3-10

 細かなざわめきに一瞬気をとられて、俺はパッと顔を上げた。

 ギルドに併設されている食堂は常ににぎわっている。食事をとりに来たが、食事の前に俺には勉強の時間が待っていた。識字能力の向上のためにメニューを選ぶのは基本俺の仕事だ。

 今日もメニューとにらめっこして、これがこう読んであれがこれでと頭の中で知識を引っ掻き回す。

 悩んでいる間エマは黙って見守っててくれる。

 読み書きに関してはもう場数を踏むしかない、というのが彼女の主張で魔導書に限らず、本や新聞なんかもよく買い与えてくれた。

 この食堂に来るのももう数回目で、読めるメニューもだいぶ増えている。

 とうとう注文を決めてエマに告げれば、彼女はそう長く考えずに自分の注文も女給にしてしまう。

 今日もサラダと野菜のスープだけらしい。彼女は肉を好まない。

 肉を食べないから彼女の体は細いんだと思っていたが、昨日の様子を見る限り食べられない理由はその亡くした仲間たちに胴もありそうだと考える。

 昨日抱きすくめた体はますます細くなっていて、危機感を覚えていた。こんな体で旅なんかできないんじゃないかとも思う。だから、俺が少しでも早く魔法を覚えて彼女のことを助けなければ。

 エマが気だるげに肘をついて自分の前の魔導書のページを一つ捲った。

 目を凝らしてみれば、今まで読ませてもらえなかった雷の魔法のページらしい。掻いている内容はほとんど読めないが、挿絵や簡単な単語から断片的に推測できた。

 エマが視線に気が付いたのかふと顔を上げる。そうしてパッと本を隠した。


「まだ雷の魔法はだめよ。早いわ」

「わ、分かってるよ」

「本当かしら?」


 エマが薄緑の目をきゅっと細めた。昨日はあんなに泣きぬれていたのに、今日はもうけろりといつも通りに俺のことを見ている。

 彼女自身も何もなかったかのようにふるまおうとしているのが見て取れたから、俺もなにもなかったように振舞う。

 傷のついたばかりの物は脆くて崩れやすいから、見張りながら直すすべを見つけなければいけない。


「そういえば、エマは今日もサラダだけ?」

「スープも頼んだでしょ?」

「でも、野菜のスープだった」

「好きだから食べてるの」

「フルーツも食べたら?」

「お腹に入ったらね」


 サラダとスープだけではあまりにも栄養にならない。フルーツも栄養になるかと言われれば微妙だが、ないよりはずっとましだろうと思って提案してみるが、エマは案の定ゆっくりと首を横に振った。

 せめて魚くらいは毎日食べてほしいところだ。これ以上細くなったら、風に吹かれて飛んで行ってしまいそうだと思う。

 俺も今日は魚にした。肉を食べない人のことをなんていうんだっけ、と最近覚えた知識を引っ張りまわしていると、突然机の上にばん、と大きな音を立てて男の筋張った手が乗った。

 音の大きさに身構えていると、手の主の男がするりとエマの隣の開いていた椅子に座る。

 金髪の背の高い男だった。体は鍛え上げられていて大きい。


「あんたが噂の魔法使いか?」


 好奇心たっぷりにエマの顔をぶしつけにもじろりと見てそんな問いを投げかけてくる。エマは無表情に魔導書を読みだした。視線もくれないのは男に興味がないからだろうか。


「さぁ、何が噂なのかしら?」

「えらく強い魔法使いがいるって噂だよ。それも、若い女だって」

「あら、そう」


 男と視線も交わさない。


「若い女の魔法使いなんてたくさんいるわよ。他を当たったら?」

「俺が探してるのは『えらく強い若い女の魔法使い』だ」


 男がエマの方に身を乗り出すのを俺ははらはらとしながら見ていた。エマに近すぎないか、とか冷たくあしらわれているんだから諦めろ、とか言いたいことは沢山あった。だが、エマの辺りの温度が下がったようにも感じられる拒絶の姿勢に、どこか安心している自分もいた。

 しかし、男はそんなのお構いなしにニコニコと笑顔を崩さず、エマの顔を覗き込もうとする。

 避けるように顔をそむけた薄緑色の瞳は隣の男に欠片の興味も示していなかった。

 冷たくあしらわれてるのに随分ぐいぐい行くんだな、と思う。俺はエマにこんな態度をとられたらきっと心が折れるぞとも同時に考える。こんなに不機嫌を隠さない彼女を初めて見た。

 初対面の男にこうも迫られて不機嫌なのかとも思ったが、俺との初対面の時でもエマはこんな対応じゃなかったと思い出す。ならば、単純に虫の居所が悪いのだろうか。いや、先ほどまでは普通に俺としゃべっていた。


「あんた、名前は?」


 険な態度のエマに男がそう訪ねる。エマがようやくじろりと相手を見た。


「……普通、人に名前を尋ねる時は自分から名乗るものなんじゃない?」


 棘のある低い声でどこかで聞いたことあるセリフを言う彼女に危うく吹きだしそうになった。

 何とか笑いを抑え込んだ俺とは対照的に、男は盛大に笑いだす。体をのけぞらせて一通り笑ったのちに、面白そうに目を細めた。


「間違いないや。俺はザーク。このギルドのオーナーをしている」

「私はエマ。で、そちらは弟子のニコ」


 ザークと名乗った男は、エマの紹介に俺のことをちらりと見やっただけだ。


「男の名前は覚えられないようにあってるんでな」

「そりゃ残念な頭ですね」

「気が強いな」


 エマが不愉快そうに眉毛をピクリと動かす。

 おかしそうに肩を揺らして、ザークの無遠慮な手がエマの髪に触れようとしていた。

 彼がエマに触れるのがなぜだか許せず、慌てて払い落とそうとした瞬間。

 パシン! と鋭い音がしてエマの周りを光が瞬いて走った。音に驚いたのかザークが手を引っ込める。


「あぶねー」

「あら、ごめんなさい。無意識で。今雷の魔法の勉強をしているもので。怪我はなかったかしら」


 ザークの悪態をエマは気にも留めていないようだった。白々しくそんなことを言って睨み上げるように彼を見る。

 エマのそんな態度にも気を悪くしてないようで、ザークは肩を揺らしてくつくつと笑っている。


「そんなに警戒すんなよ。今日は仕事を持ってきたんだ。」

「仕事?」


 エマがようやく顔を上げた。眉間にしわが寄っている。ザークが「きれいな顔してるなー。魔法使いにしておくのはもったいない」などと言い出すのでしわが更にが深くなる。


「いやぁ、警戒すんのもわかるなぁ。今まで苦労しただろう?」

「……」

「なんで魔法使いなんてやってんだ?」

「関係のない話なら、やめてもらえますか?」


 剣呑な声と同時にまたエマの周りにぱちぱちと雷が跳ねる。彼女は威嚇するように薄緑色の瞳を細めてザークを睨む。


「ああ、悪い悪い。」


 と悪いと思ってなさそうな軽い調子で謝罪して、ザークが懐から一枚の依頼書を取り出した。

 エマが横目でそれを確認して俺に手渡す。パッと入ってきた文字で追えたのは、「森」「狼」「退治」だけだった。苦心している間にザークが概要の説明を始めてしまう。


「ルミナエナって町は知ってるかい?」

「さぁ?」

「ここから南に馬車で2日行ったところにあるんだが、その途中の森に人食い狼が出るんだとさ」

「人食い?」

「そう、人食い」


 怖がらせるようにザークが大きな口を開けて見せる。エマが嫌そうに顔をそむけた。


「あなたがわざわざ私たちに話を持ってきて、頼むってことは、相当な被害が出ているってことね」

「話が早くて助かるね。屈強な男の戦士が向かっていったらしいんだが、結局歯が立たなかったらしくてな。で、うちのギルドに回ってきたのが運の尽き。魔法使いのエマに頼もうってわけさ」


 ザークが上機嫌に胸を張る。


「どうだ? やってみないか。もちろん報酬は弾むぞ」

「私一人で旅をしているわけではないから。そちらの彼にも聞いてみれば?」


 と、エマが俺に水を向けてくる。だが、ザークは鼻で笑った。


「だって、こっちの男はエマの弟子なんだろ? 弟子に決定権あるのかよ」

「弟子でもなんでも、仲間なので」

「へぇー」


 男の強い視線が品定めでもするかのように頭の先からつま先まで見やる。ザークが嫌な笑みを見せた。


「文字もまともに読めないのに、弟子ねぇ……」

「魔女に頭の出来は関係ありません。魔力と才能の世界ですから」


 エマの声は硬く冷たかった。やはりどこか虫の居所が悪そうだ。


「才能のないあなたには、彼がどれほどかわかりはしないでしょう」


 依頼書を受け取ると、すっと立ち上がる。


「依頼は受けましょう。ですが、この仕事以外で私たちにかかわらないでくださいね」


 背丈の違いがあるにもかかわらず、エマがザークを睨み上げる。薄緑色の鋭い眼光に男が気圧されたように両手を上げた。

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