2024年2月

もしも「嫌」だったら、もう少し遠慮気味に

 昨夜、娘から借りた文庫本を読み終わりました。その小説は、すごく売れた小説で映画化もされる予定だそうです。娘は「2時間で読んじゃった」って言っていました。

 で、読んでみると、確かにスイスイ読めるんだけど、どこか“ご都合主義的”で、登場人物の心情面も薄い印象を受けました。中盤から結末に掛けては、謎解きの要素や登場人物の複雑な家系が登場人物によって怒涛のように語られて全く頭の中に入ってこなくなってしまいました。


 それより前、昔から好きな作家の小説を文庫本(上巻が厚さ2センチ、下巻が厚さ3センチ弱)を読み終わりました。それだけの厚さだったから、持っていても疲れてきたし、登場人物は上巻が135人、下巻が91人(重複してます)と極端に多くて、読み進めていても「はて、誰だっけ?」と思い返す手間もあったけど、そんなことも気にならなくなるくらいに面白くて、ページを閉じることがなかなかできませんでした。この作者の小説の中では3本指に入る面白さだった、のが読後の感想でした。

 その小説のレビューを販売サイトで見ますと、これが、結構、賛否両論で、否の方のレビューでは「リアリティがない」「中身がない」「政治を知らない無知作者」とか散々でありました。

 あんなに「面白かった!」と思っても、こういうレビューを見ると、萎えますね~(^^; 読んでいる私も「中身がない」「無知」と言われているような気がします。開き直るわけではないけれど、「中身の無さ」「無知」は私のパーソナリティの一部分としてれっきとして存在していることが否定できないのでしょうがないところであります。


 私が言うまでもなく、SNS全盛の匿名レビュー、口コミが広がっている世の中だけど、こうもいろんな人が批判する風潮がいつから始まったのか…と無知なりの私が思い返すと、心当たりがあるのが、漫画「美味しんぼ」からだったのでないか…と思うんです。

 みんなが「美味しい!」と言って行列まで作って食べているお店のメニューを主人公の山岡さんが一口食べただけで「化学調味料が満載」「舌がビリビリする」と一蹴していくシーンが何度も出てきました。「日本人は、安易な化学調味料や食品添加物でバカ舌になって不健康になっていく」みたいなのがこの漫画の柱の一本になっていたと思います。

 良くも悪くもこの漫画のヒットから、お客である私たちが評論家みたいに語り、やがて、それに基づくお店レビューが流行りだして一般化された気がします。「あなたたちが面白い、旨いと言っているけれど、本当のところは…」みたいなノリとか、「良い評判の旅館だけど、障子のさんや浴槽やトイレの汚さったら…」みたいなノリまで、“批判すること=真実”のような風潮が出来上がってしまったような気がします。


 私の妹は、口コミをいろいろ見ながら「美味しい」と評判の店を訪れるのが趣味みたいなところがあるんだけど、そういう外食の話題になると「兄ちゃん、あそこは行っちゃダメ」「あんなん、あったもんじゃない」とことごとく一蹴されてしまうことが頻繁にあります(^^; で、妹が大推奨のラーメン屋に行って食べてみると、確かに美味しんだけど、そんな声高になるほど旨いかと言えば、それほどじゃなくて普通に美味しんです。おそらく、私のバカ舌のせいだと思うんですけどね(^^;


 私は、何を何処でいただいても大概「美味しかった」と思える人で、それがラーメンだったら、ショッピングセンターの一角にあるフードコートの、プラスチックの丼で出てくるラーメンでもそれなりに美味しくいただける人であります。そんな私でも我慢して最後まで食べてから「二度と行かない!」と思ったことがある(有名なラーメン職人プロデュースの)ラーメン屋が一軒ありました。にぼし出汁があまりに強すぎて、最早、ラーメンとして捉えられなかったのが理由です。でも、60年近くの人生の中で「もう二度と行かない」は、これ1回切り、であります。


 私が住んでいるほぼ隣町には飲み屋さんが割と多くあって、飲んだ帰りに近くにある昔ながらのラーメン屋に寄っていくことがあります。その店のカウンター席に座って、瓶ビールとなんちゃらラーメンと餃子なんかを注文するんだけど、カウンターの一段高くなった台にペパーミントグリーンのボウルが置いてあって、そのボウルには真っ白な粉が山盛りになっていて、その山盛りの粉の上に「ハイミー」と印字された小さな空き缶が乗っているんです。ここまで大胆な絵を見せられると、最早、笑うしかないですね(^^; もちろん、ラーメンも餃子も美味しくいただいて満腹になって帰ります。


 もちろん、昔の時代の全てが良いわけではないですが、周りにいる多くの人が「いい!」「好き!」って言い合っている中、「嫌だ」「嫌い」と言ったりすると、「みんながいいって言っているのにケチをつけるな」と言われたりして、渋々、黙ってみんなの趣向に合わせるみたいな風潮があったと思います(ま、今でも、そうだろうけど、多様性の観点から、合わせること自体を強要しなくなってきた)が、SNSや商品レビューでは、まさに、声高にケチの付け放題であります。それがお高い商品であるなら「損をさせたれた!」「憎い!」「一生忘れない!」等々の感情で、長文で書きまくる気持ちもわからんでもないですが、先に話題にした数百円の小説ごときに、なぜに、こうもケチをつけるのか、私には理解できません。もう少し、遠慮気味に、小さな声で言ってくれても良いのに…って思います。


 さて、娘に彼の文庫本を返すときに、どんな感想を言えばよいのか、よく考えたいと思っている鈴懸であります(^^;


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