第20話結婚式

 遠くで鳥の鳴き声がする。


「ん……」


 優はカーテンから差し込む光を避けるように横を向いた。すると、とん、と何かにぶつかった。優は目を開ける。


「あ……」

「おはよう、ユウ」

「……おはようございます」


 ぶつかったのは、ランスの胸だった。

 ――そうだ、昨日……俺、ランスさんと……!

 慌てて起き上がろうとした優だが、腰に力が入らず、その場に崩れ落ちた。ランスが心配そうにそれを支える。


「大丈夫? 無理をさせてしまったね」

「いえ……平気です、これくらい……」


 言いながらも、優は身体の違和感を感じていた。下半身全体が痛い。理由が理由なだけに、優は顔を赤らめてランスの胸に飛び込んだ。


「昨日はお疲れ様」

「はい、その、ランスさんもお疲れ様です」

「ふふ。変な会話だね……起きられる?」

「はい」


 ゆっくりとした動作で優はベッドから出た。急がなければ、身体は自由に動かせる。軽く伸びをして骨を鳴らし、優はベッドの周りに散乱していたシャツを羽織った。


「シャワーを浴びよう。お先にどうぞ」

「いえ、ランスさんから……」

「良いから、身体、洗っておいで? いろいろべたべたしているだろう?」


 確かにその通りだ。優はランスの言葉に甘えて、先にシャワーを浴びることにした。

 浴室に行ってシャワーを出す。特に後ろを念入りに洗った。好奇心から、そっとそこに触れると、そのまま指が入ってしまいそうになり優は慌てた。ここに、ランスが確かに居たのだ。そう思い出すとまた顔に熱がこもって赤くなる。優は湯から冷水にレバーを切り替えて顔を洗った。


「しゃきっとしないと……」


 優は両手で顔を叩いて気合を入れた。


***


 交代でランスがシャワーを浴びている間、優はキッチンに居た。冷蔵庫を開けるとハムが入っている。それから戸棚には食パン。もう午後十二時前なので遅い朝食を取る為に、優は準備を始めた。


「まず、パンを焼いて……っ!」


 戸棚から背伸びをして食パンを取ろうとしただけなのに、腰に痛みが走った。それ程、昨日の行為は激しかったのか、と優は思う。初めてのことなので、あれが激しいのかどうか比べようがないのだが。

 なんとか食パンを取り、トースターにセットする。後は約三分、待つだけだ。優は椅子に座り、ぼんやりと食パンが焼けていくのを眺めていた。すると、浴室からランスが出て来た。上半身が裸なので、逞しい肉体がさらされている。


「ユウ! 無理をしなくて良いんだよ?」


 食事の用意をしている優に、ランスは言葉を掛けた。優は首を振る。


「平気です。もうこんな時間だし、お昼ご飯になっちゃいますけど」

「ユウ、ありがとう。着替えて来るから待っていてね」

「はい」


 そう言えば、昨日で優とランスは結婚したことになっている。

 なら、今の状態は新婚、というのだろうか……。

 優は、結婚初日の食事が、こんな質素なものであるということに吹き出した。

 ――いいな。こういうの……。

 贅沢じゃなくて良い。ランスの仕事は高給取りかもしれないが、最低限の生活が出来ればそれで良いと優は思う。いつか、もっと体力が付いたら自分もどこかで働こう。そう決めていた。

 チン、とトースターが鳴った。優は程良く焦げ目の付いたかりかりの食パンを皿に移す。マーガリンを塗って、上からハムを一枚ずつ乗せれば完成だ。難しい料理は無理だが、優はこの程度のことならひとりで出来るようになっていた。優は皿をテーブルに運んで、料理の出来にひとり満足していた。


「おまたせ!」


 ランスが戻って来た。


「コーヒーは僕が淹れるから、ユウは座っていて?」

「はい。ありがとうございます」


 ランスは手際よく湯を沸かして、コーヒーの粉をカップにスプーンで入れた。インスタントのコーヒーだが、優にはこれが世界一の飲み物だ。湯が沸くと、それをカップに注ぐ。それを零さないように、慎重にランスはテーブルまで運んできた。


「食欲ある?」

「あります。お腹、ぺこぺこです」

「いっぱい運動したもんね」

「ら、ランスさん……」

「ごめんごめん。冗談はここまでで、いただこう」

「はい。いただきます」


 手を合わせて、食パンに齧りつく。簡単な物だが、とても美味しい。本当に空腹だった優は、ぺろりとそれを平らげた。

 続いて、コーヒーを飲む。その様子を、ランスは緑色の目を細めて眺めていた。


「ユウが元気そうで良かったよ……ひとつお願いがあるんだけれど、聞いてくれる?」

「何ですか?」

「結婚したことを……ポーンに知らせておきたいんだ。良いかな?」

「もちろんです」


 ポーンが居なければ、今の自分たちは無い。優は迷うことなく頷いた。


***


「そうか、結婚したか! それはめでたいな!」


 ポーンは棚からワインのボトルを取り出して、嬉しそうに笑った。テーブルの上にはグラスが三つ。そのうちのひとつにはオレンジジュースが入っている。

 ランスは器用にコルクを抜くと、空いているグラスになみなみとワインを注ぎ始めた。


「ランスはロマンチストだからなあ! どうせオンアラルドでプロポーズしてってとこかな?」

「……そうだよ。僕はユウに最高の思い出を残して欲しかったんだ」


 ランスは溢れそうなグラスに口を付けて、ワインを少し飲んだ。その頬は少しだけ赤い。照れているのだろう。

 優は黙って二人のやり取りを聞いていた。目の前にはカラフルなクッキーが山のように用意されている。例のクッキー製造マシンで作ったものだ。優は軽快することなく、それを一枚つまんだ。見た目とは裏腹に、バターの味が効いていてとても美味しい。

 今日は、ポーンに結婚したこと、そしてつがいになったことを報告するために、彼の家にお邪魔している。ポーンはランスの話を聞くなり、手を叩いて二人を祝福してくれた。


「俺も、そろそろ結婚しようかなあ……」


 ぐびぐびと喉を鳴らしながらワインを飲んでポーンが言う。優が訊いた。


「ランスさん、恋人居るんですか?」

「いや、居ない」


 あーあ、とクッキーに手を出しながらポーンは息を吐く。


「もしも、俺の家に上手いこと落ちてたら、ユウと俺はくっついてたかもしれないのになあ」

「そんなことありえないよ。僕とユウは運命で繋がってるんだから」


 優の肩を抱きながらランスが言う。ポーンは肩をすくめてランスを見た。


「魂のつがいってやつか? やっぱりランスはロマンチストだ!」

「何とでも言い給え」

「……待て、もしかしてつがいにもなったのか!?」

「もちろん」

「へえ……ま、その流れが自然か」


 魂のつがい――それは必然的に惹かれあうアルファとオメガのことだと言われている。ほとんど都市伝説に近いそれを、ランスは信じているのだ。優はふふっ、と笑った。ランスは、絶望的な顔をして言う。


「ユウ……君まで僕を馬鹿にするのかい?」

「いえ……魂で結ばれてるなら良いなって。そうしたら、俺がランスさんの家の前に居たのもきっと運命ですよね」

「おやおや。ユウまでランスに影響されちまってる」


 呆れたように言うポーンに二人は顔を見合わせて笑って返した。

 魂。

 運命。

 なんて素敵な響きだろうと思う。それで結ばれたのなら……きっとこれから先、怖い物なんて無い。


「そう言えば、二人は結婚式どうするんだ? 挙げないのか?」

「小さなパーティをしようと思ってるんだけど」

「挙げろよ! 俺の知人に式場で働いてる奴が居るから、紹介しよう」

「いや、僕、招待するほどそんなに友達居ないし……それに皆、変わってるから……絵の締切とか近いと誰も来てくれないと思う」

「ああ、下手すれば変人だらけの集まりになっちまうな! 俺も人のこと言えないが」


 ランスの友達って、どんな人だろうと優は思った。ランスも少し変わったところがあるのに、彼自身が変わってるなんて言うとはよっぽどだと思う。


「じゃあ、俺の庭でやるか? 結婚式」

「えっ。ここで?」

「貸してやるよ。もちろんタダで! 立会人は俺な! いいなあ……楽しそうだ!」


 すっかりひとりで盛り上がるポーンに、二人は顔を見合わせた。


「……どうする?」

「そうですね……せっかくポーンさんが提案してくれましたし……それに、庭なら小さなパーティと変わらないんじゃないでしょうか?」

「そうだね……よし、ポーン! 君のお言葉に甘えさせてもらいたいんだけど、良いかい?」

「もちろんだ! さっそく用意をしなけりゃな! 二人とも、タキシードを用意しろよ? 他のことは……まあ、後々考えよう!」


 こうして、小さな式をポーンの庭で挙げることになった。

 きっと一生の思い出になる。

 優は密かに確信していた。


***


 それから、慌ただしく時間は過ぎて行った。

 まずは、式場であるポーン宅の庭の整備から始まった。伸び放題になっていた雑草を、三人で手分けして刈り取る。庭が広いので大変な作業だった。

 優は額の汗を首からかけたタオルで拭き取る。一日で半分は進んだ。明日、仕上がるだろう。


「なあ、花を植えようか! 凄い派手な奴を!」

「いや、良いよ……今のままで」

「そうか。そいつは残念」


 ポーンは笑いながら、抜いた雑草を謎のマシンの中に放り込んでいく。なんでも、雑草を肥料に変えるというマシンらしい。仕組みをポーンは説明してくれたが、優にはさっぱり分からなかった。


「二人とも、タキシードの用意はしているんだろうな?」

「ああ、今日行くよ。ユウ、覚えてる? この間、服を買いに行った店」

「覚えてますけど……売ってるものなんですか? そう簡単に……」

「売ってるんだよね、あの店……品ぞろえが完璧なんだ」


 草刈りを一段落させた優とランスは、一度自宅でシャワーを浴びてから洋服店を訪れた。例の、派手な髪色の店主が二人を出迎えてくれる。


「いらっしゃいませ……今日はどういった……」

「タキシードを、二着」

「おや……結婚式ですね。おめでとうございます」


 ふふふ、と笑みを零しながら、店主は店の奥から真っ白なタキシードを二着持って来た。


「実は、前回……オンアラルドに行かれると聞いた時から用意してありました」

「それは御親切にどうもありがとう」

「良いですね。結婚式というのは……どんなプロポーズをなさったんです?」

「内緒! お勘定して!」

「ふふふ。それは残念」


 決して安くない金額を払って、二人は店を後にした。また紙袋を分けてもらい、自分が着る分は自分で持つ。紙袋の中にはシャツの他にも靴やベルトまでセットになって入っている。


「あの……ランスさん。いっぱい買わせてしまって、すみません……」


 謝る優の頭をランスは撫でた。


「良いんだよ。一生に一度の晴れ舞台だ。それに、式場のお金が浮くからね、何も心配しなくても良いんだよ」

「はい……ありがとうございます」


 次に宝石店に行って、指輪を作った。シンプルな銀色の指輪の裏に、互いの名前を彫ってもらう。ちょうど一週間で完成するとのことだった。

 手を繋いで歩く帰り道で、リリィに出会った。リリィは少し怒ったような顔をしてランスを見た。


「ちょっと! 王宮に飾られることになったら教えてって私、言ったわよね!? もう飾られてるって聞いて、驚いてるんだけど!」

「……ああ、ごめん。忘れてた」

「忘れてたって、貴方ね!」

「ごめんごめん。人生で一番重要な出来事があったから」


 そう言って、ランスは繋いだ手をリリィに見せつけた。リリィはしばらく考え込んだ後、ああ、と声を漏らした。


「結婚したのね!? ユウ、おめでとう!」

「あ、ありがとうございます……」


 照れてしまい、優は一歩下がってランスの影に隠れた。

 

「結婚式はするの?」

「するよ。小さな式を」

「まあ、素敵! 私、絶対に行くからね! ユウ、楽しみね!」

「……はい」


 手を大きく振りながら、リリィは式場の場所も聞かずに去っていった。


「お客さん、ひとり増えたね」

「ああ……恥ずかしい……」


 顔を赤らめて優が零す。その背中を、ランスは優しく撫でた。


「僕もね、緊張してる。けど、皆に祝福されるのって幸せだと思わない?」

「それは、まあ……」

「だから、今はこの空気に乗ろう! 気楽に考えて、ね」

「はい……」


 二人はまた歩き出した。

 ――気楽に考えて、か……。

 優は自分を落ち着かせる為に息を吐いた。大丈夫だ。これと言って招待する客は居ない。ポーンとリリィに見られるだけだ。


「楽しみだね。式」

「……そうですね」


 きっと大丈夫。

 優はそう思い込むことにした。

 小さな式だもん。失敗も何も無いはずだ。

 今は、草むしりのことを考えよう。

 緊張して強張っていた肩の力を抜いて、優はランスの手を強く握った。


***


「そんな……馬鹿な……」


 ポーンの自宅の窓から外を見ていた優は絶句した。

 あっという間に結婚式当日。

 誰も招待していないのだから、ポーンとリリィの姿があるだけのはずだった。そう、そのはずだったのだが……。


「いやあ。ランスは人気者だからなあ!」


 わはは! と笑いながら、ポーンは優の肩を叩いた。その様子を見て、ランスは苦笑している。


「ユウ、大丈夫?」

「駄目です、こんな大勢の人……」


 そう。ポーンの自宅前には大勢の人が何十人も押しかけていた。皆、どこからか「ランスとユウが結婚式を挙げるらしい」という噂を聞きつけて集まったのだ。優は緊張のあまり、倒れそうになるのをぐっと堪えた。


「出来ますかね、俺、ちゃんと……」

「大丈夫だよ。ユウ……ああ、僕も緊張してきた……」


 式自体はシンプルなもので、皆の前で指輪の交換、そして誓いのキスをして終わりになる。御馳走も引き出物も出ない。それでも、二人を祝福しようと街の人々はわざわざ足を運んでくれたのだ。


「まあ、こうしていてもらちが明かない。俺は門を開けてくるぜ!」

「ああ、ポーンさん!」

「腹を括れユウ!」


 駆け足で出て行くポーンの背中を二人はぼんやりと見送った。ポーンは優の世界の聖職者の恰好を真似た神々しい恰好をしている。一番、気合が入っているのではないだろうか。


「ユウ、僕たちも行こうか」

「……そうですね。俺、頑張ります!」


 上から下まで真っ白な装いの二人は手を取り、部屋を後にした。ここまで来ては後には引けない! そう自分に言い聞かせて。

 ランスが開けてくれたドアを潜り、優は眩しい外に足を踏み出した。


「ランスさんー! おめでとう!」

「ユウー! 似合ってるぞー!」


 三人がかりで綺麗にした庭まで辿り着くと、大きな歓声が沸いた。赤い絨毯が敷かれた地面を進むと、澄ました顔をしたポーンが二人を待ち構えていた。

 

「ユウ」

「……はい」


 ランスの腕に自分の腕を絡める。

二人は歓声の中、ゆっくりとポーンの元まで歩いた。ポーンの元まで辿り着くと、ポーンはごほん、と咳払いをひとつした。


「ランス殿。貴方は、ユウに幸福を与え、一生添い遂げることを誓いますか?」

「はい、誓います」


 どこか笑いを堪えるようにランスが答える。次に、ポーンは優に向き直った。


「ユウ殿。貴方は、ランスと共に生き、変わり者の彼を傍で支え続けると誓いますか?」

「はい、誓います」


 変わり者って……と優は思ったが、今は突っ込む時間ではない。次は、指輪の交換だ。

 どこからともなく、ポーンは二つの指輪を取り出し、二人に差し出した。


「では、指輪の交換を」


 ランスが先に指輪を取り、優の指にするりとそれを通した。

 優も指輪を取ると、震える手でランスの指にあてがう。サイズのあったそれは、すっ、とランスの指に吸い付くようにはまった。

 お互いの指に指輪がはまったことを確認したポーンは、手の平を空に向けて大きく両手を広げた。


「今、この瞬間を神は祝福しておられます。では、その祝福への答えを、誓いのキスで示して下さい」


 どきどき、どきどき。

 優の心臓が高鳴る。

 ランスは、優の肩に手を置き、ぐっと近づいた。


「ユウ……目を閉じて……」

「……恥ずかしいですね」

「一瞬だよ」

「はい」


 優は目を閉じた。

 すぐに、くちびるが重ねられる。

 わあ、っと一段と大きな歓声が上がった。

 ゆっくりと、ランスが優から離れる。けれど、優は照れ臭くてランスに抱きついて顔を隠した。


「では皆さん、ここに幸福なカップルの誕生を祝って、今一度盛大な拍手を!」


 ポーンの一声に、割れんばかりの拍手が沸き起こった。

 優とランスは顔を見合わせる。それからふふ、と笑い合い、もう一度くちびるを寄せた。

 こうして、大勢の人々に祝福されながら、結婚式は幕を閉じたのだった。


***


「ユウ、疲れたよね」


 自宅のソファーに沈み込む優を見てランスが言った。

 優は笑顔で答える。


「疲れましたけど……心地良い疲労です」


 指にはめられた指輪を撫でながら優は言った。

 誓いのキスの後、式はすぐに解散になったが、ポーンの家の後片付けなどをしていたら、すっかり夜になってしまった。二人は家にあったものを適当につまみながら夜を過ごしている。出来合いのものを買いに行こうとも考えたのだが、なんだか晴れがましいので止めておいた。


「恥ずかしかったけど、結婚式やって良かったです」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」


 優の隣に腰掛けながらランスが言った。きらり、と光る指輪を見て、優は嬉しくなってランスに抱きついた。


「俺たち……皆の前で誓いましたね」

「うん。誓った」

「ずっと一緒だって……嬉しいです」

「ポーンのあの一言は余計だったけどね……」

「ふふっ」


 ランスの胸の中で、優は微笑んだ。


「ランスさん、俺、世界一幸せです」

「それは困るな。世界一幸せなのは僕だから」

「じゃあ、同着ですね」

「勝負じゃないけどね」


 ランスは優の顎に手を置いて上を向かせた。そして、くちづける。

 だんだん深くなるそれに優は応える。


「ん……」

「……ベッド、行こうか?」

「……はい。刻んで下さい。今日という日を……」


 もう一度、目を閉じてキスを受け入れる。優の鼓動も、ランスの鼓動も高い。

 幸せになろう、愛し合おう、これからもずっと……。

 ランスは優を横抱きにすると寝室に消えた。その合間にもキスの嵐は止まらない。

 二人の夜は、もうしばらく続いた――。

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