッシリと伸ばして。
イヨンは無視してあいも変わらずむぐむぐしている。
「それで? 食事はまだ終わらないのですか?」
「あ、ああ……も、もう食べ終わる……いや、食べ終わったからよ。な、なあ……イヨン?」
「……ふるふる」
口元に食物を付けながら無表情で首を横に振って拒否する。
「なっ…!お、お前少しは空気読めよ!」
「イ、イヨン…ま、また後で食べに来よう……ねっ?」
狼狽しながら食事を中断しようと言うムランに、イヨンは少しだけ迷った後に、
「イヤッ!」
力強く拒否する。
困り果てた様子で尚も説得を続けるが、すればするほどにイヨンはますます依怙地になっていく。
「と、とにかく、立ち上がろう……ねっ、イヨン。いい子だからね」
「……イヤ」
「こ、この我侭言ってんじゃねえぞ、早く立てって!」
「イヤイヤイヤイヤイヤッ!」
目の前に置かれたひき肉と特製ソースを混ぜ、その下には幾重にも輝く宝石のようなプリプリとした半熟の鶏卵をまるで自身の子のように抱きかかえて話すまいと抵抗する。
「こ、この……いい加減にしろ!」
ぶち切れたスアピがテーブルに拳を叩きつける。
その音は皆の会話を途切れさせてしまうほどに響く。
一瞬の沈黙の後にイヨンは俯き、プルプルと震え始め……そして、
「うわあああん! スアピが怒った~~!」
大粒の涙を流して泣きじゃくる。
その大きな泣き声に周囲の人々が何事かと集まってくる。
「やべっ…こ、交代だ、交代!」
「えっ?そ、そんないきなり言われても…」
自身の行動とイヨンが泣き出してしまったことでバツが悪くなってしまいあわてて横にいる主にバトンタッチする。
しかし主もこのような状況にどう対応していいかおろおろししてしまっていると、
「はあ……しょうがないですね」
フワリと彼らの横を通り、アメリアが未だ幼児のようにギャン泣きするイヨンの横に座ってハンカチで彼女の涙を優しく受け止める。
「大丈夫ですよ、食べ終わるまで待ってますからね」
されるがままにうけ、少し落ち着いてからしゃくりあげつつ彼女に問いかける。
「本当?」
その問いかけに優しく微笑みながら、
「ええ…さあ、早く食べてお買い物の続きをしましょうね」
「…うん!」
アメリアと比例するようなまぶしく笑って、彼女はぎこちなくスプーンを使って食事を再開する。
「…あ、ありがとうございます」
意外な行動に戸惑いながらもお礼を言うムランの言葉に、
「こんなところで騒ぎを起こしては問題ですからね、もっとしっかりなさってください」
小言を言って叱り付ける。
「それとあなたも、無理強いをしてどうするんですか?そういうところがあの方が危惧してるところなんですよ」
オルドのことを引き合いにだされてしまいぐうの音も言えず、ただただ反省するようにスアピがペコリと頭を下げた。
そして雑多な市場に流れた喧騒は静かに戻っていった。
「イヨン、さあ買い物の続きをしようか?」
ムランが彼女の頭を優しく撫でると上機嫌にイヨンが目を輝かせる。
「いっぱい綺麗なもの買ってくれる?」
「ああ、買うよ〜!…いっぱい買うよ!」
「やった~!」
おおはしゃぎしながらまるで子犬のように身体の周りを飛び跳ねるイヨンと手をつなぎながらムランは市場を二人で踊るように進んでいく。
その二人を今度はアメリアとスアピが見ていた。
アメリアは無表情だが、スアピは何故だかニヤニヤとしている。
それを横目で見ながら、訝しげに口を開く。
「…何か言いたいことでもあるのですか?」
「いや別に…ただあんたの意外なところを見たなと思ってな」
「…? どういう意味ですか?」
表情を変えず聞きなおすと、ニシシと崩した表情で笑う。
その顔は先ほどの彼女たちの主に似ていた。
「別に…ただ、意外に優しいところもあるんだと思ってな」
「な、なんのことですか!」
二度も予想もしてなかったことを言われた彼女は再び顔を赤らめた。
「なんだ、そんな顔も出来るのか…意外に照れ屋か?」
「だ、だから…違うと…」
必死で否定しようとするが、ますます顔は紅潮していき耳まで真っ赤になってしまう。
それを見てますます興が乗ったのかスアピがニヤついた表情になる。
「いつも冷静なメイドちゃんも意外に褒められるのは弱いのか~。いや~まったく可愛いね~、可愛いメガネメイドちゃんだ~」
「い、いい加減に……」
アメリアの顔が恥ずかしさとはまた違う感情に染められて血色が良くなってくることに気づかないでますます調子に乗って彼女をからかう。
「冷たそうに見えて本当はただ意地っ張りなだけで、しかも恥ずかしがりやなアメリアちゃ~ん」
「いい加減にしなさいって言ってるでしょ!」
強烈な音ともにアメリアの怒声が市場内で轟きわたったが、今回はただの歳若い男女の痴話げんかと見られ、周囲は温かい目でそれをスルーしてくれた。
「…目は覚めましたか?」
「ああ…強烈にな」
頬に手形を付けてスアピは未だクラクラするのを我慢しながら答えた。
ヒリヒリと痛む手を振りながらアメリアは気を取り直して、前方にいる彼女たちの主に視線を向ける。
その視線の先ではアメリアから見て、多少頼りなくはあるが心優しいこの街の領主の息子。
だが今はデレデレとした顔で次々と行商人から服を受け取りながら彼らの仲間である少女の衣装を見繕っていた。
「本当に変わった人ですねムラン様は」
半分あきれてるのと少なくともその人柄を評価しつつ彼女は呟いた。
「ああこの辺の人間でも一番の変人だぜあいつは」
スアピも豪快に笑ってそれに同意する。
「でも未来の領主様としては決して問題のある方ではないようですね」
最初にこの命令を受けたときに彼女は、ムランのことを知らない人間から見れば当然と思える評価を内心でしていた。
望外の縁によりつながることの出来た王侯貴族との関係をより良好とするために教育係である自分を斡旋してくれるように頼んだのだと。
それは当然のことだった。
彼女が前に居た場所の主もやはり大貴族であり、その周りにはその主の権力や権勢にあやかろうと媚を売る弱小貴族達を見てきていたのだから。
もっともその大貴族は畏敬ではなく恐れられる恐怖の対象として従者や弱小貴族達に見られていたが……。
「いくら地の利があるとはいえ、これだけ富ませているのだからオルド様が気になされるのも当然ですね」
アメリアは首を動かさず、視線だけで周囲を見渡した。
先ほども街の規模に反して賑わっていると主に言っていたが、それは決しておべっかでもなく本心だった。
そしてまた改めてそれを強く思っていた。
単純に地の利だけではこれだけの繁栄は望めない。
スアピたちに教育を施しながらもムランが代行している政務を彼女はそれとなく確認していたのだ。
もちろん本来の領主であるムランの父、トール自身も決して凡百な人間ではないのだがが、その最も有能なところは軍務であるところは間違いない。
内務に置いては悪くは無いというレベルだというのが彼女の正直な評価だった。
それだけでは街はここまで栄えないし、人々も集まってはこない。
その理由としてまずヨシュウの街は商業にかかる税率が安い。
普通の領主ならば商業がこれだけ発展しているのならば税率を上げて収入を増やそうとする。
あるいはギルドのような組合を作り上げて自身の手のかかった商人に牛耳らせて行商人達を排除しようとする。
だがヨシュウはムランの指示により、ある一定以上の発展をした街ならば当然あるようなギルドを作らない。
旅の商人も地元の商人も分け隔てなく商売をさせている。
これは近くにサンシュウという大都市があることに大きく関係していた。
つまり本来この地方である商業の中心地である大都市には強い力を持ったギルドが当然存在していて流れの商人たちが商いをするとしたら高い場所代を払うしかない。
それとて一等地である場所は彼らに占拠され、彼らに渡される場所は人通りの少ない裏路地や市場の端しかない。
これでは当然利益は薄い。
高い税を払って物が売れないことは零細の行商人にとっては死活問題なのだ。
だが人が少なければ当然商品を売りつける客も少ないのでほとんどの行商人達はそれを理解しながらもそれを行っている。
だがヨシュウの街ではギルドも無く税金も安い。
そうなれば当然行商人達はヨシュウの街に集まっていく。
また地元の者達もわざわざ他の街まで買いに行く手間も省ける上に、税が安い以上当然大都市よりも値段は安い。
そうすると今度は大都市の方でもあまり裕福ではない層は値段が安いならと逆にヨシュウに物を買いに来るようになる。
また掘り出し物があるかもしれないと思ってやってくる層もいるようだ。
そのサイクルに乗って街はますます活気に満ちてくる。
また金銭的な面とはまた別の理由でメリットもある。
それは街の外から沢山の人間がやってくるということだ。
行商人は様々な地方からやってくる。
当然そうなれば他の地方のことも実際に見聞し、体験しているということでもある。
それは領地を支配する上で最も大切なことである『確実性の高い情報』が集まってくるということでもある。
こと国境に近いこの場所では異国やあるいは散発的に発生する盗賊などのことが領主の元に入ってくる。
そしてそれはわざわざ向こうからやってくるのだ。
どこの領主も莫大な金や人手を使って手に入れているその情報を比較的安価で手に入れることが出来るというのはある種、金銭以上に貴重な代物である。
けれども……アメリアはもう一度市場を見渡した。
今度は身体を回して全方位に目を向けて。
そしてまた感嘆を込めて大きく息を吐く。
それが出来ているからこそこの街が、ムラン様が有能である証だわ。
心中で呟く。
市場には商売人も客も森の木々のようにひしめきあっているが、本来ならその中に多少は存在しているはずの衛兵が居ない。
人が集まれば集まるほどに揉め事は増えていく。
どの人間にも固有の考え方があり、人生がある。
増えれば増えていくほどにその固有性によってぶつかり合いも比例することもまた真理であるはずだ。
だがこれだけの規模ならば多少は起こるであろういざこざが先ほどから一つも起こっていない。
これは驚くべきことだ。
アメリアがムランを評価するもう一つの理由がこれだった。
ヨシュウはありえないほどに治安が良い。
賑わえば賑わうほどに治安は悪くなっていき、ある一定を超えればそれの利益点を越えてしまう。
ゆえにギルドが発生し、行商人達が締め出されていくのだ。
よくわからない新参者よりもよく知っている人間が信用されるのもまた一つの真理だ。
つまりムランは様々な人間を街に集めると同時に治安の安定も両立させている。
オルド様が言っていたことはこのことだったんですね。
アメリアは主に内心では敬服しかけてはいたが、それでも彼女の目の前で行っている行動には些か頭が痛いと思っていた。
彼女の稀有なその主は初めて市場にきた子供のように大はしゃぎしながら、彼自身の従者をとっかえひっかえ着替えさせては感嘆の声をあげている。
領主としての内政能力の高さと無邪気とはいえぬほどの少年の痛い行為とのギャップが彼女の心内でいまだ拮抗しあっているのだった。
「…あの方はいつもああなのですか?」
苦りきったアメリアにやや気まずげにスアピは視線を逸らしながら、
「いつもよりかははしゃいでるかな~、ちょびっとくらい」
どうやら今の主の行動にはこの槍の従者も戸惑ってはいるようだ。
「あなたもあのお方もよくわからない人たちですね」
「何言ってやがる。変わってるのはムランの方だよ、イヨンもまあ大分頭はガキだけど、まともなのは俺だけだ」
「…………」
ジト目と無言のアメリアの視線に貫かれながらも再々度笑い飛ばしながら滑稽に胸を張っている。
「…………」
「…………」
「ふふふ……もういいですよ」
沈黙に負けたのはアメリアの方だった。
「おっ?やっと笑ったな……俺の勝ちだな」
「一体何の勝負をしていたんですか?」
朗らかに笑みを浮かべながらクスクスと笑うメイドにしてやったりと言わんばかりのドヤ顔で笑いあっていた。
「スアピ~!」
イヨンが全速力で走りこんで槍の少年に抱きついてくる。
彼女の髪と同じような赤いドレスを着て。
「お~、珍しく綺麗じゃねえか、買ってもらったのか?」
やや乱暴に頭を撫でられつつ唇を尖らしながら、
「う~、珍しくない! いつも!いつも綺麗なの!」
「そうだぞ、イヨンはいつだって世界一可愛いんだぞ! ね~?」
「ね~」
自身より頭一つ分だけ背の低い少女に中腰で視線をあわせながらニッコニッコの笑顔で頬をくっつけあっている。
「…どうだ、俺の方がマシだろ?」
「…そうですね、仕方が無いですが認めざるを得ません」
小さな対立を解決したことなど気づくことなく、イヨンはスアピの手から離れると今度はアメリアの前に走り出す。
そして一瞬、後退った彼女の前に何かを差し出してきた。
銀色に光る台座にピカピカとした緑色の石がはめ込まれているブローチだった。
「こ、これは……?」
「貴女へのプレゼントですよ、俺とイヨンの二人で選んだものです」
ムランがそう言うとイヨンは急に恥ずかしくなったのかモジモジとしている。
そうしながらも頬を赤くして上目遣いにアメリアを見上げ……ようとしてまた視線を下げてその大きな瞳を彼女自身の鮮やかな紅色の髪の向こう側へと隠してしまう。
そのいじらしい仕草に胸の辺りがポカポカしてしまった。
しかしそれを表面に出すのをアメリアもまた恥ずかしいらしく、そっと少女の手からブローチを受け取ってゆっくりとひざを曲げる。
そして優しくイヨンの赤髪のカーテンを広げ、しっかりと目と目を合わせながら「ありがとう、大事にしますね」
と少し上ずった声でしっかりと礼を言った。
そんなアメリアの表情はイヨンの髪に隠れてムランとスアピには見えていない。
だがきっと間違いなくとても良い表情をしているだろうことをムランは確信している。
彼もまた領主としてでもなく、少年でもない、人として最も飾り気の無い顔をしていた。
スアピもそんな二人をからかうほどには無粋でもないので、照れくさそうに少年らしく笑っていた。
騒々しい市場の一画。 その中で新しい絆がひっそりと結ばれていた。
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