3-11

 翌々日の早朝である。荷支度を整えて朝一番の乗合馬車に乗り込んで私たちはルミナエナを目指した。

 場所の待合所には私たちのほかに二組しか人がいなかった。行商人風の夫婦と、旅人と思しき男の二人連れ。珍しいものでもなく、ニコと私もまた珍しい組み合わせではない。

 ほどなくしてルミナエナ行の馬車がやってきて私たちはそれに乗り込んだ。

 御者が馬に水を少しやって、すぐに出発する。

 ガタン、と馬車が揺れた拍子に私の手をニコが優しくつかんだ。いつかの時のように、倒れ込まないようにと思ったのだろう。まじないを使おうかとも思っていたが、おとなしく彼に寄りかかっていることにした。


「昨日話した通り、ルミナエナの二つ手前の村で降りてそれから徒歩で森へ向かうわ」

「うん。分かった」


 ニコが頷いて、表情を引き締めた。 


「狼、倒せると思う?」

「わからない」


 ルミナエナ近くに出るという狼の情報をそれなりに集めてみて入るが、その周辺で奴隷や婦女子の行方不明が相次いでいるという情報と、数人の狩人や戦士が大きな狼に返り討ちにされたという情報が出てくるだけで、とせるかどうかの判断材料にはならない。

 最悪歯が立たなそうなら逃げ帰ってくればいいだけだ。狩人も戦士も返り討ちにあったという話を聞くだけで、殺されはしていないそうだから恐らくは逃げ切れるのだろう。

 思案する私の表情をどう受け取ったのか、暖かな手の平が私の手を励ますように握った。


「大丈夫だよ、エマ。俺もいるから」

「そうね、きっと大丈夫」

「ああ」


 頷く凛々しい横顔に安堵する。

 彼は魔法さえ覚えればすぐに大成する。だから、私が彼の加瀬にならないように。手を離してやらねば。


「ニコ」


 決心をして呼んだその声は少し震えていた。その震えを馬車の揺れだと心の中で誤魔化して、ニコの方へと顔を向ける。


「首輪を外す方法が見つかったわ」

「首輪が?」


 聞き返してきた彼は、怯えたような顔をする。

 その表情の理由がわからず困惑した。首輪が外れたからと言って突然そこらにほっぽリ出したりしないし、首輪を外すのもきっと痛くないから安心してほしい。


「ただ、私では外せないから先生の所に行きましょう」

「先生って?」

「私の先生よ。私に魔法を教えてくれた人。少し気難しい人だけれど、悪い人ではないから。きっと力になってくれるはず」

「へー」


 先生の話を出した途端、ニコが前のめりになる。


「それって、この間連絡とってた人?」

「やだ、聞いてたのね? うるさかったかしら。ごめんなさい」

「あ、いや……そういうことじゃなくって……」


 先生から連絡があったのは先日の早朝だ。良く寝ているニコを起こさないように風呂場で連絡を取っていたが、彼には聞こえていたらしい。うるさくしたかと思い謝れば、彼は異様に動揺していた。


「そ、その、先生ってどんな人?」

「いい人よ。見込みのない私に魔法を教えてくれた」

「そ、そういうことじゃなくって……」


 ニコが白い頭を抱え込むようにしてくるりと丸まった。何かに思い悩むようにうんうんと唸って、それからこちらの様子を伺うように顔を上げる。


「その人、男の人……?」

「……ええ。先生は男性だけれど」

「そっか……」


 彼が表情をこわばらせる。


「男性も苦手?」


 まさか、と思ってそんな風に尋ねれば「い、いや。苦手じゃないよ。大丈夫!」とニコが慌てたように首を横に振る。


「本当に? 無理しないでね?」

「う、うん」


 正直、先生と直接会うのは期待半分怖さ半分と言ったところだ。

 ニコのためとはいえ、会えることを嬉しいとは思っている。前に会ったのは二年も前になる。水晶で業務連絡のようなことはするが、直接会ってみないと何となく不安なのが先生だ。 

 先生の末の弟子も元気だろうかと思う。連絡を取るのはいつも夜か早朝だから、育ち盛りのあの子はまだ寝ている。「エマさん」と訛りの抜けない口調で名前を呼んで後ろをついてくるのがなんとも言えずかわいいのだ。妹のように思っているのかもしれない。

 そう言えばあの子は大蜘蛛のミルハと仲が良かったと思い出して、心が塞いだ。

もう二度と会わせてあげられない。

 先生は魔物を失った私を見て何というだろうか。可哀そうだったね、辛い思いをしたね。そんな言葉をかけてくれるのだろうか。それとも、気を落とさないで、と言うのだろうか。ともかく、叱責や落胆だけはしないのだろうと思う。あの人はつくづく私に甘い。

 だからこそ、落ちこぼれの私を見捨てたりはしなかった。


「エマ?」


 俯いた私を心配したのか、ニコが顔を覗き込んでくる。「大丈夫よ」となんとか笑って見せた。

 だが、私の笑みを咎めるようにニコが手をぎゅっと握ってくる。


「エマも、無理をしないで」

「大丈夫よ、私……」

「俺がいるよ、エマ」


 前を向く彼の表情はしっかりとしたものだった。

 きっともう私なんかいらない。


「そうね、大丈夫よ。ニコ」


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