8 モズルの木

  私がすでに分かたれた存在であることを彼は知らない。

  私が笑うとき、私は泣いている。

  私が笑うとき、私は怒っている。

  私が笑うとき、私は私を手放している。

 

 

 エトを迎えに来た子供は、廊下のずっと先の方で足踏みをしながら待っていた。エトは具体的な話を聞くこともできぬまま、その後を追うしかなかった。

 長い廊下を駆け、分岐を右に左にと曲がり、いくつもの部屋を抜ける間に、前を行く子供たちの数は、一人、また一人と増えていった。足音がまばらに重なり、エトを急き立てるように響いた。廊下の闇は深く、蝋燭一本分の明かりすら灯っていなかったが、竜の心臓を得たエトにとって暗闇は足を遅くする障壁になりえなかった。エトの目は竜の目に変わり、闇の中ですら道が見えた。より正確に言えば、道の存在が感じられたと表現するべきなのかもしれない。エトはその感覚に素早く馴染むことができた。彼は元来、人の心に直接触れてきただけあって、いっそのこと何も見えていない方が、しっくりくる感覚があった。以前は、肌の接触を通して人を見ていた。竜の力がその感覚を押し広げ、人に触れることなく存在を感じ取ることができるようになった。今も、この場を支配する子供たちの感情に触れることができた。焦りは、どの子供たちからも感じられた。切迫した感情が子供たちを追い立てている。その根元にあるのは恐怖だった。

 エトはこの先に控える大事に心構えをしたが、竜の心臓がもたらす絶対感が、エトの持つささやかな勇気を蛮勇に変え、思慮の浅い考えしか頭に浮かばなかった。――俺をホタノの下へ送り届けるだけにしては、子供たちの心の状態は不穏でありすぎる。だが、この先に何が待ち受けるにしても、飛び込んでみるしか方法はあるまい。

 子供たちが立ち止まり、道を空けたその先に、エトは躊躇なく踏み込んだ。そこは、モズルの木の生える、あの部屋だった。子供たちの息づかいに混じって、溝に水の流れる音が聞こえる。その流れの来し方、行く末を探っても、果てがないことにエトは気がついた。

 竜の力を持ってしても、この部屋の終わりを知ることができない。そもそも竜の力があるおかげで、そのことにも気がつけたわけだが……。

 部屋には水と土の鮮やかな香りが漂っていた。その中心にあるのは、やはりモズルの木だ。竜の目を通して見るモズルの木は、この世の物とは思えぬほど美しかった。木に満ちた生命の力が溢れだし、輝く鱗粉となって天へと上っていく。その力強さに、エトは圧倒された。木は光だった。ただその光は、決して闇を照らすことはない。

 明かりに群がる羽虫のように、木の周りに集まる影にエトは気がついていた。魔術師の使役する影は、その姿を闇に溶け込ませていたが、邪な気配は隠しようがなかった。影に囲われるようにして、木の根元には、人の姿が見て取れた。

 「グムトを殺してしもうたのか、小僧」年老いた魔術師は言った。

 魔術師は杖をかざし、魔法の光を灯した。それは本当に小さな光の玉であったが、その場にいる人間の姿を照らし出すのに十分な光量があった。

 「約束通りヴィノを迎えに来た」エトはホロを無視してホタノに言った。ホタノは、膝を抱えるようにして座り込み、頭を伏せって、むずかる子供のように見えた。エトの声かけに答えるでもなく、体を揺すぶるばかりで、言葉を発しようとしない。

 「お主の望む娘は、ほらここにおるぞ」ホロは杖の先で横たわるヴィノを指し示した。

 「ヴィノ!」

 エトの呼びかけに応じて、ヴィノはゆっくりと頭を上げた。

 「エト?」ヴィノは微笑もうと努力し、口元を苦しそうにゆがめた。ヴィノの体を抱きすくめるようにひとつの影が取り憑いていた。

 「ヴィノを解放しろ」

 「この者の処遇はお前さんの返答次第じゃ」ホロは高圧的に言ったが、ヴィノから影を遠ざけた。

 「エト、どこにいるの?」ヴィノは暗闇に向けて叫んだ。ヴィノの側からでは、エトの姿を目にすることができなかった。

 「ここにいる。今助けるから!」

 「エト、無事なの?そこにいるのね。大丈夫なのね?」

 「少し静かにしてもらおう」なおも声を上げようとするヴィノの口を魔術師は封じた。

 「ヴィノ!」

 ヴィノはなおも声を上げようと、口をむぐむぐ動かしたが、やがて諦めてエトの声のする闇の一点を見つめた。

 「なに、このお嬢さんに手荒な真似はせんつもりじゃよ」ホロはヴィノに向き直り、静かにしているかと尋ねた。ヴィノはこくりと頷いた。すると、口元の緊張が解けた。

 「さて、お前さんがグムトを弑してしまったことが残念でならない。なぜあやつを弑する必要があった?あやつはこの土地を生かすに必要な男だったのだぞ」

 「エトはね、異境の地から来たの。イーンの住人じゃないのよ」ホタノは顔を伏せったまま、くすくすと笑った。

 「黙らんか、竜の小娘め。お主に遠慮はないぞ」ホロは中空で右手を握りしめる仕草をした。ホタノは呻きを漏らしながら、苦しげに首下をかきむしった。

 「やめろ」とエトは凄んだ。ホタノが解放されるまでしばしの間が空いた。ヴィノは、恐れから目を見開いてホタノの様子を見つめた。

 「私の言ったように、エトは来たでしょう?だから子供たちから影を奪うのはやめてちょうだい」ホタノはあえぐように言葉を発した。

 ホロは杖を掲げ呪文を唱えた。木の周囲に集う影のいくつかが震え、持ち主の下へと駆け戻っていった。小さな影は影の持ち主に重なりひとつになった。

 「さあ、あなたたちはどこかに逃げなさい」とホタノは子供たちに向けて言った。

 「嫌だ」と子供のうちの一人が言った。

 「お姉ちゃんと一緒に居る」

 子供たちは泣きべそをかきながら、口々にホタノの名を呼んだ。

 「どこにいようと変わりはなかろう。竜の鼓動が魂とひとつになるとき、この場所はわしの物になろう。隠れ場所など、お前たちにはひとつも残らん。どこに隠れようともわしの目が必ず見つける。そして正しき死へと導くことになろう」

 「子供たちがあなたの目的の邪魔になるとは思えないけれど」

 「アズライの学府とは遠い昔に袂を分かつことになったが、わしも魔術師の端くれゆえ、世の理から外れた歪みを捨て置くことはできん。死は、ひとつの例外もなく死であるべきなのだ」

 「影を従えておいてよく言うわ」

 「影は死の模倣に過ぎない」

 「そしてあなたの奴隷と言うわけね」

 ホロが杖で床を小突くと、ホタノは再び苦しげな呻きを上げた。

 「やめて」ヴィノはホタノの下に駆け寄った。ホタノはヴィノの差し出した手を払い、私に近寄らないでと言った。ヴィノは引かなかった。ホタノの肩に手を回し、寄り添った。

 「口の減らぬ者だ」ホロはエトに向き直った。

 「お前さんはこの口に騙されておったのじゃよ。悪しき口、偽りの言葉にな」

 「嘘よ」ホタノは声を絞り出した。

 「お主の弱みにつけ込んで、耳当たりの良い話でも吹き込みおったのだろう。おおむね予想は付く。竜の力が手に入るとそそのかされたのであろう?」

 エトはじっと口をつぐんだまま返事をしなかった。

 ホロは気にせず先を続けた。

 「図星だろうて答えぬともよい。結論から言うぞ。その話は嘘だ。竜の心臓を奪い取ったとして、この者たちがひた隠しにする魂と合わせねば意味はない。そのことをこの者は話したか?話してはおらんだろう。グムトを弑したのじゃ、あやつの姿を見ただろう。あの者の若さは竜の呪いだ。奥方は比べられることを恐れ、とうの昔に離宮に引っ込んでしまわれた。それに<大樹の間オウラ・ヴィタ>もずいぶんと寂しくなったものよ。あやつには多くの子供がいたが、その数はずっと減ってしまった。竜の渇きを癒やすために、血を水へと変えねばならなかったからな。辛かろうて、しかしそれもイーンの地を生かすためだ」

 「それならばなぜ竜を殺した」

 「竜は人の味方ではない。竜の気まぐれひとつでこの地が滅びることをお主は学ぶがよい。遥か南方の地には、都市の骸がいくつも砂の下に眠っておる。その数は、我らの暮らす都市の比ではない。アズライの都市に秘される古代の教典には、滅びた都市の顛末がいくつも記されておる。そのすべてとまでは言わないが、多くが竜の去に端を発しておる。竜の去来は夏の嵐のごとく気まぐれぞ。竜の腹づもりひとつで滅びるはひとつの都市。朽ちたる地に飲まれた骸を重ねれば天をも穿つ塔に変わる」

 「竜との対話も可能であったはずだ」事実エトは竜に生を問われ、答えた。そして今、こうして生かされている。

 「そして竜の機嫌を伺い、貢ぎ物を奉ぜろと言うのか?」ホロはエトの言葉を一笑に付した。「遥か北にあるハンバという都市では、竜に奉ぜられる命が例年千を越えるという。それとて始まりは一人であった。一人が二人になり、二人が百を超えるのにさほどの時間も掛からなかった。アズライの書庫には数多くの竜の記録が残されておる。人の命を喰らう竜は最悪ではない。物欲に取り憑かれた竜は、土地に暮らす代償に宝物を望む。土地の者は宝を得るに他の地を堕とさねばならん。結果として、竜に捧げるよりも多くの血が流される」

 「そうだとしても、竜を殺して何が変わった?竜の代わりにお前たちが血を流しているだけじゃないか」

 「それとて竜の魂が心臓と合わされば変わる」

 エトには、そうは思えなかった。竜の死の報が各地に届いた瞬間から、力を求める者は後を絶たない。その先鋒が、今この瞬間、イーンの地に流れ込んでいるのだから。

 ホロは杖の先をかつんと床にたたきつけた。

 「さて、お前さんがグムトを弑したことを責めても仕方なかろう。結果として竜の魂の在処を探る役には立ってくれたのだからのう」

 「僕が役に立った?」

 「さよう。わしの目を盗んで鼠がこそこそやっておったのは知っておった。グムトを失ったことは実に悲しむべきことであるが、竜の魂には替えられん。グムトのやつめが竜の子を捧げれば、この者たちが迎えに来るだろうと見張りをつけておいた。塔の内部でなら、この者たちは、わしの力を難なく避けることができたはずだ。しかし今回に限っては勝手が違う。ちと、焦りすぎたようじゃの。普段なら近寄りもしない領域にまで足を踏み出したあげく、力も欠いておったようじゃ」ホロは杖の先をエトの胸元に差し向けてみせた。

 「僕に力を分けたせいで……」エトはホタノから受け取った板片に指を伸ばした。

 「その力でもって、グムトを弑したのじゃろう?逆にその力を欠いていたおかげで、竜の魂の在処を見つけ出すことができたわい。力の均衡の摂理よのう」ホロは満足そうに頷いた。その表情は安穏として好々爺しかりとして見えたが、それだけに一層恐ろしかった。

 「竜の心臓ならくれてやる。代わりにヴィノとホタノたちを離せ」エトは臆することなく言った。

 「構わんよ」ホロはにこりと口元を歪ませた。

 「駄目よ」とホタノは叫んだ。ホロはホタノを横目で見たが、彼女に続きをしゃべらせることに決めたようで、手を下さなかった。

 「ホロが心臓を得たら、魂とひとつにするわ。私たちが存在するには竜の魂が必要なの。ホロが私たちと私たちの場所をそのままにしておくはずがないでしょう?」

 エトは答えをもらうべくホロをにらんだ。

 「先にも言うただろう、偽りの死は正しき死へと導かねばならん。この場の存在は世の理に反している。これはわしの見立てじゃが、イーンの力が衰えたのも、この場を維持するためではなかろうかと考えておる。歪みを正せば、力は再び正しく流れはじめる。イーンの地の豊穣は、血を捧げるまでもなく、その豊かさを保てることじゃろう」

 「それではヴィノも消えてしまう」今やヴィノもこの部屋の住人であることをエトは忘れていなかった。ホタノたちがその存在を保てないのならば、ヴィノもまた同じはずだ。彼女は外の世界で死に、この部屋にやってきたのだから。エトは、ヴィノを見つめ、ヴィノもまた闇の中でエトの姿を探した。

 「おお、こいつは参ったのう」ホロはまるで参った様子もなく言った。

 「それならば、どうする?わしをグムトと同じように殺すか」

 「そうするほか道はない」エトは迷うことなく短剣を引き抜いた。

 「おう、怖いのう」

 ホロが杖を掲げると、影たちが動き出した。

 迫り来る影を見てもエトは落ち着いていた。影が恐れるに足らぬものであることを理解していたからだ。影は影でありながら、竜の部屋の闇とは存在を異にしていた。だからこそエトは影を退けることができると確信していた。竜の力が――竜の心臓に宿る光が影を遠ざけるだろう。エトは竜の心臓を露わにしようと左手で外衣をつかんだ。が、その瞬間、得も言われぬ衝撃がエトの全身を貫いた。

 「ホムズ・リ・オルム・ラ・バルクーム・レ・イーン、汝の魂をもって命ずる、心の蔵の脈動を止めよ」ホロは竜の名を唱えた。竜の心臓を宿すエトは、その命に背くことができなかった。

 「エト!」苦しみに喘ぐエトの声を聞いて、ヴィノがたまらず声を上げた。

 「イーンの魂がわしの手にあることをお主は忘れたのか?しょせん心臓は大地に生きる依り代にすぎん。魂の命にはさからえんよ」ホロはゆっくりとエトに近づいていった。

 ……。

 心臓が動きを止めた苦しさのあまりエトは言葉ひとつ発する事ができなかった。

 体中の血が静止していた。

 息が苦しい。まるで陸に居ながら肺に水を注ぎ込んだかのようだ。

 「エト!」ヴィノは果敢にもホロに飛びかかっていったが、影たちにこばまれてしまった。

 ホタノもまたエトを助けに行きたかったが、できなかった。彼女もまた竜の魂に縛られていたからだ。

 ……。

 陰りゆく視界に、ホロの余裕ある歩みが映った。

 杖の音が一定の間隔で響く。

 一音一音が近づいてくる。

 徐々に音が大きくなる。

 視界にはもう闇しか映らない。

 ヴィノは無事だろうか?

 もう彼女の姿を見ることもできない。

 手の力を失いそうになるのを必死に堪えた。

 決して離すものかと、懸命に短剣を握りしめる。

 年老いた者が相手とはいえ、他人の体に刃を突き立てる力は残されていない。

 最後の気力をかき集め、短剣を握りしめた腕を掲げた。

 一閃。刃が肉を貫く。

 刃先は見事に心臓に突き刺さり、エトは絶命した。

 

 ――どうしてここに来たと竜は尋ねた。

 エトは深い闇の中で、長椅子に身を沈めていた。竜の姿は見えなかったが、気配だけは感じられた。竜は、目の前にいるのだ。ただ目には映らないだけで。

 「死であるために来ました」とエトは答えた。

 「生を手放して死を望むとは酔狂である」竜はぐらぐらと吐息をもらした。

 「ホロの支配を逃れるためには仕方ありませんでした」エトは自ら刃を突き立てた胸元に指で触れた。あれだけ深々と刃が食い込んでいたにもかかわらず、傷痕は嘘のように消えていた。

 「僕は死んでいるのでしょうか?」あまりの代わり映えのなさに自分が死んでいるとはとても思えなかった。強いて違いを挙げるのならば、竜の心臓がなくても、闇に体が馴染んでいると感じるくらいだ。

 「汝の魂は大地を行く肉体と分かたれた。しかし魂は失われていない」

 「あなたが救ってくださったのですね」

 「汝が我の内で肉体を捨てたにすぎない」

 「それではダリアやヴィノがこの場にいることの説明が付きません」エトは言って、はっとした。

 「ヴィノ……」

 「焦ることはない」竜は重々しい音を出した。

 「此は我の深き内なり。汝の追う時も逃げようがない」

 「まだ僕は間に合うのですね」

 「汝の望みによる」

 「僕の望みは、ヴィノを連れ帰ること。そのためにホタノたちを助けること」

 「魔術師を退けるは容易なことではない」竜は喉を鳴らした。

 「大地を統べる竜イーンよ。僕に力をお貸しください。ホロを止めるには僕の力はまるで足らない」

 「我はすでに死なり」姿の見えぬ竜は言った。

 「大地に生きる心臓も、闇に眠る魂も、すでになくしてしまった。片方は大地を司らんとする男に、もう片方は隠れ潜む哀れな子らにくれてしまったのだ」

 「しかしこうして僕を助けてくれたではありませんか」

 「それは魂の継承者のなせる業なり」

 竜の気配が消えた。そして闇が一段と濃くなったようにエトには感じられた。

 頭の芯にすがりつく、思い出のようにぼんやりとした灯りが、遠く暗い場所からやってくる。炎が揺れて、照らし出された人の輪郭それ自体が、まるで蝋燭のように溶けて見えた。炎の輪郭は近づく毎に形を整えていく。

 「あなたが私たちに触れたのよ。あなたの力が私たちを呼んだの」とホタノは言った。彼女は洋燈を手に掲げ微笑んでいた。

 「どうして君が?」

 ホタノの登場にエトはたじろいだ。ホタノはヴィノとともにホロに捕らわれていたではないか。

 「あら、私がいてはいけないの?」ホタノはいつもの通り、いたずらっぽく笑った。

 「でも君は、ホロの下にいたじゃないか」

 「ええそうね」ホタノは掲げ持った洋燈を、長椅子の脇にある洋燈台に掛けた。

 「でも、あの場にいた私は私ではないのよ。今この場にいる私が、私ではないように」

 「イーン?」エトは信じがたい気持ちで言った。

 「竜は死んだわ。あなたたちが殺したのよ。でも、私をイーンと呼ぶのは正しいのかもしれない。私はイーンの魂。でも、それは今のあなたも同じではなくて?」

 エトはそこでようやく気がついた。ホタノが、洋燈の灯りにその身をさらしているのだ。炎が彼女の姿を照らし出している。その顔には傷ひとつない。衣服から覗く剥き出しの手足も同様だ。

 「君はやはりホタノではない」

 「では、私は?」ホタノは片方の手で自身の頬にそっと触れた。

 「竜だ」

 「そうかもしれないわ。でも、私はイーンではない」ホタノの形をした者は微笑んだ。

 「僕は君に助力を請えばいいんだろうか」

 「いいえ、私は力になれない。魂をつかんだホロには抗いようがないんですもの」

 「参ったな……」

 「参ることなんてないわ。あなたにできることはまだ残されているもの」

 「僕にできること?」エトは両手を見下ろした。小さな炎に照らされた手のひらは、えらく小さく見えた。もうこの手には短剣もない。

 「僕にできることなどあるのだろうか」

 このちっぽけな手でつかめた物がかつてあっただろうか。エトは手のひらを見つめながら思いをはせた。故郷の村では役立たずの証のように感じていた。乳白の水に差し入れた手が石をつかむことはついぞなかった。人に触れることを恐れて、母の手もまともに握ることができなかった。イーンに来てからは、革の覆いがこの手を守った。油人に混じって、いかに油にまみれようと、油泥に汚れるのも、擦り傷をこさえるのも手袋だった。自分の手を汚した感覚はない。とても綺麗な手をしていたはずなのにヴィノに触れることさえ恐れてきた。

 「僕は故郷の村から逃げ出して、この地に来た。変わることができる気がしたんだ。力に頼らなくても手に入れることができる物があると信じたかった。でも、駄目だった。僕の手は相変わらず空っぽのままだ」

 「自分の持つ力を否定してはダメよエト。その力のおかげで、あなたは今ここにいるのよ。あなたは竜の問いかけに答えた。その結果を受け止めなくてはならない」

 「でも、僕が手にしたと思えた物は、すべてこの手からこぼれ落ちてしまった」

 「あなたが手放したから?」

 「最初から僕の物などなかったからさ」

 「あなたが望むなら再び竜の力を手に入れることもできるわ」

 「竜の心臓なんていらないんだ。そんな物があったって、僕は臆病で、故郷に帰ることすらできそうにない。竜の秘密を持ち帰りさえすれば、村のみんなに認めてもらえると思った。母に誇りに思ってもらえると思ったんだ。でも、きっとそうはならない。水族の村人は竜の力を喜ばないだろう。その裏に潜む多くの死に、その手で触れることになるだけで、今までと何も変わらないと嘆くだろう。そしてイーンの住人は滅び行く土地の上で、チウダと――諦めと別れをつぶやくことになる。そんなことを望んで僕はこの土地に来たわけじゃない」

 「私にはあなたの望みがまるでわからないわ。あなたは何かを望んでこの地に来たのではなかったの?」

 ホタノの問いかけに、エトは両の手をかざしてみせた。

 「人と手を取り合うこと。共に生きること。僕にできることがあると君は言ってくれたね。ホロから心臓を取り戻して、僕なりのやり方でイーンに返そうと思うんだ」

 「あなたなりのやり方?」

 「心臓と魂の力を僕に少しだけ分け与えて欲しい」

 「そしてあなたが竜に変わるつもりなの?」ホタノは目を丸くして言った。

 竜を驚かせることなど、生涯にそうあることではないとエトは思った。

 「不可能なこと?」

 「いいえ。でも、そのことがグムトやホロのやり方とどう違うというのかしら?」

 「分け与えること。犠牲を捧げること。その代わりに何かを得ること。命が巡ること」チウダ、とエトは心で唱えた。「僕はイーンの死と代わり、皆の命を少しずつ喰らうつもりだ。イーンは乳白の川に沈み、人々は水底から石を拾い上げるように暮らすことができる」

 「それでも土地は痩せるわ。竜の血の希薄な人々の魂を得ることに、どれほどの意味があるとあなたは思うの?」

 「でもそうすることでようやくこの土地はイーンに暮らす人たちのものになる。竜のものではなく、僕らの土地に」

 「大地が竜のものであったためしはないわ」

 「しかし竜は大地そのものだった」

 「だからあなたが大地に代わろうと言うのね」

 「僕らが大地に変わろうと思うんだ」

 「私の知る限り、そんな大それた望みを持った者はいないわ。自分たちが大地に変わる?人々が真っ先に考えることは、大地を大地として生かすことよ。そのために血を捧げようとするの。大勢を生かすために、ほんの僅かな血を捧げるだけで事はすむのよ?」

 洋燈に灯る炎が、ホタノの心に呼応するように燃え上がり、鎮まった。

 「でも君はそのことに嫌気が差したのだろう。だからイーンに死を勧め、自分たちだけの世界に閉じこもろうとしたんだ」

 「あなたに何がわかるというの?」

 「僕にはわかる」そう言ってエトは両の手を広げてみせた。「この部屋は、まるで故郷の川の水底にいるみたいに死の気配が満ちている。いろいろな心が僕の中に流れ込んでくる。止めようもなく感じてしまうんだ。君の心も、僕の心も同じように溶けあっている。そのことに気づかないわけではないだろう?なぜならこの部屋は君の魂で、僕はその中に留まるちっぽけな魂のひとつに過ぎないのだから」

 「イーンは自身の魂を用いてこの部屋を形作った。だからといってこの場所が私のものになるわけではないわ。私はイーンではないと言ったでしょう。私もあなたと同じ、ひとつの魂の断片に過ぎない。あなたとの違いは、単に私がこの場所に長くいすぎただけよ。あなたが生まれるずっと昔から、イーンが古代都市のひとつと数えられるずっと前から、私はここにいるのだもの」

 「そして、長年外の世界を遠ざけてきた?」

 「私は、あなたが今この場で感じているよりも、ずっと多くの死に触れてきたのよ。数々の死がこの部屋を経由していったわ。ある者は進んで、またある者は恨みや嘆きを伴いながら。そして、もう二度と帰らない。イーンを生かす血肉と変わってしまったから。あなたがこの先に何を得ようとも、それはあなたの自由よ。私には子供たちとこの場所があればそれでいい。生きている者のために死者がすべきことは何もないわ。たとえ、死に変わる寸前まで生きていたとしても、死に変わった瞬間から、私たちは自由なはずだもの。そのための代償を捧げてこの場にいるはずなのだから」

 「ヴィノと子供たちを助けにいかなくちゃ」エトはホタノの瞳をじっと見据えた。

 「僕にできることを教えて欲しい」

 「ホロの影を遠ざけることよ。魔術師は影の力を借りてこの場所に留まっているの。この洋燈を持って行って。炎で影を照らして」

 「君たちは光を恐れている」

 「私たちが恐れているのは光ではないわ。光が姿形を明るみに曝すことを恐れているの。暗闇は私たちを守る約束に過ぎない。だから、光に照らされたとしても、私たちは消えたりしない」

 洋燈台から洋燈を持ち上げて、その内に燃える小さな炎をエトは覗き込んだ。炎は強い光を放って見えたが、それとて目を近づけているからにすぎない。この程度の明かりでは人一人の影も消せそうにない。

 「もっと強い光がいる」とエトは言った。ホロの影を照らすには、手で持ち運べる程度の明かりでは不十分に思えた。

 「私の手渡すことのできる洋燈はそれひとつよ。でも、あなたには炎の竜の加護を受けたお友達がいるでしょう?」

 「ギリヤ?」

 「今からその人がここに来るわ。衛兵に追われ、傷ついているの。きっと力を貸してくれることでしょうね」ホタノはいたずらっぽく笑った。「奥の扉をくぐれば、すぐにホロの場所までたどり着けるわ。長い廊下が続くけれど、決して後戻りなどせず一気に駆け抜けることね」

 ふっと風がそよいで、洋燈の灯りが一刹那、消えた。

 ホタノは姿を消していた。代わりに、荒い呼吸と共に一人の男が飛び込んできた。

 ギリヤは今にも斬りかからんと剣を構えて飛びかかってきたが、目の前に立つ人物がエトだと気がつくと、振りかぶった剣の軌道を慌ててそらした。ギリヤは鋭い一瞥をエトに投げると、すぐに背後を振り返り、追っ手が来ないことを確認した。

 「ここは?お前、こんな場所で何をしている」荒い息を整えながら、ギリヤは言った。肩口にきつい一撃をくらったのであろう、毛羽だった衣装の裂け目からは血が滲み出て黒く固まっていた。

 「ここは竜の道だな?」ギリヤは口を開こうとしたエトを制した。幅の広い重厚な剣を地面に下ろし、体の重みを預けた。

 「力を貸して欲しいんです」眩しくないように洋燈を下ろしながら、エトは言った。

 「突然だな。だが、断ることなどできやしない。思っていた以上に、塔の下層部には衛兵が残っていた。それにどういうわけだが、都市のそこかしこに手広く出掛けていたはずの魔術師どもまでが戻って来てやがる。ここで放り出されたら、俺は死ぬだろう」

 竜の心臓をなくしていたので、エトはギリヤの纏う竜の闘気を見ることはできなくなっていた。それでも彼の発するただならぬ気迫に圧倒された。ギリヤが超人的な身体能力を発揮していることは間違いない。彼の手に持つ剣ひとつとってみても、エトの力では持ち上げることすらかなわないだろう。

 「この部屋の奥に魔術師のホロがいます。ホロの使役する影を追い払うのに力を貸して欲しいんです」

 「お前、竜の力はどうした?あの力さえあれば魔術師の一人や二人、なんてことはないだろう」ギリヤは長い指で鼻頭をかいた。

 「心臓はホロに奪われようとしています。ホロは心臓に先んじて竜の魂を捕らえていたんです。竜の魂に対して、心臓の力は驚くほど無力でした」

 エトの言葉を受けてギリヤは大笑いした。

 「突然別れを告げたと思ったら、次に現れた時には竜の心臓を宿していやがった。それだけでもとんでもないのに、ちょっと目を離した隙に、今度はその力をなくしたとくるか」ギリヤは片腕を伸ばすとエトの頭を力強く撫でまわした。「いつだって神出鬼没なやつだったが、最後に出会ったのが竜の道とは、つくづくお前は竜に愛されているらしい。どうせこの場を出たところで殺されるだけだ。せいぜい竜の手助けをして、安全な場所に逃がしてもらうとするさ」

 「ギリヤさん、ごめんなさい」ギリヤのあまりの屈託のなさに、エトの口からは、自然と謝罪の言葉がこぼれていた。「僕は、隊長やギリヤさんたちを裏切ってしまったのに」

 「俺たちは竜の死の秘密を探りにこの都市に入った。秘密を探り出したのはお前だし、心臓を奪ったのもお前だ。誰も文句をつけたりしないさ」

 うなだれるエトの肩をギリヤはぐっと握った。

 「誰もやりたがらない仕事をお前は立派にやりとげた。鼠探しほど後味が悪い仕事はそうそうない。それよりも、ここから早く移動しよう。どうにも他の竜の領分に入ると気分が悪くていけない」

 ギリヤを伴って、エトは部屋の奥へと移動した。そこにはホタノの言うとおり一枚の扉があった。何の変哲もない、ただの扉だ。

 「この扉の向こうにホロがいます。僕は、この炎でホロの影を照らし出さなくてはなりません。炎の竜の力で、洋燈の炎を何倍にも大きくしてもらいたいんです」

 「そんなことはおやすいご用だ。万が一ホロがフォンリュウの真名を知っていた場合が厄介だが、それもないだろう。フォンリュウは慎重で疑り深い竜だからな」

 「ギリヤさんはやっぱり焔の戦士なのですね」

 「いいや、俺はもう焔の戦士ではないよ。それは本当だ。俺はフォンリュウを殺そうとして失敗した。その罰としてやつの炎に焼かれるはずだった。ところがそこに隊長が現れて、竜の力と共に俺を買ったのさ」

 「隊長が?」

 「お前も気づいていると思うが、俺たちの隊長は善人ではないよ。それどころか、あれほど狡猾な男を俺は他に知らないね。竜と取引のできる人間が地上にどれだけいると思う?エト、俺はいつか隊長を殺すことになるだろう。そうでもしないと、俺を縛る契約から解放されることはないからな」

 「他に方法はないんですか?」

 「俺らの隊長が、やすやすと自分の手にした力を手放すと思うか?」

 エトは首を横に振った。

 「そんな話を僕にして良かったのですか?」

 「お前に隠し事をしてもしょうがないだろう」ギリヤはにやりと口元を歪めた。

 「さあ、行こうか」ギリヤは緊張などまるでしていないようだった。

 「頼りにしています」エトは洋燈を握る手に力を込めた。これがあの短剣であればどれほどいいだろうと思ったが、もう剣を振るう必要がないことに内心ほっとしていた。

 廊下の石畳は干上がりかけた水路のように薄く水が流れていた。壁面は苔むし、ところどころ蔓草や根が這っていた。エトは、故郷の村の村境のひとつである岩壁を思い起こした。月が雲を斑に隠す夜に岩崖はちょうどこんな見た目になる。崖の頂部から流れる大滝とは別に、岩壁から染み出るわき水が常に壁面を濡らし森苔や小さな花を咲かせる雑草類を育んでいた。

 「竜というのは湿気た場所が本当に好きだな」とギリヤが言った。

 「きっと必要なんでしょう」エトには、その理由が何となくわかる気がした。

 廊下の終わりは突然訪れた。そこには扉も敷居もなく、瞬きひとつする間に二人はモズルの木のある部屋に飛び込んでいた。

 ホロはエトの亡骸に杖を突き立て、呪文を唱えていた。竜の心臓がまどろむようにゆっくりと明滅し、その光は、エトの肉体に遮られ、弱められているようだった。ホロに捕らえられたホタノは、不自然な格好で横たわっていた。蠢く影を挟んで、子供たちがホタノに寄り添い、すすり泣いている。ホタノの口元にへばりついた苦悶の跡は、まるで彼女には似合わないとエトは思った。ヴィノもまたホタノの体に寄り添っていたが、エトの亡骸を放心したように眺めていた。

 洋燈をかざしても、ホロは呪文を唱えるのに夢中でまるで注意を払わなかった。ただホロを取り巻く影が、ざわついただけだった。影はエトの掲げた炎を露骨に嫌がり、形のない哀れな姿を縮こまらせた。

 「もう終わりにしようホロ」

 ホロはエトの持つ洋燈に目を向けたが、呪文を中断する素振りを見せなかった。エトが戻って来たことすら驚いていないようだ。エトは一歩、また一歩とホロに近づいていった。影が、風にあおられる雑木林のように、ざわざわと後退した。

 「そんなちっぽけな灯りではわしの影たちを消すことはできんぞ」ホロはようやくエトに向き直った。ホロは呪文の中断に、杖をエトの亡骸に突き刺すことで代用した。すでに離れた体とはいえ、自身の体に杖が埋め込まれる姿は、見ていて楽しいものではなかった。

 「ホタノを殺したのか?」エトは横たわるホタノの体を一瞥し、その隣にぺたりと座り込むヴィノを見やった。ヴィノは、口をぽかんと開けてエトを見ていた。その表情には恐れすら感じられた。それも当然だろう。たった今目の前で自身の心臓に短剣を突き刺した男が、その体を残したまま、目の前に現れたのだから。エトは力なくヴィノに微笑み、その反応を待たずにホロと対峙しなおした。

 「おかしなことを言う」ホロは魔術師しかりとした笑い方をした。「この場におる者は皆、最初から死んでおろう。お主が自らを殺した今、この場所で生きている者はわし一人だけじゃ」

 「この炎が眩しいようだな」エトは洋燈をホロに向けて突き出した。

 ホロは目を細めたが、光を遮ろうとはしなかった。

 「そのちっぽけな明かりで何とする。影を消すには竜の吐く炎ほどの勢いが必要ぞ。さて、お主は肉体を離れたことで竜の魂の呪縛から逃れたつもりなのかもしれんが、この場の力によって姿形を保つ以上、魂の根は同じように繋がっているのだぞ」ホロはさっと手をかざした。

 全身に雷が落ちたような衝撃がエトを貫いた。竜の心臓を抑えられた時と、まるで変わりない。それどころか、ホロの支配力が増しているように感じられた。ホロは満足気に頷くと、すぐにエトを解放した。

 「ほれ見たことか。お主はイーンの情けでこの場に留まっておるに過ぎない。竜はもう少しばかり智慧が回るものと考えておったがのう。わざわざお主をここに寄越した意味がわしにはまるで理解できん」

 「炎をお前の下に届けるためだ」エトは息を荒らげながら必死に洋燈を掲げた。

 「弱き竜に大地を統べる力なし。グムトとわしの下した決断は間違っていなかったようだのう。これで別れとしよう、ホムズ・リ・オルム・ラ・バルクーム・レ・イーン。辺境の竜にして欲を忘れた王。無の砂漠に咲く花。死の夢を抱くもの。さらばじゃ」

 ホロはとんと軽く手を押し出した。

 荒ぶる風がエトを襲った。吹き荒れる風の強さでも、洋燈の炎が消えることはなかったが、弱ったエトの手から洋燈をもぎ取ることは容易かった。

 洋燈は頭上高く飛んでいった。

 炎が光虫のような弱々しい光となって、宙を舞った。

 それは段々と光の量を絞っていき、火の粉のごとく小さくなった。

 暗闇の奥深くで洋燈が地面に落ちる甲高い音が響いた。

 宙に舞う炎の残滓はいつ消えてもおかしくなかった。

 火の粉が呼吸より長く保ったためしがあっただろうか?

 しかし、火の粉は消えなかった。

 羽虫のように自由に舞い、漂った。

 風はすでに止んでいた。

 舞い上がった木の葉が風の軌道を忠実に辿り、落ちていった。

 辺りは静寂に包まれた。

 と、鋼の強く叩く音が石畳を打った。

 火の粉がゆらゆらと舞いながら、エトの背に落ちた。

 炎が突然燃えさかった。

 「どうやらようやく俺の出番らしい」

 ギリヤが炎を両手で抱え持つように立っていた。両の手首には竜の刻印が輝いている。

 エトは、炎の強く爆ぜる光の先に、ホロの驚く顔を見てとった。

 「炎を使役するじゃと?」ホロは、エトやホタノを封じたのと同じようにギリヤに向けて手をかざしたが、ギリヤはぴくりとも反応を示さなかった。

 「俺はイーンとは何の関係もない」炎を弄びながらギリヤは言った。手の上で炎はどんどん大きくなっていった。

 「お主、フォンリュウの破滅児じゃな。竜の力を盗み、竜の怒りを買った愚か者め」ホロは必死に策を弄していたが、ギリヤを封ずることはできなかった。

 「認識の齟齬ってやつだ。俺は契約の始まりから力をもらい受けるつもりでいたさ」

 「お主のせいで何千という人間が焔竜の炎に焼かれたと聞くぞ」

 「やつは気が短いのさ」

 「それが竜を名指す言葉か?不敬なやつめ」

 「竜を殺しておきながらよく言うぜ」

 「お主、なぜこの場におる。焔竜から盗んだ力だけでは足りぬというのか?」

 「うちの隊長が欲しいと望んだからさ」

 「隊長だと?」

 「無の砂漠を行き来する者。流血の商人とも呼ばれている。名前くらい聞いたことがあるだろう?」

 「悪評は耳に届いておる」

 「やつは貪欲なのさ。いくら奪っても奪い飽きることがない」

 「なぜお主ほどの者が一介の商人に荷担する?」

 「生憎、首に縄を掛けられているものでね」ギリヤは苦しげに舌を出してみせた。

 ホロは頬を緩めた。

 「その枷、わしが取ってやろうか?竜の魂さえ手に入れば、お主に掛けられた呪い程度、どうということはないぞ」

 「ありがたい申し出だが、取引はもうしないことにしている」

 「その答え、高くつくぞ?」

 「値をつり上げるのは商売の基本だろう」ギリヤは憎らしく見えるよう、大仰に肩をすくめた。「畏れ多くも大魔術師のホロ様とまともに対峙する機会が訪れるとは思わなかった。竜の道に踏み入ったことを悔やむがいい。魔術師といえど、生身の人間にこの場はそぐわない」

 炎はもはや人の体を越えて大きくなっている。モズルの木を中心として部屋の内部が煌々と照らし出されていく。影は薄くなり、床を走る水の線が炎を反射して裂傷のようにくすぶって見えた。子供たちは光に怯えて体を縮こまらせていたが、影のように姿形を変じたりはしなかった。部屋には、エトが思っていたよりもずっと多くの子供が潜んでいた。エトたちを囲んで子供たちは、息を殺して事が終わるのを待っていた。

 魔術師が言った。お主らは盗人だ、と。

 「イーンに盗人はいない」ギリヤは高らかと笑った。

 ギリヤの放った炎は、空を泳ぐ蛇のように宙に舞い上がると、ホロの影たちに食らいついた。影がひとつ消えるごとにホロは苦しげに喘いだ。影はみるみるうちに炎にかき消されていった。ホロはよろめき、倒れる間際、杖をつかんで体勢を保った。

 「どうやら、これまでのようじゃの」ホロは呪文を唱えながら左手を掲げた。

 「やめろ!」エトは、ホロがかざす杖の先にモズルの木があることに気がつくと、あらんかぎりの力を振り絞ってホロの下に突進した。

 エトはホロに体当たりをした。ホロは軽い老人の体で吹っ飛んでいった。

 影を喰らい魔力の力で肥大化した炎は、ホロに襲いかかるとその姿を喰らった。

 炎に飲まれて跡形もなく魔術師は消えた。

 炎は今や太陽のように燃えさかり、生命を持つかのようにもだえ、荒ぶっていた。

 エトは、降り注ぐ光の下に、モズルの木が半ばまで裂けているのを見た。体にずしりと疲労がのしかかる。気を抜くと体がばらばらに崩れてしまいそうだ。

 「エト、俺は一足先にこの場から離れるぞ。そうでもしないと、こいつがお前ら全員を喰ってしまうともかぎらない」ギリヤは竜の刻印が光る腕を掲げ、猛獣使いのように炎を御していた。子供たちが、ギリヤの言葉にぎゅっと身をすくめた。エトは、眩しさに目を細めながらギリヤの姿を見た。炎を纏ったギリヤは、エトの夢想した焔の戦士そのままだった。

 「ありがとうギリヤさん」

 「またどこかで会うことだろう」と一言残してギリヤは、炎に包まれて消えた。

 辺りには静けさが残った。

 「エトなの?」ヴィノは、足を引きずるようにしてゆっくりとエトの下に近づいた。

 「僕だよ」エトは、ほっと疲れた笑みを浮かべた。

 「ヴィノ、僕たちにはまだやらなくちゃならないことがある」

 「やらなくてはならないこと?」ヴィノの声はびくつき、まだエトのことを信じられないようだった。

 エトは重い体にむち打つようにして足を動かした。ヴィノは二、三歩距離をあけてその後に続いた。

 「これをモズルの木の根元まで運ぶのを手伝って欲しい」エトは、自分の死体に近づき身をかがめた。死体に埋まる竜の心臓が、ぼんやりとした光でその体を照らしていた。

 「これは、エトなの……」ヴィノはエトの無残な死体から目をそらした。

 「どうしても、こいつをあそこまで運ばなくちゃならない。自分の体をこいつ呼ばわりなんてしたくないけれど、それ以外、どうしようもないだろう?」エトは元の肉体の肩に手を下ろし、残念そうに首を振った。「僕一人の力ではどうしようもないんだ。立っているのもままならない。モズルの木が裂けてしまったんだ。あれは、竜の魂だった。ヴィノ、お願いだから周りを見て」

 ヴィノは辺りを見回した。

 「あっ」ヴィノは、ホタノの周りに集う子供たちが苦しそうに横たわる姿を見つけた。

 「魂の力がなくてはこの部屋を維持することはできないんだ。部屋がなくなれば、みんな消えることになる。でも、僕らにはイーンが与えてくれた竜の力が残されている。まだ少しだけ動けるだろう?だから、できることをしなくちゃいけない」

 「エトの体を、あの木の場所まで運べばみんな助かるの?」

 「わからない。でも、心臓と魂がひとつになればきっと大丈夫だ」

 ヴィノは恐るおそる、横たわるエトの体に近づき、なるべくその姿を見ないように脚を取った。

 「ありがとう」

 「もう仲間外れはなしだからね」ヴィノは、ようやくエトの顔を見た。その顔はとても疲れて見えたけれど、疑いようもなく彼女のよく知るエトだった。

 「最後まで手伝ってよ」とエトは微笑んだ。

 「もちろん」ヴィノは精一杯の笑顔で答えた。

 二人は、エトの体を引きずって歩いた。エトの足取りは重く、一歩進む毎に息をつかなくてはならなかった。体が疲れているのはヴィノも同じだった。彼女は体にのしかかる気怠さに耐え、言うことの聞かない足を懸命に動かした。

 薄く水の流れる溝まで辿り着くと、モズルの木はもう目の前だった。一歩水に足をつけて溝を越えていけばいいだけだ。ところが、エトにはその溝を越える事ができなかった。エトは、足を止めたまま動き出すことができないでいた。

 「どうしたの?」ヴィノは尋ねた。エトからはなかなか返事が返らなかった。

 「目が見えなくなった」エトは視力をなくしていた。それは、魂の力が弱まっていることを如実に表していた。

 「もう少しだよ」ヴィノはエトよりも先んじて足を水に浸けた。

 「木の根元まで心臓を運べば、助かるんでしょう?」ヴィノは声に怯えがにじまないように気を配った。

 「わかっている。でも駄目なんだ。足が動かないんだよ」

 エトは視力をなくしたことに怯えているわけではなかった。部屋は、始めから闇の内に沈んでいたのだから、視力などもとより役に立たなかった。エトを怯えさせたのは、水の流れる音だった。視界が奪われたことにより、その音はより鮮明に耳に届いた。

 「水の音がするんだ。水の流れる音が。僕には、川の中に入ることができないんだ!」

 「でも、川なんてないよ」ヴィノは、溝に流れる浅い水をその足で踏みつけて合図した。水は、くるぶしにも届かないほど浅いもので、水の跳ね上がる音よりも、足が溝の底を打ち付ける音の方が強く響いた。

 「駄目なんだ。川の水にはあらゆる心が溶け込んでいるんだ。僕はその水に触れることができない。声が聞こえてしまうんだ。川に溶け込んだ死の声が」

 「川なんてないよ!」ヴィノは大声で伝えた。それでも、その声がエトに届いた様子もなかった。

 「川の音が聞こえるんだ。僕には、その音が恐ろしくてしょうがない」

 「大丈夫だよ、私が付いているんだから」

 「でも、川の音がするんだ」

 「川なんてないったら!」

 ヴィノは死体の脚を離し、エトに歩み寄った。

 「ほら、大丈夫だから」ヴィノはエトの手を取った。

 しかしエトはヴィノの手を振り払った。

 「僕は君の手を取るのも恐ろしいんだ」

 「エト!」ヴィノはめげなかった。強引にエトの手を握りしめた。

 エトは、なおもヴィノの手を振りほどこうともがいた。

 それでも、ヴィノはエトの手を離さなかった。

 繋がり合った手を通して、ヴィノの心がエトに流れ込んだ。混乱と、苛立ちと、心配がないまぜになった感情がエトを襲った。彼はそのすべてを拒絶しようとしたが、できなかった。もがけばもがくほど、ヴィノの心に沈んでいった。声に溺れていくようだった。

 「僕は怖いんだ。君の心を覗くことが。手を離してくれヴィノ!そうしないと、君の心が僕に流れ込んでしまう。すべてが、僕に届いてしまう。声が聞こえてしまうんだ。君の心の声が。僕は、どうしたらいい?僕は……」エトは、心に流れ込むヴィノの声をかき消すようにわめいた。声は消えてくれなかった。

 突然、すべての音が消えた。代わりに、エトの目は光を取り戻していた。

 「チウダ」と叔父は川向こうからエトに言った。

 エトは、乳白の川を挟んで叔父と対峙していた。

 「水から上がれ、エト。私はお前に警告をしたはずだぞ」

 「でも、僕はこの川を越えていかなくてはならないんです」

 川の水はエトの足首を飲み込んで膝下にまで届きそうな勢いで流れていく。足は根を張ったように川底にへばりついていた。

 「お前は自分がどこに向かおうとしているのかまるで理解していない。お前の力は何のためにあるのだ、エト。死の声を聞き、死を遠ざけるためではなかったのか?」

 「僕は今日までたくさんの声を避けてきました。心に触れる人の心すべてから逃げてきたんです」

 「そのおかげでお前は今、川のそちら側にいられるのだろう?」

 「でも、僕には何ひとつ誇れるものがありません」

 「お前が欲するのは名誉か?」

 「いいえ」

 「ならばここから立ち去るがいい。お前は慰めの代わりに生を得るだろう」

 エトは水面を見つめた。白く濁った水面には、どのような像も映り込みはしなかった。

 「それでも僕は、川を渡らなくてはなりません」

 エトが顔を上げると、叔父の姿は消えていた。対岸には、ホタノが立っていた。

 「でも、何のために?」ホタノはくすくすと笑った。「あなたは生を望んでいるのでしょう?それならば、竜の心臓を得てこの場から去りなさい。竜の心臓があなたや、あなたの大事な娘を地上に戻すわ」

 「でも、竜の魂は損なわれてしまった。このままでは、この部屋も、子供たちもダメになってしまう」

 「それが、いけないこと?」ホタノは、虚ろな目でエトを見つめた。「本当の事を言うとね、私は疲れてしまったの。長い時間、この部屋を維持してきた。留まることを望む子供を守ってきた。とてもとても長い時間よ。もう、終わりにする時が来たんじゃないかしら?私は魂を守ることに失敗した。傷ついた魂を癒やすには、魂と心臓を再びひとつにする必要があるわ。私はね、エト。心臓の力を得てまでこの場を維持するつもりはないの。竜の心臓は外の世界の依り代。イーンの都市を維持するためのものなの。私たちがその力を得たならば、都市はすぐに死を迎えるわ。そんなことをすれば、私たちは外の人間と同じになってしまう。私は自分が憎んだ行いを自ずから行うことはしたくないの」

 「皆で生きればいいじゃないか。君も、子供たちも、共にイーンの地に暮らせばいい。心臓と魂の力を合わせて、分かち合うことができるはずだ」

 「でも、もう竜はいないのよ?」

 「君が竜の代わりを果たしてきたように、今度は僕が竜に代わる」

 「そのために、エトは自分自身を捧げるの?」

 ホタノの姿は、いつの間にかヴィノに変わっていた。

 ヴィノは川に入り、エトの目の前まで来た。

 「それが望まれているのなら」エトは答えた。

 「まるで竜の子のような口ぶりだね。竜の子に選ばれた子供は、みんな同じことを口にしてきた。己を捧げることで、誰かを救えると思い込もうとするの。たくさんの子供が竜にその身を捧げてきた。エトが生まれるよりも前から、辺境の都市が築かれるずっと前から、竜にイーンと名の付くよりも遥か昔から。それで、何が変わったと思う?」

 「僕には正直わからないよ。でも、自分の大切な人のために、自分の差し出せるものを捧げることは、そう難しいことじゃないと思うんだ」

 「何もかもを捧げることになるんだよ。エトに、その覚悟があるの?」ヴィノはエトに向けて片手を差し出した。

 エトはゆっくりと首を振った。

 「そんな大げさな話ではないはずなんだ、イーン」エトは竜の名を呼んだ。

 「僕はヴィノとこの土地で暮らしていきたいと思った。ただそれだけのことなんだ」

 「しかし、お前が捧げるつもりの代償は、望みから遠く離れた場所にお前を運ぶことだろう。すべては捧げられ、お前の存在は消える」ヴィノの声でイーンは告げた。二つの瞳は揺らぐことなくエトを見つめていた。

 「それでも、ヴィノは生きていける」エトは二つの瞳から目をそらすことなく答えた。

 「ならばこの手を取るがいい」

 エトは手を伸ばしたが、ヴィノの手を取るには、ちょうど歩幅一歩分足りなかった。

 「いつだって、この一歩が遠かった」

 エトは一歩足を踏み出した。

 ヴィノの手を握ると、再び視界から光が消えた。

 エトの手はずきずきと痛んだ。ヴィノが爪を立てるようにして強く握っていた。

 痛みは、エトにきっかけを与えた。それは、水面に浮かぶ小さな木っ端に過ぎなかったが、水面がすぐ近くにあることを知るには十分だった。

 エトは、流れ込む声に抗うのを止めて、ヴィノの心の声を聞く覚悟をつけた。

 耳をすますと、たくさんの声が聞こえた。折り重なる声は、雑踏や風の音に似て、意味を見出すことが難しかった。様々な感情がエトの心を触れていったが、もはや気にならなかった。

 エトは、ヴィノの心の奔流の内に、エトを導く強い想いを見つけた。

 「君が見える」とエトは言った。

 「それで、どうするの?」ヴィノは迫った。

 「僕をモズルの木まで連れて行って欲しい」エトは、ヴィノに手を引かれ溝を渡った。水が肌に触れても、エトの心に死の声は届かなかった。溝を流れゆく水は、ただの水に過ぎなかった。

 二人は溝を越え、竜の心臓をモズルの木の根元まで運んだ。

 「どうすればいいの?」ヴィノは尋ねた。

 「わからない。でも、心当たりはある」エトは、手探りで死体の胸元に突き刺さる短剣を探した。ヴィノが、エトの手を短剣の束に導いてくれた。

 二人は胸元から短剣を引き抜いた。

 琥珀色の光が、星の瞬きを伴って溢れ出た。

 竜の心臓から流れ出た血は、蜜のような鈍重さでゆっくりと体の表面を伝い、モズルの木の根付く土に染みこんでいった。光は徐々に弱まっていったが、反対に、魂が力を取り戻すのを自身の体を通して二人は感じとることができた。

 「さあ、そろそろ帰ろう」とエトは言った。

 「どうやって?」

 ぼんやりと視力を取り戻しつつある視界に、ヴィノのいたずらっぽい笑みが浮かぶのをエトは見た気がした。

 血はすべて流れ、やがて暗い闇が部屋に落ちた。

 それはいつにもまして優しく、部屋に留まる者の姿をそっと隠した。

 

 ***

 

 風がそよと動いて、草の香りを運んだ。

 大地が揺れたように感じたが、自身の心臓が鼓動する力強さゆえの錯覚だった。

 竜になった夢を見た。竜となり、イーンの上空を飛ぶ夢を。

 目を開くと、月があった。

 大きく、丸く、冷たい光を纏う月が。

 黄の色が混じる月の地表は、月をまるで竜の瞳のように見せた。

 夜の風は肌寒く、体が芯から冷えていることに気がついた。

 背中は大地の露に湿っていた。

 冷え切った体の内、一点だけ、とても暖かな場所があった。

 右の手のひらにだけ温もりを感じる。

 エトは頭だけを動かして、正体を見定めようとした。

 隣には、ヴィノが寝転んでいた。彼女は目を開き、月や星や夜の風を見上げていた。

 繋ぎ合った手のひらから、ヴィノの温もりが伝わってくる。エトはそっと息を吐き出した。肩の力が抜けた。彼は、かつてないほど穏やかな気持ちに包まれた。

 「ここはどこだろう?」

 夜虫の鳴く音が聞こえる。幾重にも重なる夜虫の音は、賑やかであるほどかえって静寂を意識させた。夜は静かすぎるほどに静かだった。

 ヴィノは頭だけをエトの方に向けると小さく微笑んだ。

 「わからない。でも、頭の上に小さな木がある。周りは原っぱだよ」

 エトは体を起こして、振り返った。そこにはヴィノの言うとおり、小さな木があった。月の光が木肌を照らし、銀の粉を散らしたような輝きを放っていた。まるでたった今、大地から生えたばかりのように見える。エトはこの場所に覚えがあった。しかしなぜ、二人でこの場所にいるのかは、森の名が示唆するようにまるで思い出せなかった。

 「僕たちはどうして忘我の森になんているんだろう?」

 「わかんないよ」ヴィノは空いたもう片方の手をエトの手に重ねた。

 エトはヴィノの手を引いて起こしてやった。二人は呆然と、月明かりの照らす森を見回した。忘我の森に生える木々は、どれも背が低く、密度もまばらで、森と呼ぶにはいささか貧相であったが、森を満たす命の気配は、イーンの都市のどの場所よりも濃かった。二人が腰を下ろす原っぱの草は瑞々しい生命を讃え、雨上がりのように濡れていた。

 「竜になる夢を見たんだ」とエトは、草の葉に光る露を指先で優しく払いながら言った。

 「僕は大きく翼を広げて、塔よりもずっと高い空の上をぐるぐると舞っていたんだ。塔の広場や、市場の通りや、大穴に向かう岩場の道なんかを見下ろして、そこに生きる人たちの動きを見て、それから大穴の中に下りて、君を迎えに行くんだ。僕は君を連れて、無の砂漠を越えて飛びたかった。砂漠の向こうにある古代都市のひとつひとつを巡って、僕の故郷の村に降り立つんだ」

 「私が見つからなかったの?」

 「いいや、君はちゃんといたよ。でも、イーンから連れ出すことはできなかった」エトは夢の内容を語りながら、なぜか物悲しい気持ちになった。こうしてヴィノの手を握っているのに、もう彼女がいないみたいに感じられる。

 「私も夢を見たよ。怖い夢、悲しい夢、さよならの夢。でもエトが助けに来てくれる夢」

 ヴィノはにっこりと笑って、二人の繋ぎ合った手を見た。

 「エト、ようやく手を握ってくれたね」

 手袋のない生身の手でエトはヴィノの手を握っていた。それなのにヴィノの心が見えなかった。剥き出しの肌を通しても、ただ温もりしか伝わってこない。

 「ヴィノの心が見えない」

 ヴィノはエトの言葉に顔をしかめてみせたが、すぐに笑みを取り戻した。

 エトはまっすぐヴィノを見ていた。これ以上ないほど真剣に見つめた。ヴィノの心が見通せない分、その表情から気持ちを探ろうと必死だった。

 ヴィノの瞳には月が映り込み、きらきらと輝いていた。ヴィノは笑みを浮かべていた。幸せそうな微笑みだった。エトには、しかし自信がなかった。

 ヴィノは今、何を思っているのだろう?

 エトはヴィノの手を握る力を強め、ますます真剣に二つの瞳を覗き込んだ。

 答えは、言葉によらない形でもたらされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る