第四十三話 評定

 中村御所の広間には、この一連の事件に関わる役者が集結していた。

 勝隆、白、兼定、康政、十兵衛、太三郎、金太。彼らは綾姫を救出するための評定をしているのである。

 外からは鳥や蝉の鳴き声が聞こえてきて、康政や十兵衛などはそれにいささか苛ついているようである。

 

「まず、今回の作戦は綾姫を救出する事が第一ということで、皆様よろしいだろうか」

 評定を取り仕切っているのは、康政である。一条の摂政であり、妖狐の血を引き、そして十兵衛の心内を理解している彼は、この役に相応しいと言える。


 康政の問いに、一同は頷いた。

 康政は腹を決めたつもりだったが、緊張と焦りを隠せてはいなかった。何しろ一見すればただの少年二人に狐に狸、大人の男が二人という訳の分からない見合わせだが、その実、平家の御曹司、土佐一条の当主、白面金毛九尾の狐、四国狸の大翁とその孫、近衛の密使なのである。このそうそうたる面々が集い評定を行う場面など、天下広しといえどそうはあるまい。

 さらに康政の心を落ち着きを失わせているのは、消えてしまった神剣の行方だった。

それまで確かに御所の奥深く、最も安全な場所に安置していた草薙の剣がいつの間にか消えていたのである。康政は顔色を変え、即座に御所中どころか中村の町をひっくり返しての大捜索を行ったが、剣はおろかそれを盗んだ者の手がかりすら掴めなかった。

 このように、僅かの間に全く痕跡を残さずに盗むというのはおよそ人間の業ではない。この怪異に説明がつくとすれば、それはやはり太古より数多の国を滅ぼしてきたあの女だろう。

 もしそうだとすれば大事である。十兵衛の話に寄れば、あの神剣はこの国に張り巡らされた神との契約の証であり、さらに剣にはそれを打ち破る力があるという。それはこの国、王朝を斃す事が可能であると言うことだ。

 滅ぼすことで人を救えると考える妲己が手に入れたらどういう事になるか、考えただけでも空恐ろしい。

 この京より遙かに遠い鬼国で、まさにこの国の根幹を揺るがす一大事が起きている。綾姫、一条、土佐、日本国、人であり大人である康政と十兵衛たちには、自分が今背負っているものの重みがのしかかっていた。

 「けれど康政、綾姫殿の気性からして、母兄弟を城に残して一人だけ城から逃げるというのは納得しないと思うよ。きっと、残って戦うよ」


 上座にいる兼定は暢気な声で疑問を投げかけた。兼定はまるでそれが自分の望みでもあるかのように言ったが、考えてみればその通りのである。そもそも綾姫はただ自分の安全を図ってこの中村に来たわけではない。この一条の助力を得て、岡豊に帰り兄を討つためにここに来たのだ。

 ならばこの状況にあっても、本人が考えているのは逃亡よりもむしろ貞親を討つことではないか。すると、勝隆たちが救出に向かった際、本人が脱出を拒むかも知れないといのうは確かに的を射ている。


「そこは得心してもらわねばなりますまい。我ら一条とて、長宗我部と本格的に戦う事は避けねばなりません。全力で戦えば恐らく我らが勝つでしょう。けれど最近の長宗我部は増強されています。ぶつかった場合、我が軍にも多数の被害が出るでしょう。一条の弱体化は土佐国混乱のもとになります。それは避けねばなりません。まして」


「まして、岡豊にはあの妖狐がいるのです」

当然、十兵衛の頭にあるのは妲己が神剣を手に入れてしまったのではないかという恐れだった。もしそうであれば、世の中が一体どうなるのか想像もつかない。近衛が心血を注いで進めてきた大計画は頓挫し、星の導きを裏切ってこの国が滅んでしまうかもしれない。そんなことは決してあってはならない。


 「私は・・・本音を言えば、なんとかしてあの妖狐を葬りたい。しかし、近衛の支援は到底間に合わず、今の備えだけでは不可能なのは承知しています。あの者を倒すには、数万の軍勢或いは比叡山、高野山の僧侶たちや陰陽師を総動員しなければ敵いますまい。歴史がそれを、証明しています」

 白に意味深に向けられた十兵衛の激しい視線をなだめるように、康政は同意した。


 十兵衛の妲己に対する考えはすっかり変わっていた。人の本性が悪であるという部分は、彼も同じ考えである。しかし、十兵衛とその主たちが人が悪であるということを前提に世直しをしようと言うことに対して、妲己は滅ぼして救済しようというのが第一の選択肢なのである。その選択肢が甦ってしまった可能性のある意味、彼女は十兵衛にとっても脅威だった。

 

「左様。あの城には妖狐がいる。すると戦うというのは避けるのが賢明でしょう。やはり、相手の注意を別に引きつけ、その間に救出するしかありませ・・・」


「でもね、僕は思うんだけど、綾姫殿はそんな事をしても、辛いだけだと思うな」


 一同は上座を見る。


「だってね、武士って面子でしょ。それを守って、命で商売して生きてるんでしょ。仇が目の前にいるのに手出しが出来ない上に、助けが来たからって戦わずに逃げるなんて、武士の美徳じゃないじゃあない。あの綾姫は、そういう風に育てられて来たんだから、そうなったら生き恥だよ。助けた後で、後日一条が綾姫を助けて岡豊城攻めをするって約束するなら良いけど、そうじゃないならもう復讐はお手上げじゃない。綾姫殿は自ら命を絶つかも知れないよ。そうなったら、叔父上は責任がとれるの」


「兼定様、あなた様が綾姫殿を大切に思う気持ちは、私も承知しています。しかしあなたは土佐一条のご当主です。この土佐国の国司です。今は過剰な思い入れはお控え下さいますよう。なによりその貞親を討つというのは、妲己を討つというのとほぼ同じなのですよ」

 

 康政は平伏して奏上したが、兼定は頬を膨らませるとぷんとそっぽを向いた。


「綾姫は、俺が連れて帰る」


 勝隆は呟くように言ったが、その言葉は静かに室内に響いた。

「何それ、僕のいう事聞いていなかったの。綾姫はただ逃げることはしない。残って戦うよ。僕らはその応援をすべきなんだよ」


「俺が連れて帰る」


 兼定の顔はみるみるうちに赤くなり、立ち上がると激しく地団駄を踏んだ。


「何も分かってないよ!君は、綾姫と知り合って一体どれくらいの時間を過ごしたって言うの。山から出てきて、ちょっと見た目の良い女と幾日過ごしたから好意を抱いているだけだろう。僕は君があの人と出会うよりずっと前から知ってるんだ。こういう時、綾姫だったらどうするか君よりずっと分かってる」


「こういう時、残って戦うのは男の役目だ。彼女が無理に復讐をしなくもいい。別の生き方もあるはずだ」


「プッ、あは。あははは。君はなんにも分かっていない。ねえ、今まで黙っていたけれど、そもそも綾姫なんて人間は本当はいないんだよ。あの人はね、長宗我部元親。元親なんだ。長宗我部の男子として育った人間なんだよ。分かるかい。そんな人間が、今更女子の考えで行動できる道があると思うの」


 兼定は勝ち誇ったようだった。下座で正座している勝隆を見下しながら嘲笑する。しかし勝隆が少しも動じていない事を確認すると、逆に兼定の方が戸惑った。


「その道は俺が用意する。俺が生き方を変える理由になりたい。だから連れて帰るといっているんだ」

兼定は言葉を失い顔を歪め、わなわなと震えだした。何か到底信じられない物を見たと言わんばかり様子である。その様は、剣が消えてしまったと知った時の康政や十兵衛に勝るとも劣らないものだった。


 兼定は言葉とも言えない何かをいくつか呟いていたが、やがて力を失ったかのようにその場に座り込んだ。


 勝隆の心は全く揺れてはいなかった。

ただ、さきほど兼定の頬を伝っていたもの、それを見つけた勝隆は、あれは涙ではないかと思い、不思議に思った。






「十兵衛殿。確認しなければならないことだが、そちらの人間関係を教えていただきたい。妲己は近衛と組んでいた。そして今は、長宗我部の岡豊城にいる。もし岡豊に攻めいれば、あの女は貞親を助けるのは確実だろうか」


 もちろん、希望を言えば貞親を助けてなど欲しくない。長宗我部が責められようと、貞親が殺されようと素知らぬ顔で無干渉であった欲しい。あるいは、もう岡豊を遠く離れ遙か彼方の土地に行っていて欲しい。そうであれば、この作戦はよほど簡単に成功するだろう。

 十兵衛はこれは自分の考えですが、と前置きした上で語った。


「恐らく、助けるでしょう。理由は至極簡単です。まず一つ、妖狐は長宗我部がいずれ四国を統一し、四国王になることを予想していました」


 一条の康政は目が鋭くなり、兼定は顎をあげる。

「皆様方もご承知の通り、現当主の貞親殿にはその片鱗があります。彼こそ四国王の器だと私も思います。彼が予言の若子なのかはまだ分かりませんが、彼が四国王であり、その駒は大切に取っておきたいと考えるのは間違いないでしょう。

 あの夜、この御所に貞親殿と共に現れたというのが、その証です。もう一つの理由は、綾姫を欲しているのが、妲己だということです。これは整理して考えなければなりません。

 私はその場におりませんでしたから良くは分からないのですが、綾姫を捕らえようとしていたのは貞親というよりあの女だったと伺っています。それが何故なのか、その真意が分かりません。けれどそうなると、綾姫殿の救出において一番の障害となるのは彼女です。あの女こそが綾姫殿を捕らえているのです。つまり、貞親の味方をしているということは事実ですが、綾姫の捕縛に関しては、むしろ貞親が妲己に手を貸しているということです。そうなると、攻め込む、忍び込む場所は岡豊城ですが戦う相手は妲己、そしてそれに手を貸す貞親勢ということになりましょう」


 康政は唸った。なるほど十兵衛の言うことはもっともである。場所が岡豊城ということ、そして事の発端が長宗我部の跡目争いだということから、綾姫を捕らえているのは貞親であり彼こそが救出を阻止する敵のように考えてしまいがちだが、綾姫の誘拐に関しては、妲己こそが黒幕なのである。ならば、自分たちの真の障害は彼女ということになる。

 つまり妲己との対立は、避けて通ることは出来ない。康政は改めて、自分たちの無謀さを自覚して大きく息を吐いた。


「そして最後の理由。これは単純です。今回、岡豊城を攻める我々の側に自らの半身である白殿がいるからです。綾姫誘拐とは全く別の事ですが、自分の今いる岡豊城に白殿がやってくれば、当然敵対するでしょう」


 十兵衛は一際鋭く、狐姿の白を睨みつけた。かつて自分の心を奪った玲瓏な美女は、今や狐の姿となって正体を現している。なるほど輝く毛並みは美しく、その佇まいだけを見ても並の妖怪では無いことが伝わってくる。左右に狸の妖怪を従える姿は、並々ならぬ貫禄がある。しかしこの妖怪は、太古から人を惑わし世を乱してきたのだと思うと、十兵衛の清廉な心は憎悪を抑えることが出来なかった。


「じゃあさ、やっぱりもうみんなで突撃しようよ。ね、そうしよう」


「ですから、あの妖狐には勝てぬと言っているのです。良いですか、我が君、勝てぬと言うことは負けると言うことです。負ければ死ぬのですよ。要するに、妲己に見つからないように、綾姫を助ける方法が必要なのです」


「武士が死ぬことを恐れてどうするのさ」

「それは武士一人の美徳です。一条家の当主となればまた違います。大名ともなればお家こそ大事、家を守ってこそ領地を守り、民を守れるのです。あなたはこの土佐、六雄、四国一豊かな中村の地を束ねる一条家のご当主ですぞ。どうかそのご自覚を」


「でも、ここで妲己を退治しておかないと、どの道みんな死んじゃう気がするな」


 その言葉はとてつもなく本質を突いているようで、今まで主従のやり取りを呆れて聞いていた一同も、突然血の気が引いたようにしんとなった。


 「あいつの事は、私に任せて欲しいの」

途中十兵衛に睨まれてもずっと黙っていた白が、初めて口を開いた。


 「あの女のことは私に任せて。私が、あいつを抑えるから。みんなはあいつの事は気にしないで、あいつを除いた戦力を想定して作戦を練ってくれればいいわ」


 その言葉には、意地や面子などの感情は一切無かった。ただ、静かな覚悟だけが伝わってくる。その様子は、横に座る勝隆と同じものである。二人は今、全く別の生い立ちと人格でありながら、どこか内なる宇宙で一つとなっている仏のように静謐な同調があった。


「できるのか。そなたは玉藻とは名ばかりで、あちらが力の大部分を持っているのだろう。そなたに出来るのは、男を惑わすくらいだろうに」

 十兵衛はあからさまに白を侮る言葉を挑戦的に口にした。もちろん妲己に及ばないまでも、今の白とて凄まじい霊力妖力を持っていることには間違いない。その事は十兵衛も承知いるが、彼の中では白は妲己と同一の人物と考えているしらく、敵意を向けずにはいられないのである。


 そんな無礼な言葉を、康政やかつての弟子とその孫が看過できるわけがなかった。

「これ、十兵衛殿」

「おいこら坊主、姐さんに失礼な口をきくと承知しねえぞ。姐さんが任せろと言うんだから、任せておけば間違いはないんだ」

「そうだそうだ」


 十兵衛は彼ら、特に太三郎を厳しく睨みつけた。人を翻弄する、人外の者に対する憎悪を彼は隠さなかったのである。その激しく清冽な眼差しに金太などはすぐに祖父の後に隠れた。しかし、太三郎は数多の修羅場をくぐり抜けてきた三百年の狸翁である。十兵衛の炎が吹き出るような激情を正面から受け止めると、そのまま鋭い目顔でにらみ返した。


 勝隆は思った。これは一同の統制がとれておらず、乱れている。このままでは、妲己を退け、綾姫を取り戻すことなどではしない。


「みんな、聞いてくれ。今俺たちは、綾姫を救出すると言うことで意見がまとまった。そして出来ればあいつを退治したいというところも同じだ。では、その二つが可能かどうかの判断だが、その為の情報と判断力、軍略的知識を持っているのは、一人しかいない。白」


 まるで総大将が軍師に意見を求めるような、その堂々たる口ぶりに康政と十兵衛ばかりか、兼定さえも驚いた。平家の血筋のこの少年は、これほどまでに聡明で堂々としていただろうか。


「俺たちは綾姫を救い、あいつを討ち取ることは可能か」 

 その問いの白の答えに、一同はざわめいた。

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