室温28℃の足元

 待ちに待った梅雨明けの青空は、白くくすんだサッシの向こう側にあった。

 サッシのこっち側の世界は、室温28℃に設定された実に退屈な世界だった。

 無駄に広い講義室に集まった50人の学生もどきの聴衆は、たった一人の識者の話に耳を傾けながらペンを走らせていた。


 かの僕だって、50人の中の1人としてこの4日間、時計とくすんだサッシの向こう側の青空と目の前に座っている聴衆の背中を交互に見ながらも、何千字もの文字を白い紙に記し続けてきた。


 かの識者が黒板に書く文字は4日間共に乱れることも変化することもなかったし、話す言葉の抑揚は4日間共に変わることなく耳に届いた。これは、“その世界”のエキスパートとしての称号であり、非の打ち所がないパーソナリティの現れなんだろう。

そんな空間で過ごした学生もどきの聴衆は、どんな気持ちになったのだろうか。すっかり、その世界に見入ってしまって識者が推奨する本でも注文したのだろうか。識者が参加を呼びかけた会合に申し込みをしたのだろうか。明日からの課題を見出してやる気満々になったのだろうか。



 同僚に話しかけられることも識者に指名される心配もないような無難な真ん中辺の席に陣取ったかの僕は、視界に入る30人くらいの聴衆の背中を見ながらやっぱり、あれやこれやと妄想を繰り広げてしまった。


 室温は壁に“厳守”と張り紙してあるとおりに28℃に設定されていて、冷気なのか暖気なのかわからないような中途半端な室温にも関わらず、講義の途中で持参してきた長袖のニットを羽織る者が割りと居た。驚くことに、左斜め前の男性は冬物の黒いニットのカーディガンを着込んでいた。

 その一方で、台所から直行してきたような半袖Tシャツのいでたちや、お腹の出っ張りをも気にしないぞと言わんばかりのピチピチしたノースリーブのシャツのいでたちで、しかも、持参してきた扇子で時折あおぎながら受講する女性の姿も見られた。

僕は、とりあえずこの室温で長袖を着る女性とは付き合えないな、って思った。かの、黒ニットの男性とは果たして話が合うだろうか・・・と考え始めたけどすぐにやめて視線を変えた。



 足元はさらに受講者の気持ちを表すがごとくいろいろな様相を表していた。

 組んだ足の片方だけ足首を上下させながらつっかけたパンプスのソールの感触を味わっている女性の足首は綺麗な肌色をしていた。

 サンダルのかかとのベルトを外して、両の足を足首のところで組んでサンダルをブラブラと揺らしている者の足の裏は、土踏まず以外の場所が綺麗な黄土色になっていた。

 いびつに磨り減ったソールのウォーキングシューズみたいなごついスニーカーから少しだけ見えている不釣合いの白いレースのソックスの女性の足は数十分後に見ても微動だにしていなかった。

 うちのお袋みたいに、両の靴を床に揃えて置いて、この狭い椅子の上に器用に両足を乗せて女座りでいる者は頬杖を付いて体全体のバランスを取っていたけど見ていて苦しそうだった。

 床の冷気を味わいたいのか、もう、完全にサンダルから足を解放して裸足をべったり床に付けている女性の気持ちは痛いほどわかったけれど、やっぱりこの人とは付き合えないな・・・と思った。


 僕はといえば、大学特有の机と椅子がセットになったような3人掛けの長机の端っこに座り、同じ机には受講者が座っていなかったけれど、貧乏ゆすりだけはしまいと気をつけていたが、果たしてどうだっただろう。



 元々、「足元を見る」というのは、江戸時代の宿場町などで、宿屋や駕籠(かご)屋が旅人の足元を見ることでその人の疲れ具合を判断して料金を決めていたことに由来するのだそうだ。疲労が大きければ大きいほど高額な料金をふっかけられても仕方なく休んだり、駕籠に乗ったりするしかない。人の弱みに付け込んでずる賢く商売をしていたわけだ。


 僕はそんなことを思い出しながら人の足元を見てたけれど、けっして商売なんかはしなかったものの、ずっと見ていたい足元にも出会うことなく、室温28℃の退屈な4日間を過ごしたとさ。


 目出度し目出度し。

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