2022年 8月

鈴懸の木

 私が鈴懸の木を初めて見たのは、小石川植物園に行った時だ。

 Eテレの朝の番組「0655」のおはようソングで「小石川植物園に行ってみました」という曲が植物園の映像とともに流れて、それをきっかけにして上京の際に立ち寄った。


 歌中にあるヒマラヤスギの大きさを目の当たりにして驚き、ニュートンのりんごの木を見て感慨深くなったけれど、私が目を奪われたのが鈴懸の木だった。

 ヒマラヤスギほどの背丈の高さではないが、樹皮が班模様に裂けている幹は、それでも、30m近くの高さにまっすぐ伸びていて、見上げる私の首を痛くした。下を見ると、私の手のひらよりも大きな葉が絨毯のように敷き詰められ、その名前の由来となった丸い可愛らしい果実が落ちていた。

 小学生から高校生まで過ごしたアパートに植えられていたモサモサした常緑樹とは違って、始まりと、終わりと、そして、再生がしっかりと感じられるこの巨大な落葉樹群を歩きながら愛でた。


 世の中は、相変わらず、矛盾と隠蔽と欺瞞に満ち溢れ、誰かが誰かの至らなさを指摘し、誰かが誰かの所業を責めている。

 そりが合わない者同士が今日もロケット弾を撃ち合ったそうだ。

 核爆弾の被害に遭いながらも核兵器禁止条約に参加しない我が国では、本日、8月6日、広島で何人かの偉い役職の人が核廃絶の訴えをした。心を打つような演説をした人も居たけれど、私が学生の頃から同じようなことを毎年聞いているような気もする。


 「忘れることが多い日本人」を期待して、誰かは説明せずに雲隠れを決め込んでいる。忘れたくはないけれど、次から次へ自然災害や事件が起こるし、忘れたくはないけれど、こんなに暑いというのにマスクを付けて仕事をしなくてはならないし、日々を無事に生きていくだけでも私たちはいっぱいいっぱいなんですわ。


 もしも、宝くじが当たったら、私は此処と同じくらいの田舎街に土地を求め、平屋建てのあまり大きくない家屋を建て、北側か西側に鈴懸の並木を植えたいと思っている。北側か西側なら風雪から家を守ってくれそうな気がする。大きくなったら落ち葉を片付けるのが大変だろうけど、その片付けですら大事な仕事だと思えるような隠居生活を決め込みたい。


 その願いが叶うまで、私は小石川植物園を訪れ、その堂々とした佇まいを眺めて自分を慰めたいと思っているのだけれど、最後に訪れてからもう5年が経とうとしていることをさっき思い出した。





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