《フワフワには届かない、名状しがたい甘い何かについての逸話》

 名前は大事だ。

 特に売り出したい商品のネーミングはとても大事だ。

 そんな事は素人の僕でも知っている。知ってはいたが、名付けの苦労までは理解していなかった。


 ザヴァ商会レムリア大通り本店、地下室。

 そこでは、若き店主を含め、分店の店主達、付き合いのある別商会の店主、販売担当者や、商品開発者、一度は引退した店主の母親、完全に引退したはずの店主代理、などなど商会の関係者十二名が、新商品のネーミングについて暑苦しく自分の意見をぶつけ合っている。

 その中に、僕と義妹がいた。

 正直なところ、僕が何を言っても店主の母親に絶対反対されるのでどうでもよくなってきた。僕はそこまで商売熱心な人間でもないし、お金は幾らあっても困らないが、差し迫って必要なわけでもないし、てか面倒なので早くキャンプ地に帰りたい。

 無意味な言葉の交差に、老人の思い出話、若者の場違いな情熱、脱線してはネーミングの話に戻り、また脱線。

 そんなこんなで夜が更けて行き、熱心に考え込んでいる義妹には悪いが、お腹が減った。眠い。帰りたい。

「どうして、こうなったのやら」

 独り言ち、僕はテーブルの皿に盛られたお菓子を見る。

 小さいメロンパンのようなお菓子だ。

 これを作った事が今回の騒ぎの原因である。


 ―――――――八時間前、キャンプ地。現在、冒険のいとま


 前々から、お菓子作りに興味があった。

 そして、何となしに作った卵ボーロが大変好評だったので調子に乗った。

 冒険業の合間、この身体共に充電しなければならない時間。この時間に、お菓子を作らないでいつ作るのか? 今だ。

 とはいえ、僕のお菓子レシピは卵ボーロ以外なにもない。

「マキナ」

『はい、何でしょうか?』

「お菓子を作りたい。何かレシピ教えてくれ。この間のチーズケーキでもいいぞ」

『………………ハァァ』

 洗濯中の人工知能ポットに、ため息を吐かれた。

「何だよ、その反応は?」

『ソーヤさん、お菓子作りというのは、女の子が使える魔法なんですよ? チーズケーキとか、その中でも秘中の秘なのです。乙女の深淵です。簡単に教えろとかよく言えますね。出会って三秒で告白からベッドインくらい頭おかしいです』

「男のパティシエは――――――」

『女の子の魔法です!』

 こいつ、大きな声で押し切るつもりだな。

 いつもなら強引な手段でレシピを吐かせるのだが、今日の僕は省エネモードなのだ。リフレッシュする為にお菓子作りをしたいのに、疲れては元も子もない。

「チーズケーキは諦めるから、何か教えてくれ」

 適当に頼み込んだ。いつも以上に脳に糖が足りない。

『“何か”じゃわかりません~♪』

「簡単なやつ」

 手を動かせれば何でもよいや。もう、甘い玉子焼きでも作るか?

『簡単なものですかぁ。厳密に言えば簡単な料理など存在しないのですけど、ソーヤさんの頼みですから仕方なーく。一つ、お教えいたしましょう~』

 マキナは水を吸った衣類を絞り、干し終えると、洗濯用具を片しながら食料庫のテントに入る。

 おおよそ五分後、マキナはお菓子の材料を手に戻ってきた。

「は?」

『何ですか? そのリアクション』

「材料それだけか?」

『これだけです。ソーヤさん、お菓子はなぜ美味しくなると思いますか? 女の子が―――――』

「魔法はもういいから作り方教えろ」

『………チッ、でわですねぇー』

 こいつ電子音で舌打ちを。僕がダラっとしているから、いつになく強気だな。

 マキナが用意したのは、携帯コンロ、小さいフライパン、布巾、すりこぎ棒。お菓子の材料らしきものは、砂糖と水、あともう一つ白い粉。匂いを嗅いでみると、

「これ、重曹だよな」

『はい、重曹です。お水と砂糖、重曹。これでピンと来ませんか? あ~流石のソーヤさんでもわかりませんかぁ~?』

 微妙に記憶にある。

「昔、死んだ爺さんが祭りの時に作ってたような………ええと、確か、キャラメル焼き?」

『ブッブ~♪ 違いま~す』

 今日は一段とムカつくな。

『では作りますね。砂糖水を火にかけます』

 フライパンに砂糖と水が入れられ、混ぜ混ぜ、携帯コンロの上に置かれる。

 着火してしばらく放置。僕は、足元に寄って来た羽付き兎たちにかぼちゃの種を与えた。可愛い奴らだ。時々、妹に狩られるのが悲しい。

『125℃まで加熱して~♪』

 砂糖水が煮立って来た。甘ったるい匂いが周囲に漂う。

『煮立って来たところに重曹を~♪』

 煮えた砂糖水に、重曹を一つまみ投下。

『混ぜます!』

 マキナは、すりこぎ棒でフライパンをかき混ぜる。十五秒シャカシャカとポットのアームが材料を混ぜ続ける。手早く素早く―――――――――

 と、

『ここです!』

 全体がクリーム色になったところで、マキナはアームを止めた。水で濡らした布巾の上にフライパンを移動。

「おおっ」

 フライパンの中身がプクッーと膨らみだした。変化が落ち着くまで待って、マキナはフライパンを返して中身を皿の上に。

『完成、カルメラ焼きでっす♪』

「お~」

 菓子らしい甘い匂い。見た目はメロンパンみたいだ。

 早速一口。

 焼き立ての熱気、サクサクとした触感。微かな苦味と甘さ。

「あ、うん、甘いな」

 材料の大部分が砂糖と水なだけあって、味は甘いだけだ。特に広がりはない。駄菓子な味。これはこれで良いものだけど。

『何ですか、ソーヤさん不満なんですか?』

「もっと手の凝ったお菓子を―――――――ん?」

 頭上に気配を感じ、見上げると一瞬の光を見た。

 羽根音と共にフクロウが僕の肩に降り立つ。

「グラヴィウス様」

 契約した商売の神だった。最近、何故だか呼んでもないのにキャンプ地に現れる。僕が契約したもう一人の神と、隠れて小さな宴を開いているのだ。

「異邦人よ、商売の匂いを察知したぞ」

「商売?」

 もしやと食いかけのカルメラ焼きを見る。

「む、その菓子。見た事があるぞ。炎教の司祭共が隠れて食っていた」

「へぇ、こっちにもあるので」

 材料はいたってシンプルだ。あってもおかしくはない。砂糖は少々高価だが、重曹も探せば異世界にあるのだろう。

「どれどれ奴らの【清貧】の味。このグラヴィウスが、食してやろう」

 食べたくて出て来たのね。

「あ」

 という間に、食べかけのカルメラ焼きが僕の腕から消えた。

「なっ?!」

 グラヴィウス様が声をあげる。

 カルメラ焼きをくわえたのは、黒いモフモフの猫だった。カリカリ、シャクシャク、猫はカルメラ焼きを速攻で平らげた。

「まあまあじゃ、食感は良いが味は甘いだけではないか」

「き、貴様ァァァァァ!」

 激怒するフクロウの神。空気が張り詰めて、テーブルやテントが震える。最初はビビっていたが、この二人の喧嘩を見ているうちに慣れた。

「我の供物くもつを! 何度も何度もまたしても! この泥棒猫め!」

「信徒の物は、わらわの物じゃ。食いかけを横取りしようとは品のないフクロウじゃ」

「横取りしたのは貴様だろォォォォ!」

「まあまあ、グラヴィウス様。新しいの作りますから」

「ソーヤ、妾も食うぞ」

「貴様は、今食べたでしょーがー!」

 フクロウと猫が取っ組み合う。

 ミスラニカ様の姿は、ノルウェージャンフォレストキャットに似ている。体長40㎝、長毛で尻尾も長くフワフワ。大型サイズの猫である。

 グラヴィウス様の姿は、オオスズメフクロウに似ている。“スズメ”と名の付くように体長25㎝と小型である。

「ふん」

「ぐぇ!」

 悲しいかな体格差で相手にならない。毎度の事ながら、グラヴィウス様はミスラニカ様に一撃でやられた。今回も前足で頭を押さえられてジタバタしている。

 わかっていてもひるまず戦うのは、神のプライドなのだろうか? 僕以外の眷属の前でやったら、信仰心が下がりそうなので止めた方が良いと思います。

「離せ! 呪うぞ!」

「神が神を、どう呪うのじゃ」

「それじゃ貴様の眷属を呪うぞ!」

 僕しかいねぇじゃねぇか。

『はーい、喧嘩は止めましょうね。新しいの出来ましたよ~』

 マキナは、マイペースにカルメラ焼きを作っていた。僕は、焼き立てのそれを綺麗に半分にして二人の神に進呈する。

「ちょっと~ミスラニカの方が大きいじゃないの~?」

「一緒ですって」

 グラヴィウス様の子供のような文句は流す。

 カッカッ、カリカリ、と二人はカルメラ焼きを食した。

「何よこれ、甘いだけじゃない」

「そんな物にムキなった奴は誰じゃ?」

「そんな物を横取りした猫はどこよ?」

「あ゛?」

「はん?」

「喧嘩は止めてください」

 ちょっと前の、ピザでモメた食卓を思い出す。

 カツカツ、カルメラ焼きをついばみながらグラヴィウス様は言う。

「でも、あーね。味はともかく見た目は売り物になるわ。この膨らむ工程で一つの売り物よ。魔法とか、適当な奇跡でっち上げて売りなさい」

「ええっ、これ炎教が隠して食べている物なんですよね? マズくないですか?」

「関係ないって言い張れば問題ないわ。偶然の一致よ。それこそ【奇跡】って事で片付けるのよ」

「んな強引な」

「やれやれ、商売の神は面の皮は厚いのぅ。ソーヤ、妾は寝るぞ。二、三枚、作って寝所に供えるのじゃ」

「あ、はい」

 ミスラニカ様は満足してテントに引っ込んだ。猫らしくマイペースである。

『ソーヤさん、販売するのは良いとして作れますか? マキナ忙しいので、街で実演販売する時間ありませんよ』

「簡単だろ。誰でも作れるさ」

 見た感じ、玉子焼きより簡単だろ。

『………………グフッ』

 マキナが不敵な声を上げる。

 その声の理由は、自分で作って気づいた。

 砂糖水を沸騰させ、重曹を入れてかき混ぜる。それだけなのだが、全然膨らまない。

 液状の名状しがたい物体になる。

「あれ?」

『流石のソーヤさんでも難しいでしょうー。温度管理とか重曹を入れるタイミングとか、混ぜるタイミングとかとか、簡単に見えて練習が必要な難しい料理なんですよ~グフフッ』

「くっ」

 今日は一段とムカつくマキナだ。省エネモード忘れて熱くなりそう。

「ねぇ、お兄ちゃん」

「うわっ、ビックリした」

 急に現れた妹に背後から抱き付かれた。完全な不意打ちに心臓が跳ねあがる。背中に意識を向けると、微かな膨らみと柔らかさを感じた。

 中身は子供っぽいが、外見は美形でモデル体型のエルフ。最近はスキンシップが激しいのでドキリとする事が多い。

「アタシもやってみたい」

「良いぞ。でも難し―――――――」


 五分後、


「あ、できた」

 ふっくら膨らんだカルメラ焼きが一発で完成した。

「温度と混ぜ方がコツよね。気泡にも注意する。手早く素早くまんべんなくね」

 この妹、流石である。

『お見事です』

 ポットのアームで拍手するマキナ。

「どーだー」

『何でソーヤさんがドヤってるのかわかりません』

「妹の偉業は兄の誇りだ」

「もっと褒めていいよ!」

 カルメラ焼きを頬張るエアの頭を撫でる。

「ンフフ~美味しい。甘~い」

 妹は幸せそうに菓子を食べている。

「作り手が見つかったようだな。我からザヴァの小倅こせがれに伝えておいてやろう。ところで、この菓子の名は何と言うのだ?」

 商売の事になると、グラヴィウス様はしっかりしている。

「カルメラ焼きと言います」

「は?」

 何故か、グラヴィウス様に威圧された。

「え? 『は?』とは?」

「貴様、何たる破廉恥な。契約を破棄されたいのか?」

「ええっ、答えただけでしょうが」

「その“名”が如何いかがわしいというのだ! 大馬鹿者め!」

 カルメラ焼きのどこに如何わしい意味が?

「エア、どういう事かわかるか? ………あれ、エア?」

 手が空を撫でる。エアは3メートル離れて、僕を白い目で見ていた。

「お兄ちゃんのエッチ」

「エッチな言葉なのか?! カルメラ焼きって!」

「言うな馬鹿者!」

 グラヴィウス様に怒られる。女神に怒られる言葉のようだ。

「説明してください! グラヴィウス様! どういう意味でエッチな言葉なんですか!」

「貴様、わざとやってないか?!」

「わざとやってます! だから意味を教えてください?!」

「言うか!」

 結局、カルメラ焼きがどんな意味かわからず。

 エアに20個ほど作ってもらいザヴァ商会に足を運んだ。


 ――――――――そして、話は最初に戻る。


 会議は難航を極めていた。

 僕は帰りたいが、当事者として帰るに帰れない。同伴したエアが熱心なのも理由の一つ。

「もう案はないのかい?」

 不機嫌そうに前・商会長が周囲を威嚇いかくする。そりゃあんたがダメ出しするから、皆黙るよ。

「ないなら、私の案で通すよ? 良いのかい?」

 このおばさんの案は、『至高のザヴァ甘食』だ。駄菓子に至高とか言っちゃうのはアレだと思うけど、砂糖は高級品だからわからんでもない。

 でも良いとは思わないのは確か。だが悪いとは言い切れない微妙なセンス。

 他の人間も僕と同じ意見なのか、反対したいが反対理由が思い浮かばない。このままだと、おばさんの案が通りそうだ。

 それはちょっと思う中、考えに考え込んだエアがやっと口を開く。

「………………姉の胸」

『………………』

 エアの姉、ラナは、というか僕の妻は、エルフには珍しい巨乳である。このカルメラ焼きは、実物のおっぱいに比べ三分の一サイズではあるが、いやしかし、おっぱいアイスやおっぱいプリンという大ヒット商品が日本にもあるわけだから。

『これだ!』

 僕を含め、若い商会関係者が声を揃えた。

「そこはかとない淫靡いんびな名前、これは売れますよ!」

「そうだ間違いない!」

「何という盲点」

「姉というところがポイントですな」

「母や妹でないところが、また」

 何かもう深夜のテンションと勢いで口走っている気がしないでもないけど、これで良し!

「え、いやあんた達。正気かい?」

『胸! 胸! 姉の胸!』

 僕らは合唱した。完全に馬鹿な学生のノリである。長時間の会議が原因といえなくもない。

 古株の商会関係者が呆れるのを余所に、僕ら若手は一致団結して強引に【姉の胸】を押して会議は終了。

 翌日、お得意様のみの試験販売を経て、急遽【姉の胸】は発売された。

 限定50食は、一つ銅貨八枚という高価な価格にもかかわらずお昼前に完売。ザヴァ商会始まって以来の大ヒット商品になる………………はずだったのだが。


「なんじゃ、これは?」

「在庫です………………」

 キャンプ地に置かれたカルメラ焼き80個の山を、ミスラニカ様が前足で突く。

 出し惜しみして少な目に作ったから、この程度の被害で済んだ。

「売れていたのではないのか?」

「売れましたよ。そりゃもう、売れていましたが苦情が入りました」

「苦情とな」

「炎教関係者、酒場のマスター、エルフの王。そして、レムリア王から直々に販売停止をくらいました」

 炎教の信者は引退した商会関係者が多い。引退したとはいえ、レムリアの商会関係者に影響力は強い。たぶん、カルメラ焼きの製法が漏れる事を危惧したのだろう。清貧を謳う宗教の隠れた贅沢を守る為、裏から表から手を回された。

 酒場のマスターは、『こんなフワフワなど認めんぞ』と意味がわからん事を言っていた。これは無視するとして、最後のエルフの王が販売停止の原因だ。

 カルメラ焼きは、名付けの親がエアである事を、売りの一つにしていた。彼女の姉といったらラナの事だ。ラナはエルフの姫であるが、勘当された身。大して問題にはならない、という事もなく父親であるエルフの王からクレームが来た。

 僕としては、義父とはいえ妻に辺りの強い男の意見など知った事ではないが、他種族の王からの文句だ。政治的な理由で、レムリア王が動いてしまった。

 なんとかならないものかと、グラヴィウス様にも相談したのだが、

『超えてはいけないラインを考えろ。馬鹿者』

 と一蹴。

 ここ三日のほどの苦労は徒労に終わったが、いうて損失は少ない。

 砂糖はレムリア王からの支給品―――――からちょろまかした。

 重曹は、代替え品が見つかった。

 失ったのは冒険の暇。

 所詮、暇は暇。暇は潰すもの。

「あら、美味しい」

「でしょお姉ちゃん、でしょ」

 美味しそうにカルメラ焼きを食べる姉妹がいるので、プラスと言って良い。

 こんな暇も良いものだ。

 しかし、気になる事が一つだけ。

 僕は小声でミスラニカ様に聞いた。

「ミスラニカ様。あの、誰も教えてくれないので不遜とは思いますが教えてください。『カルメラ焼き』って、こちらの世界ではどういう意味になるので?」

「貴婦人の××××った××という意味じゃ」

「………………」

 エッチだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異邦人、ダンジョンに潜る。 麻美ヒナギ/DRAGON NOVELS @dragon-novels

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ