鬼と人

一齣 其日

鬼と人

人の範疇を超えた者は、人により淘汰されるしかない。


雨のように降りしきる矢の中、武蔵坊弁慶はそう思わずにはいられなかった。

迫る騎馬を自慢の薙刀で薙ぎ倒し、太刀を持ち目の前に現る者があるなら、その刃で兜ごと額を唐竹に割る。この猛者を前に、並の者はたじろぎ、刃を交わすことを恐れた。

木曽義仲との戦いから、壇ノ浦まであらゆる敵を打ち倒した男、その力量はやはり並ではない。奥州自慢の武士たちは、この男を前に矢を次々と放つしかなかった。

しかし、肩に、腹に、背に矢を何本受けても、巨躯が倒れることはなかった。流石に今なら、と一騎駆け出してみせたが、ただの一薙ぎで倒れ仰た。

「お、鬼か……あやつは」

などという声も漏れ始めるが、弁慶はそれを聞いて苦笑する。


本物の鬼などに比べれば、己など笑ってしまう存在に過ぎぬよ。


しかしてその本物の鬼も、そしてこの弁慶もここが最期の死地と見えた。そもそも、これほどの大軍に他の仲間どもは倒れたというのに、弁慶一人で耐えていることが異常なのである。弁慶自身、そう思っている。

鬼は確かに人以上だ。だが、人以上なものは、決して人に負けないわけではない。むしろ、人の知略と、謀略によって、敗れ去り滅びゆく方が数多い。それは今も昔も変わらない。

そして、彼の背後にいる鬼も、今まさに倒れんとしてる。もはや、死は迫り避けられぬ程にそこにあるか。

それを理解しても尚、男は立つのか。血溜まりに沈む骸の上に、弁慶という男は立つのか。

それは、未だ弁慶自身、答えが出ぬ問いだった。


……


かつて、その男は異様な生まれ風体から、鬼と呼ばれて恐れられた。

生まれながらにして歯は全て生え揃い、髪などは肩まで伸びきり、しかも赤子にしては妙に大きい。これを鬼子と呼べない人間は、当時にはいなかった。そんな子供に名付けられた名も、鬼若というそのまんまな者であった。

その様なわけで鬼だ、鬼だと呼ばれ育った鬼若。いつしか、彼も自身が鬼なのだと思い込むようになったのも、当然だろうて。

鬼若は一度は親にあの世に返させるところだったが、なんとかとりなしを得ることができた。だが、その代わり半ば無理やり比叡山へと入れられることになった。

かつて、最澄という大層な僧が開いたという比叡山延暦寺。そこであれどいえど、奴はどうにも鎮まらない。自らは鬼であるからと、とかく乱暴狼藉は当然のさま。気に入らぬものは嬲り、女を攫っては犯すなどもざらである。

これはいかんと当時のお師匠は、彼を剃髪させて僧にしたて上げようとした。なんとか鬼を立派な人間にとしたかったのであろう。それは、なかなかに慈悲深かったとも言える。

だが、この僧も初めから彼を鬼と見なしてたのが失敗だった。鬼が人になれと言われれば言われるほど、鬼若は鬼となり、さらに狼藉を働く始末。


どうせ己は鬼なのだ。鬼が人の言うことを聞いてられるか。


遂に、奴は手に負えないと、比叡山すら追い出されてしまった。聞くところによれば、最後は比叡山の僧兵どもが彼を追い出さんと徒党を組み、何人かの犠牲を出してようやく追い出したということらしいが。

さて、追い出されてしまった鬼若は、これもまた仕方なし、ここからまた生き直すか、と名前を変えた。その名前こそが武蔵坊弁慶である。

そして、まずは退屈しのぎに刀を千本集めるところから始めよう、自らの名を轟かせよう、などと画策し猛進し始めた。そこにあるは、居場所を無くした鬼の、どこか自棄っぱちにも似た心境。

だが、鬼と呼ばれたことはあり、まさにその呼び名に相応しい程の剛力を持つ男である。並みの武士でも彼には敵わない。たちまち数十人の武士が彼に敗れ去り、彼の名も都に少しずつ知られていくようになった。

「やはりこの鬼に、百戦錬磨の武蔵坊弁慶にかなわぬ奴などおらぬのか」

山から降りてきた鬼は、次第に天狗になりつつあった。確かに、この数十人との戦いにおいて、苦戦などは一度たりもなく、たちまちのうちに相手を倒すものだから、そう驕るのも仕方ないだろうて。


そんな天狗の鼻が伸びきる頃に、奴は現れたのだ。


月がどうも恥ずかしげに雲に顔を隠したその夜、いつもの様に弁慶は橋の中央に仁王立ちで佇む。

既に奪った刀の数など数えるのもやめたこの頃、「橋に住む鬼」を恐れ夜にその橋を、もとい橋全てを通らぬ者すら現れ始めていた。この当時は、得体の知れないものを恐れる時代である。これもまた当然の傾向か。

事実、この数日間は誰一人として橋を通らず、刀集めもあまり捗っていないのもまた現状。さらに言えば、退屈しのぎがどうも退屈しのぎにならず、弁慶としても不満が溜まる一方。

今日も、駄目か。

などと、半ば諦めの最中、ふと己が立ち塞がる橋を悠々と渡る者がいるじゃないか。

真白な衣をまとい、見事な太刀を腰に携えた一人の若者……いや、若者と言うにはまだ幼い童か。よくよく見れば、白拍子の類ではないかと思わんばかりの美しき顔。暗がりではっきりとはしないが、ちょっと間違えてしまえば見惚れてしまうものも感じる。

だが、獲物が現れたことには変わりはない。童ではちと物足りぬが、それでも現れた獲物には食らいつかずにはいられぬ。故に、弁慶は、その薙刀の柄をたん、と橋に突き立てる。

立ち止まる童に、その切っ先を向ける。そして、鬼は不敵に笑ってみせた。

「やあやあ、そこの小僧。その太刀を賭けて、勝負とはいかんか?」

童は答えない。だが、逃げもしない。

ただ、そこに佇み、弁慶をその目に映す。しかしながら、それは只者の目ではないような光を放つ。まるでそれは、獲物を見つけた飢えた鷹のような代物。


……なんだ、この童は。


その目に、どこか背中が総毛立つ。刀の切っ先が、喉元を紙一重に突きつけられたかのよう。……が、すぐさまただの気のせいだと、弁慶は振り切る、振り切らずにはいられなかった。

鬼が、このような童を恐れてたまるか。鬼は、童を恐怖に陥れてこそ、鬼。鬼が恐れてなんとするか。


「逃げぬのなら、こちらから行くぞ小僧!」


その怒号と共に、彼の薙刀が弧を描くように童を襲う。

が、童は弁慶が飛び出してきたのに合わせて体を跳ね、その体は弁慶の頭上高くに舞う。ついでと言わんばかりに、弁慶の頭を踏みつけて。

「っ、のぉっ!」

その足を捕らえんと、怒り猛る弁慶の手が伸びる。だが、既に童はそこにない。見れば弁慶の背を取るかのように、橋の欄干に佇んでいるじゃあないか。

怒りに狂う弁慶は、剛力に任せ、その欄干ごと薙刀で振るい斬るも、やはりその刃は童に届かない。うさぎのように跳ねに跳ね、軽やかに刃を躱す。その軽やかさといったら、一つの舞踊の様であった。

「くそっ、ちょこまかと逃げおって……逃げずに勝負にかかれ、この小僧が!」

怒髪天を突くとはこのことか、怒りに狂いに狂った弁慶の髪は、その頭巾を剥ぎ落として、わなわなと逆立ちを見せている。血管を流れる血が沸騰でもしたのか、顔は烈火の如く燃え盛る。

対する童は、冷たく凍ったかのような無表情だった顔に、初めて笑みを見せた。


「では、勝負といこうか」


と、ただ一言言うなり、たんと彼の体は跳ねる。跳ねるなり、腰の太刀に手をかけ抜刀の構え。その一連の動作には、あまりにも淀みがない。まるでそれは、緩やかな河川のよう。しかもそこには殺気など感じられぬが故に、より恐ろしいものがあるというもの。

しかして弁慶もとまらない。それがなんだと言わんばかりに己が薙刀の刃を翻し、跳ねる。豪快、まさにその二文字が似合う弁慶の一振り。怒涛の刃は、空に舞う小僧を狙い穿つ。


これで終いだぞ小僧!


……そう言わんばかりの弁慶の瞳がその刹那に捉えたのは、小僧には似つかわしくない、身震いすら覚えるほどの鬼の貌だった。



そして、一閃は疾る。



童は、鳥が羽を休めるかの様に足を地につける。そして、事は終わったと言わんばかりに悠然とその太刀を納める姿には、一滴の血も流れちゃいない。

対して、弁慶はどうだ。見るがいい、その身は今や冷や汗にまみれているではないか。体という体は震え上がり、膝はとうとう崩折れる。

その首には、一筋の血線。斬られたのは皮一枚、と言ったところか。しかし、斬られたことには変わりない。もう一寸深ければ、弁慶の魂は既にあの世に飛ばされていたかもしれない。

その時、弁慶は生まれて初めて己が恐れを抱いた事実を受け入れた。受け入れざるを得なかった。

今まで、何も恐れずに生きてきた。いや、恐れを抱こうともそれに目をつぶり生きてきた。だが、今この瞬間だけは、怖気付かずにはいられなかった。その証拠が、無様に震えている己自身。

しかし、恐れたのは死ではない。死を恐れたのでは断じてない。己が恐れたのは、目の前に冷たく佇むその童に、だ。


……自らの首に一閃を放ったときの、鬼童の貌に。


「どうした、終いか」

その声に、はっと顔を上げる。その先にあったのは、どこまでも冷たく、しかし狂ったように燃え上がった目をしている童……いや、益荒男だ。

「立てよ、鬼や。俺はまだ、やり足りんのさ。だから、貴様を首の皮一枚で済ましたんだ。それとも、これで終いか。終いなのなら、その首を斬り落とすぞ?」

たん、たん、たん、と彼は弁慶の前に近づく。

弁慶は彼を童とずっと侮っていたが、そこに童のような純粋さはなかった。むしろ、その顔は生まれながらの修羅だ。戦いたくて、戦いたくて仕方のない、修羅の顔。

その修羅を前にした自分は、鬼であるか。鬼として在れるか。

……いいや、違う。


「己は……鬼ではなかったのだ……」


鬼というのは、かのような者を言うのだ。

弁慶は、直感ながら理解した。鬼と呼ばれ、鬼になろうとした己は、結局は人間でしかなかったことを。

目の前に佇む、この瞳に修羅を宿す童こそが本物の、天性の鬼だということを。


「己は……貴方という鬼の行く先を、見てみたい」


気づけば、地に額を打ち付けた大男がそこにいた。


……


その日から弁慶は、その益荒男もとい牛若丸と名乗り、後に源義経と名を改めた男の第一の郎党となり、常に付き従った。

しかして、義経の修羅ぶりには、なかなか辟易とさせられることが多かった。修羅は修羅でも、戦い以外のことに関してはてんで話にならない。特に、人使いの荒さには困ったものである。

「いやさ、お前はなんでも聞いてくれるからなぁ。つい、無茶ごとを頼みたくなるのさ」

とは義経の弁である。正直なところ、弁慶はこの男にあの敗北以来逆らえぬところがあったので、それはまあ仕方のない話ではあるが。

しかしながら、やはり共に立ち並んでもこの義経という男は恐ろしいものがあった。

なにせ、顔は冷たい癖に、その行動には突如燃え盛るものがあるのだ。かつての、あの一閃のように、刹那的に彼は燃え盛る。

鵯越の時もそうであった。

そこに辿り着くまでは、いかにも冷静さを保っていたが、いざ逆落としとなった途端、彼の顔は轟々と燃え盛った。予想だにしない攻撃に、平家が散々に敗れ去ったのは言うまでもない。

ある種、その刹那的に燃え盛るという性質が、その後の屋島、壇ノ浦において平家を破り、そして滅ぼした一因なのかもしれない。一旦燃え盛った鬼を前に、敵うものは誰一人とていなかったのだから。

しかし、鬼は戦えば戦うほどに、恐怖というものを様々な形で植え付けていった。

ある者はその恐怖に魅入られ、ある者はその恐怖を憎悪し、ある者はその恐怖を面白がった。

弁慶はというと、その恐怖に魅入られた者であり、また憎悪した者でもあり、面白がった者である。魅入られなければ、共に立ち並ぶことは無かったであろう。憎悪しなければ、これほどまでに執着せずにはいられなかったであろう。面白がらねば、その先に何があるかを見てみたいとは思わなんだであろう。

「殿という鬼の最期、己はしかと見させて頂きまする」

「その言葉、忘れるなよ? 俺も貴様に死なれては、つまらないからな。一人で戦で暴れるよりも、大勢の方が気持ちも愉快になるからさ」

「全く、殿は相変わらずな人だ」

それは、いつか交わした言葉である。

鬼と人との、いつかの緩やかな団欒であった。

しかし、その団欒は最早訪れはしない。



そこには、血の海があった。そして、血の海の中に、無数の矢が突き刺さりながらも尚立つ大男がいた。

手には真紅に染まった、薙刀。頭巾は剥ぎ取れ、いつかの戦いの如く、ざわざわと揺れ動く。


人の範疇を超えた者は、人によって淘汰される。


義経という鬼は、やはり人に受け入れざるものがあった。

特に、その兄である頼朝は、この鬼の存在を許しはしなかった。いや、戦乱が続けば、鬼としての有用価値を見抜き、そして扱っただろう。頼朝はそういう男だ。

しかしながら、戦は終わった。鬼の手により、戦は終わりを告げたのだ。最早、戦のないこの先に、鬼など不要。むしろ、害になるのは間違いないと、頼朝は踏んだ。

事実、義経の行動は問題ばかりでもあった。勝手に官位をもらい、戦さ場ではそのサガを抑えきれず常に先頭を行く。のちに将軍として秩序を敷く頼朝からしてみれば、ただの獣のような振る舞いは、秩序を乱す害悪でしかなかった。

繰り返そう、鬼は確かに人以上だ。だが、人以上なものは、決して人に負けないわけではない。むしろ、人の知略と、謀略によって、敗れ去り滅びゆく方が数多い。

義経も、そんな鬼と変わらなかった。鬼は鬼でしかなかった。人とは数段、違ったのだ。

次第に追い詰められ、かつての恩人である奥州平泉当主、藤原秀衡の元に身を寄せた。しかし、秀衡も死に、この泰衡はとうとう義経を裏切った。頼朝の圧力には、勝てなんだのだ。


そして、今、この状況が目の前にある。


未だに矢は、嵐のように降りかかる。薙刀で薙ぎ払おうと、いかんせん数が多すぎる。またしても、肩に、腹に、腕に矢が突き刺さる。迫る騎馬も薙ぎ払うが、傷は着実に増え、もはや立っているのもやっとかもしれない。

だが何故だろうか、体にどれだけの矢が突き刺さろうと、幾度も太刀を受けようと、この足は倒れまいとしている。いや、倒れたくとも倒れさせてはくれぬのだ。

ここが死地だということは、とっくの昔に悟っているのに、どうして己は未だ死なずにいるのか。

まだ死にはせん、などとと己はうち吠えるのか。


「そうさ、まだ死んじゃ困るんだよ、弁慶」


その後ろに立つは、いつかの戦いを彷彿させる修羅だった。

敵に首を取られるくらいならば、自ら命を絶たんという郎党たちの声を受け、屋敷の中で自害しているはずの鬼であった。

しかし、彼は現れた。鎧兜をその身着込み、太刀を腰に携えて、その場に現れた。


「殿……自害なさるのではなかったか……」

「ほんとはそのつもりだったさ。……でもな、やはり、戦わずして俺が終われると思うか。俺が、戦わずしてむざむざ死ねると思うか? なぁ、弁慶」


そして、鬼は不敵に笑ってみせふ。

ああ、燃えている。この鬼は、今まさに極大な焔で、その身を焦がしている。

死を前にしても、その戦いへの欲は未だ駆り立てられるか。鬼は、やはり最期まで鬼なのか。

弁慶は、そう思わずにはいられない。

そこに感じるは、身の毛もよだつ恐怖。いつだったかの一戦と一般も変わりない代物だ。それでもなお、いやそれだからこそ、その鬼の行く末を見届けたい者がここにいる。

鬼と並び立ち、鬼と共に生き、そして鬼に辿り着く最後の門として立ちはだかったその益荒男。名を、武蔵坊弁慶。鬼の徒花を、この目でしかと見るまで、益荒男は死ねない、死ぬわけにはゆかぬのだ。


「いつか言ったな、弁慶。俺の行く先を最期まで見たいと……。ならば見せてやろう、共に貴様が暴れてくれるのならな!」

「承知!」


人を恐怖に陥れた鬼と、鬼に魅入られた人。

血に染まり、骸が沈む三途の河を目前にして、彼らの顔には笑み一つ。


そして、鬼と人は共に逝く。

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