一日目

1-1 セデイター登場

「ったく、森を突っ切るなんてやめときゃよかった」

 後悔先に立たず。

「か弱いあたしにサンディのまねは無理なんだよね」

 若い女がひとり、深い森の中を誰かへの文句とともに歩いている。

「近道だとか、楽だとか……自分を基準にしないでほしいな」

 薄暗い森の中でも、ブロンドの長い髪が黒いクロークに映える。

「かえって疲れるっての」

 愚痴っていた女は、いったん立ち止まり、手に持っているコンパスのようなものをじっと見つめる。

「こいつがこっち向いてんだから、こっちでいいはず……だよね」

 誰にでもなく、自分で自分に確認。

「ま、行ってみるか、しゃーない」

 ますます深くなる森の中を先に進む。


 ……しばらくそのまま進むと、木々の間から遠くに人影らしきものが見えた。

「ラッキー」

 女は道を尋ねようとそちらの方向へ足を向けたものの、よく見れば、どことなく様子がおかしい。歩みを緩めて観察しながら、じわじわ近づくと……どうやら、ひとりを四人の男が取り囲んでいるらしい……。進むのをやめ、木の陰に隠れて、様子を見る。

 遠目ではわからなかったが、囲まれているのはショートヘアの女で、軽装かつ丸腰……手荷物すら持っていない。おびえているようで……間を詰めてくる一人の男から後ずさり……をやめ、急遽反転して逃走しようとしたところへ、別の男が間を詰めてくるのが目に入ったのだろう……あわてて急停止し、地面に片膝をつく。

「盗賊か……それとも変態かな……。まぁ、どっちでも……こっちがやることは同じ」

 離れて様子を見ている女は、次の行動を決めた。四人の男は、すでに手中にした獲物をねぶるかのように立ち止まり、片膝を立てた状態の女を取り囲む。身を屈めたまま、クラウチングスタートで位置に付いたときのような体勢をとり、突破口を見つけようと前後左右を見回している奴らの獲物は、立ち上がった途端に襲い掛かられるのを恐れているのか……動くことができない。男たちはそれを見て、再びじわじわと間合いを詰めていく。

「さて、行くか」

 木陰の女は、向こうに悟られないように気配を消しつつ近づき、四人の男たちが「獲物」の一定の範囲内に間合いを詰めたところで、詠唱を始める。そのまま走り出し、連中が向かってくる女の存在に気づいた頃には、すでに詠唱は完了。即座に魔法が発動され、それをまともに受けた悪漢四人は、全員そのまま完全停止。範囲型の麻痺魔法によって身体が硬直し、もはや、まぶたをぴくりと動かすことすらできない。


「はい、おしまい」魔法を撃った女は、にこっと笑う。「でも、巻き込んじゃったな」

 現場に視線を向けつつも、足元に気をつけながらゆっくり歩み寄って行く中、予想外のものが目に映った。

「あれ? 動いた」

 静止中の男どもに囲まれている女は、なんと……立ち上がった。なぜか広域魔法──麻痺魔法のとばっちりを受けていない……動けている。急いで周囲をぐるりと見回した彼女は、周囲の襲撃者たちが全員微動だにしなくなっているのを見て、呆気にとられているようだ。

 そんな彼女のもとへ、助けた女が向かっている最中さなか、突然、別方向から、なにやら大声が聞こえてくる。

「ぬわっはっはっは。貴様らの悪事もそれまでよ」

 髪をなびかせて振り向いたブロンドの女の目に入ったのは、遠方から妙な笑い声を発した男。そいつは、こちらへ走り始めようとした矢先に、いきなり倒木に蹴躓き、べしゃっと派手にこける。すぐに立ち上がろうとしたところ、己のマントを踏みつけて再度転倒。それでもどうにか立ち上がり、顔の長いあごひげやローブについた土を振り払うこともなしに、こちらへよたよたと歩いてくる。そして、数歩歩いたところで立ち止まると、失笑交じりの眼差しを向けている女を指差して叫ぶ。

「ここがお前の死に場所と知れ。ぬふわはははふぁあ」

 この笑い声は……おかしい。その矛先である女はつい噴出してしまった……だが、そういうことではなく……つまりは、変だ。これは、たぶん……。自分の推測を確認すべく、額の横にどけてある片眼スコープのようなものを左目に下ろして、まだ十分遠くにいる男を見る。

「やっぱりね」

 なにかを確信してスコープを元に戻す。この間に、助けられた女は、麻痺して固まったごろつきどもの中心から抜け出し、助けた女の後方、数メートルほど離れたところへ駆け寄ってきた。魔導衣の男、ゆえに魔導士だと即座にわかるその男は、笑いながら、またも、よろよろとこちらへ歩き始める。

「ここで会ったが、ひゃひゃ……ひゃっひゃっひゃ……」途中で笑い出した魔導士は、立ち止まり、なんとか収める。「百年目」

 ブロンドの女には百年も生きた覚えは微塵もないので、確認のため、後方の自分が助けた女へ振り返る……栗色の髪の、どうひねくれて見たって百歳以上には見えない若い女だ。魔族などでなければ、彼女のことでもない……そもそも、魔族はこんな森の中をふらふらしていない。ということは、こっちのことを百歳以上と言ったわけだ……なんて、失礼! ……というよりも、呆けているのではないだろうか。そもそも、本人ですら、百歳以上の老体には見えない。その魔導士の男は数度咳をしてから、改めて叫ぼうとして……。

「……あー……にょひょっ」

 思いっきり噛んだ……のか? ここで笑ったら、相手の思う壺……なのか? 噴出しそうになるのをこらえて聞き返す。

「……なに?」

「あー……なんだったか……ぬぬぅ……」出てこない口上を諦めて、叫ぶ。「とにかく、死ね。ぬわひゃっひゃっひゃ、ぐふふふひょわ」

 笑い方がまったく意味不明。ただ、相手がやる気だというのはよくわかる。魔導士のわりには、距離を無視してよろよろ近づいてくるのが、よくわからないが……。そこで、今度はブロンドの女が叫ぶ。

「止まりなさい」

 すると、男はぴたっと止まる。魔力の込められた言葉の効力だ。効き目はほんの一瞬であっても、注意を引くにはそれで十分。一定の距離を維持できたので、すぐに女は質問を始める。

「何の用……って、それはもう言ったか……」用かどうかはともかく、「死ね」と言った。そこで、質問を変える。「……とりあえず、あんた誰?」

 長いあごひげを生やした魔導士の男は、威厳ありげに答える。……実際はなくても。

「我が名は『バジャバル=ジャジャバラール』。用心棒をしておる」

 こちら、魔導士の女は聞き返す。

「ジャババル……何だって?」

「ジャジャバラールだ」

「ジャババル=ジャララバール?」

 ややこしい名前だな……。

「バジャバル=ジャジャバラールだ」

「ジャバジャル=バジャラバールね」

 でも、どこかで……。

「違う、バジャバル=ジャジャバラールだ」

「バジャジャル=ジャバラジャールでしょ?」

 聞いたことがあるような……。

「違うと言っておろう。バジャバル=ジャジャバラールだ」

「わかったよ。ジャジャバル=ジャババジャール」

 そうだ、そういえば確か……。

「えーい、わからぬやつだ。バジャバル=ジャジャバラールっ」

「あ、そうか……なるほど。『ッ』が入るんだ。ジャババル=ジャバジャバールッ、だね」

 ……リストで見たんだ。

「なにを言っておる、『ッ』など入らぬわ。バジャバル=ジャジャバラールと何度も言っておる」

「ああ、めんどくさ。なんでもいいよ、もう」ブロンドの女は頭を掻く。……ややこしい名前だから覚えてた。もちろん、アバウトに。「で、その、バジャバル=ジャジャバラール……」

 偶然にも正解で話しかけたところ、あごひげの魔導士は立腹して叫ぶ。

「違ーう! バジャジャル=ジャババラールだ。いい加減にせい! 何度言わせる気か!」

「……じゃ、もう一度言って」

 美女魔導士は確認のためリクエスト。ひげ魔導士は腰に手を当て、ふんぞり返って叫ぶ。

「これが最後だ。しっかり聞け。我が名はジャババル=バジャババール。わかったか。ぐわっはっはっは」ついに、本人もわからなくなったらしい。にもかかわらず……。「まったく、近頃の若い娘は……人の名前もちゃんと覚えられんのか……いったいどういう教育を受けておるのじゃ……見かけばかりに気をとられおって……世も末じゃ。わしが若い頃など……」

 ……などと文句たらたら。

「さっきと違うじゃん、名前」

 向こうに聞こえても面倒になりそうなので、十把一絡げにされた近頃の若い女は小声で愚痴った。一方、ひげ男の愚痴は続く。

「そういえば、はとこのおいの嫁も……」

 もはや、目の前の女のこととは何の関係もない──ただの愚痴。あーめんどくさい……もういい加減、始末を付けよう。一計を案じた魔導士の女は、一言叫ぶ。

「わかった」これで終わり。思えば、名前を聞き返して繰り返すからややこしくなるわけだ。「で、あんた……あたしのこと知ってるの?」

「初対面なのに、知るわけなかろうが、痴れ者め」

 態度がさらに大きくなった。自分の愚痴のせいで、無駄な怒りが増したらしい。

「『ここで会ったが……』とか言ってたじゃないの」あきれた女は、小声で突っ込む。「もう話すのやめて、さっさとやっちゃおう……なんか、イラついてきたし」

 今度は女が名乗りを上げる。

「あたしは、セデイターの『リンディ=フレヴィンドール』。これより、あなたをセデイトします。おとなしく……」

 言いかけたところで、結局正しい名前がわからない魔導士が叫ぶ。

「死ねぇ。ぐふぁひゃひゃっ」

 妙な笑いとともにいきなり魔法を撃ってきた。

 「リンディ」と名乗った「セデイター」の女には、自分が名乗りを上げている間に奴が詠唱しているのは先刻承知。この手の輩が不意打ちしてくるのは、いつものことで慣れている。そこで、あわてることなく落ち着いたまま、最小限の動きで奴の放った氷の矢をかわす……しかし、その刹那、あることを思い出した。そういえば、後ろには……。

「やばっ」あわてて後ろを振り返ったところ、先ほど助けた女がきょとんとした顔でこちらを見ているのが目に入った。「だ、大丈夫?」

「○×△?」

 彼女の返事は、こちらの知らない言葉だ。わからないから返答はせず、さっと見たところ……どうやら無事のよう。当たらなくてよかった……。ほっとするリンディ。

「怪我は……?」

 話しかけながら、確認のため近づこうとすると、ショートヘアの女がセデイターの後方を指差してなにかを叫んだ。

 ぱっと振り向くと、やつが魔法を撃つ体勢に入っていた。今度は避けちゃまずいという意識があったため、必ずしも得意とはいえないガード魔法「エレメンタル・シールド」を高速詠唱して、展開。撃たれた火球を魔法で防御し、火は雲散霧消した。森の中で火を放つとは、たいした放火魔だ。わざわざ罪状を増やすこともあるまいに。

 念のため、後方の彼女を確認すると、魔法の軌道から離れた場所、すなわち、前にいる自分の斜め後ろへときっちりと移動していた。どうやら、さほど心配することもなさそうだ。それならば、ガードするよりもかわしながら攻撃するほうが得意なリンディには、やりやすくなる。

 再び前を見ると、やつが次の魔法の詠唱を始めていた。セデイターは後方の女からさらに離れた方向へじりじりと移動し、先に魔法を撃たせる。漆黒の耐魔法クロークを翻しつつ、再度放たれた氷の矢を余裕で回避し、移動しながら、今度はこちらが詠唱を開始。そして、向こうが詠唱を始めるタイミングに合わせて魔法を発動する。


 一般に、魔導士は装備や本人の耐性の点から魔法に対する防御力が高く、魔法ではしとめにくい存在である。しかし、魔法を使う、魔導士特有の弱点もある。それは、詠唱を開始したその時点で、そのとき、一番ガードが甘くなる。というのも、この時間の魔法使いは、発動する魔法のイメージ全体を喚起しており、脳がその作業に専念していることから、外界への注意が削がれがちなためだ。相手の捕縛を目的とするセデイターなら、そこへ睡眠系魔法を撃ち込めば、気持ちよく入眠してもらえることになる。

 そのような思惑に基づいて発動された睡眠魔法は、その向かった相手をきっちり直撃し、深い眠りへと一気に落とし込んだ。こうして、完全に無防備となったところへ、麻痺系魔法を強力に撃ち込むことで、目覚めたときには、体は動かせず、声も出せずという、いわゆる金縛り状態の作成が完了。……こうなったら、もう、こっちのやりたい放題である。意識のあるままフルボッコにできるわけだ。

 とはいえ、リンディには「セデイター」としての職責と職業倫理があるので、もちろんそんなことはせず、職務の全うに専念する。麻痺させるのは、「セデイト」のため。その状態なら、無抵抗のままじっくりセデイトできる。


 ところで、その「セデイト」とは「鎮静化」を意味し、その対象となるのは恒常的な魔法使用者、すなわち、たいていは専門の魔導士である。魔力を大量に消費する強力な魔法の使用機会が多い彼らは、魔法使用によって生じる一種の廃棄物である魔法残留物と、それが放出する毒素の総称を指す「瘴気」を多く発生させる。そのような瘴気は魔法使用者の体内に一時的に留まりつつも、自然に少しずつ浄化されていくものだが、強力な魔法を過剰使用すると、その自然浄化が追いつかず、次第に彼ら自身の体内に蓄積されていく。それが大量になると、魔法使用者の精神は徐々に蝕まれ、ついにはハイテンションの状態が継続するような、持続的な魔法酔い、あるいは魔法的バーサークとでもいうべき精神の変調をきたすことになる。そんな彼らから瘴気を剥ぎ取り、一時的に術者であるセデイターに移動させることによって、精神を鎮静化するのが「セデイト」である。

 これは、魔力の源である魔法元素を他者から吸収して奪取する、マジックドレイン魔法の一形態であり、エレメント系や回復系にカテゴライズされない雑多な魔法の総称となっている「暗黒魔法」に属している。現在のマジックドレインにおいては、ドレインするのは魔法元素のみであり、瘴気までをも吸収することはなくなっているが、瘴気の危険性が認識されていなかった、かつてのそれでは、現在よりも強力ではあるものの、魔法元素と同時に瘴気までをもドレインしてしまっていた。それをむしろ逆転した形にし、より多くの瘴気をドレインする魔法としたのがセデイト魔法である。

 そして、「セデイター」は、その名の示す通り「セデイト」を職業としている者で、リンディはその中でもトップクラスといえよう。もっとも、まだ新しい職種ゆえに、セデイターの絶対数自体が少なく、競い合う相手もそう多くはないが。


 セデイトを実行する際には、セデイターは「要セデイト対象者」に対して、まず事前に同意を得るというのが手続きとして定められている。とはいえ、そこで合意できるような魔法使用者は、まずセデイト対象になってはおらず、ほとんどの対象者は、さきほどのバジャバルのように一方的に先制攻撃を仕掛けてくる。そして、そのような攻撃行為が確認された時点で、「要セデイト対象者」は「強制セデイト対象者」となり、もはや同意を求める対象ではなくなる。そうなると、セデイターは実力行使によって彼らをセデイトすることとなる。

 しかしながら、セデイターの目的はあくまでもセデイトであり、相手に無用な怪我を負わせるわけにはいかないので、通常の攻撃魔法ではなく、「睡眠系」や「麻痺系」などの行動制御魔法を主体として相手の攻撃を無力化するのが妥当なやり方とされている。それゆえ、大方のセデイターはそれらの魔法の使い手である。

 ところが、行動制御魔法は、効けば効く、効かなければ効かないという類の魔法であり、成功率が低ければなにも起きない。したがって、それを上げて確実性を増すには、不意を撃つなど、なんらかの工夫が必要で、そこは各人の知恵と腕の見せ所だ。先ほどのように、詠唱の瞬間を狙うというのは非常に効果的ではあるものの、この策には高速詠唱や移動詠唱の技術が伴わないと難しい。

 一般的に、このようなテクニックによって詠唱された魔法は、通常の詠唱による同等の魔法よりも威力が落ちるものなので、単独行動はせず、パーティなどで物理系の戦士らに護られる通常の魔導士にとってはさほど実用的ではない。さらに、それら技術の習得は難易度が高いこともあいまって、確実に使いこなせる魔導士はさほど多くない。先ほどなされたように、これらふたつの詠唱技術を同時に使用できるリンディは、その点だけでも、有能なセデイター足りうる資質を持ち合わせているといえるだろう。


 そして、今、ブロンドのセデイターは、麻痺状態で固まっている「強制セデイト対象者」の魔導士バジャバル=ジャジャ……ともかく、バジャバル以下略に近づき、その名を聞かされる前にも使用した、存在する瘴気を視覚的に表示する、いわば、瘴気を「可視化」するスコープを左目の上に下ろしてから、もう一度、先ほど言いきれなかった口上を投げかける。

「あたしは、セデイターのリンディ=フレヴィンドール。これより、あなたをセデイトします。抵抗はしないように」

 相手の名前を繰り返すのは省略することにした。規定では、確認のため最初にセデイト対象者のフルネームを口にしなければならないのだが、今回は特殊なケースということで……。また同じやり取りを繰り返して、もたもたするわけにもいかない。

「ま……どうせ、抵抗のしようもないんだけどね」

 片手のひらをややこしい名の主にかざすと、リンディは詠唱を始める。外から肉眼で見ても、そこで起きていることは何もわからないが、30秒程度で瘴気は費えた。それ以上試みても何も出ないので、そこでセデイトは終了とし、スコープを元の位置に戻す。

 今回のセデイト対象者は小物であり、魔力のキャパシティそのものが大きくなければ瘴気の量も多くはないことから、その程度で済んだものの、強力な魔導士の場合はそんなに早くは終わらない。そして、そもそも、セデイトそのもの以上に、捕らえること自体が手間だ。


 こうして、セデイトが完了すると、被術者はそれまで長らくその者のハイテンション状態を維持してきた瘴気を失うと同時に相当量の魔力をも失うことになり、たいていは一時的な放心状態になる。特に、重症の者においてはその程度も強く、その期間も長くなる。また、同程度の症状でも、もともと魔力のキャパシティの大きい者のほうがセデイトの影響を強く受け、復帰までにより時間がかかってしまう。

 リンディによってセデイトされたバジャバルは、それなりに重い症状だったものの、魔力の容量がさほど大きくないだろうから、元に戻るまでにそれほどの期間は要さないと予想される。それでも、少なくとも二、三日は放心していることだろう。その間、意識はあっても意思の削がれた無力な状態であり、こちらの言うことは認識できても抵抗することはない。

 当然ながら、職務上かつ人道上そのまま放っておくわけにはいかないので、ケアができる場所へ連れて行く必要がある。現在、すべてのセデイターはフリーランスで、魔法省を通した依頼を受けて活動している都合上、魔法省の本部へ彼らを「連行」しなければならないが、その場から動かせない重傷などのケースを除き、まずは同敷地内にある魔法省付属病院へと移送することになる。


 このように、セデイト対象者であることは保護対象者だということであり、対象者であること自体は犯罪ではないとはいえ、ハイテンション化したその症状から、彼らが犯罪を犯している可能性はそれ相応に高い。今回のバジャバルのように、突然、先制攻撃をしてきたことが、そのわかりやすい例である。

 おそらく、奴は、リンディの助けた女を囲んでいたごろつきの一味あるいは用心棒と思われ、およそ犯罪に関わりないとはみなしにくい。しかし、仮にそうであったとしても、一般論として「保護対象者」を「連行」するような扱いには、少々矛盾があるかもしれない。とはいえ、放心状態にあるセデイト後の対象者は、意思疎通ができる状態にはないのだから、実務上、本人の意思確認を省いて、どうにか連れて行く他はない。結果、どうしても、連行という単語によって表されるような扱いとなってしまう。たとえ、それが本人の健康管理のためであっても。

 その「連行」の方法は、具体的には、まず、両手両足に、抵抗や逃走を防ぐため、一定以上のスピードで動かすことが困難になる魔法のかかったリング、それぞれ、ブレスレットとアンクレットをつける。これらは、手錠などとは違って、拘束具ではない。次に、魔法の詠唱とそれによる魔力の流れを検知すると、術者の意識に幻影を送り込み、それを魔法発動に必要なイメージと混濁させることによって、魔法の発動を阻害するサークレットを頭につける。例えれば、西遊記の孫悟空につけられた「緊箍児(きんこじ)」をもう少し人道的にしたようなものといえよう。

 それらに加えてさらに腰縄までつければ、もちろん逃亡の可能性はかなり低くなるわけだが、それでは完全に犯罪者扱いになってしまうので、強制セデイト対象者に対してはそこまではしない。なぜなら、完全にセデイトされていれば、放心状態に置かれているため、逃亡の意思などなくなっているはずだからだ。ゆえに、捕縛はセデイト不完全であることを示すことになり、セデイターにとっては不名誉なこととなる。そして、前述したすべてのリング類の用途は、むしろ、放心状態にある対象者の不慮の事故を防止するというのが本旨である。

 ともあれ、このような状態の者をはるか魔法省まで送り届けなければならない。それは、手を引いて長い旅路を同道するなどということではもちろんない。なぜなら、幸いにして、この世界には便利な装置がある。それは、当然……魔法に基づくもの。ただし、利用するには、それが設置されている場所まで、徒歩で移動する必要がある。しかし、その前に……。


 セデイトしたバジャバルに各種リングを装着してから麻痺を解き、いったん倒木に座らせると、リンディは、後方の木の陰からこちらの様子を伺っている助けた女に近寄る。

「大丈夫? 怪我はない?」

 質問に対して、助けられた女は、一礼をしてから何かを言っているのだが……言葉がわからない。聞いたことがない発音なので、この辺りの言語ではないようだ。

「あー、ごめん。なに言ってるかわかんないんだけど……」こっちならわかるかも。「セレンディー語は……?」

 相手は聞いてもきょとんとしている……やはり、わからないようだ。わかればとっくに話しているはず。というのも、国境に近く、隣国との間で帰属が変更になることがよくあったこの近辺には、自国と隣国、それぞれの言語の話者が同程度おり、発音が違っていても同系統の言語であることから、両言語を操る者も多い。今、セデイターが話しているのは、バジャバルに合わせて隣国の言語。セレンディー語はこの国の公用語であり、リンディの母語である。

「とりあえず怪我は……」セデイターは自分より背の高い彼女を、もう一度、上から下までざっと見回す。「ないようね」

 その行動の意味を理解したショートヘアの女は、またお辞儀をして、自分を助けたブロンドの女に言葉を発した。言葉自体ががわからなくても感謝されているのはわかるので、リンディはにっこりと微笑む。

「まぁ、とにかく無事でよかった」

 自分よりも少し年下に見える彼女は、その表情を見て安心したようで、微笑を返して、再度ぺこりと一礼してきた。

「それじゃ、あたしは、あいつを連れて行かなきゃならないんで」

 バジャバルを指差したセデイターがそちらへ歩き始めたところ、彼女もついてくる。

「ん? どうかした?」

 振り返ったリンディに、女はまた話し掛けてくる。

「えーと、わからないんだよね……」

 困りながらも向き直って、必死に話してくる彼女と正対したところ、当初より気づいていたことではあるが、軽装で荷物を何も所持していないことを再認識した。

「もしかして、持ち物とか盗られちゃったの?」荷物のジェスチャーをするリンディ。「それなら、あいつらから……」

 聞き出そう、と思って、麻痺させたごろつきどものほうに目をやると、すでにその姿は影も形もない。麻痺が解けて逃げてしまったようだ。なぜか彼女は無事だったが、巻き込むことが事前にわかっていたため、緩めに麻痺魔法をかけたのが原因だろう。……少々、手加減しすぎた……こういった調節はどうも苦手だ。

「あーあ」セデイターは天を仰ぐ。ごろつきや盗賊の逮捕は職務外なので、思いっきり念頭から失せていた。「すっかり忘れてた……まずかったなぁ……」

 きょとんとしている手ぶらの女へ、視線を戻す。状況を理解しているのかいないのか、また、意思疎通ができているのかどうかもわからないが、とりあえず、駄目もとでも伝えてみよう。

「あの、悪いんだけど……あいつら、逃げちゃったから、警察に届けてくれない? ごめんね」

 リンディは、申し訳なさそうな表情をどうにか作り、ごろつきどものいた方向を指差してから、警察を身振りで表現しようとしたものの、警察のジェスチャーってどうやればいいんだと、頭を悩ませる。とりあえず、腰縄や手縄のジェスチャーをしてみても、うまく伝わらない。仕方なく、剣の振りまねをしてみても、剣など使わないセデイターにはポーズが決まらず、これが結果的に鞭を振るうようにも見え、ショートカットの女は驚いて一歩引く。

 ……なにか、あらぬ誤解でもしたのだろうか? まずいと思ったリンディは、「今のは、なし」というジェスチャーをして、微笑んでみる。その部分はどういうわけか通じたようで、彼女の驚きは消えていった。とはいえ、警察を身振り手振りで表すのは、やはり難しい……。

「ま、とりあえず……街道に出てから、そっちの方角を示せばいいか……」つぶやいてから考える。さすがに、こんなところに放り出しておくわけにもいかないし、セデイト絡みの被害者といえなくもない。とにかく、本人に尋ねてみよう……ジェスチャー込みで。「一緒に行く?」

 これはわかりやすかったらしく、彼女は二度大きくうなずくと、またお辞儀。えらくお辞儀が多い娘だとリンディは思うが、これも、言葉が通じない状況だからそうしているのかもしれない……。

 すると、助けてから初めて、彼女の表情には、安堵の色が見られた。襲われた直後だから、ひとりでは心細かったのだろう……。基本的に犯罪への対応が職務外であることに加えて、いまや放心状態となったバジャバルの誘導もあるとはいえ、被害者をこんな場所へ放置しようとしたことに、セデイターは少なからず罪悪感を覚え、せめて警察へ送るくらいはしてあげようと反省した。持ち物もないようだし、水と携帯食料くらいは振舞っておこうかな……。


 それはそれとして、少しばかり疑問に思うことがリンディにはある。彼女がこんな森の中でひとりでいたというのはなぜなのだろう……。まさか、自分のように近道のため森を突っ切ってきたわけでもあるまい。仮にそうなら、自分よりもはるかにこの森に慣れているのかとも当初は思ったが、そうではなさそうだ。どちらかといえば、右も左もわからないという感じ……。自分についてこようとしたのも、護衛を必要としているということ以上に、それが理由ではないだろうか。

 それに、これまで観察した限りでは、近道として森に分け入るような無茶なことをしそうな感じではない。旅慣れたリンディですら、「突っ切っちゃえば近いよ。簡単だから」という、体力系友人のアドバイスを真に受けてしまったためにこんなところをさまよっているわけで、本来なら森なんかにいるはずがない。無謀な体力友人の脳内筋肉を軽く見ていた過去の自分を、今は罵倒したい気分なのだから。

 考えられるのは、このショートカットの娘は、さっきのごろつきから逃げてここまで来てしまったということ。もしそうならば、街道は遠くはないはず。念のため、彼女にどちらの方角から来たのか、身振りで尋ねてみたものの、意味は通じたようだが、首を振り、わからない様子。深い森の中に必死で逃げてきたのならわかるわけもないとリンディは納得し、自分で距離と方角を見出すことにする……。


 といっても、手馴れた魔法使いには、それは特に難しいことではない。手の上に特殊なコンパスのようなのものを置き、現在地と目的地を念頭において呪文を唱えれば、コンパスの針は目的地への方角を指し、針の点灯もしくは点滅した色によっておおよその距離がわかるという、実に便利な手法がある。これは、旅人の持つ潜在的な位置特定能力を活性化させる魔法で、一種、渡り鳥の持つ、地磁気による方位感知のようなものといえるだろう。したがって、旅慣れていない者がこの魔法を使っても、まともな結果は返ってこない。短い旅の経験程度はそれなりにあるリンディなら、それ相応の結果を得ることはできるものの、旅のベテランのような正確無比な情報を得るのは難しい。そのため、ある程度の移動をする度にこの魔法を使い、位置を何度も確認する必要がある。

 この魔法をセデイターが使ったところ、同行の娘は興味深そうにそれを見ている。……使ったことはないのだろうか。ならば、あまり旅慣れてはいないのだろうし、やはり、森に意図的に入ったということも、まずなさそうだ。


 ともあれ、リンディが向かうべきは、街道の方角。魔法によって得られた情報では、距離は思っていたよりも近いようだ。とはいっても、ここは森の中。それほど簡単にはいかない。コンパスの示した方向へ直線的に進むのは困難だ。加えて、困りものなのは、セデイトしたバジャバル。放心状態ゆえにこちらの言いなりではあるものの、それが仇となって主体性がなく、注意力も欠落しており、無事に障害物を避けさせるにはいちいち誘導しなければならない。返す返すもここは森の中。木や倒木を回避させるのは、面倒なことこの上ない。どうにか街道に出てしまえば、後は楽なので、そこまでの辛抱か……。リンディは覚悟を決め、二人を伴って出発することにした。



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