2-3

 ごとごと、と馬車が揺れている音がしていたが、ある程度の揺れでも私がもう倒れ込むようなことはなかった。もちろんニコのおかげということにしておく。呪いや私が馬車に乗り慣れてきたおかげではないのだ。決して。

 ニコは相変わらず私の手を握ったままだ。馬車が大きく揺れると、隣からするりと様子を伺うような視線がやってきているのも知っていた。

 沈黙に耐えきれなくなって、ようやく切り出す。


「ニコに知っておいてほしことがあるの」


 なるべく深刻にならないようにと気を付けたが、眉間にしわが寄ってしまっていることに気が付いて、一度呼吸を整える。

 ニコは黙って聞いていてくれた。


「あなた、自分のルーツは分かる?」


「ルーツ?」


 首を傾げるニコに少し言葉を選ぶ。


「その、ニコのご両親の話なんだけど……」


「ああ、父さんは木こりで、母さんは機織りをしてたのはぼんやり覚えてるな」


 尋ねたら思いのほかするりと出てきた情報に驚く。

 今が十八歳と仮定しても、幼く柔らかい時間を理不尽に耐えたのだ。

 彼にも帰るべき家がある。至極当たり前のことだが、なぜだか心臓がどきりとはねた。


「五歳か六歳の頃に父さんと木を伐りに出かけて、その帰りに人さらいに捕まって……」


「五歳か六歳? でも、あなた自分の名前がわからないって……」


「覚えてないんだ」


 ニコがゆっくりと首を横に振った。


「ちゃんと名前があって呼ばれてたのは確かなんだけど……長い間呼ばれなかったからかな」


「……ニコ」


「まぁ、人買いに売られたわけじゃないから、そこでまだ納得いってるけどね」


 ニコが奴隷になってしまったことを不幸な事故だった、と自分に納得させようとしているのだな、と感じる。そうしなければやりきれないのだろう。そして、言葉の端々から自分よりひどい境遇の人を見たのだろうということもわかる。

 自分勝手な人たちがいるものだと思いながら、話を続ける。

 可哀そうだとかいう同情だけではニコの将来が豊かになるわけではないのだ。彼に必要なのは、誰か力のある人の協力と、知恵のある人からの学びである。現在それができるのは私だけだ。


「あなた、家族と似てなかったでしょ。髪の毛の色とか」


「ああ、確かに。母さんは黒い目をしてたけど、それ以外は似てなかったな」


「ニコ、魔族って知ってる?」


「魔族?」


 オウム返しに聞いてくるニコにゆっくりと頷く。


「あなたは恐らく魔族よ」


 間違いない。と視線で付け加えておくが、ニコに伝わっただろうか。

 私につられるように一緒に頷いたニコが、そのまま首を傾げる。その眉間には皺が寄っていた。跡がついて数年後に後悔するぞ、と心の中で警告しておく。


「人間とは違うのか?」


「人間の中でも両親に関係なく突然魔力が強い人が生まれるのよ。それこそ、極端な例だと両親に魔力がないのに生まれてきたりもするし」


「魔力が全くない人っているのか?」


「ええ」


 ニコは興味津々と言った風に私のことを見てくるので、そのまま話を続けた。


「学者の中には魔力が全くない人が純人で、魔力のある人は魔物だっていうような人もいるわ」


「へぇ」


 頷いたニコがしばらく考えて、目を合わせるように私の顔をしっかりと見た。


「エマもそう思う?」


「いいえ、私は魔物と人間は別の物だと思うわ。じゃなきゃ――」


 また石を踏んだのか、馬車が大きく揺れた。一緒に体も揺れて、はっとする。


「何でもない」


 何を言おうとしていたのか、思ってもないことを口走りそうになっていた。

 ニコは話の続きを促すようにゆっくり笑っていたが、私はそれ以上口を動かせなかった。

 変なことを言ってしまう。

 口に力を入れると、自然と手も強く握ってしまっていたようで、木の板に爪が立った。

 黙ってしまった私に首を傾げたニコが、するりと話題を変えた。


「エマはなんで俺が魔族だってわかるんだ? 魔女だから?」


「魔族はみんな白い髪の毛に真っ黒な目をしてるのよ。自然に生まれてきてそういう組み合わせの人はめったにいないわ。そういう人を魔族と呼ぶの」


 ニコが不思議そうな顔をしていた。


「魔族については色々な研究がされているけど……どうして生まれてくるのかは、やっぱりまだわかってない。生まれやすい組み合わせや、魔族の子供が魔族である可能性が高いっていうところまでは分かってきているけど……」


 そこまで話して、ニコが深い説明を望んでいないことに気が付いた。魔族の成り立ちの研究など本当に研究者や、強い弟子の欲しい魔女たちくらいしか興味がない。


「まぁ、ニコは自分が魔力が強いんだなと思っていてくれればいいから……」


「エマは魔力強くないのか?」


「私はただの人間よ」


 なぜ期待した目で見てくるのか。と思いながら話を続ける。きっと見間違いだ。


「魔族は魔力は強いけれど、祝福の魔法を持つことはないから――」


「祝福の魔法って?」


 いつも魔法関係の話をするのは、魔法使いや魔女の弟子や同僚の魔女たちに限られるから、何の考慮もなくさらさらと専門の用語を使ってしまう。ニコに一から魔法を教えるならそこもわかりやすくしておかねば、と心にとめた。


『人に教える時は、独りよがりになってはいけない。そんなもの独りごとと一緒だからね。』


 そんな言葉が思い浮かぶ。私が先生と呼ぶ自分の師の言葉だった。


「例えば、傷を治す魔法を使う人を見たことがない?」


 心当たりがあるのか、ニコが何度も頷いた。


「あれも祝福の魔法の一般例ね。多分世界で一番多い祝福の魔法よ。その他にも、例えば、予知能力がある人がいたり、その反対に過去を見る人がいたり、魔力を自在に扱う人なんかもいるらしい」


「へぇ」


 返事からしてあんまりピンと来ていない様子である。私も実際に見たことがあるのは回復魔法位で、その他の魔法は本の中でしか読んだことのない知識だった。

 話が脱線しているのに気が付いて、咳払いをする。


「それで、ニコは魔族で魔力が強いから、魔女向きよ」


 そう前置きして、本題に入る。拒否されたら次はどんなアプローチをしようかと頭の中ではぐるぐると思考が回っている。


「もし嫌じゃなかったら、魔法を覚えてもらいたいのよ」


「ああ、いいよ」


 ニコが何の抵抗もなく首を縦に振った。黒い視線が私をしっかりと捉えている。反応を探られているようだった。


「あ、でも」


 と、何かに気が付いたような声をニコが出す。真剣な顔をして、私に向き直るので、私も思わず真剣な顔になってしまう。


「それって俺でもできるか? 俺、今まで勉強なんかしたことないし……」


「魔法は素質の方が関わってくるから、勉強できるできない関係ないから大丈夫よ」


「ほんとか?」


「約束するわ」


 そう言って頷くと、ニコもつられたように頷いた。


「詳しい話はおいおいしていきましょう。」


 目的地の町が見え始めていた。

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