8歳1月 オーナーの山崎さん

 お正月。まったく、オメデトウなんて言える気分にならない。

 種付け料、100万円。種付け数、現在確保できているだけで80頭。種付け料が5倍になったってのに、種付け数は減るどころか1.5倍になってる。もちろん、これからもっと増えるだろう。なんでみんな、おいらをこんなに求めるんだろう。

「おいヨウセイプリンス、お客さんだぞ」

 お客さん。いったい何の用件なんだろう。この雪ばっかりの淋しい牧場に、おそらくは人間だろうけどいったい何のつもりだか。そう思っておいらがふてくされた顔をしていると、ひとりの男の人が歩み寄って来た。その男の人を見たおいらの気分は、さらに悪くなった。


 騎手ってのは、基本的にやせている。負担重量ってのがある、基本的に55キロぐらいだが、最低で48キロまで行くらしい。要するに、騎手の体重はそれ以下でなければいけない訳だ。だからかは知らないけど、おいらの生活で太った人間に出会った事はほとんどない。この男の人は、今までおいらが見た中で一番太い人間だ。ただ脂肪ではなく、筋肉の多い太り方ではあるけどだから何としか言いようがない。まずそういう未知の人間であるという時点で、気分が悪かった。

「よろしくねヨウセイプリンス、ってどうした?」

 さわやかそうな笑顔で、その人はおいらの事を呼んでくれた。でも、それもまた気に入らなかった。だからおいらが威嚇のつもりで鼻息を荒げて首を派手に動かしてやると、男の人は少しひるんだ。

「まったく、普段はこんな馬じゃないんですけどね」

「そう言えば今日は少し暖かいですからね、春の匂いでも感じ取りましたか?」

 何が暖かいだか。今日の最高気温は3℃、最低気温は氷点下7℃らしい。寒いのは別に嫌じゃないけど、おいらの怒りとかいら立ちとかわかってないのかよって要素の方が大きい。だいたいこの人は何なんだろうか、見てて不思議なほどにイライラする。しかも、決してないがしろにしようとしている訳じゃない。でもそれもまた、おいらにとっては悩みの種だった。

 当歳だった頃から現役時代まで、おいらに関わってくれた人間の大半が善意で動いていた。善意とは、おいらを「立派な競走馬」にしようとするという善意。でもそれは、おいらにとっては悪意だった。あの競走中止によってその「善意」の波からようやく解放されたはずなのに、今再び「立派な種牡馬」にさせようとする善意が襲いかかって来ている。逃げ出したいが、逃げ出してどうしようって言うんだろう。競走馬なんて、勝たなければ基本的におしまいだ。でも種牡馬ってのは、いつになったら終わりになるんだろう。子どもが産めなくなったらだろうか、あるいは子どもが活躍できないだろうと思われた時だろうか。さもなくば――とか言う恐ろしい考えにおいらが至ろうとしていた所に入り込んで来たオーナーとその男の人の会話は、ますますおいらのその人への印象を悪くした。

「ところでどうなんです、今年のスターライツは」

「去年はあとちょっとの所で逃げ切られる場面が多くてですね、まあ先発ピッチャーであって点をやってしまう側の人間である僕が言うのもなんですけど。相手の中継ぎ投手を崩さないとダメって事で新外国人も取りましたけど、それがどこまでうまく行くかですね」

「山崎さんのような野球選手になりたいって子も多いんですよ、地元チームでもないのに」

「それはいやまた……」

 野球ってのがどんな物なのか、おいらは知らない。でもそれが、ある種の勝負であり競馬と同じ類の物だって事はわかった。そしてこの山崎さん――――山崎嘉智さんって人はその野球って言う世界にどっぷり浸かっている、「勝負師」だって事も。その勝負師に親しげに頭を撫でられたおいらの心は一気に逆立ち、猫のように毛を逆立てつつ声を上げてその男を睨み付けた。

「うわあ!」

「ずいぶんな嫌われようですね、こんな人見知りする馬でもないんですが」

「現役時代なんかあったんですか」

「走る事は嫌いではなかったんですが、争うのが嫌いでね」

「まさか僕の勝負師の気配を感じ取ったとか、いやまさかねえ」

 わかっているのならば早く離れてくれ、そう言い聞かせてやりたかった。でも、どうせおいらの言葉は人間には届かない。少なくともいっぺん吠えただけでは、おいらの気持ちは人間には伝わらなかった。


「おいヨウセイプリンス、失礼だぞ」

 その山崎って男が帰った後、オーナーさんはおいらの事を叱った。何が失礼なんだか、嫌いな物を嫌いと言って何が悪いんだか。わがままって言いたければ言えばいい、あれは絶対に好きになれない人だ。

 おいらが新馬戦の時に乗せた人は、デビュー20年目のベテランジョッキーだった。その人を見た時、おいらは元からなかったやる気がさらに萎えてしまうのを感じた。性に合わない、どこか偉そうな感覚。そんな物を勝手に感じてしまい、指示を利く気がなくなってしまった。

「おいどうした、前に行けよ!」

「どうして前に行かなければいけないんですか」

「それがサラブレッドだからだろ!」

 まるで呼吸をするのと同じ扱いだった。速く走る事が唯一無二の価値であり、それ以外は何にも認めないと言わんばかりの高圧的な物言い。シンガリに負けた後、その人はもうこんな難しい馬二度と乗らないと調教師に先生に言ったらしい。それで2戦目からはまだ新人の人に乗ってもらったけど、少しはましになった。

「1+1っていくつですかね」

「何を言ってるんだよ」

「そのレベルからこの仔には教えなければならないかもしれませんよ、走って勝つことが重要だって」

 と言われもしたけど。その時調教師さんは全くだよってうなずいてたけど、おいらにはまったく理解ができなかった。そのまま競走馬でなくなり、種牡馬になった。

「せっかく大スターが来てくれたんだから、とは言わないけどもう少し愛想良くしても良かったんじゃないのか、私と接する時のように。そうでないとしてもさ」

 もしその人が普通の人だったら、おいらだってあんなに暴れたりしなかったはずだ。でもあの山崎って男の人には、どうしても嫌悪感を覚えずにいられなかった。

26試合登板、15勝7敗、防御率2.23、奪三振182。それが、山崎嘉智って人の去年の成績。紛れもなく超一流のそれであり、年俸もここ3年間で3倍になったらしい。1億円が1億5000万円になり、1億5000万円が3億円になったと言う。そんな風になるには、相手に勝つために相当な努力を重ねなければならないんだろう事が分かる。でも、おいらは気に入らない。「勝負師」と言う性質だけではない、もっと根深い所での不信感。

 ――――その不信感の答えを、オーナーさんはあっさりと喋ってくれた。

「お前の息子のスターヴァンガードのオーナーなんだから、それなりの態度ってもんがあると思うんだけどな」

 スターヴァンガード。あの時の、おいらの息子だという恐ろしい馬。その持ち主。それが、あの人らしい。

 馬主になるのは大変だ、そんな話も聞いた事がある。相当たくさんお金を稼いでいて、しかもそれが安定していなければならないそうだ。オーナーさんも、競走馬を生産していない訳じゃないけど基本的にはそれをよそに売って稼ぐ人だ。その内の1頭、おいらの子どもであるらしいスターヴァンガードと言う馬を買ったのがあの人だと言う。


 ああやって、歯を食いしばって走り戦う姿を美しいと捉えるような人間。自分とは真逆の感性の持ち主。そういう人間に買われたからうんぬんだなんて言うのは屁理屈なんだろうけど、実際あんなにニコニコしていたのに恐ろしいほどの殺気があの人からはにじみ出ていた。

 400万円と言うのが、スターヴァンガードの値段らしい。競走馬としては安値らしいけど、おいらの種牡馬として買われた時の額とそんなに変わらないと考えるとずいぶんと高値だ。でもスターヴァンガードはわずか3ヶ月で、その購入額の20倍近い賞金を稼ぎだしたらしい。お金を稼ぐと言えば非常に聞こえはいい。でもそれは、多くの他の馬を蹴倒しての結果じゃないか。その多くの存在の悲しみを背負う事なんか、おいらには耐えられない。新馬戦に続いて東京スポーツ杯2歳ステークスとか言うレースも勝ち、朝日杯フューチュリティステークスとか言うGⅠレースで2着。いったい、どこまで暴れ回るつもりなのだろう。どうして、勝とうとするんだろう。負けた相手、負かした相手の憎しみや悔しさがわかってないのならば親として認めたくない。おいらの事を弱虫と言った馬もいる、でも戦う相手に向き合わない方がよっぽど弱虫じゃないのか? おいらは、どうしても戦う気持ちになれなかった。争って、傷付いて、そしてそれでまた傷付く。そんなのは嫌に決まってるじゃないか。

 おいらはこの牧場にいる繫殖牝馬と、一回も種付けをしていない。それはもっぱらテンカノエイケツさんの仕事であり、そうでないとしても他の牧場の種牡馬の仕事だ。オーナーさんは血統の問題とかって言ってるけど、本当にそうなんだろうか? まあ、アオイホシノオトコ君も同じようにこの牧場の牝馬に種付けをしてない所を見るとおおむね当たってるんだろうけど、もしおいらに子どもができたら争いの悲しみと苦しさと無意味さをたっぷり言い聞かせてやりたい。みんなが仲良く暮らすために、ともに歩もうじゃないかと。

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