拳で賭けるぞ

 その男は、過去も肉親も捨てた。

 自分を見ぬ家族から逃げ、辿り着いた山で己に真から向き合う大自然と戦い、そして今、賭博試合という場で己に真っ向から立ち向かう者共と戦い続けている。

 今の彼にとっては、もはや肉親などとは遠い忘却の彼方。自分を鑑みず、ただ父を男として愛すことしかできなかった母など知らない。自分によくわからぬ目を向け、言葉一つかけてくれなかった父など知らない。

 ただ今は、この単純な世界を大いに楽しむのみ。向き合えば、あとは互いしかいない世界。互いが互いしか見ない拳の応酬のみが、その場を支配する世界。その世界を、この全斗という男は大いに愛した。この単純な世界こそが、己の行き着く先だと信じた。

 彼の宿命が、行く先を阻むその時まで。

 

……

 

「……あまりに、今更すぎるんじゃないか」

「おいらもそう思ったんだが、な」

 今宵もよくよく湧く賭博試合。観客どもは、さらなる殴り合いを果てしなく求める中、闘技場では妙な空気が漂っている。

 この度の試合は、この頃力業で観客を沸かせる全斗と、情報が一切開示されていない男の組み合わせ。この男のことは、全斗ですら試合に臨むまで明かされなかった。これもまた、あの胡散臭いスポンサアの狡い意向なんだろう、と彼は呆れたように思っていた。

 しかして、あのスポンサアは狡いと吐き棄てるどころじゃない。むしろ今この場においては、セイマといういつか殴りあった男が、あのニヤケ面の男を毛嫌いする理由がわかるような気がしていた。

 兎にも角にも、全斗はこの目の前に立つ男が何者かを知っている。よくよく……いいや、どうしようもないほどに知っている。

「……叔父貴」

「覚えていてくれて何よりだよ」

 彼が叔父と呼ぶその男の名は、土方全器。彼の父親の弟である。全斗よりは流石に劣るが背丈は高く、筋骨もよく鍛え上げられている趣きががある。

 そんな彼は、三十路を越えても喧嘩ばかりに勤しんだ道楽者だった。兄が陸軍に入り上の立場に昇るとは逆に、彼は暗黒街に沈んでいった。

 その道楽者は道楽者で、どうも全斗のことが気がかりだったようで、幾度も遊びと称して彼に体術とは名ばかりの喧嘩などを仕込んでいた。全斗の母親は前述のような女であるから全く気にもとめず、全斗の父親もまた何かしら言うようなことはなかった。

 当の全斗はその当時、その喧嘩術がどう役立つのか訳も分からなかったが、しかし彼の戦いの骨子はここで組み上がったのは確かだ。

 しかして、結局全斗は家から出て行った。全斗の父母同様、この叔父とも二度と会うことはないとずっと思っていた。

「おいらも二度と、お前には会わねえだろうなって思っていたんだよ。アレがお前の選んだ道だ。あのアニキやアネキがとやかく言えるわけがねえんだからよ」

「じゃあ、なんで今ここに現れた」

「……お前の父親が、今更帰ってこい、だとよ」

 それは、全斗ですら驚愕の一言だった。

 あの、父親が?

 家を出てとうに何年も経とうとしている。なんの音沙汰も聞こえなかったが故に、あまりに今更すぎて全斗は耳を疑った。それは、どうもこの叔父も同じらしい。

「あまりに勝手すぎるよな、お前の父親は。散々お前に何もしてこなかったくせに、勝手に強くなったと聞けば、何かの駒に使えるだろう、って今更さ」

「何かの、駒……」

「おう、そうさ。まあ、あのアニキにとっちゃ、俺も、あんたの母親ですら駒にすぎねえかもしれねえが」

 はあ、と全器は大きなため息をつく。ぼさついた髪をあてもなくかき、まるで面倒だと言わんばかりの態度。

 全斗もまた、呆れと言えばいいのか、あるいはやはりかという顔を上げればいいのか、わからない。

 結局のところ、連れ戻したいというのも駒として。あいつは、結局のところ俺のことを息子としては見ちゃいないということか。

 叔父の口ぶりからして、察することができる父親の目。昔から、あの目はどうも息子に向けるようなものじゃなかった。どのような感情があるのか、わからない。ただ、こんな事を言われているような気がして、好きになれなかった。

『なんの価値もありゃしない』

 だからだろう、あの父親と目を付き合わせるのが嫌で、あの父親の下にいる自分がどうしようもない存在に思えて、そして逃げ出したのは。

 今更役にたつ駒とされても、やはり帰る気にはならない。むしろ、その事に対して今となっては憤りすら覚えてならない。

 さらに言えば、今は全斗にとってこの賭博試合こそが生きる場所。そこから去るなど到底考えられない。

「……だが、あんたはここで俺を連れ戻さなければならない、そういうわけか」

「そうさ。……俺もお前のいない間に追い詰められちまって、この仕事をしくったら後がないって、アニキに言われちまってな。そんで、お前のいる試合は賭博って言うだろう? だからそうさな……俺とお前の間でも、賭博試合をしようじゃあねえか」

「……俺が勝てばここに残り、あんたが勝てば俺を連れ戻す。この試合の勝敗で、賭博をするわけか」

「違うな」

「違う?」

 そして、道楽者は不敵に笑んでみせる。

 

「てめえが自分の生き方を貫くか、おいらが生きる道を得るか、そういう賭博さ」

 

 瞬間、鉄球でもぶつけられたかのような感覚が全斗に走る。見れば、全器の体重を乗せた拳が、すでに全斗の腹にめり込んでしまっていた。

「教えたよな、喧嘩ってのは対峙した時、すでに始まっちまっているってよ」

 この不意打ちに、さしもの全斗もぐらりと膝が揺らぐ。それを逃す全器ではなく、すぐさま顎に一撃を与えんとす。

 だが、山で獣を相手にし、この賭博試合でも幾度も修羅場を抜けた全斗も伊達じゃない。顎にめがけてくる拳を紙一重で避けつつ、前蹴りで一度全器を引き離す。

 間合いが双方外れた事で仕切り直し、と全斗は行きたかったが、この道楽者は突っ込んでくるのをやめはしない。

 それもそうだろう、全斗は反撃をすることができるとは言え、腹に一撃お見舞いされている。そのダメージが抜けきらぬこの時、逃す手は無いというもの。

「おらおら、隙を見せたら畳み掛けられるとも教えなかったか!」

 痛みを引きずる体でなんとかその攻撃から逃れようとしても、それはあまりに速い。先ずは脚、怯んだ次には髪を掴まれての膝が顔面を打つ。

鼻の骨が折れたか、派手に飛び出すは赤い鮮血。なんとか、体勢を立て直そうにも先ほどの一撃が脳を揺らし、まともに思考が働かない。

 ようやく霞んだ視界が晴れたかと思えば、再び来るはまたしても顔面への衝撃。これにはもはや耐えられず、全斗の体は地に叩きつけられた。

「悪りぃな、全斗。こいつがおいらの喧嘩ってやつだ。相手に何もさせないままにぶっ倒す。流石にこれは教えてなかったっけか」

 汗ひとつ見せないままに、その道楽者は立っている。幾多の修羅場を踏み越えてきていた経験値が高い故か、なかなかに圧倒的なものを見せつけてくれた。

 この展開に、それまで全斗の闘いぶりを見てきた観客たちは愕然としていた。その強さに惚れている者もいれば、その強さゆえに確信したかのように大金を注ぎ込んだ者もいた。だからか、この全斗の体たらくに怒りの声を上げる者も多数いる。

「自分たちの欲がために怒声を張り上げるのは如何なものか、と思うけれど。まあでも、彼がここまで一方的なやられっぷりなのは中々に珍しいかな」

 殊更豪華絢爛な椅子に座り、その試合模様にスポンサアはほくそ笑む。

 元を正せば、この男こそが今回の試合の黒幕。あの全斗の叔父という、土方全器なる男を招き入れた張本人。全斗の過去を調べ上げた上での所業だと考えると、この男は中々に腹黒い。

「あんたはいつだって、そうして反吐が出るような嫌がらせを仕組んじゃ楽しんでくれるよなァ?」

 傍で毒を吐くこのセイマも、そういうスポンサアのやり方は気にくわない。いずれはその顔面を拳でぶち抜いてやりたいところだが、今はただ目の前の試合の方に目を向ける。

「しかしまあ、あの全斗の叔父ってやつは中々やるな。俺も勝てるか分からねえ」

「何せ、君よりもさらに喧嘩の年月が長いのさ。経験からくる技術に加えて勝負勘が鋭い。あの勘は、力一辺倒でやってきた全斗にはないものさ」

 淡々とその男を分析するスポンサアの眼差しは、氷の如く冷たい。その冷たい眼差しには一切の感情はなく、ただただのちに言われるコンピュータの如く冷静としている。

「じゃあ、あんたはここで全斗は終わりってことを言いてぇのかよ」

 その口調がやはり気に入らぬセイマは、犬の如くスポンサアに噛みつきにかかる。しかし、当の彼はどこ吹く風。むしろ、直情的な犬に呆れすら見せている。

「そんなことは言っていないよ。それに逆を言えば、あの叔父さんなる男は技術と勘を持ち合わせてはいるけど、全斗のような力は無いわけだろう? 勝負はね、自分の持ちうる力で相手の力をねじ伏せるかねじ伏せられるかで決まるものさ。それは君にも周知の通りだと思うけれど?」

 思い当たる節の多い言葉を突かれてしまえば、セイマはもはやおし黙るしかない。苦虫を潰したかのような目をスポンサアに投げた後、もう一度その試合に向き直る。

「まあ、あいつと俺の勝敗はまだ着いちゃいねえ。ここでいなくなるようなら、俺ァ果てまでいってもアイツに喰らいついてやらぁ」

「ふふ、君らしいことを言ってくれるじゃないか。ではまあ、そんな試合模様がどうなるか、僕らはゆっくりと見物するとしようか」

 そんな二人の瞳に映し出されるは、此度の試合第二局面の始まりだった。

 

「さて、じゃあこいつで終わりってさせてもらうぜ、悪いけどな!」

 全器は昏倒する全斗にとびかかり、全体重を乗せた肘打ちを喰らわさんとする。流石にこの一撃を食らえば、全斗と雖もただでは済むまい。まさに絶体絶命の状況。

 だが、この道楽者は容赦が無い。喧嘩に容赦も油断も必要ない。徹底的にのめすことを、彼は喧嘩の信条としている。故にこの場面も、確実にトドメを刺しに行く。

 しかして、この時ばかりはあまりの一方さに、眼前の敵の力を、見誤っていたのは確かかもしれない。

 

「まだ……熊とやった時よりかは……マシだ」

 

 それは、まさに全器が肘打ちに飛びかかったその瞬間だった。

 カッ、と全斗の目が見開きを見せたとともに、上体が跳ね上がる。

 そして、握られた拳は、宙にて攻撃の態勢をとりつつあった全器に対して全筋力をもって突き上げられる。宙に飛んだことで、このまま攻撃のみしか手がない全器には、その拳から逃げる術を持ち合わせやしない。

 上から押し寄せる重力と、全斗の全筋力が乗った拳の勢いが、全器の体に叩き込まれる。それはまさに、滝と岩に挟み撃ちにされるかの様。

 さしもの全器も、このカウンターの威力には呻き声を上げないわけにはいかなかった。全器を穿つ拳はそのまま地へと回り、その体を叩きつける。

 形勢逆転、とまではいかない。反撃一つできたところで、全斗の脳は未だ揺れっぱなし。なんとか立ち上がるも、その立ち姿に余裕はない。

 だが、それは全器も同様か。たかが一撃、されど一撃。この一撃の重さは並大抵のものではない。それこそ、滝と岩で挟み込まれたようなこの感覚、このような経験をさしもの喧嘩歴数十年の男も味わったのは初めて。

 しかも、常人とはどうにも比べ物にならない筋力からくる尋常ならざる一撃となれば、なかなか堪えるものがある。

「おい……おまえ、このちから……いってえなんだよ……おいらが知らねえうちに、どんなけ、つようなりやがったや……いや、つようなきゃ、アニキが連れ戻すわけがねえか」

 全くだ、と反吐を吐きながら、蹌踉めきつつ道楽者もまた立つ。

 どちらも手負い、その様子を見るからに、五分と五分と言っていい状況。

「って、いうかよ……さっきの熊ってなんだよ、熊ってよ……」

「……山に、いたんだ」

 それだけ言うと、全斗は上に着ていた服を破り脱ぐ。

 顕になった体は、改めて山のように盛り上がった肉の塊のように錯覚させられる。胸、腕、腹、どれもが鎧のような肉を覆いかぶさっていた。

 その姿に加え、服を引き破る力もさることながら、眼を見張るのは胸筋から腹筋にかけて生々しく刻まれた、爪痕のような古傷。肉を深々と抉ったであろう痛みが伝わってくるような気がした。

 それだけでも圧巻ものだが、その筋骨隆々の体にはさらに無数の傷痕が刻まれていた。傷がついていない場所なんて、どこにも無いんじゃないか、そう思わせるほどの無数さだ。

 これには、さしもの全器も唖然とする。喧嘩でならした男も、そんな傷をつけるような輩とは対峙したことはない。そんな野生そのものの輩となど、戦ったことがなかった。

 しかし、眼前の男は違う。山と……大自然と戦った、その一言だけでは言い尽くせぬ、雄々しい身に刻まれた傷こそが全てを語る戦いを、男はなしてきたということか。

 たかが数年、されど数年。その数年の戦いの密度の濃さは、もはや想像を絶していた。熊どころではない。あの甥っ子は、自然そのものを相手に己を鍛え上げたのだ。

 逃げ出した先でどうしてそこまで、全器には甥の心中は計りかねた。ただ、いやが応にも奴が血反吐を吐いて辿った道を、幻視せずにはいられなかった。

 全器の震えは止まらない。と、ともにその胸の内に沸き起こるは敬意。己のなし得ぬ事をなしてきた一人の男に対する、敬意。

 

「もう……言葉はいらないだろう。あとは、あんたの言う通り……俺の道とあんたの道、どちらを通すか……この拳で賭けるだけだ」

 

 満身創痍の割に、啖呵だけは一流だった。

そして、その啖呵に応えるように、全器は構える。もはや、そこに立つのは彼の知る気がかりだった小さい甥っ子ではない。正真正銘、一人の益荒男として認めた男。

 その男もまた、拳を握る。構えという構えはとらないものの、その気迫はどこからでもこいと、どこからきてもぶちのめすと言わんばかり。

 故に、じゃあどこからでもいってやる、と仕掛けたのは、全器。蛇のように体をしならせてするりと全斗の背に回り、その腕が首に回る。

 だが、回り込んだ腕を掴むや否や、全器を自慢の筋力で引き剥がしそのまま投げ飛ばすかのように地面に叩きつける。全器もこれには驚いたが、叩きつけられる寸前に冷静に受け身をとって立ち上がろうとする。

 しかして、その隙を与えようとしない全斗は猪の如く駆け込み、拳を振り上げた。その拳に注視しつつも、あえて全器は全斗に対して迎え撃つ。

 しかし、その拳を前にした全器は冷や汗が止まらなかった。反吐がでちまうほどに恐怖がこの身を這いずり回る。

 こいつが、下手をしたら熊を倒したとさえ思われる拳かもしれない。そんな拳をこの枯れかけの体が喰らえば、多分ひとたまりもないだろうて。

 だが、これこそが喧嘩の醍醐味。自らの死をひしひしと感じつつ、そいつを踏破して勝利を掴む。

「喧嘩の道楽者を舐めんじゃあねえぞ!」

 拳が、彼の体を突き抜ける。

 その刹那、既に道楽者はその拳の先からは姿を消している。全斗にはない身軽さを持って、その拳の間合いに飛び込んでみせるや否や、腕ひしぎ十字固めに持ち込まんとする。 

 この関節技、一度極まってしまえば全斗と雖もそう簡単には破れはしない代物の技だ。

 故に、全器はこの技をもって全斗に引導を渡さんとしていた。様々な格闘術を喧嘩に昇華させ、巧みに放つことができるからこその技の強さ。

 腕が回り足が絡み、そのまま体を倒し全斗の体が全器に完全に支配され、そして極まる。

 そう、それで終いだ。それでこの戦いの幕は降りる。全器の頭の中では、そう描かれていたはずだった。それで全てが終わると、算段では出ていたはずだった。

 だが、倒れない。

 腕が回り、足が絡んであとその寸前というところで、その男は押しても引いてもそびえ立つ山のようにたじろがぬ。自重全てをかけて倒そうとしているのに、この男の体はビクとも倒れないのだ。

 むしろ、どうだ。体が絡みついた腕をそのまま持ち上げんとする勢い。このような芸当、相当な腕力が無ければ到底できやしない。

 しかし、この男はやってのける、やってのけた。

 そしてその腕は、とうとう人一人が絡みついたままに天を向く。その堂々たる姿に、先ほど怒声をあげていた観客も、息を呑んだ。

 さしもの全器も、この現実離れした状況に愕然とせずにはいられない。先ほど覚えた敬意すら、もはや忘却の彼方。その心内にあるのは、次元の違う男に対する、敬意すら超えた畏怖。その技をもって男の力を支配しようとした道楽者は今、力をもって己を支配されてしまった。

 ……負けだ。この賭けは、おいらの負けだ。

 こうなっては、最早勝負どころじゃない。決着は既に付いてしまったのだ。最初の攻防で、あの肘打ちで奴の力を全くもって引き出させないままにとどめを刺しておけば、それで全ては終わりだった。

 この男の十の力を全て引き出すような、そんな状況にした時点で、己は負けてしまっていたのだと、全器は思わずにはいられなかった。

 この力を前にしては、己の技など全て散らされてしまうだろうて。故に、この男の十を前に、己の十はなすすべもなく崩れ去る。けれど、あの時、あの啖呵に対し受けて立ったのだ。あいつの十を己の十で受け止めなければ、男じゃないだろう。

 喧嘩数十年、そうならしてきた道楽者が、あの啖呵とともに奴の力を真っ向から相手にしなきゃ、柄に合わねえだろう。

 男には、意地を張らなきゃいけない時がある。その意地の果てに負けるのならば、それも本望。

「お、おぅおぅぉぉおッ!」

 そして、地響きは唸る。

 それは己の宿命を乗り越えんとする、益荒男の足音だった。

 

……

 

「頭蓋骨があっけなく割れちゃって、即死。まあ、あれは流石に当然といえば当然の結果だと思うけれどさ」

 くく、と不謹慎にも笑うスポンサアに対して、全斗は眉ひとつ動かさない。事実、あの叔父が死んだというのを誰よりも知っているのは己であり、己の腕でもある。

 あの振り上げから、力目一杯の叩き落とし。全斗の尋常ならざる筋力と、さらに重力が重なっての一撃。しかも頭から落とされたのでは、無事で済むはずがない。……同じようなことを一度やられても何故か平気で噛みつきに来た闘犬はともかく。

「でもアレだよね、実の肉親をこう簡単に殺しちゃっているけど、いいのかい?」

 ニヤケ面を浮かべながら、意地悪く問いかけるスポンサアだが、全斗は全くもって意にも返さない。むしろ、それがどうしたと言わんばかりの口調で、彼は語る。

「俺が求めるのは、俺をその眼で捉え、全力でぶつかってくる相手だけ。ここには、そういう奴らがゴロゴロといる。だから、俺はここで生きることを決めたんだ。その俺の意思を阻む奴なら、誰であろうと潰すのみだ」

「たとえ、君を連れ戻したいと言っていた父親が現れたとしても?」

「当然だ」

 毅然も毅然。全斗はきっぱりとそう答える。とうに肉親を捨てた身のこの男は、すでに迷いも惑いもその中には無い。

 それ以降は、スポンサアが何を問いかけても口を固く閉じ、頷くか首を振るかの二択。これはどうも面白くはなかったのか、そうなって早々にスポンサアは彼の部屋から引き上げてしまった。

「ま、君が求めるような相手は、また用意してあげるからさ、楽しみにしておいてよね」

 なんて捨て台詞には、どのツラを下げて言っているつもりだ、と思ったのはさておき。

 しかし、あの男がいなければ、今回このような因縁の対決はとうとう舞い込んでこなかったのかもしれない。

 最早、二度と会うことのないと思っていた叔父、土方全器。

 父や母とは違い、あの叔父だけはどうにも憎い気持ちを持つことはできなかった。何気、あの叔父と遊んでいた時の記憶は、そこまで嫌なものではなく、あの男を前にしてむしろどこか暖かく懐かしいものがあったのは確かだ。

 よくよく思い返してみれば、家族の元から逃げる前、唯一全斗をその目で見ていてくれたのも、あの叔父だった。全斗に対し、一人の人間として接してくれた、唯一の肉親。

 そしてそれは、その最期の時まで変わらなかった。

 あの叔父は、確かに全斗の前に立ち塞がった宿命そのもの。けれど同時に、認めたくはないがスポンサアが言うような、「全斗の求める相手」であったのも違いない。

 脳裏によぎる満身創痍の対峙の時。あの時、あの叔父は己をのみを瞳に映し、戦っていた。己に対し、全力をもって挑みに来た。

 だからこそ、己も全力をぶつけた。全てを出し切り、その果てに殺した。スポンサアには阻む者だからと言ったが、実のところこれが真のところだろうか。

 その事に、全斗は微塵の後悔も抱かない。むしろ、あの勝敗が決まった時点で手加減して生かしたことの方が、後悔するに決まっている。相手の全力に対して、己の全力をもって最後まで応えきれなかった、己自身に。

 認めてくれた男に、一人の男として返したかったのだ。

 

 そうでなければ、強くなった意味が無い。


 一区切りついた今、言葉を多く紡ぐ必要はない。

 今紡ぐ言葉は、たった一つで十分だ。

 

 あばよ、叔父貴。

 

 宿命の壁は未だ大きく立ち塞がるだろう。

 だが、激しく燃え盛った記憶を胸に、この足は再び歩んでいけるんだろうさ。

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