1-2 転送

 セデイターとして、リンディには、セデイトした対象に無用な怪我などを負わせずに、無事、魔法省本部まで送り届ける義務がある。そのため、森の中で放心状態の魔導士に、足元に気をつけろだの、頭に気をつけろだの、やれ、倒木を跨げ、枝をかわせ、右に曲がれ、左に曲がれと、いちいち指示を出したり、腕を引っ張ったりしながら歩かせなけばならず、実に面倒くさい。

 街道や街中ではこれほどまでの指示を出す必要がないのだが、セデイトしたのが森の中だったのが運の尽き。いっそ、手を引いたまま歩くという手もある……とはいえ、こんなやつの手を引くなんてのは不気味で気持ち悪い……やはり、そんなやり方に出す手はない。なにしろ、こっちも歩きにくいし、やつがすっ転んだら共倒れになる。そんなのは絶対いやだ。したがって、それは当然、却下……したにもかかわらず、今度は自分の足元への注意が削がれて、自身が倒木に蹴つまずくこと数度。うち二度ほど危うく転びそうになったところを、その都度、自分が助けた女に素早く支えられて事なきを得た。助けた女に助けられていては世話ないが、情けは人のためならずで、助けた甲斐はあったわけだ。

 一方、その彼女のほうはというと、わりとこういうところを歩くのは慣れているのか、足取りは確か。バジャバルのほうへ向かっている分、欠落を余儀なくされているセデイターの注意力を補完できるほど、余裕がある。

 最初は、助けた女の面倒まで見なければならないのかと危惧していたのに反し、蓋を開けてみればその逆で、リンディとしてはけっこう助かっている。これで、彼女がコンパスによる位置特定の魔法が使えれば大助かりなのだが、それを期待するのはさすがに過分のようで、その点は自分がこなさなければならない。幸いなことに、当該魔法を使うのは道中三度ほどで済み、どうにか全員無事に森の出口へとたどり着いた。


「はあ、やっと出た……疲れた」

 肉体的にだけではなく、むしろ精神的に。生い茂る木々から開放され、やっと開けた空間で、リンディは大きく伸びをする。

 出た先は街道であり、一応、距離的には近道をしたことになった。……森を迂回している街道から森の中を突っ切って街道へ。しかし、どう近道だったのかさっぱりわからない。確かに、それを教えた無謀な友人の無謀な体力なら確実にショートカットになったとは思うが……残念ながら、それをリンディは持ち合わせていない……のみならず、森の中でひとり助け、ひとりセデイトして連れてきた。より時間も手間もかかったこと請け合いである。

 もしも、森の中を通らなかったら、助けた彼女もごろつきに何をされていたかわからないし、何にせよ、偶然出くわしたバジャバルをセデイトした分の報酬はもらえるわけで、その点では決して間違った選択ではなかったとはいえ、本来の用向きを残しているセデイターにとっては、この時点で心身に負担がかかることをするのは決して望ましいことではない。この件は早く始末して、先を急ぐ必要がある。


 お疲れのリンディが辺りを見回すと、都合よく「転送スポット」が見つかった……百歩も歩かずに済む距離だ。いちおう、かの友人が、近道のルートをそのように設定していたのだろう。こちらの体力の見積もりを不問にすれば、気が利いているといえよう……あくまでも、不問にすれば、だ。

 その「転送スポット」とは、魔法による「転送」を可能にする地点として、予め座標を設定してある場所である。「転送」とは、人やものをA地点からB地点へ瞬時に移動させる最新の魔法テクノロジーであり、転送する対象を「転送ボックス」という、専用の大きな箱型の装置に入れて行う。人も送るのだから、それ相応の大きさだ。

 転送では多量の魔力を要するため、基本的にはその生成に十分な魔法元素をストックしてある施設間でしか転送できないものの、片側の地点で大量の魔力を生み出せれば、事前の座標設定という条件付きで可能となる。その場合、生物の転送ならば、必要な魔力を生成できる施設へと呼び戻す方向にだけ、一度につき人間なら一名のみ可能だが、その逆の、送り出す方向への転送はできない。手順としては、先に空の転送ボックスを送り、その中に一人入れて転送し、呼び戻すことになる。複数名の場合は、これを人数分繰り返すわけだ。

 ともあれ、転送は、転送座標としてあらかじめ設定してある地点間でのみ可能であり、どこへでも送れるわけではない。そのため、転送を利用する際には、まずはその地点、すなわち転送スポットへと自力で移動する必要がある――電車やバスを利用する際の、駅やバス停のように。この国、セレンディアでは、最近、転送スポットの設置に力を入れており、主要な街道なら街と街の中間に少なくとも一ヶ所は確保されている。


「あたしはあそこに行くから」

 ともかく、バジャバルをさっさと転送してしまおう……。街道脇の転送スポットを指差して同行の娘に告げたリンディは、既セデイト者を誘導しながらそこへ向かう。こちらの意図を理解したかはわからないが、とりあえず、彼女は後ろからついてきた。

 森の中の比ではなく容易にそこへ着くと、二人を少し離れたところで待たせ、セデイターは本部へ連絡をする。

 連絡には、許可された者のみが所持している連絡用のディバイスを使う。見るからにトランシーバーのような、初期の携帯電話に似た形状をしたもので、遠方と電話のように通話できるが、使用可能なのは、転送スポットなどの転送可能地点においてのみ。連絡できるのも、そこから転送可能な場所だけだ。

 まずは、設置してある座標認識装置のプラグへそのディバイスを接続し、こちらから魔法によって回線を一瞬だけ開いて、通話相手に信号を送る。すると、向こうのオペレーターがそちらで生成する魔力を使用して回線をつなぎ、こちらのディバイスに信号が送られると、通話が可能となる。いわば、公衆電話から、料金ではなく魔力対象のコレクトコールをかけているようなもの。遠方との無線連絡には多量の魔力を要し、個人の魔力キャパシティでまかなうのが困難であるがゆえに、このような形式を採用している。そのため、この「電話」は誰もが使えるようなオープンなものにはなり得ず、一部で利用されているのみである。


 さて、セデイターが詠唱によって魔法省本部に信号を送ると、すぐに担当のオペレーターから連絡が返ってくる。

「やあ、リンディ。こちらは魔法省本部、ジェイジェイだ。また、ひとりやったのかい?」

 こいつの陽気な対応はいつもどおり。それはそれとして、こちらも専門職として、文句を言っておく。

「なんか人聞き悪いな、それ。ちゃんと『セデイト』って言いなよ」

「いいじゃないか、わかってるんだから。意外に堅いな、リンディは」

「そんなこと言うのはあんたぐらいだよ」どちらかというと、お堅い人から注意される側。「ま、とりあえずやったけど」

 結局、自分でも「やった」と表現。

「はっはっは。で、転送かい?」

 このわざとらしいほどの陽気な男は、魔法省本部の連絡・転送オペレーターのひとり、ジェイジェイ。名前がかっこよさげのわりに、地味な仕事とよくいわれる。セデイターのリンディは転送の常連で、顔なじみ。

「セデイト済みひとり転送。名前は、ババジャル……ジャババジャール……みたいな……」

 結局、確実にはわからない。

「何だって? もう一度」

 案の定、聞き返してきた。誤魔化したのに……めんどくさい。

「だから、バジャジャル……ジャバラジャール……みたいなの、だよ」

「『みたいな』って……いい加減だな、リンディは」

 ……さっきは堅いと言ったくせに。

「まぁ、そんな感じの名前だから……送ったら、九課のミレットにでも調べてもらって」

「そうかい、わかったよ。えーと、『バジャジャル=ジャバラジャール』かい?」

 二回目に言ったのをきっちり繰り返してきた。こいつ……もしかして、できるやつ? 

「そう、たぶんそれ」

 まったく確信がないが、ここで繰り返すとさっきのようにドツボにはまるので、繰り返さずに肯定しておいた。

「OK。それじゃ、ボックスのセッティングをするよ」


 転送ボックスは、通常、人間が立って入ることの出来る大きさ――だいたい、公衆電話ボックスより少し大きいくらいの箱であり、外装は美しくもクリスタルで覆われている。もちろん、それは豪華さを追求したなどという虚飾のための加工ではなく、それが転送にとって、魔法技術上、必要だからだ。そして、このような貴重な素材と高度な魔法技術のブレンドは当然ながら高価となり、決して量産できるものではない。この豪華で貴重な、そんじょそこらにはない「箱」は、現状、魔法省本部でさえ、稼動させているのは予備を含めてせいぜい五台ほどである。

 ともあれ、今回のような呼び戻し転送では、先にその希少なボックスを空のまま転送者側へと送ってくる。転送そのものは一瞬で終わるものの、座標設定や搬入などのセッティングに少なくとも数分ほど時間が必要だ。

 今回は空ゆえに、魔法省のほうでボックス内にものを入れる手間はなく、中身が空なのを確認するのみ。魔法技術による転送は、ボックスそのものを転送することによって可能となっており、中身を分解して再構成するようなメカニズムではない。よって、某映画のようにハエと人間を一緒に転送してハエ人間ができるようなことはなく、転送の失敗は単に転送されないだけ。ただ、ハエ一匹程度では起こらないとはいえ、失敗するとストックしてある魔法元素を無駄にすることになるので、余計なものが入っていないか確認するのは必須である。


「セッティング完了。今から送るから、安全確認よろしく。解除コードは……」

 オペレーターのジェイジェイから解除コードの連絡が入った。転送ボックスが送られるスペースには、保安上の理由から結界が張られており、そのままではそこへ入れないため、一時解除コードを取得して、結界を解除する必要がある。

 リンディは、解除コードを復唱して確認してから、コード認識パネルにそれを音声入力。こうして、ボックススペースを守る結界を解除すると、そこに転送を妨げるものが何もないことを視認して連絡を返す。

「結界解除完了。安全確認OK。問題なし。送って」

「了解。では、送ります」安全のため、短いカウントが入る。「3、2、1、転送」

 少しかしこまったジェイジェイの声のあと、ものの数秒で空のボックスが送られてくる。到着を確認したセデイターは、陽気なオペレーターに返信。

「着いたよ。じゃ、あいつ入れるから待ってて」

 もはや名前を発音する気にもなれないセデイト対象者を呼びにいこうと、そちらへ振り返る……。


 この、リンディとジェイジェイの会話の間、少し離れたところから彼らの使う言葉を耳にしたショートカットの娘は、耳を疑った。言ってることが……言葉がわかる……。電話のようなものを使っているため、聞こえてくるのは助けてくれた女性の声だけだし、会話の中には耳慣れない単語がたくさんあった。しかし、さきほどまでこのブロンドの美女が使っていた言葉とは違って、聞き覚えのあるフレーズや単語がたくさん出てくる。そして、それは……たまに見る、あの夢の中で使われる言葉。それは、自分が理解し、話すことの出来る言語……。夢の中で……子供の自分が……。

 会話のすべてがわかるわけではない。それでも、理解することができるその言語をもっと聞こうと、彼女は次第にその声のほうへとにじり寄っていき、会話の終わる頃にはリンディの傍らへと近づいていた。


「あれ? そこにいたんだ。びっくりした」

 バジャバルを連れてこようと、振り向いたセデイターは、助けた娘が自分のそばに来ていたことに気づいて、少し驚いた。

 だが、今の言葉は、助けられた女には理解できない。先ほど、彼女が傍らで聞いていた会話の言語とは違う……たぶん、その前に自分に対して話していた言葉だ。そこで、彼女は目の前の美女が端末を使って会話していた言語で口を開く。

「わかるんです……さっきの……言葉……」

 それを聞いたリンディは、一瞬、目を丸くする……すぐに、はぁと息をつくと、ほっとして笑みをこぼす。

「なんだ……わかるんじゃない、セレンディー語」それは、この国の第一公用語であり、彼女の母語。ジェイジェイと交わしていた言語だ。「先に聞かなかったっけ?」

「セレン、ディー、語……」

 たどたどしくつぶやいた女に、セデイターが聞き返す。

「そう。いちおう、わかるんでしょ?」

 発音からして流暢ではないから、母語でないことはわかる。それなら、あの時、もう少し丁寧に聞いておくべきだったな……。警官などと違って、セデイターは一般の被害者への対応には慣れていない。

「ええ、その……少し……」

 実のところ、自分がどの程度その言語を理解できるのか、彼女にはまだよくわからない。なにしろ、その言語の名称も知らなかった。おそらく、マイナーな言語の一つなのだろうが……。何にせよ、彼女にとっては、夢の中で話していただけの言葉……。それを自覚すると、まるで、今も夢の中にいるよう……。ただ、そこでは自分はいつも小さな子供だ……今と違って。

「少しでもわかればいいよ。……あ、そうだ、名前を聞いておこうかな」そういえば、まだ名前も聞いていなかった……。バジャバル=ジャバ……みたいな面倒な名前に疲れたせいで、無意識的に聞くのを避けていたのかもしれない。「あたしの名前は、リンディ=フレヴィンドール。あなたは?」

「わたしは、クスノキ=ナユカ(楠木 那由香なゆか)です」

 また難しい……さっきほどじゃないけど。そんな予感はしてたんだ……。

「……えーと……もう一度お願い」

 たぶん、外国人?……には、わかりにくい名前かもしれない……。そこで、女……ナユカは、もう一度、ゆっくり発音する。

「クスノキ=ナユカです」

「クス……、あの……ナ、ユー、カさんでいいかな」

 バジャバルの二の舞は避けたいため、リンディは苗字と思われる後半だけを呼ぶことにした。実際は、そっちは名前なのだが。

「はい、ナユカで。あの……フレビ……えーと……」

 反転して、こちらは彼女にとって聞き慣れないものだ。バジャバル化を避けようという意識が強くあるセデイターはすぐに察し、早期解決を図る。

「あ、リンディでいいや」

「はい、リンディさん」

 名前で苦労したばかりの誰かと違って、ナユカはすぐにそちらは発音できた。後半の苗字はともかく。

「で……ナ、ユーカさん。ちょっと待っててくれる? 今、あいつを……」置きっ放しのひげ魔導士を指差す。「転送しちゃうから」

「はぁ……はい」

 ナユカには「テンソウ」と聞こえた単語の意味がわからないものの、すぐに終わりそうな気配なので、そのまま待つことにする。


 セデイターは、いまだ放心状態のバジャバルを転送スポットへ誘導して転送ボックス内に入れると、その入り口を閉めてから、しばし待たされていたオペレーターのジェイジェイに連絡。

「お待たせ。準備できたから、転送して」

「了解。では、転送します」マニュアル上、かしこまった返答から数秒して、ボックスは目の前から一瞬で消滅。折り返し、陽気なオペレーターから連絡が入る。「転送完了しました。対象の『バジャジャル=ジャバラジャール、かっこ仮』の身柄は預かります」

「『かっこ仮』ねぇ……。ま、頼んだわ」

「次は、リンディの転送だね。またボックスを送るよ」

 生体は定員一名なので、その都度、空になったボックスを送ってくる。

「あ、その件だけど、あたしはいいんだ」

 なぜかリンディが拒否したので、不審に思ったジェイジェイが聞き返す。

「いい? どういうことさ」

「まだこっちに用があるから」

 実は、セデイターは、まだこちらに来た本来の目的を達していない。バジャバルのセデイトは単なる成り行きだ。

「用があるって……セデイトしただろう。さっさと処理しないと」

 オペレーターの指摘は正しいが……。

「近くの出張所で処理するからいいの」

 セデイターがセデイト魔法によって対象者を鎮静化するということは、その精神に悪影響を及ぼしていた瘴気を術者に移動するということだ。その結果、術者であるセデイターも、その瘴気による心身への影響を少しずつ被ることになる。したがって、当人の健康のためには、できるだけ早くそれを外部の瘴気保管器に移さなければならない。そこへ移したあとは、魔法省本部などにある処理機により、瘴気の源である魔法残留物の再処理が行われ、そこから抽出された魔法元素はストックされて、魔力の源として再利用される。

「近く? そんなのあったかな……」

 疑わしげなジェイジェイ。実のところ、そんなに近くにはないが、リンディはそうは答えない。

「あるよ。とにかく、そいつが目的でこんなところまで来たんじゃないから、いちいち戻ってらんない」

 道中に偶然出くわしてしまったバジャバルは、流れでセデイトしただけで、本来のターゲットは別にいる。またここまで魔法省本部から出向いてくるなんて、まっぴらだ。手間がかかるだけではなく、時間が経てば、そのセデイト対象者の消息も失われるかもしれないし、下手をすれば、誰かに先を越されるかもしれない……。

 そんなセデイターの都合があり、それに干渉するのは権限外であるとしても、友人として、また、責任あるオペレーターとしては、おいそれと承諾はできない。

「でも、決まった手続きってのがあるからね」

「九課に回しておいてよ」

 魔法省の魔法部第九課は、セデイト関連を統括している課だ。それでも、予想外にまじめなジェイジェイは、けっこう食い下がってくる。

「しかし、規定では……」

 さらなる抵抗をさえぎり、リンディは別の話を向ける。

「それよりも、もうひとり……別の人を送らなくちゃならないかも」

「別の人、というと?」

「実は、襲われてた女性がいるんだけど、どうするか彼女と話をしなきゃならないんだよね。だから、いったん切ってから、後で連絡するよ」

 ナユカと相談の必要があるのは本当だ。

「そうなのかい? それじゃ、必ず連絡を……」

「うん。必要ならするよ。じゃ、また」またも発言を途中でさえぎったリンディは、一方的に会話を終わらせて回線を切った。「……意外に堅いんだよな、ジェイジェイは。あんな雑魚の瘴気処理のためにいちいち戻ってられますかっての」

 セデイターの見立てでは、攻撃魔法の威力が高くなかったバジャバルは、魔力容量も大したことないと思われ、それに比例する瘴気の量も、セデイトそのものにかかった時間に鑑みて、多くはないはず……。事実、そう結論付けた本人が、その瘴気による違和感をなにも感じていない。それに、幾度となくセデイトした経験から、瘴気にはもう慣れている。


 通話をほぼ一方的に終えたリンディは、少し離れていたナユカのところへ戻り、セレンディー語で話しかける。

「お待たせ。えーと……念のためだけど、怪我とか、調子悪いところとかある?」

「ありません」

 きっぱりと言い切ったとおり、見たところ何の問題もなさそうだ。バジャバルの誘導とかで疲れ気味のセデイター自身よりも、元気かもしれない。

「そう、よかった。それで……」

 話を進めようとすると、彼女が何か言いたげだ。

「あ、あの……」

「ん? なに?」

 先に話させようというリンディに、栗色の髪の娘はその頭を下げる。

「ありがとうございます。助けていただいて」

「あ、いいよ、それは。もう十分伝わってるから」

 彼女のお辞儀を何度見ただろうか。

「でも、ちゃんと言葉で言いたくて……」

「それは、どうも。わざわざ……」あまり律儀にされるのも決まりが悪く、話を先に進める。「それで、これからどうするか、だけど……」

「どうしたらいいんでしょうか……わたし……」

 かなり戸惑っているが、襲われかかったのだから、まあ無理もない。しかし、セデイターが対処できる問題でもない。

「とりあえず、警察に行くのがいいね。持ち物、捕られたんでしょ?」

「それは……落としました」

 山中で落としてしまった。山道から外れたところへ……でも、こんな平地の森の中まで転げ落ちるわけはない……。そもそも、なんで目を覚ましたら、平地だったのか……自力ではさほど下っていないはずなのに……。では、バッグはいったいどこへ……。混乱しつつ、状況を思い起こそうとしているナユカに、セデイターが確認する。

「あいつらに盗られたんじゃなくて?」

「その前に……落として、なくしてしまいました」

 残念ながら、それは確実だ。バッグの中のスマホも失って、連絡もできない。完全に迷子である。

「そう……それはお気の毒。まぁ、いずれにせよ……まずは、警察に相談するのがいいと思うな」

 たぶん、見つからないとは思うけど……。どうしても必要なものなら、ギルドに報奨金を出して、探してもらうとか……。ともあれ、それはなくした本人が考えることだ。

「警察……」

「警察は、ここから隣の街。あっちか……こっちね」街道の両方向を交互に指差してみせた。そして……。「近いのはこっち。あたしの来た方」

 つまりは、戻る方向で、普通に行くなら街道を道なりに行く。心細げな迷子は、その方角の遠方をボーっと見る。途方に暮れているのか、あまり焦点は合っていない。

「……」

 無言の彼女に対し、そこへ歩いて行けなどというつもりは、リンディにはもちろんない。

「でも、ここから魔法省へ転送できるから、着いたら事情を話せばいいよ。それから警察へ行けば?」

「テンソウ……?」

 まだ、それが何のことかナユカにはわからない。

「あそこから」セデイターは、転送スポットのボックススペースを指す。「今、バジャ……あの魔導士を送ったけど、見てたでしょ?」

「……送った?」

「一瞬で送れるんだ。便利でしょ」転送は魔法テクノロジー最先端の産物であり、現状、公務などの理由で許可された者しか利用できないので、体験した者も少なく、知らない者すらまだ多い。おそらく、このも初めて見たのだろう。「それに安全」

「……」

 どう反応すべきかわからない。言葉はだいたいわかってもその意味がわからず、無言のまま、迷子は箱のないスペースを見つめる。疑問と疑念で頭が一杯だ。

「行ったら、後は向こうで事情を話せばいいよ。あたしが先に話を通しておくから」

 セデイターの責任として、連絡はしておく。

「あなた……リンディさんは、行かないんですか?」

「あたしは、あっちに用があるから」自分の行き先を指差しても、目の前の迷える娘は考えに入っていて、無言のまま。それならばと、リンディはベターなほうを推す。「……転送が楽でいいと思うけど」

「……はぁ」

 生返事。ということは……。

「もしかして、行くところがあるの?」

 急ぎの用とか……? 

「行くところ……」

「どこに行くつもりだった?」

「家……です……」

 そう、実家へ向かっていたはずだった。でも、霧の中……道に迷って、バッグを落として、探して、なぜか眠ってしまって、気がついたら……。

「家かぁ。どっちなの? 家」

 リンディは両腕を広げて、道の両方向をそれぞれ指差す。

「わかりません」

「わからない?」

「全然わからないんです……ここがどこか……」

 首を左右に振る迷子。

「ふーん」

 相槌は打ってみたものの……対応に困る。よほど激しく道に迷ったってこと? それで、森の中をさまよっていたと……自分も人のことは言えないけど……。ともかく、こういうケースは、警察に任せるのが一番いいが、転送は魔法省にある魔法研究所の最新技術であり、その設備は魔法省関係に優先的に配備されているので、警察署などにはまだ設置されていない。したがって、まずは魔法省本部に転送し、本人が事情を説明すれば、そちらで適切に取り計らってくれるだろう。この迷子の状態を考慮すれば、魔法による記憶遡行などが必要なのかもしれず、その場合は、能力外かつ職務外である自分ではなく、魔法省の専門家に対処してもらうわけだし……。

 ともあれ、こっちも先を急ぐ身だ……。考えている間、黙ってこちらを見つめていた迷子に、セデイターは転送を再提案する。

「やっぱり、魔法省に転送するのがいいと思うな。向こうでちゃんと面倒見てくれるから」


 ……転送。ナユカは、自分を助けたブロンドの女性、リンディが話す「セレンディー語」というのがなぜか理解でき、そのことに自分自身驚いている。とはいえ、話す内容すべてがわかるわけではなく、会話の中には、随所にわからない単語が出てくる。それらの内のひとつが「転送」だ。

 リンディからの短い説明だけでは到底わからないものの、それに使うらしき大きな箱の出現と消滅を自分の目で見たのは確かであり、どういうメカニズムなのかはともかく、その意味するところはわかった。……すると、必然的にある点に考えが及ぶ。自分がどこかわからないこの場所に突然来てしまった原因だ。そして、その不可解さに対する答えが「転送」である。仮にそれがなにかのトリックであったとしても、何らかの関係はあるのではないだろうか……。


 ところで、ナユカの現状に至る経緯は、まず、彼女が霧の山中で視界と意識を失ったことから始まる。その後、気がつくと森の中にいた。

 意識を失うといっても、気絶したというのではなく、意識がホワイトアウトしたというべきか……つまりは、眠ってしまったのだろう。もしかしたら同じことかもしれないが、「気絶」などというのは、彼女自身、積極的には認めたくない。スポーツ好きの健康優良児にとってはショッキングな出来事だからだ。あの状況で眠るというのはあまりにも迂闊だとはいえ、そちらのほうが自分に対する説明としては、まだまし。思えば……今は思い出したくもない「あのこと」のせいで昼食も取り損ねて、心身ともに疲れ切っていたし……。

 ともあれ、意識が戻ったときには、地面に横たわっている自分がいた……。それがどのくらいの時間だったかはわからない。ただ、体の感覚から、それほど長い時間とは思えない。容易に立ち上がることができたことからも、それはわかる。

 気がついた当初は、当然ながら山中だと思ったが、深く垂れ込めていた霧が晴れていたため、森の中をよく見回したところ、傾斜はなく、どうやら平地であるのが見て取れた。状況がつかめないまま、バッグを落としたことを思い出し、歩いて辺りを探してみても、どこにもない。中にはスマホが入っていたのに……これじゃ、連絡を取ることもできやしない……。


 出口のわからない森の中で、少しだけ開けたところに出て呆然としていると、木々の隙間から人影が見えた……どうも、こちらに近づいてくるようだった。ほっとしてその人物に助けを求めようかと思ったが、直感的に嫌なものを感じ、その場で立ち止まって観察してみたところ、その人物……男は、片手に……ナイフを持っていた。危険を感じて逆方向にターンし、逃げようと前を向いたら、そちらからも男が迫ってくる……片手には、やはり武器らしきもの。具体的にそれがなにかはわからなくても、危険なことはわかる。

 どこか別の方向に逃げようと辺りを見回すと、左からも、右からも男が……。どうやら、取り囲まれたらしい。四人の男の隙間を縫って走ろうとしたところ、俊敏な男たちはさっと互いの隙間を詰める。それでも、どうにかして逃げ出そうと右往左往しているうちに、彼らは次第にナユカとの間をじわじわと詰めてきた。早く逃げ出さなければと思い、反転して一気に走り抜けようとしたものの……タイミングが合わず、つまづいて膝をついた。

 顔を上げて周囲を見回せば、男たちが立ち止まっており、口角をゆがめ、嗜虐的な笑みを浮かべている。まるで、こちらの表情を見て満足したかのようで、再びじわじわと間合いを詰め始めた。恐怖しながらも、なんとか突破口を見出そうとしているそのとき、突然、ざわついた男どもの視線が一方向へ向かった……と思ったら、彼ら全員が……まったく動かなくなった。そして、その固まった視線の先から現れたのが、ブロンドの美女、リンディであった。


 何らかの方法で助けてくれたと思われる彼女へ、礼と同時にここがどこなのか、今、なにが起こったのか、などの状況を尋ねようとする間もなく、別の男、ローブを羽織った妙な男が現れ、それは叶わず。しかも、固まった悪漢たちと同様、彼女とその男の会話はまったく知らない言語でなされ、さっぱりわからない。……いったい、何語なのだろう? こちらの言葉は話せるのだろうか? 

 そうこうしているうちに、ふたりは戦闘になり、突然、自分のほうにも男が撃った何かが飛んできた。その直撃を受けたような気もするが、何の影響もなし。ただの見せ掛けなのだろうか……何かのアトラクションとか……こんなところで? それにしても、ここはいったいどこなのだろう……。もしかしたら、テーマパークか何か? そんなもの近くになかったはずだけど……。

 疑問を抱いているうちに、ふたりの戦闘は女の勝利で終わり、男は捕獲された。勝ったブロンドの美女は自分に話しかけてきたが、やはり言葉がわからない。仮に、ここが近隣のテーマパーク類の中だとすれば、たとえ外国人であっても、こちらの言葉は多少なりとも通じるはず……。そう思って話しかけてみたものの、まったく通じない。とりあえず、英語を使ってみても、やはり駄目。……もしかしたら、テーマパークとしての規定か何かがあって、わからないふりをしているとか? 

 どういうことなのかと考えているナユカに、彼女がなにやらジェスチャーを交えて、話しかけてきた。いまいちよくわからないやり取りを経て、最終的に、「自分と一緒に来るか」と尋ねてきているようなので、ここは一緒に行くことにした。なにはともあれ、この森から脱出しなければならない。見た感じ、彼女は悪人ではなさそうだし、こんなところに置いていかれても困る。ここがどこか、そして、どうしてこんなところに来てしまったかわからない以上、帰る道のりもわからないのだから。


 森の中を動き始める前に、ブロンド美女は、水筒と携帯食料を渡してくれた。こういったものは、見慣れない形状をしていても、身振り手振りですぐわかる。その途端、それまで忘れていた喉の渇きと空腹を思い出し、彼女を女神と崇めたくすらなった……あれやこれやで朝食以降、なにも食べていなかった……。渡された食料は乾燥しており、すぐに噛めるものではないが、水で潤った口の中に広がる甘みと少しの塩気が心身を癒してくれる。いかにも保存食という感じでもまずくはなく、堅い落雁のようなものなので、ふつうの干菓子なのかもしれない。堅すぎて噛めない忍者食の煎餅みたいなものじゃなくてよかった……。

 多少なりともエネルギー補給をしたナユカは、その「女神」の後に続き、茫然自失の男を誘導している彼女が、つまずいて転びそうになるのを逆に助けたりしながら、なんとか森を抜けた。すると、そこに開けていたのは、広めの道……そして……明るい! もう夕暮れだと思っていたのに……。山から続いてずっと森の中だったため、知覚がおかしくなっているのだろうか? あるいは、もう次の日で、ほぼ一日意識がなかった……なんてことはないはず。体の感覚でそれはわかる。それなら、もっと消耗しているだろう。

 その道を少し進んだところで、ブロンド美女は支柱によって確保された設備へ向かい、そこで一風変わった電話で連絡を始めた……ようだ。ジェスチャーで少し離れて待っているように指示されたものの、気になってそこへ近寄ったナユカの耳に入ってきたのは、連絡中の彼女の言葉……驚いたことに、それは自分に理解できるものであった。そして、もうひとつ、さらに驚いたことは、唐突に、大きな箱がどこからともなく現れたこと。手品……としか考えられないが、それにしても……あまりにも、大掛かりだ。やがて、改めてリンディと名乗った女から説明があった。これは「転送」であると。


 そして、今、ナユカは、自分を転送するという彼女の提案に対し、しばしの沈黙の後、口を開く。

「あの……やっぱり、わからないんです……『転送』って」

 戸惑いを隠せない……というよりも、隠さない。「転送」……が、手品などではなく、本当にリンディの説明するように人を一瞬で移動させるものなのか確信がないし、むしろ、本当だったら怖い……いくら安全と言われても。それに、それが本当なら、知らないところへ来てしまったのも、もしかしたら、その「転送」のせいではないだろうか……。だとしたら、また変なところへ送られてしまうのはいやだ。

「ああ、最初はちょっと怖いのかもね……知らないと」助けた女が転送を嫌がっているのを見て取ったセデイターが諭す。転送は彼女にとっては甚だ便利なもので、これなしでは仕事がはかどらない。もはや不可欠といってもいい。「でも、大丈夫だよ。事故なんか聞いたことないし、道を歩くよりも安全。さっきみたいなごろつきなんかも出たしね」

 出たのは森の中だが。

「あ、あの……ついていってもいいですか? あなた……リンディさんに」

 それでも、やはり「転送」は不安だ……気が乗らない。どうにか避けたいナユカ。

「え? でも、あたしは……あっちへ……」その方向を指差す。「歩きなんだけど」

「お願いします」

 ここで放り出されるわけにはいかない。迷子の表情には必死さがにじむ。

「それにちょっと遠いし……着くのは明日の夕方くらい……たぶん」

 新設されたこの街道はいまだ交通網の埒外につき、実は、こちらの方面に来たことはなく、行き先はリンディにとっても初めての街だ。……自分もちょっと迷子になったくらい。よって、確約はできない。森の中ではないので、もう迷うことはないとは思うが。

「それは、大丈夫ですから」

 歩くのは別に億劫ではないし、体力には自信がある……だから……。そんなナユカの心情をリンディが汲み取る。

「……そんなに転送、いやなの?」

「はい……」

 ひとりで行動したいセデイターは少し間をおいたものの、助けた迷子の不安げな表情を見てあきらめる。

「……それじゃ……一緒に行こっか」

「はい。ありがとうございます」

 表情に陽が射したナユカの、本日何度目かのお辞儀。言葉が通じないときに少し大げさにやっていたのがまだ抜けず、傍目には少々オーバーに見える。

「あぁ……はい」あまり何度も大げさに礼をされるのは、決まりが悪い。「……ま、気楽に行こう」

 でないと、こっちが疲れる。

「はい、がんばります」

 まじめな人にありがちな返答だ。

「そう?」

 いや、がんばられても……と、リンディは思う。その傍ら、「はい」と、にこやかな返事が返ってきた。……天然? それなら、それでいい……無害そうだし……。そういえば、同行するなら、先に言っておいたほうがいいことがあるな……。でも、まぁ……あの程度なら大丈夫か……。そう判断し、口にするのはやめておく。のっけから面倒なことを教えて、逆に気を使われるのもいやだ。それに、専門的なことをわかりやすく素人に説明するのは、難しい。

「……ま、いいや」つぶやくと、期せずして得た同行者に声をかける。「……少し休んだら出発ね。えーと……ニャウ、カ……えーと、ナ、ユ、カさん」

「はい、リンディさん」

 こうして、迷子のナユカはセデイターのリンディに同行し、どこかわからない彼女の目的地へと向かうこととなった。


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