ピーチ★ウルフ

満月 兎の助

ハードボイルド

その男、孤高の狼



 ベッドサイドの灯りだけを頼りに、俺はいつものサクソニーブルーのシャツに袖を通した。


「……もういくの?」


 小さく、まだ余韻の抜けきらない甘い声がほの暗い部屋に漂う。


「仕事が残ってる。起こすつもりはなかった」


 ブラックのスーツジャケットを身にまとい、漆黒よりも深いグラサンをかければ準備は完了。俺はこれから修羅の場に赴かねばならない。


「煙草の匂いがしたから……目が覚めたわ」


 そう指摘され、俺は自分の咥え煙草から立ち昇る紫煙を見やった。


 コレは俺を冷静へと導くしるべ。時としてたける感情を押し殺す為に必要不可欠なモノで片時も手離せない。

 そのせいか、かつてちまたで囁かれた俺の異名は『シガーウルフ』。……青臭い頃の話だが。 

 

「私、今夜はここに泊まっていくわ。明日は仕事オフだし、チェックアウトまで思い切り寝てやるの」

「それがいい。お前もたまにはゆっくり休め」


 同じ女と二度は寝ない。

 そういう主義である俺が、この理賀子りかことはもう……47回同じ夜を過ごしている。

 理賀子の方も何を好き好んで俺のような10近くも歳の離れた、しかも未来など約束できない男と逢うのか自分でもわからないと言っていつも笑うのだ。


 俺の素性を知っている数少ない生きた女……とだけ今は言っておこう。


「待ってよ。おやすみのキスは?」

「…………」


 寡黙に佇んでいると彼女はいたずらな子供のようにベッドから這い出し、その瑞々しい素肌を名残惜しげに投げ出してきた。

 

「……! やだ、またこんなもの内ポケットに入れてる……」


 身体を寄せた時、感触で気付いたのだろう。彼女は俺のスーツの胸元に手のひらを押し当てて、その無機質で硬い感触を確かめる。


「こんなモノ持ち歩いて、もし誰かに知られたら」

「触るな。怪我をしたくなければ」


 こちらを見上げる瞳が複雑に揺れる。

 俺の身を案じてなのか、巻き込まれては面倒という思いなのか。どちらにしても見つかるようなドジは踏まない。


「わかってるわ……。でもあまり無茶はしないで」


 理賀子は俺の頬に労うようなキスを与えて、静かに送り出してくれる。


「あ、それから桃さん。今日こそ半分置いていってよね、ホテル代」

「…………」


 片眉を上げ、俺は細く長い煙を吐き出して傍らの灰皿に煙草を押し潰す。


 そして、飢えた狼が獲物を見つけた時のような俊敏さでラブホの部屋を後にした……。




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